世界はボクらの手の中

”日々の気づき”をお届けします!!

「質問: “ワクワク” とは何ですか?」

2012年04月24日 03時47分20秒 | 質問

おはようございます

mitsuzoです



私に還りなさい 記憶をたどり

優しさと夢の水源へ

あなたも還りなさい 愛しあうため

心も体も くりかえす

魂のルフラン


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「質問: “ワクワク” とは何ですか?」ですが、これは、ボクらが「この世界で生まれた理由」…………「人生の生きる意味」…………「人生の価値」などの「すべての答え」だとボクは思っています。



この「ワクワク」というのは、誰もが持っているものであり、それがどういうものかというのは、例えば…………



「自分がやってて楽しいもの」


「これまでに興味を持ったもの」


「自分がつい夢中になってしまうもの」


「うまい・ヘタ関係なく、なぜか好きなもの」


「自分が得意なもので、なおかつ、負けたくないと思っているもの」



これらは、すべて「ワクワク」となります。



ただし、こうやって挙げるときに注意して欲しいのは…………



「自分が最大限に活かせるもの」が、「ワクワク」かどうかは別



だということです。



どういうことかというと、いくら「自分が最大限に活かせるもの」を何か持っていたとしても、それをやってて「ワクワク」と文字通り「楽しく求めているもの」じゃないと、それはおそらく「ワクワク」とは違うものの可能性が高いです。



「ワクワク」というのは、「ただ、それをやるだけで楽しく、結果が良くても、悪くても関係ない」というものです。



言い方を変えれば、「ただ心の底からやりたいことをやるだけ……結果は後からついてくるもの」となります。



まあ、でも、それで「良い結果」が伴えれば、それはそれで「ワクワク」ですけどね。



例を上げれば…………



「サッカー」の才能にあふれていて、周りの人からもそういう風に思われていても、「本人」はヘタだけど「野球が好き」であるとき…………



「ワクワク」は「サッカー」ではなく、「野球」のほうになります。



でも、まあ、ボクら「人間」はそう単純に……素直に「ワクワク」に従うことは難しい生き物です。



だから、本人の「潜在意識」の「魂の部分」では、「本当のワクワク」はわかっていても、「顕在意識」…………つまり、表面的な「脳(自我)」で判断している自分では、周りの反応や、自分の「才能が活かせるもの」という判断だけで「サッカー」を選ぶことが、今のパターンだと多いのだと思います。



もちろん、その「サッカー」を選んだことにより、プロになって、「Jリーガー」で活躍して、「世界」でさらに活躍して……といき、「地位」も「名声」も「財産」も得られるかもしれません。



でも、それらすべてを手に入れた後、時が流れ、死ぬ間際になったときに、「まだやり残していること」を挙げたとき、やっと「野球」のことを思い出すかもしれません。



いずれにしても、「本当のワクワク」があって、それをまだ経験していないのであれば、どこかで「気づく」とボクは思っています。



それが、いつなのかはわかりませんが…………。



まあ、とにかく、この「ワクワク」というのは、死ぬ間際に「やり残したことは何だろう?」と考えたときに浮かぶものであり、そういう「心残り」になるものこそ、「本当のワクワク」だとボクは思います。



なので、自分の中で「ワクワク」を探したいときは、「もし、自分が1ヶ月後に死ぬとしたら、何をやりたいか?」と、真剣になって、自分自身と自問自答すれば、「本当のワクワク」はみつかるとボクは思います。



その「自問自答がどれだけリアルにできるか」です。



もし、それで「本当のワクワク」をみつけることができたなら、それを後は実践すれば、それがあなたの「人生の生きる意味」とつながるとボクは思います。



ボクは、そうやってみつけましたので。



というわけで、今回の質問「“ワクワク” とは何ですか?」の答えは…………



「人生の生きる意味」です…………まあ、冒頭で、すでに答えを言ってましたけどね。













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「質問: “神” は存在するのでしょうか?」

2012年04月23日 03時18分16秒 | 質問

おはようございます

mitsuzoです



残酷な天使のテーゼ

悲しみが そしてはじまる

抱きしめた 命のかたち

その夢に 目覚めたとき

誰よりも 光を放つ

少年よ 神話になれ

人は愛をつむぎながら 歴史をつくる

女神なんてなれないまま 私は生きる


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「質問: “神” は存在するのでしょうか?」ですが、これもボクたち誰もが感じる命題ではないでしょうか。



この質問は、宗教をやっている方と、そうでない方……誰でも、一度は考えたりするものだと思います。



ボクは「神」はいると信じてます。



というよりも、この「神」という定義が人によって違うので、自分が信じている「神」というものの定義が他の人と一緒かはわかりませんが、とりあえず、自分の視点で書いてみたいと思います。



まず、ボクの中で「神」とは、根本のところ、「ボクらすべてが “神”」だと思っています。



これは、前回の「ワンネス」の話とつながることなのですが、ボクの定義の「神」というのは、この世界の「創造主」だと思っています。



その定義でいくと、この世界を作ったのは他でもないボクら「ワンネス」が、さらに「成長」しようと決断して、そのために必要な「経験」を得るため、この「分離世界」である「三次元の物理宇宙」を作り出したわけです。



なので、「世界の創造主=ワンネス」ということになり、その「ワンネス」というのは、ボクらの「源泉(ソース)」です。



ということは、ボクら一人一人は「ワンネス」から「分離した存在」なので、それがひとつになれば「ワンネス」へとなります。



そして、それは…………「ボクら=ワンネス=世界の創造主=神」となるわけです。



だから、「神は存在する」ということになる…………とボクは思っています。



でも、一般的な常識というか……みんなが何とな~く認識している「神」というのは…………



「なんか人間と違って、とても崇高な、偉大な存在」とか…………


「どんな奇跡でも起こし、困ったときには助けてくれる存在」とか…………


「悪魔から守ってくれる存在」とか…………



そんなイメージがあるのかな~とボクは思います。



ボクもそう思ってました。



でも、「いまここ」を経験して以来、自分が勉強して今思うのは、「神」とは「ワンネス」のことを別の言い方にした表現のひとつ…………だと思っています。



ボクの中では「ワンネス」という「源泉(ソース)」が「神」という解釈に近いものなので、そこに「絶対的安心感」を感じますので、それをボクの中の「信仰」となっています。



でも、それは人によっては様々な「名称」となるだけで…………基本的にその「神」と認識しているものを「信仰」している理由は、ボクと同じように、一人一人皆、「絶対的安心感」の拠り所の役目になっているのかな、と思います。



そういう「信じるもの」があるだけで、「人生」を「前を向いて、楽しくできる」のであれば、その「神」はすばらしいと思いますし、その「絶対的安心感」である「神」が、「仏陀」とか「イエス・キリスト」などと「名前」が違うだけで、それら「神」の「存在理由」は同じなので、どれも正しいと言えると思います。



それが、ボクの中では「ワンネス」ということだけで、「存在理由」はこれも一緒です。



だから……まぁ~、まとめるならば…………



「これでいいのだ!」



です。



なので、今回の質問の「 “神” は存在するのでしょうか?」の答えは、ズバリ…………



「存在します」



です。



どれが……何が……本当の「神」なのか? と、さらに答えを求めるならば……その答えは、



「すべて、一人一人が信仰している “神” はすべて本当の “神” です」



と、ボクはそう思います。













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「質問: “ワンネス” とは何ですか?」

2012年04月22日 03時48分46秒 | 質問

おはようございます

mitsuzoです



今も ちはやふる 想い 胸に抱いた

それが若さと 笑いたきゃ笑えばいい

僕は君がいるから 走り続けてる

君は言うだろう 「きっとそれは僕も同じだ」と


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「質問: “ワンネス” とは何ですか?」ですが、これは「サムシング・グレート」とか「大いなるひとつ」などとも言われています。



どういうものかというと、ボクらは本来、「ひとつの存在」であり、それが、「ひとつの存在」のままだと経験できないものを経験したいために、「ひとつの存在」から分離させ、「自分」、「他者」などといったものを作り出した。



それが、今のボクら、「人間」であり、生物や物質……その他すべての「三次元に存在するものの存在する理由」だということだとボクは思っています。



ちなみに、これは「地球」だけの話ではなく、「三次元に存在するもの」すべてのことを差しますので、ボクらが認識できる「宇宙すべて」のものを意味します。



そして、この「ワンネス」「サムシング・グレート」というものは、ボクがよく使っている「いまここ」と同じ意味となります。



「いまここ」の状態というのは、「自分がない状態」のことであり、それは「すべてとつながり溶け合っている」状態のことです。



ここで、ちょっと長くなりますが、その「わかりやすい例」を上げます。



それは……「アニメ 新世紀エヴァンゲリオン」



この最終回である「新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 Air/まごころを君に」の中で主人公の「碇シンジ」が、「綾波レイ」と「自分」がひとつになり、「どこからが他者で、どこからが自分かどうかわからない」という状態になったような感じになるのですが、その状態が「ワンネス」の説明に近いものだとボクは思っています。



そのときの主人公「碇シンジ」と、「綾波レイ」との会話が、今、話をしている「ワンネス」から、どうしてボクらは「分離してこの三次元の世界で生きているのか?」という答えに近い会話をしています。



※主人公「碇シンジ」は、「サードインパクト」の中心にいたことと、アダムと融合した「綾波レイ」が「碇ゲンドウ(主人公の父)」ではなく、息子の「シンジ」を選んだことにより、神に等しい力を得て、人類の未来を決めることになります


(詳細はこちらでどうぞ)

「エヴァあらすじ」
http://akiba.geocities.jp/sh901isblue/plot.html






シンジ「アヤナミ、ここは?」


レイ「ここはLCLの海、生命の源の海の中」


レイ「ATフィールドを失った、自分を失った世界。どこまでが自分で、どこから他人なのかわからない、曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分がいなくなっている、脆弱な世界」


シンジ「僕は、死んだの?」


レイ「いいえ、全てがひとつになっているだけ…………これがあなたが望んだ世界、そのものよ」


シンジ「でも、これは違う…………違うと思う」


ここで、全人類が一つになったことが語られます。


シンジは決断します。


レイ「他人の存在を今一度望めば、再び、心の壁が、全てのヒトを引き離すわ…………また、他人の恐怖が始まるのよ」


シンジ「…いいんだ…………ありがとう」






ここで「綾波レイ」が言っている…………「どこまでが自分で、どこから他人なのかわからない、曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分がいなくなっている、脆弱な世界」



これが「ワンネス」のこと。



そして、「綾波レイ」が「碇シンジ」に言い放った…………



「他人の存在を今一度望めば、再び、心の壁が、全てのヒトを引き離すわ…………また、他人の恐怖が始まるのよ」



これが、ボクらの今の「三次元の宇宙」です。



元々「ワンネス」だったボクらは、それだけじゃ物足りなくなり、もっと成長したくなった…………それで、その成長のための「経験」を得るために考え出されたのが、この「三次元」の「物質宇宙」ということだとボクは思います。



なので、ボクらは「自分以外の他者や世界」があるこの世界を望んで、今があるということです。



なので、「すべては神の計画通り」ということも、ある意味正しいかと思います。



また、前に記事にした



「人生、自作自演!  ワロタww」http://blog.goo.ne.jp/mitsuzo_age34/e/3b99ff8d97b2bdb578b2e2674de6d84b



で言っていることの根底が、今日お話した「ワンネス」が「成長のための経験」を得るために行っているものということになります。



というわけで、少し長くなりましたが、今日の「質問: “ワンネス” とは何ですか?」の答えは、「どこまでが自分で、どこから他人なのかわからない状態のことで、それがボクらの元々のカタチ」となります。













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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「質問:自我(エゴ) とは何ですか?」

2012年04月21日 03時37分20秒 | 質問

おはようございます

mitsuzoです



ゆりかごから墓場まで 

馬鹿野郎がついて回る

1000のバイオリンが響く

道なき道をブッ飛ばす

誰かに金を貸してた気がする

そんなことはもうどうでもいいのだ

思い出は熱いトタン屋根の上

アイスクリームみたいに溶けてった


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「質問:自我(エゴ) とは何ですか?」ですが、これはスピリチュアルではよく使われる言葉ですが、一般的な使い方は、「自我(エゴ)」というのは、ボクらが人間として生きていると、「自我(エゴ)」の影響で、争いをしたり、物を奪ったりといった「利己的な衝動」に駆られる……その「原因」。



というような感じで捉えられているのかなとボクは感じます。



少なくとも、ボクも「気づく」前は、そんな印象を持っており、どちらかというと、「自我(エゴ)」というのは「悪い」もので、この「自我(エゴ」を無くすことが大事だと思ってました。



でも、実際は、「自我(エゴ)」というのは、そういうものではありません



…………というより、「ある意味」では、間違ってはいないとも言えます。



たしかに、「自我(エゴ)」というものは、「利己的な衝動(戦争や略奪)」の「原因」になるものです。



でも、その「自我(エゴ)」が「悪」というのは、ちょっと違います。



何度かこのブログでも書きましたが、「善悪」というのは、自分に降りかかる「出来事・現象」に対して、「自分」が「善いもの」と判断するか、「悪いもの」と判断するかなので、自分に降りかかる「出来事・現象」自体には「善悪」はありません。



これと同じように、「自我(エゴ)」自体には「善悪」はない、とボクは思ってます。



じゃあ、「自我(エゴ)」って何だろう?



ということになりますが、ボクは「自我(エゴ)」とは、この「三次元」の世界で「人間」として生活する上で必要な「機能」と思っています。



具体的に言うと、「自我(エゴ)」とは、「自己防衛機能」と「自己学習機能」と言えると思います。



「自己防衛機能」とは、「五感(視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚)」と「感情」を指します。



「人間」は、「自己防衛機能」である「五感」があるからこそ、外の世界の情報を得ることできます。



そして、「五感」から得た情報からひとつひとつ学び、それを「記憶」として「脳」や「身体」に蓄積し、それが自分の中で「外の世界」を構築し、そんな「外の世界」へ「感情」を表すという「自己表現」をすることができるわけです。



さらに、この「自己防衛機能」があるおかげで、「外の情報」を得たり、それらの情報を「蓄積」し、また、その「情報の蓄積」のおかげで、最初できなかったものでも、何度かやればできるようになったりする…………というような「自己学習機能」もついており、その「自己学習機能」というのが、ボクらが認識するところの「自己成長」というものになるわけです。



だから、「自我(エゴ)」というのは、無くそうとするものではなく、むしろ、ちゃんと理解して、正しく利用することが大事だということです。



なので、今回の「自我(エゴ) とは何ですか?」という質問の答えは…………



「自我(エゴ) とは、この世界で必要な “自己防衛本能” と “自己学習機能”」



となります。













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


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「質問: “生まれ変わり” “前世” って本当にあるの?」

2012年04月20日 02時14分20秒 | 質問

おはようございます

mitsuzoです



花びらの ように散りゆく中で

夢みたいに 君に出遭えたキセキ

愛し合って ケンカして

色んな壁 二人で乗り越えて

生まれ変わっても あなたのそばで

「花」 になろう


mitsuzo です。





さて、今日のテーマは「質問: “生まれ変わり” “前世” って本当にあるの?」ですが、これはボクなりに、いろいろと調べた結果、「 “生まれ変わり・前世” はある」という結論に至りました。



ただ、これは、あくまでボクの見解ですので、今回の「前世」の問題は、賛否両論様々だと思います。



なので、ここからは、あくまでボクが「前世はある」というまでに至ったお話となります。



ボクが2年前に経験した「いまここ」の体験で、ボクの中で「すべての物事」がクリアになり、いろんな物事に対して、感覚での理解度が増しました。



そんなとき、「飯田史彦先生」の「生きがいの創造シリーズ」に出会いました。



それと、もう1冊「前世療法」という本にも出会いました。



この2冊を読んだとき、ボクが「いまここ」を体験したときと同じようなものが、ドドーン! と押し寄せてきました。



ものすごい感動を覚えました。



なので、根拠は、この自分の中の直感のような「いまここの感動」になるのですが、これでボクは「前世はある」と理解するようになりました。



でも、実際、「前世はある」と考えて、いろんな物事を照らし合わせて考えていくと、おもしろいように、歯車が「カチッ!」「カチッ!」とハマっていきました。



「人生の生きる意味とは?」


「宇宙はなぜ誕生したのか?」


「地球はなぜ誕生したのか?」



そういった問題が、「前世がある」として考えると、説明がつくということを感じたのです。



それで、実際にボクなりに約2年間調べた結果、最初に感じたとおり、説明ができたのです。



なので、その「視点」からでも、「前世はある」と今では自信を持って言えます。



ちなみに、「前世はある」と考えて人生を生きたほうが、ボクは「ワクワク」ので、そういう「視点」から見ても、「前世はある」と自信を持って言えます。



なので、今回の「 “生まれ変わり” “前世” って本当にあるの?」という質問の答えは「前世はあります」ということになります。













ということで、今日はこの辺で。


みなさんに “良い事” がありますように!





ではでは。


(*´∀`)ノ








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