世界はボクらの手の中

”日々の気づき”をお届けします!!

「 “相手に否定されたらどうしよう……” という思いグセ」

2012年05月31日 03時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



誰もが知る喜びと

この胸が悟る答えが

例え違う未来でも

どこへ行くも この思いは

揺るがない


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「 “相手に否定されたらどうしよう……” という思いグセ」ですが、これは自分が抱えてる自我(エゴ)の1つでして、それについてのメッセージです。



ちなみに、これらのメッセージはボクに送られていると同時に、このブログを通して同時に、この記事を閲覧している人に対しても送られているメッセージです。



このブログが、その人にとって “良いきっかけ” になれたら幸いです。



ということで、今回は 「 “相手に否定されたらどうしよう……” という思いグセ」 についてコンタクトしてみました。



※以下、紙に書き出した「声」となります






(年上の男性の声)
「君が抱えている大きな自我(エゴ)の1つが今回のテーマ……“相手に否定されたらどうしよう……” だが……どうだい? いまは?」


「以前に比べれば、“耐性” ができているようだけど……でも、それじゃあ、まだダメだ」


「そもそも “耐性” という感覚である時点で、方向がちょっとおかしいからね」


「いいかい? “君はワタシで、ワタシは君だ”」 ( ´∀`)


「同じように、“君以外の他者も君であり、他者もまた君だ”」 ( ´∀`)


「つまりは…………………………“全部、君だ!”」 m9( ゜Д゜) ドーン!


「だから、恐がることは一切無い!」 ( ̄Д ̄ )


「相手からいろんなこと言われたりするのが、恐いんだろ? でもね……それには、聞く耳を持たなくていいから」 ( ̄Д ̄ )


「確かに、その言われることの中に “聞いとけば良かった~” ということもあるかもしれない」 ( ̄Д ̄ )


「でもね…………その時に君が “聞く耳” を持てなかったのは、その時の君がその言葉を “聞く準備” ができていなかっただけであり……」 ( ̄Д ̄ )


「誰にも迷惑をかけないものであれば、その時はその判断が “ベストチョイス” なのさ」
( ´∀`)


「もっと、究極的に言えば、“相手に迷惑がかかる、かからない” も関係ないんだけどね」
( ´∀`)


「でも…………いま、その話を出すと、ややこしくなるし、長くなるので、ここでは、“誰にも迷惑をかけないもの” としての “一方向の視点” からの話で進めるぞ」
( ´∀`)


「だから、君のその “相手に否定されたらどうしよう……” というものは、言い方を換えれば “自分が、自分自身に否定されたらどうしよう……” と言っているのと同じことだ」
( ´∀`)


「おかしいだろ?」 ( ´∀`)


「なんで “ガイドのボク” が君を否定するんだい?」 ( ´∀`)


「むしろ、応援しまくるし、実際、そうだろ?」 ( ´∀`)


「このブログのこれまでの過去記事などを読み返せば、それがもっとはっきりと実感できるだろ?」 ( ´∀`)


「だから……もう、そんな “思いグセ” を抱えるのは卒業しなさい」 ( ´∀`)


「もし、君を否定するような人がいたら、こう思いなさい…………“この人は、ボクをそういうカタチで応援してくれている……一番、嫌な役回りを演じてくれている” てね」 ( ´∀`)


「まー……実際、そうなんだけど」 ( ´∀`)


「つまり、そういう人こそ “深い愛” で接してくれているということだ」 ( ´∀`)


「感謝はすれど、嫌悪を抱くのは “お門違い” だからね」 ( ´∀`)


「まあ、それでもムカツクときは、その時で、その感情を抱えず出してもいいからね」
( ´∀`)


「ただし……“怒りのエネルギー” は誰もいないところで出すように……いいね?」
( ´∀`)


「さあ……これで、わかったろ? 君は、全ての者から “愛されている” ということを」
( ´∀`)


「自由に “いま” を生きなさい」 ( ´∀`)






以上。



ありがとうございます…………少し感動しました。



「否定する人ほど、“深い愛” の役回りを演じている」…………なるほど、と思いました。



「 “相手に否定されたらどうしよう” 」…………これはもう卒業したいと思います。



気づかせてくれたすべての存在に…………ありがとう。














ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「 “性格” 」

2012年05月30日 03時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



ここに生きる その訳も

この場所で出会う 全ても

例え違う 世界でも

どこに居ても この思いは

揺るがない


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「 “性格” 」ですが、これは「人生の計画」についてのお話です。



ということで、今回は 「 “性格” 」 についてコンタクトしてみました。



※以下、紙に書き出した「声」となります






(少し年上の男性の声)
「君たち一人一人は、様々な “個性” を宿しているが、それを別の言い方に置き換えると “性格” がそれに当たる」


「そして、この “性格” によって、今生の計画をどう建てたのかが、おぼろげながら理解することができるんだ」 ( ´∀`)


「例えば、“細かい性格” の人であれば、今生をどういう風に送りたいか “綿密に設計してきた” とわかるし、“大ざっぱな性格” の人であれば、細かく計画せず、その時、その時の自分の選択で人生を歩んでいくという “冒険家タイプ” とわかる」 ( ´∀`)


「だから、もし、いま今生で、自分の将来の選択に “悩んでいる人” がいたら、その “自分の性格” という観点から、選択してごらん……」


「例えば…………“大ざっぱな性格の自分” なら、今生は、その時の自分の選択にただ委ねるのみ……として計画してきたはずだから、ここは “利益” “損得” “周囲の声” などで考えるのではなく、自分の “直感” で、“これを選択したい!” という “自分の心の声” に従おう!」


「例えば…………“計画的に進めるのが好きな自分” なら、今生は、綿密に計画しているはず……ならば、ボクのこれまでの歩んできた人生から、共通して選択してきた “今生の課題” を探って、その “今生の課題” に沿ったものを選択しよう!」


「とまあ……こんな感じだ」 ( ´∀`)


「いわゆる 前者が “直感タイプ”、後者が “計画タイプ” と呼ばれるものだが……これは、“直感タイプ” はこの世の視点で観れば、いわゆる “いらない苦労も楽しみたい” というタイプ」


「 “計画タイプ” は、できるだけ “今生の課題に、必要な道だけをスイスイ生きたい” というタイプ」


「こんな感じだ」 ( ´∀`)


「君はどっちだい? フフ……まあ、わかるだろ? なんせ自分のことは自分が一番良く知っているからね」 ( ´∀`)


「これは、どっちが “良い・悪い” はないということがわかるでしょ?」 ( ´∀`)


「人によっては、“直感タイプ” に好意を示す人もいれば、人によっては、“計画タイプ” に好意を示す人もいる」


「この世も、実はこんなもんだよ…………“選択に、善悪はない” ということだ」 ( ´∀`)


「というわけで、今日のこのテーマでお前もわかっただろ? 自分がどう計画してこの世にいるのか……どのタイプか……では、いま、どういう選択をしたいのか…………フフ」 ( ´∀`)


「まあ、少なくとも、お前に関しては、“いまの悩み” は “ぜいたくな悩み” であるから、これからの “選択” に関しては、今日のテーマで充分だろう」 ( ´∀`)


「選択しなさい……そして、味わいなさい」 ( ´∀`)






以上。



はーい、そうします。



なるほど……とてもよく理解できました。



ちなみに、ボクのタイプは…………「直感タイプ」です。



あー……だからか~。 (ノ∀`) アチャー



とても「しっくり」きました。



やっぱボクは、「今生を自由に楽しみ、味わいたがり」のようです。



以前までは、「あーでもない、こーでもない」とグルグルと考え、あたかも「計画タイプ」のように自分を演じていたな、と…………「計画タイプ」にあこがれていたな、と……すごく実感しました。



今回のテーマのメッセージで、もう、「降参」します。



今生は、「直感」で選択して生きて行きたいと思います!



「Don't think feel!(考えるな、感じろ!)」


( ´∀`)













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「 “死の理解” 」

2012年05月29日 04時45分08秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



あの時

最高のリアルが向こうから会いに来たのは

僕らの存在は

こんなにも単純だと笑いに来たんだ

耳を塞いでも

両手をすり抜ける真実に惑うよ

細い体の

どこに力を入れて立てばいい?


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「 “死の理解” 」ですが、今回も仕事中に入ってきたメッセージでした。



ということで、今回は 「 “死の理解” 」 についてコンタクトしてみました。



※以下、紙に書き出した「声」となります






(少し年上の男性の声)
「人は “死” を恐れる……これが、共通認識で存在していると思うが、いまの君はどうだい?」


「フフ……まあいいけどね。 “いまここ” を経験すると、この “死” の認識がガラッと変わるんだけど、君はどうだい? いまならわかるだろ?」 ( ´∀`)


「 “いまここ” を経験すると、この “死” がある意味、“生” と “等価値” という感覚が理解できるようになる」


「この世界で暮らしている多くの者にとっては、それは “ありえない認識” だろうが、“いまここ” という経験で “絶対的安心感” を理解すると、“生” と “死” は “イコール” になるんだ」


「 “死” というのは “肉体の機能停止である” ということが、とても腑に落ちるようになる」


「本来は、この “死の理解” は、実際に “死” を経験し、肉体から抜けて初めて知ることができるようになるのだが……」


「だが、“いまの時代” の人々は、この “死の理解” を “死” を経験しなくとも、“認識” することができるようになった」


「それが “いまここ” の経験だ」 ( ´∀`)


「そんな……“死の理解” をすると、人はこれまでの “価値観” が大きく変わるのだけれど、特に、大きく変わるのは、人々が “人生を自信を持って楽しみ味わう” ことができるようになるということなんだ」


「人によっては “いまここ” を経験しなくとも、“気づき” に敏感な者たちは、自然に、無意識に “人生を自信を持って楽しみ味わう” ようになるんだけどね」 ( ´∀`)


「 “死の理解” は、人生を “より豊か” にする」 ( ´∀`)


「それは “魂の永遠性” とも言い換えられる」 ( ´∀`)


「君たちは、そんな存在なんだよ」 ( ´∀`)


「だから、“死を恐れて生きる” のではなく、“死を受け入れて、共に生きる” ことが大切だからね」 ( ´∀`)


「 “人は、いつか死ぬ”……“生物も、いつかは死ぬ”……“地球も、いつかは死ぬ”……“宇宙も、いつかは死ぬ”……この世界(三次元の世界)に例外はない」


「だから、安心して “死” を受け入れなさい。そうすれば、また……視界が、認識が、価値観が、ガラッと変わるよ」 ( ´∀`)


「それは君にとって、“良い意味” でも “変化” となるからね」 ( ´∀`)


「 “変化” を恐れず、楽しんでね!」 ( ´∀`)






以上。



そうですね……“いまここ” を経験してからは、“死” の認識がとても変わりました。



いまなら、今日の言葉の意味が、とても理解できます。














ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「 “胸を張って生きる” 」

2012年05月28日 03時32分38秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



何気ない現在(いま)も

まだ見ぬ朝(あした)でさえも

譲れない想いだけは

胸に秘めてる

「偶然」と笑う

声かきわけ

たどり着く 「向こう側」

自分を信じてる


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「 “胸を張って生きる” 」ですが、これは仕事中に入ってきたメッセージでした。



ということで、今回は 「 “胸を張って生きる” 」 についてコンタクトしてみました。



※以下、紙に書き出した「声」となります





(少し年上の男性の声)
「 “胸を張って生きる”……これが、“人生を楽しく過ごすコツ” だ」


「 “胸を張る” というのは、君の “自信” を示す」


「何の “自信” か……それは、君が自分に対して “絶対の信頼をしている” という “自信” なんだ」 ( ´∀`)


「そして、この “絶対の信頼” というのは、自分のことを “好き” になることから生まれる」 ( ´∀`)


「 “そんなの誰だって、自分のことは好きでしょ?”……て思うかい? フフ……では、君はそんな ”大好きな自分” のことを、責めたりしたことはないかい?」


「……あるだろ? とゆうか、“しょっちゅう” だろ? 日常茶飯事だろ?」 ( ´∀`)


「 “責める” という行為は、”好き” の真逆にある行為……つまり、自分のことを “嫌い” になる行為と言える」


「多くの人は、そんな “大好きなはずの自分” をよく “責める”。そして、それを繰り返していくと、いつしか自分のことが “嫌い” になる」


「そして、その “嫌い=嫌悪” は、最初は自分にだけ責めていたのを、他者へも責め出す」


「これは、相手に “嫌な思い” をさせることにより、“自分自身をさらに嫌いになりたい” から」


「つまり……自分自身を責めたり、傷つけるよりも、相手に “嫌な思い” をさせたほうが、もっと自分自身を嫌いになることができるから」


「 “自分のことが嫌いになる” の先にあるのは、“孤独” という “愛” からもっともかけ離れた状態だ」


「だから “自分を好きになる” ということは、人生を生きる上でとても大事なことなんだよ」 ( ´∀`)


「これからは自分を “責める” ようなことがあったときは、今日の話を思い出してね」
( ´∀`)


「 “自分を責めている自分” に “気づいたら”、すぐに止めて、そんな “責めるに至った自分もまた自分” と受け入れ、そして、流しなさい」 ( ´∀`)


「そうすれば “自分のことを嫌いになる” ことは無くなるからね」 ( ´∀`)


「さて……では、ここで改めて今日のテーマである “胸を張って生きる” という話だが、まず “自分を好きになる” こと」


「そうして、“自分を好きになり続けていく” と、それは “自信” へとつながっていく」
( ´∀`)


「つまり、冒頭で言った “自分に対して絶対の信頼をしている” という “自信” だ」


「この “自信” が身につくことによって、君にとって “都合が良くなること” を引き寄せるようになる」 ( ´∀`)


「一応、言っておくけど、今回、話をしている “自分を好きになる” “自信を持つ” というのは、“自分勝手” “傲慢” ということではないからね」


「 “自分を心から愛する” という “愛” が根底にあるものだよ……いいね?」 ( ´∀`)


「とまあ、このように “自信” を持つことによって、自然と、人生を “胸を張って” 生きていくようになるんだ」 ( ´∀`)


「これは、周りから見れば、とても “魅力的な存在” として映るから、自然と周囲の反応が変わってくるから、おもしろいよ」 ( ´∀`)


「人生を楽しみなさい」 ( ´∀`)






以上。



はい! 今、人生すごく楽しませてもらってます。



皆さんも、胸を張って、共に、歩いていきましょうね。













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「改めてですが……“いま幸せで在る自分” に気づかされました」

2012年05月27日 03時00分00秒 | 気づき

おはようございます

mitsuzoです



風はやがて凪いでた 汗も乾いて

お腹が空いてきたな 何かあったっけ

賑やかな声と共にいい匂いがやってきた

いつもひとりで歩いていた

みんなが待っていた


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「改めてですが……“いま幸せで在る自分” に気づかされました」ですが、昨日、仕事中に “フッ” と語られた言葉です。



ということで、今回は 「改めてですが……“いま幸せで在る自分” に気づかされました」 についてコンタクトしてみました。



…………というより、ほんの一言でした。



昨日、仕事中に、ふと 「あれ? ちょっと待って?…………あっ……ボク、今、幸せに在るじゃん!?」 と突然、気づかされました。



うまく、言葉で説明できないのですが……突然、雷鳴のように……というか、とにかくそんな感じで “パーン!” と気づかされました。



すると……その後、そっと小さい声で……



「ふう……やっとわかった?」 ( ´∀`)



と笑顔でそんな言葉をかけられました。






実は…………昨日まで、いろいろと 「やってみたいこと」 がいっぱいあり過ぎて、何から、どうやって手をつけようか……と、悩んでおりました。



……というのも、これが “やっかい” な話で…………この 「悩み」 というのが、ある種、「ぜいたくな悩み」 だったので、ボク的には楽しくて仕方なかったんですね……なんせ、「やりたいこと」 について悩んでいたのですから。



でも…………それは、ちょっとした 「異常事態」 でした。



というのも、それは、ボクの中で 「テンションが上がり過ぎ」 状態だったんです。



つまり……「暴走気味」だったんですね。



「やりたいことがあるのは、すばらしい!」 というのがあったのですが、それが有り過ぎて、何から手をつけていいのかわからない状態となり、結局、「あーでもない、こーでもない」で一日が過ぎていく……という状態だったんです。



そして……そうなってくると、だんだんと 「悩み疲れ」 を引き起こしました。



すると……「あれ? 何か変だぞ? 何で、いまちょっと “おっくう” になってんだ?」 という疑問が湧いた “その時”…………雷鳴のごとく、“パーン!” と、「あ、別にやりたいことが無くても、いま充分、幸せじゃん! もう、いまのままでOKじゃん!」……という、「いま幸せで在る自分」 に気づかされました



おもしろいですね。



また、いろいろと勉強になりました。



ありがとうございます。














ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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