リキチャン

リキチャンの近況

苗定植

2021-04-25 05:39:29 | 日記

昨日は、午前中を農作業に費やしました。

作業内容は、苗床の枝豆と玉蜀黍が大きくなりましたので、菜園に枝豆63本・玉蜀黍

84本を定植し水やりをしました。

苗床  玉蜀黍と枝豆とポットのズッキーニの苗

定植  手前が枝豆で奥が玉蜀黍

その後、苗床に西瓜の苗作りで、種を刺したポットを入れました。

それから、芽吹いた野菜を間引いて鶏糞を施肥し、鍬で漉き込みました。芽吹き野菜は、

大根・法蓮草・水菜・春菊・小松菜・青葱・人参・廿日大根で、それからキャベツの苗に

も化成肥料を施肥しました。

農作業は昼前に終了し、昼食後の午後からはホームセンターに出向き、玉蜀黍用のネット

(1m×50m:2,017円)と薩摩芋の苗(50本:2,180円)を購入しました。

薩摩芋は、天気予報が雨の前日に、他所の畑に用意した畝にツルサシする予定です。

帰宅後は、いつも通りのテレビの子守で疲労回復に努めました。

かしこ


台湾人は中国人移民の子孫でない

2021-04-24 04:55:54 | 日記

ブログ「中韓を知りすぎた男」より転記

以下

台灣は昔から中国人の祖父はいても、中国人の祖母はいないとの言い伝えがあります。それは清国統治時代、台湾への渡航は男だけにかぎられていたために、彼らの子孫はみな中国人の男と原住民の女の混血だというわけです。

だから台湾人が移民の子孫であると言うのはおかしい。なぜなら清国時代、基本的には移民は厳禁されていた。また台湾海峡を渡航することは、当時の中国の航海技術では非常に危険なことです。

そのうえ、移民は原住民との通婚どころか、接触すら固く禁じられていた。なぜなら当時台湾は、風土病の島でした。ペスト、コレラ、赤痢、天然痘、発疹チフス、腸チフス、ジフテリア、猩紅熱、マラリア等、住民の平均寿命は30歳に満たなかった。

台湾を最初に支配していたオランダは農業開発のため大陸から大量の中国人を移住させたが、風土病のため病死者が増え、癩病患者だけで3万人にも上がった。

オランダを駆逐してのは台湾中興の祖と言われた鄭成功である。鄭成功は幼い頃身につけた日本武士道精神で明国への忠義を尽くすことを誓った。その名声は日本にも及び近松門左衛門の「国性爺合戦」が人気を博した。

しかし中国では明国が滅び清国になっていた。大陸の清王朝は台湾を領土にする気はなかったが、鄭氏政権をそのまましておけず大軍を派遣して鄭氏政権を滅ぼす。鄭氏政権はわずか23年で滅び、台湾は満州人の王朝清の支配下に入った。

しかし清国では風土病の蔓延している台湾などいらないという考えでした。1894年日清戦争勃発、日本はこの戦争に勝利し下関条約で台湾を割譲させた。清国はもっけの幸いと見てこの風土病の島を日本に譲った。

清の統治は都市に限られ南部の地方は無政府状態だった。地方は大陸から来たヤクザが牛耳っており庶民を搾取していた。だから住民から日本軍に早く進駐するよう要請する声が上がっていた。住民にとってはヤクザに支配されるより日本に統治されたほうが良いというのが実需でした。

台湾を清国から押し付けられた日本は児玉源太郎総督と後藤政局長によって成果を上げ始めた。まず風土病を撲滅すべきで病院が次々に建てられた。さらに医学校が設けられ医学者の育成と伝染病の研究を行った。

台湾の飲料水は不衛生で病原菌の温床でした。そこで日本は23年間に及上下水道の整備工事が進められた。台風が来るたびに多くの犠牲者を出していたが、毎年100万本の苗木を無償配布し。補助金を交付して造林事業につとめた。

また交通の整備がされ南北縦貫鉄道、港湾、道路の建設が行われた。さらに台湾銀行を設立、通貨、金融制度も確立した。数年のうちに治安は世界一良くなり泥棒もいなくなった。

児童就学率は92,5%に達し、日本語は言葉もバラバラな先住民や移住民間の共通語となった。以前のブログでも書いた美味しい米「蓬莱米」を生み出し、アジア最大のダムを作り、製糖業を確立して産業育成に努めた。

その他鉄鋼、化学、紡績、金属、機械の各分野が急速に育成された。台湾は現在まで続く工業国となった。

日本の統治が始まって10年経つと大陸から大量の中国人がやってきた。自ら中国人を捨て、台湾人になる人が大量に増えたのも当然のことです。これで日本の台湾統治がどういうものだったかは分かっていただけたと思います。

この文章は私が勝手に書いたのでなく、台湾実業家の重鎮許文龍氏の「台湾の歴史」より抜粋、その他李登輝氏が「日本の若い人たちに、日本のことをわからせる必要がある。日本人はここで大きな仕事をやった。

しかし日本の先生は「台湾を植民地にして自分勝手なことをやった」と教えています。李登輝氏は「もし台湾の方が中国大陸を吸収したら中国は素晴らしい民主国家になっていただろう」といっています。

なぜなら日本精神を持った台湾人が多く育っていたからです。ところが日本統治の功績を挙げていくと左翼はムキになって反論する「そんなのは植民地統治のためにアメとムチの政策にすぎない」と日本の左翼は台湾が親日であることが気に入らないようです。

李登輝氏が総統になる前までの台灣史は「台灣原住民は中国大陸から来た越族である」などという大嘘ばかり書かれていた。さらに中華民族化に都合の悪い日本統治時代の歴史は残酷きわまりない日本人が台灣を侵略、収奪、奴隷化した時代ということにされています。

李登輝は教科書には真実を書くべしと言って全て改めてしまいました。日本の左翼は台灣を見たがらない。「国家解体願望」の強い左翼にとって台灣が「国産み」するより中国と統一することを望んでいます。

偶然、蒋介石という中国大陸と敵対する先人の存在がなければ決して今日の台灣はあり得なかった。日本が去って悪の独裁者蒋介石がやってきたお陰でもっと悪の中国共産党に支配されずにすんだ。

もし蒋介石が台灣に逃げてこなければ、とっくの昔に台灣はチベットやウイグルと同じような長くて辛い苦難の道を歩まされるはめになっていたに違いない。

以上

感想は個人の価値判断で願います。

かしこ


チューリップ

2021-04-23 05:50:23 | 日記

昨日は、朝食中に急遽遊びに出かけようと提案し、朝食後家内は洗濯もそこそこに出かける

準備をし、9時半過ぎに家を出発しました。

行先は、以前チュウリップ農園が綺麗だとの情報で、「○○高原農場」へ向け愛車を走らせ

、12時前に現地に到着しました。普段の日であるにも関わらず、見物客もかなり多く来て

いました。

チューリップと 

農場 

農場 

現地にチューリップ鑑賞で約1時間半滞在し、帰り際に家内からチューリップの購入を頼ま

れ、一鉢千円の黄色で枝先別れのチューリップを購入しました。

それから、農場内を後にして近くの道の駅により、買い物と見学をし帰宅の途に就き、途中

「餃子の王将」で遅い昼食を摂り、帰宅したのが17時前でした。

帰宅後は、夕食まで菜園の野菜に水やりをしました。

昨日は、人込みと久しぶりの長距離運転でいささか疲れました。ちなみに、車の走行距離は

260Kmでした。

かしこ


雑記

2021-04-22 04:54:06 | 日記

昨日は、午前中に菜園で芽吹いて大きくなっていた野菜を間引きしました。

間引いたのは水菜と小松菜で、これらを水洗い処理していたら、家内の友人が通りかかり

、ローゼルの種蒔き時期についての問い合わせがあり、気温が20℃になったらと伝え、

今月末にでも大丈夫と話し、併せて間引き菜を所望するか聞くと、頂きますとのことでし

たので、再度菜園に降り立ち水菜と小松菜を間引き、処理は自分でとお渡ししました。

午後からは、ボラ団体活動の独居老人訪問で、先日不在であった方3名の地区を訪問し、

その後GSで車に燃料を給油し帰宅しました。

帰宅後、一休みしてから菜園の野菜類に水遣りをしました。

ここ暫くは、晴天の天気予報ですので、菜園の野菜に時々水遣りが必要です。

かしこ


野菜ドーム

2021-04-21 04:48:03 | 日記

昨日は、午前中にホームセンターに行き、菜園に定植していた胡瓜の生育が、寒さの影響で

おかしいので植替えで5本購入し、併せて苗ドームを10個購入(1,700円)しました。

それと、ポットへの種蒔き用の土も1袋(900円)購入しました。種蒔き用土は、これか

ら西瓜の苗づくりなどで使います。苗づくりは、今まで菜園の土を使用していましたが、種

の芽吹きがかなり違い、専用土であれば芽吹きがかなり良好です。

帰宅後、胡瓜の植替えをし、苗ドームを南瓜・胡瓜・ピーマン・パプリカに設置しました。

野菜ドーム  過去の設置写真

野菜の順調な生育と収穫を願って!!!!!

かしこ