劇団どれみ

自称劇作家どれみ、夫はスイス人、NZ在住。3匹の猫の皆さんも作詞家等としてゆるく活躍中。その歌はラジオで流れたことも

誰かが私を待っている その3

2012-10-23 | どれみのひみつ
当時妙に大人びて見えていた同級生までもが子供の顔で写っているその集合写真が
中学一年生の時のものだと認識できたのは、担任の教師が一年生の時のそれだったことと
小学校から中学校へと環境が変わったばかり故、強烈な印象で残っている何人かのクラスメートが
そこにいたからに他なりません。
ところで、通常集合写真の中に自分自身を見つけるのは容易いことのようですが、
そこに写るわたくしは、カメラの代わりに斜め前の女子を見ているようにやや俯いており、
それが自分だと確信できるまでに、消去法を使わなければならないほど、分かりにくいものでした。
つまり、わたくし個人のことを言えば、決して写りの良いそれではなく、笑顔であるらしいのが唯一の救い
といった地味な生徒にしか見えません。

何故メッセージの送り主は、漫画本の中にこの写真付きメッセージを忍ばせたのか?
それは恐らく、その人もここに写っているからなのでしょう。
つまりは、中学一年生当時の同級生ということになります。
メッセージにあるY.Hは、その人のイニシャルかもしれません。
それと、これは勝手な憶測ですが、その人の写真写りは、
わたくしのそれよりきっと良いはずです。

そう思って一人ひとりの顔を順番に見て行くのですが、驚くほど名前を覚えていないのです。
フルネームで思い出せるのは、小学校から一緒だった数人、それから野球部だったN野君、
剣道部のK藤君、あとは、あだ名は覚えていても名前が分からなかったり、
苗字または名前だけを辛うじて覚えているといった程度で、
中には、顔すら覚えていないような男子もいます。

それにしても、FBで待っているとはどういう意味なのでしょう?
日本人が書いている英語ですから、文法が必ずしも正しく使われているとは限りませんが
FBにつく前置詞が、inでもatでもなく、onであることも気になります。
最初に思い浮かんだのは、Februaryつまり2月という意味でFBを使っているということだったのですが
それにしても、何故2月なのかは検討もつきません。
それに、2月という意味ならば、前置詞はinになるはずです。


つづく


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誰かが私を待っている その2

2012-10-07 | どれみのひみつ
子供時代の記憶に、大人の常識やらを絡めると、それはどうしても原型を留めず
異質なものへと変化してしまうものなのかもしれません。
今でこそ、あの背の低い大人の男への不快感に、怒りと憎しみを覚えるばかりですが、
子供時代のわたくしは、その男が自分の体を押し付けて来ることに、
映画館が混んでいて大変だからと同情に近い気持ちすら抱いていたのですから。

そして、それが痴漢だったと気付いた時、わたくしは既に中学生になっておりました。
ある日、友人との会話を通して、そうだと知ったのです。
何故なら、友人の妹が電車の中で、わたくしと全く同じ目にあって、その時姉であるわたくしの
友人に助けを求めたというではありませんか。
被害に遭った友人の妹は、あの日のわたくしよりも、まだ一つか二つ年下だったはずです。
それでも、大人の男の異常な行動に気付き姉に報告したというのですから、
その時のわたくしは、自分の未熟さを、ただ情けなく思うばかりでした。
当時のわたくしは、年下の従妹よりもまだ背の低い、本当にからだの小さな少女で、
中学生になっても、大人に近づく兆候が中々体に現れないことに、複雑な思いを抱いていたものです。

そして、日本から届いた漫画本には、その頃のわたくしが写った写真が挟まっていたというわけです。
葉書より幾分大きいサイズのそれは、先に目にした裏面に

「どれみさんへ届けてください。
    2012.9.9
  



I've been waiting for you on FB.
From Y.H




ごめんなさい」

とだけ記されております。
その文字は、綺麗というよりは、とても時間をかけて丁寧に書いたという印象ですが、
誰のものかは検討もつきません。
メッセージの記されたカードらしきものは、元は白かったのでしょうが
淡いセピア色に変わってしまっています。
時間の経過を感じさせる古い紙片と、そこに並ぶ言葉の意味が上手く飲み込めず、
殆ど何の考えのないままそれを裏返して、
わたくしはようやく中学生時代の自分に再会するのです。

つづく


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誰かが私を待っている その1

2012-10-03 | どれみのひみつ
知らない人からの手紙は、いつも突然来るものです。
そんな書き出しの小説を、遠い昔に読んだような気がするのです。
何故そのような言葉を思い出したのかというと、
それはやはり日本から届いた差出人不明のメッセージのせいではないでしょうか。
しかしそれは、正確には、知らない人からのメッセージではないのだろうと思います。
何故なら、そのメッセージは、わたくしが中学一年生で行った遠足で撮ったと思われる
クラスの集合写真の裏に記されていたからなのです。
もう少し詳しく説明しますと、ある日実家の父から電話があり
「家の前に本が置いてあった」と言うのです。
「結構重い本で(どれみさんへ届けてください)とだけ書かれたメッセージが添えられている」とのこと。
海外で暮らしていると、日本の活字を恋しく思うものでございます。
日本語など、インターネットでいつでも見れる時代とはいえ、
紙に印刷された日本の文字は、やはり格別なもののように思えてなりません。
恐らく近所の方が、読み終わった本を、海外に住むどれみさんに届けてあげて欲しいと
考えてくださったのかもしれない。その時は、そんな風に思っておりました。
父はその後、直ぐに郵送の手続きをとってくれたのでしょう。
本は間もなく、オークランドに住む我が家まで届けられました。
なるほど、父が言った通り、持ち重りのする本が2冊、箱の中には納められておりました。
全体的に暗い色の表紙はハードカバーで、とても美しく悲しい印象をその本に与えています。
わたくしは、表紙の文字を読み取るよりも先に、ほぼ何も考えずに本のページをパラパラとめくり始め
奇妙な安堵と驚きを瞬時にして感じたことを覚えております。
その本は、漫画なのでした。
子供時代に母親に連れられ姉弟と観たアニメ映画に出て来る主人公達によく似た登場人物が
数多く描かれているのは、作者が同じだからのようで、その後確認したタイトルによると
映画で観た作品とは別物のようです。

ところで、そのアニメ映画には、家族の誰にも話したことのない、嫌な思い出が一つ付き纏っているのですが。
あれは、恐らく小学生の高学年くらいの頃だったと思います。
夏休みだったように記憶しているのは、映画館がたくさんの子供とその保護者達とで溢れ返っていたせいでしょう。
わたくしたち親子は、立ち見を余儀なくされ、最も後ろの席のその後ろに何とか場所を確保することに成功しました。
立ったままの映画鑑賞は、苦痛でした。今思えば、よく我慢できたものだと思います。
もちろん、アニメはスリルに満ち、立っていようが座っていようが、ほぼ全員の子供達は、
まるで信者のごとくその世界に吸い込まれていたのですから、実際に素晴らしい作品だったのでしょう。
わたくしとて、映画に魅入っていた一人ではあったのです。
それでも、時折感じた違和感は、自分の後ろに立つ背の低い大人の男性が、
やたら体を押し付けてくることに対しての感情だったように思えます。
映画館が混んでいるのだから、仕方がないのだ。
わたくしは、自分にそう言い聞かせ、男性と体が触れ合わないよう、できるだけ体を前にずらします。
それでも、しばらくすると、やはり男性の体の、何か堅いようなものが、
わたくしの体に押し付けられているのです。
今なら分かります。つまり男性は痴漢だったということが。
それでも、幼すぎた当時のわたくしには、そうと察知するだけの知識に欠けていたのでした。


つづく


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