みつばちマーサのベラルーシ音楽ブログ

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(14) 詩と俳句 2010年以降

2021年08月10日 | サダコの千羽鶴
 ソ連が崩壊し、15の共和国が独立国家として歩み始めます。
 経済的にも混乱し、文化などに心の余裕もない時期がしばらく続きました。
 この時代は目の前の問題に精一杯で、第二次世界大戦の反戦アイコンを思い出すことも少なくなった時期でした。ロシア語圏における「サダコと千羽鶴の物語」の広がりが停滞した時期です。

 一方で、ソ連時代の表現の自由の制限もなくなりました。
 そしてインターネットの時代が始まります。
 ロシア経済が持ち直すと、余裕も生まれました。

 その結果、詩作が趣味です、というロシア人(ロシア語創作者)が、プロアマ問わず、詩を作ってはサイトに投稿し、広く読んでもらうという新しい表現の場が生まれました。
 そんな中で「サダコの千羽鶴の物語」をテーマにする詩人が驚くほどたくさんいることが分かりました。

 日本人の私からすると、まず思ったのは、ロシア人(ロシア語創作者)は詩が好きだということです。日本人の感覚では、ピンとこないと思います。
「趣味は何ですか。」
と尋ねると、
「詩を書くことです。」
と答える人がたくさんいます。ただし、詩というものにすごく高いレベルをみんな(聞く側、読む側)が求めるので、詩作が趣味でも、自信のない人は「趣味は詩を書くことです。」となかなか言いません。「趣味は詩を書くことです。」と堂々と答える人は、相当自信がある人です。
 誕生日に詩を書いてプレゼントするのは普通。もらった側もすごく喜びます。
 学校の国語の授業のテストは詩の暗唱ばっかりです。
 プロの詩人はすごく尊敬され、大統領選挙に出馬する人もいます。詩人から政治家に転身する人も多いです。(マクシム・タンクルスラン・ガムザトフもそうですね。)

 「佐々木禎子さんに捧げられたロシア語の詩がこんなにあるんですよ。」と言われても、多くの日本人は「詩? ふーん。」で終わってしまうと思いますが、ロシア語圏では、詩という文化に重きを置いているということだけは認識してもらったうえで、この記事を読んでほしいです。

 さてこのように詩という文学スタイルがレベルの高いものとされているロシア語圏で、プロアマ問わず「サダコの千羽鶴の物語」を詩題に選んで書いては、ネット上で公表する人が多いので、びっくりしました。
 私がネットで検索しただけで18作品ですが、実際にはもっとたくさんあると思います。また今日書いている人も世界のどこかにいると思います。
 多すぎるので詩の内容は著作権の問題もあるし訳しません。でもタイトルは作品発表年の古い順からざっと訳してみます。

「鶴(複数形)」作品中にサダコと明記。2010年の作。

「少女、佐々木禎子とその記憶に捧ぐ」2011年8月号の雑誌に掲載。

俳句形式(三行詩)で題名はないが、「佐々木禎子さんと長崎と広島で白血病で亡くなった全ての子どもたちに捧ぐ」と献辞。

「サダコ・ササキに捧ぐ」

「ああ、人々よ!」作品中にサダコと明記。ロシアの女子高校生が作者。

「鶴(複数形)」佐々木禎子に捧ぐと献辞。

「千羽鶴」黒い雨、白血病という言葉が作中にあり、406羽の折り鶴を作ったともありますが、これも詩人としての語感で書いた数字と思われます。 

「鶴よ、鶴」作中にサダコ・ササキと明記。

「サダコ」5行詩なので、題名はあるけれど短歌形式の詩と思われます。

「佐々木禎子と千羽鶴」

「少女サダコへの祈り」600羽と少し折ったと作中に書かれています。担当医の名前は「マコト・オサム」にしているので、クチンの詩「千羽の白い鶴」が下敷きにした作品だと思われます。

「サダコ・ササキの記憶に捧ぐ」

「鶴(複数形)」勇気ある日本の少女サダコ・ササキに捧ぐ、と献辞。作中に664羽折ったとあります。

「サダコ」作品最後に佐々木禎子さんの紹介文まで書いてあります。ここでも664羽折ったと説明しています。

「サダコ・ササキ」

「鶴(複数形)」作品中にサダコと明記。

「折り鶴は幸運のシンボル」作品中にサダコと明記。

「鶴」佐々木禎子に捧ぐと献辞。2019年の作。

 こんなにロシア語でサダコの名前が詩の中に出てくるのです。
 詩という言葉の力によって鎮魂ができるとロシア語詩人は考えているのだと思いました。また反戦の声を上げることもできるし、平和を訴えることもできると信じているのでしょう。

 日本人の感覚では分かりにくいかもしれません。
 例えば、日本人で「私の趣味は俳句です。句会の会員です。」「短歌を作ることです。」という人が、「アンネの日記」を読んで、
「すごく感動した! やっぱり人種差別も戦争も反対だ! この気持ちを俳句にしよう! 『ああ、アンネ・・・』」と句や短歌を書き始める人はあまりいないと思うんですね。

(とここまで書きながら、いや、もしかしたらいるかも、と思ってネットで検索したら、アンネという名前をちゃんと入れた日本人歌人による日本語の短歌を一首だけ発見しました。)

 ところが、ロシア語圏では「サダコの千羽鶴の物語」を読んで、「すごく感動した! この気持を詩にしよう! 『ああ、サダコ・・・』」と作品にしてしまう。しかもそうしている人がとても多い。

 他にも日本人が句会で「今日のお題は『戦争反対・平和への願い』です。」というのはあっても、個人の名前を入れよう、というのはあまりないのではないかと思います。「今日は『アンネ・フランク』という言葉を入れた短歌をみんなで作ってみましょう。」ということ、あるのでしょうか?
 ところがロシア語圏では、詩の中に人名、しかも外国人の名前が「サダコ!」「ササキ!」と繰り返し多数登場するのです。

 このように日本人の想像していないことがロシア文学界では当たり前のように続いているのです。
 それにしても佐々木禎子さんのご遺族は、禎子さんの名前がこんなに詩の中で書かれていることも、献辞を捧げられていることも知らないんですよね。
 驚くのか、サダコはとっくに世界的反戦アイコンになっているから今更何とも思わないのか、それとも嬉しく思うのか、あるいは不愉快に感じるのか、私は遺族ではないから分かりません。
 でももし遺族だったら、とりあえずどんな作品に名前を(ある意味無断で)書かれているのか気になるとは思います。
 もっとも佐々木禎子さんのことを悪く書いているロシア語作品は私が知っている限りではありません。

 また上記の詩の大部分は、アマチュア詩人、つまり詩作が趣味という一般人が書いているうえ、ソ連も崩壊した後のロシア語圏に住んでいる普通の人々が自ら「サダコの千羽鶴の物語」をモチーフにして書いたものです。
 ここにソ連時代のような「原爆を落としたアメリカは非道な国である」という宣伝を文学作品でするようにというプロ詩人への、政府からの隠れた指示はありません。
 ソ連はなくなり、核兵器ちらつかせながら牽制し合う米ソ冷戦時代は終わり、国家公務員でもないアマチュア詩人が書く「サダコの千羽鶴の物語」は純粋に鎮魂、戦争反対、平和希求の内容ばかりです。
 さらにネットの力により、大量に発信され、数え切れないほど多くの人が目にするようになりました。

 こうして大量の「サダコの千羽鶴の物語」がロシア語で詩に書かれる中で、曲をつけられる作品も再び出てきます。

(15)に続く。



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