風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

真央ちゃんホノルルへ

2017-10-12 23:38:11 | 日々の生活
 今年4月に現役引退したプロ・スケーターの浅田真央ちゃんが今年のホノルル・マラソンに出場するらしい。市民マラソン・ランナーとして、一度は走ってみたいレースであり、羨ましい限りだ。と言うのも、自分一人で行って来ま~すと軽く言い残して行けるほど近いわけではもとよりなく、だからと言って家族から異論が出たところで家族会議で日程調整がつくわけでもなく(何しろ毎年、冬休み前、今年は12月10日開催)、お年頃の子供をもつ親世代にはなかなか手が届かない大会なのだ。「元アスリートとして、高い目標をもって、楽しみながら挑戦したいです。タイムは4時間30分を切りたい」と遠慮がちに健気に語っているが、真央ちゃんほどの身体能力があって、しかもまだ若いから、サブ・スリーくらい軽く狙えると思うが、そこが真央ちゃんの奥床しいところ、か。
 同じ今日の関連ニュースに、真央ちゃんに菊池寛賞!?とあって、調べて見たら、当初(1938年~)こそ、「菊池寛の提唱で、先輩作家の業績をたたえ、敬意を表すため」(Wikipedia)に制定された文学賞で、46歳以上の作家が表彰対象だったらしいが、「菊池が没したのを機に1952年に復活。そのとき受賞対象が文芸以外の分野に広げられた」(同)、とある。
 実際に歴代受賞者を見ると、小説家、脚本家、評論家、研究者、ジャーナリストや編集者、映画プロデューサー、NHKアナウンサー、画家、舞台美術家、漫画家、写真家、写真植字機の共同発明者なんて方もいるし、(歌舞伎などの)役者、歌手、落語家、漫才師、棋士、医者、弁護士くらいまではだいたい想像の範囲だが、出版社そのものや出版企画、新聞の連載記事や報道(朝日新聞社のカナダ・エスキモーの報道(1964年)、中国新聞の暴力団追放キャンペーン(1965年)など)、テレビ番組(東芝日曜劇場(1960年)、TBS時事放談(1976年)、井上靖とNHK「シルクロード」取材班(1980年)、NHK名古屋放送局「中学生日記」(1995年)、NHK「プロジェクトX」制作スタッフ(2001年)、黒柳徹子と「徹子の部屋」(2006年)、池上彰とテレビ東京選挙特番チーム(2016年)など)、さらにオープンしたての博物館明治村(1966年)、ひめゆり平和祈念資料館(1992年)、紀伊國屋ホール(2003年)、旭川市旭山動物園(2006年)、新潟県佐渡トキ保護センター(2012年)といった箱モノ(これも企画モノと言うべきか)から、宝塚歌劇団の五十年(1964年)、劇団四季(1993年)、はては安田祥子・由紀さおり姉妹による童謡コンサート(1994年)、国立天文台「すばる」プロジェクトチーム(1999年)、JAXA「はやぶさ」プロジェクトチーム(2010年)まで、文化的と称し得るものなら何でもありの世界のようである。
 文化的なものにとどまらない。冒険家・植村直己さん(1978年)、宇宙飛行士・若田光一さん(2014年)、スポーツ界では、日本プロ野球史上初の前年度最下位球団によるリーグ優勝・日本一を達成したときの三原脩さん(1961年)に始まり、日本人・大リーガー・ブームの先駆けとなった野茂英雄(1995年)、マラソンでオリンピック二大会連続メダル獲得の有森裕子、「最高でも金、最低でも金」という名(迷?)言と共に臨んだシドニー五輪で宣言通り金メダルを獲得した田村(現・谷)亮子(2000年)、大リーガー初年度にいきなり新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞など数多くのタイトルを獲得したイチロー(2001年)、日本相撲協会を定年退職したときの渡辺大五郎(元関脇・高見山、2009年)、日本サッカー史上初のW杯優勝、得点王とMVPの二冠達成、その年のFIFA最優秀選手賞まで受賞した澤穂希(2011年)、ロンドンで3大会連続五輪金メダルを獲得した伊調馨と吉田沙保里(2012年)、車椅子テニスの王者・国枝慎吾(2015年)がいる。およそ表現者(またその舞台)と言い得る範疇で話題にのぼった人・団体や企画モノが取り上げられており、戦後65回分を眺めていると、多少、偏り(選漏れ)があるものの、さながら各年度の重大ニュースを駆け足で見るようで興味深い。
 最初の話題に戻って、芸能人がホノルル・マラソン参加と言えば手垢にまみれたネタ扱いにされるのがオチだが、真央ちゃんだと何故かフレッシュな印象を与えて、誰もが手放しで応援したくなって、まことに得な性分だと思わずにはいられない。今どき、貴重なキャラクターだ。
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体操ニッポン健在

2017-10-10 23:11:31 | スポーツ・芸能好き
 冒頭は昨日のブログの続きになるが、半年振りのジョギングから一夜明けて、太腿がガチガチ、しかも朝から昼、さらに夜へと、時間差でどんどん酷くなるのがちょっと哀しい(苦笑)。不思議なもので、ふくらはぎから下は殆どダメージがなく、太腿に効いているのは、久しぶりに走って体重の3倍の負荷がかかるのに慣れていなかったせいだ。更にその3倍以上(つまり体重の10倍以上)の負荷がかかると言われる体操(跳馬)の着地の際に、微妙に高さが足りずに左足首を負傷し棄権した内村航平選手らが、今日、帰国した。
 うっちーの場合、五輪と世界選手権を合わせた8年連続の世界一を含め、9年間続いた国内外の大会での連勝記録が「40」で止まって、さぞ悔しいだろうと思ったら、「(技に)成功して怪我しているので、何とも言えない。怪我をするということはまだ下手。下手だから伸びしろはあると思うので、しっかり治して這い上がってやろうと思う」「違う形で(注:種目別など)東京五輪までとも思ったけど、自分の中でそれは逃げているんじゃないかと思う部分もある。次に試合に出るときは今日よりも強い状態で出られたらいい」などと強気で、災い転じて発奮材料となし、東京五輪に向けて個人総合に再挑戦する気になったようだ。「個人総合は誰もが憧れるべきもの。種目別のメダルを6個とっても、個人総合の1つには勝てない。それくらい価値があると思う気持ちは揺るぎない」とも語って、個人総合で銅、種目別で金2個を獲得してよく健闘した後輩の白井健三を前にして、なかなか挑発的である(笑)。いや、後輩の演技を見守るうっちーは涙目で、いろいろ思うところがあったのだろう。
 まあ、うっちーは別格なので、けんぞー君も是非、発奮して先輩にプレッシャーを与えるようになって欲しいものだ。
 今回の体操の世界選手権は、リオ五輪の翌年ということで、どうやら実力者を欠いていたらしいのだが、それにしても、うっちーのいない体操ニッポンは健闘した。白井は、床運動で「シライ」の名前がつく技が3つも入った難しさと美しさを兼ね備えた別次元の強さを見せて三回連続優勝を果たし、エレガンス賞まで獲得したし、村上茉愛は、女子個人総合で0.100及ばず惜しくも四位に終わったが、床運動では日本女子として実に63年振りの金メダルをもたらした。
 水泳やバドミントンや卓球やテニスやゴルフに、最近は陸上短距離まで、歯が立たないと思われていた日本人でも頑張れば十分に世界に伍して行けるという確信のようなものが伝播して、いろいろな競技に好循環をもたらしているようだ。かつてのソ連や東ドイツと比べるのは気が引けるが、ジュニアの頃から計画的に育成・強化して行けば、そして日本人らしい戦い方を身につければ、なんとかなるということだろうか。これからが楽しみだ。
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また青梅への道(1)

2017-10-09 22:31:52 | スポーツ・芸能好き
 戸外で運動するにはよい季節になった。私にとっても、今日ようやくマラソン・シーズンが始まった。東京マラソンが決まらないことには始まらない・・・と嘯いて、落選通知があってから更に二週間が経ってしまった。この年齢では練習量が日本一少ないのではないかと自慢にもならないことを自慢するズボラな私には、これから半年程のシーズンに突入するにはそれなりの覚悟が必要で、夏場の半年間は完全休養して、また走ってみようかという気になるまで待たなければならないのが、自分でも厄介だ。
 今年の東京マラソンへの応募者は32万人と相変わらずの人気ぶりだが、昨年より1,700人弱減った。僅かとは言え、これまで確実に応募者を増やして来て、減少に転じたのは初めてではないだろうか。また今年は、東京マラソン(来年2月25日)の一週間前に開催される青梅マラソン(来年2月18日)の申込みが先行してしまい、東京マラソンに落選したから青梅マラソンに流れる・・・はずが、やや躊躇する事態となった。まあ確率的には躊躇するほどではなく、どうせ・・・と高を括り、やっぱり・・・当選せず、この冬も青梅マラソンを目標に身体を造って行くことになった。
 実に半年振りのジョギングだった。最近、ちょっと下腹部に皮下脂肪がつき始めたのが気になっていて、走り始めると、下腹部もさることながら、皮下脂肪は背中全面に広がっているのだろうか、背中全体が突っ張るような感じがして、所謂身体のキレが悪い。心臓の筋肉も衰えているようで、すぐに息切れがする。後半になると、腰や背骨周りの筋が衰えて上半身を支え切れないのだろうか、腰が痛くなり始めた。靴も、半年前、シーズンで最も身体が出来ていた頃の靴紐の状態のままで締めると、ちょっとキツイ。いつもは10キロを軽く1時間ほどで走るコースだが、15分ほど余計にかかってしまった。ところで、走ると足に体重の3倍の力がかかるといわれ、走り終わる頃にはヨタヨタなのだが、内村航平選手の着地には700キロ?だったかの圧力がかかると森末さんが言われていたので、更にその3倍以上の力になる。意識と身体がちょっとズレると大怪我に繋がるのは道理だ(うっちーも歳かなあ・・・)。
 しかし、久しぶりに意図して汗をかくのは心地よい。普段、歩くときに痛む右足指の関節まわりも走るときには何故か気にならない。途中、拓殖大学の学生さんの一群(陸上部かどうか分からない)とすれ違って、とぼとぼ走る私には、その軽やな走りが羨ましい。私だって十代の頃は飛び跳ねるように走っていたものだが、今はそんなバネや全身のバランスの良さは見る影もない。歳をまた一つ重ねて、同じ練習をしているだけでは衰える一方で、今年はどうやって記録を伸ばそうかと、しばし思案中である。
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余りに非人間的な・・・

2017-10-08 13:26:47 | 日々の生活
 などとタイトルで言っているのは、北朝鮮のことではない(笑)。年に一回、動物への(と言うか人間への)虐待だと思って憂鬱になるのが、所謂成人病検診、最近、言うところの生活習慣病健診である。またこの季節がやってきた・・・(溜息)
 バリウムを飲むのがどうにも苦手なのだ。検査しやすいよう胃のひだひだまで伸ばして膨らませるため、まずは発泡剤を含んで、ゲップはするなと脅されて、そんな殺生な・・・と緊張しつつ、紙コップ半分ほどのバリウム(正確には硫酸バリウム)をゆっくり流し込む。これでも金属?(バリウムは原子番号56の元素で、アルカリ土類金属のひとつ、硫酸バリウムはバリウムイオンと硫酸イオンからなるイオン結晶性の化合物らしい)なので、その比重からくるドロっとした重さ加減が如何にも・・・という感じで、恐怖心が湧き起こる。最近はほんのり甘く味付けされるなど、気を遣って頂けるのは有難いが、却って騙されているのだという感覚に囚われてしまう。わざわざ下剤で排出しなければならないものを体内に取り入れ、速やかに排出しなければ後で痛い目に遭うというプレッシャーを感じて、水分を多めに取ったりするのは、検査のためとはいえ実に不合理で、実に気が重い。朝一番で会社が指定する健診センターに行ってささっと済ませるのだが、その日一日、会議の予定は入れることなく、悶々とする。
 十年一日どころか少なくとも三十年は変わらないこの旧態依然とした検査方法に疑問を抱き、昨年のブログでは、ネットで自称お医者さんのコメントなどを読み漁って、どうやら関係者のカイゼン努力が足りない、言わば怠慢が原因と言うよりも、それ以前に日本対がん協会を中心に検査機関や関連する人(レントゲン技師)や器具メーカーや病院といった既得権益層を巻き込む利権の温床となっている疑いが濃厚であることを確信して、恨み辛みを書いた。余りに非人間的な・・・というタイトルのブログだが、余りに日本的な・・・と嘆きたくなる。だからと言って、どうせこれほど落ち込むのは私くらいだろうと思うと、声をあげる勇気もなく、ブログでぼやくのがせいぜいだ。
 もし身寄りのない天涯孤独の身の上ならば、生活習慣病健診は断固拒否し、生命保険にも入らず、何かあったときが天命と、諦観して暮らすかもしれない(などとは大袈裟だが、医療保険は必要かも知れないと現実的に思ってみたりする)。年齢とともにそんな退廃的な思いが自分の中に強くなっている気がするのは、敢えて言ってみれば俗世への執着が薄れているのか、面倒臭がりになっているだけか・・・
(参考)昨年のブログ:http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20160927
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小池劇場・続

2017-10-06 03:20:48 | 時事放談
 小池劇場とのタイトルを続けるが、小池都知事は舞台装置を回しただけで、陰の主役は前原誠司・民進党代表だったかも知れない。民進党を言わば解党し、小池新党への合流について、小池都知事と合意があったものと勘違いして、全会一致への流れを作ったのは、とりもなおさず前原代表だ。そのため、民進党議員からは小池都知事に騙されたとの恨み節が聞こえたらしいが、世の中はそれほど甘くないのであって、ただの泣き言でしかない。その結果、前回の蜘蛛の糸の寓話になぞらえれば、公衆の面前で糸を切られて恥をかくくらいなら、糸にすがるのは止めて、自ら立ち上がる人が現れた・・・ことによって、ヌエのように正体不明だった民進党が、穏健保守の小池新党とリベラル新党にきれいに整理されることになった。有象無象で混沌とした政界にあって、解散・総選挙により「政権交代。」の民主党(当時)政権を終わらせた野田佳彦・前首相の決断に負けず劣らず画期的なことだったと思う。
 実際のところ、民進党で主義主張を明らかにせずにただ長いものに巻かれていただけの無名の議員サンたちの多くは、運よく別の長いもの(小池新党)に巻かれたかも知れないが、うるさ型の有名どころは良くも悪くも出処進退が注目された。リベラルの旗幟鮮明なため、小池新党の公認を得られる見込みがなく、そうかと言って独立独歩に自信がなくて数に恃む人は、原則として5人以上が集まって政党に所属して衆院選に出馬しさえすれば、比例代表で復活当選する可能性も出てくることから、設立されたリベラル新党の「寄らば大樹」(ではなく今にも折れそうな樹だと揶揄するのは控えよう)を求めた。そんなリベラルには馴染めず、小池都知事の「排除の論理」(とは如何にも大仰だが)にも反発し、自信があって自ら恃むところが大の人は無所属を貫くことが出来た。
 先ずはリベラル新党である「立憲民主党」を立ち上げたのが枝野幸男・元官房長官である。なかなかの硬派なネーミングで(ちょっと古色蒼然として、はっきり言って大時代だ)、どうでもいいことだが「希望の党」と言い「立憲民主党」と言い、センスを感じさせないと思うのは私だけであろうか。それはともかく、小池新党が容認を求める安保法制について「私たちが積み重ね、目指してきた理念や政策とは異なる」と批判し、民進党が共産、社民両党などと進めてきた選挙協力を「継承する」と明言した点で、まさに民進党リベラルの正統なる後継者と言えよう。これに、長妻昭・選対委員長、赤松広隆・元衆院副議長、阿部知子・前衆院議員、福山哲郎・元官房副長官、辻元清美・元国土交通副大臣、近藤昭一・元環境副大臣らが続いた。菅直人・元首相は街頭演説で、「枝野氏の呼び掛けに応えて立憲民主党に参加することを決意した」と高らかに宣言したらしい。別に菅氏に呼び掛けたわけではないと思うが、菅氏にとっては「渡りに舟」だっただろう。
 前回ブログでも触れた野田佳彦・前首相は、「内閣総理大臣、民主党の代表、民進党の幹事長を務め、歯を食いしばって励まし続けてきた仲間がたくさんいる。中には『希望の党』に入らない方もいる。リスクはあるが、応援するには無所属の立場の方が動きやすい」「無所属なら、自分の従来の主張も思い切り発言できる。過去に責任を持ちながら、未来を語っていきたい」と述べて、堂々としたものである。前原代表に「『希望の党』に行けない人を十分ケアすべきだ。民進党議員がとてものめないような政策合意は十分こなれたものにしてほしい」と注文をつけて、未熟な合流構想の後始末をつけるよう求めた岡田克也・元代表も、小池新党とは安全保障や消費税に関する考え方が違うと述べる一方、リベラル新党についても「リベラル派が入ると聞くが、やや政策的にぴったりしない」と述べて、無所属を選んで潔い。江田憲司・前代表代行も、「小池新党とは政権交代を成し遂げる点では一致するが、仲間が選別されている状況を目の当たりにして行くわけにはいかない」「しがらみのない立場で選挙を戦い、選挙後は再編に身を投じる」と述べて無所属を選んだ。公認申請が難航しそうな安住淳・元代表代行は、結局、公認申請を提出せず、「新しい党のイメージを出すためには私や野田(佳彦)さんのような、どこを歩いていても民主党だというような人間がいるのはよくない」「(小池都知事は)都会の人。俺は田舎の人だから情があるからね。ただ、ああいう風にバリバリっとやる人がいるのもいいんじゃないですか。ああいうスピードについていけない部分がある」などと本音を覗かせつつ、無所属を選んだ。素朴なところは悪くないが、政治家としてどうだろう。
 そして小池新党である「希望の党」である。玄葉光一郎・元外相は、「民進党は左に寄りすぎた。もう少し右にシフトしないと政権交代可能な受け皿にならない」と釈明に追われたのは、分からないではないが、今まで民進党として何故一つの党でやって来たのか問われても仕方ない。小池氏本人は「リセット」「しがらみのない政治」といったワンフレーズ・ポリティックスを展開するのはいいが、本当の「保守」を理解しているのか、その語感とのギャップが気になる(言わずもがなだが、本当の「保守」なら、一般論として「リセット」だの「しがらみのない」だのと言い切ることはないだろう、革新でもあるまいし・・・)。
 人それぞれの人間模様・・・。
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