風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

福島のいま

2011-10-22 22:43:02 | 時事放談
 福島第一原発事故に関連して、原発作業員、消防士、自衛官をはじめとして、「自分の生命を顧みず他人につくす模範的な行為に感銘を受けた」スペインのフェリペ皇太子から、「フクシマの英雄たち」がアストゥリアス皇太子賞が授与されたそうです。対象は、個人を特定せず、「自身の生命を危険にさらしながら、被害を最小限に抑えるために献身的に働いた」人たち全般を指すそうです。なんだか心温まる話です。
 しかし、原発事故があった福島に目を移すと、今なお厳しい現実が横たわります。
 今朝、「NNNドキュメント」スペシャル「在住カメラマンが見つめ続けたFUKUSHIMA」(新聞のテレビ欄では「ウルトラクイズのカメラマン撮影の原発福島」)という番組を見ました。金子二三夫という方が、一年ほど前に都心を離れ、第二の人生を農業をしながらのんびり過ごそうと、福島県田村市都路町に移り住んだところで、原発事故に遭い、事故の現状を伝えるためにカメラを回し続けているそうです。報道カメラマンが伝えるニュース性のある映像であれば、そのようなものとして、どこか一回性の特殊なものと構えるところがありますが、あくまでそこに住む人の目線で切り取られ映し出されるごく当たり前の日常が、はっと胸を打ちます。
 例えば、「犬猫みなしご救援隊」というNPO法人があって、避難した住民の依頼を受けて、動物を引取りに行くというので、金子さんはそれに付き添ってその様子を追います。私の家でも子供の頃に犬を飼っていて、初めは(犬なのに)猫っ可愛がりして、その後はたまに気紛れに可愛がるだけで、結局、日頃の面倒を見るのは親の役目になって、それが今では原罪のように重く心にのしかかって、動物のテレビ番組を見ると心が痛むので、愛するペットを手放さざるを得ない家族が見せる別れの悲しみは、涙なくして見ることは出来ません。こうしたNPOの存在を知らない場合、ペットの犬や猫は福島の避難区域内にただ独り取り残されて、野良犬や野良猫として野生化する例が増えているようです。恐らく飼われている間はおとなしく首輪に繋がれていたでしょうに、さる政治家が呼んで話題になった所謂ゴーストタウンに取り残されて、生きるか死ぬかの瀬戸際で野生を取り戻したのか、革製や布製の首輪や紐を引きちぎって街をうろついて餌をあさっているのが、犬が置かれた環境の壮絶さを物語って痛々しい。中には、取り残された犬が交配して、人間というものを知らないまま育った子犬が増えて、ペットとしての性を呼び覚ますことなく、人間を恐れて、件のNPOが捕まえるのが難しくなっているというのもまた、痛々しい。
 また、文部科学省が発表する放射線量に疑問があり、金子さんは国の測定地点傍で同じように測定し始めたところ、25%くらい高い値が出たそうです。一般には誤差の範囲とは言えないレベルですが、放射線量の世界で、中国製の安い測定器が低品質でアテにならないと報道されていたのを見たことがあるので、その範疇のことなのか。まさか測定値をその都度低く報告するほど役所はマメではないでしょうが、測定器を選定する際、低い数値を出す測定器を選ぶくらいの器用さはあるかも知れない。金子さんは、実情を知らせるため、GPS地図と放射線量測定器をつけて車を走らせて、その映像をユーチューブにアップしているそうです。
 「フクシマの英雄たち」が表彰される一方で、先に触れたペットが置かれた惨状は、地元社会の混乱を反映します。番組では、地元住民の一人が、緊急時避難準備区域が解除されても、「除染されていないから帰ってくる人がいない」と国のやり方を批判し、福島第二原発で作業していたという人は、「狭い日本は住むところがなくなって、放射能で死んでしまう」と訴えていました。これらは、アテにならない放射線測定値に象徴されるように、政治の無策や不作為によることを連想させ、やりきれない思いに囚われます。
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