あのね!あまねがね!

ねこの『あまね』成長記録。スーパーめだかのお話。

1967年

2015-07-12 16:03:00 | アルバム ジャケット
前年ビートルズの来日を受け、グループサンズが次々デビュー。
この年より1969年までグループサンズが大流行する。
初期にはジャッキー吉川とブルー・コメッツ、ザ・スパイダース、ザ・サベージが3大人気グループと呼ばれました。
それ以降は、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、オックスがGS御三家と呼ばれました。

当時は長髪やエレキギターといった要素は不良、若者の非行に結びつけられ、一般社会からの風当たりは非常に強かった。
そのため、グループ・サウンズのコンサートを観に行った高校生には停学もしくは退学処分を下され、コンサートに行くこと自体を禁止する中学校・高校が続出しました。
喫茶店に入る事も不良の認識がありました。


■ 1位 夜霧よ今夜も有難う (石原裕次郎)

アメリカ映画の「カサブランカ」の日本語版である映画「夜霧よ今夜も有難う」の主題歌。
石原裕次郎、浅丘ルリ子主演によるムードアクション映画。
映画のヒットに伴いこの歌もヒットしました。




■ 2位 世界は二人のために (佐良直美)

この曲はデビュー曲で120万枚の大ヒットを記録。
一躍有名になる。
1969年には、「いいじゃないの幸せならば」で第11回日本レコード大賞を受賞した。
…が、1980年に本人もわからないレズ騒動で長期休業し実業家へ転身している。



■ 3位 小樽のひとよ (鶴岡雅義と東京ロマンチカ)

鶴岡雅義さんが弾くレキントギターと三条正人や浜名ヒロシの甘いボーカルが特徴で、この曲の大ヒットで人気を得た。
因みに「レキントギター」とは、クラシックギターを小さくして高い音が出るようにしたギターだそうです。



■ 4位 小指の想い出 (伊東ゆかり)

中尾ミエ、園まりと三人で“スパーク3人娘”を結成。
この曲の大ヒットで一躍トップに躍り出た。
今も現役で歌われています。お若いですね。
2011年のNHK朝ドラに出演されましたね。
本当にお変わりないですね。因みに御年68歳です



■ 5位 恋のハレルヤ (黛ジュン)

改名した直後の再デビュー曲。
ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で一気に注目を集める。
翌年発売した「天使の誘惑」が大ヒットして一躍有名になった。



■ 6位 恋のおとし穴 (朱里エイコ)

16歳で単身渡米し、ラスベガスで実力を養い帰国した。
…が、さっぱり人気が出なかった。
「彼女の持ち味が生かされるほど、当時の日本は進んでいなかった」という状況であった。
1972年に「北国行きで」大ヒットし活躍するも、その後はヒットに恵まれず日米を行ったり来たりとなる。
当時はアイドル全盛でヒットが無いとTVにも出られない日本の芸能界に実力派の彼女は苦悩するようになる。
苦悩のまま2004年に56歳で心不全でお亡くなりました。

そんな彼女を思い出すCM曲がこの年オンエアーされた
レナウン「イエ・イエ」
思い出された方も多いのでは!


■ 7位 虹色の湖 (中村晃子)

元々は女優としてデビューした。
この曲のヒットで歌手として本格活動した。
1967年の発売で85万枚を記録している。




■ 8位 君こそわが命 (水原弘)

1959年「黒い花びら」で大ヒット。第1回日本レコード大賞を受賞する。
その後低迷が続き、この曲で奇跡のカムバックをする。
…が、業界屈指の酒豪がたたり42歳の若さでこの世を去った。



■ 9位 大阪ブルース (奈美悦子)

先にドラマでデビュー。この曲で歌手でもデビューした。
歌手としてはシングル6曲のみで、女優、タレントして活躍している。


■10位 レモンとメロン (由美かおる)

ご存知、「水戸黄門」かげろうお銀です。
入浴シーンは有名でした。
これも肌がキレイで肌年齢が若いからでしょうね。何と御年64歳です。



■11位 願い星叶い星 (西郷輝彦)

1964年にデビューし橋幸夫、舟木一夫とともに御三家と呼ばれ人気を博した。
映画にも多数出演し60年代を代表する青春スターであった。
1973年ドラマで主演したのをきっかけに俳優として活躍しています。
元妻は辺見マリ、長女は辺見エミリさんです。



■12位 花と小父さん (伊東きよ子)

宝塚音楽学校に入学するが、アキレス腱炎の為、退学。歌手を志す。
この曲がデビュー曲。70年代前半まで活動し引退されている。



■13位 この広い野原いっぱい (森山良子)

ご存知「カレッジフォークの女王」。
この曲はデビュー曲。
御年67歳ながら、現在もコンサート、ディナーショーをこなしています。
最近では女優としても活躍されています。



■14位 いとしのマックス (荒木一郎)



■15位 命かれても (森進一)




■16位 ブルー・シャトウ (ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)

ブルコメ最大のヒット曲であり、この曲で日本レコード大賞を受賞する。
グループサウンズの先駆者であった。
ただ他のグループサウンズと違い短髪、スーツ姿であった。
アマチュア出身グループ(タイガース等)、フォークロックグループ(ワイルドワンズ等)と違い、ビートルズ以前からプロのバンドとして活躍していて一線を画していた。




■17位 僕のマリー (ザ・タイガース)

グループサウンズ時代をリードした最大の人気グループ。
この曲はデビュー曲。
ただ、グループサウンズ時代は短く1971年の日本武道館コンサートを最後に解散。
リーダーは、ドラマ「相棒」小野田官房長こと岸部一徳。名優です。
今では、ミュージシャンであった事に驚愕を覚える方もいらっしゃるでしょう。
ボーカルは、ジュリーこと沢田研二。甘い声で人気を博しました。



■18位 モナリザの微笑 (ザ・タイガース)



■19位 風が泣いている (ザ・スパイダース)

ブルーコメッツと共にグループサウンズの先駆者である。
リーダーは田辺昭知(田辺エージェンシー社長)。
ボーカルは堺正章、井上順、かまやつひろし。3人の軽妙なやりとりが人気のバンドでもあった。
ともにタレントとしても有名である。




■20位 忘れ得ぬ君 (ザ・テンプターズ)

ザ・タイガースと共に人気を博したグループ。
ボーカルは、ショーケンこと萩原健一。
ドラマ「傷だらけの天使」、「前略おふくろ様」で主演を務め俳優として活躍されています。
岸部一徳さんと同様、今では、ミュージシャンであった事に驚愕を覚える方もいらっしゃるでしょう。


■21位 君に会いたい (ザ・ジャガーズ)

この曲がデビュー曲。
大ヒットで活躍するも、1971年には解散する。


■22位 好きさ 好きさ 好きさ (ザ・カーナビーツ)

ボーカルはアイ高野。
ドラムスを担当しており、アイ高野がドラム・スティックを突き出し「お前のすべてを!」と絶叫。
これが女学生達に受け大人気となる。
だが、人気は短く1969年には解散する。



■23位 いとしのジザベル (ザ・ゴールデン・カップス)

この曲がデビュー曲。
3rdシングル「長い髪の少女」の大ヒットにより人気を博した。



■24位 バラ色の雲 (ヴィレッジ・シンガーズ)



■25位 真冬の帰り道 (ザ・ランチャーズ)

元々は加山雄三が映画「若大将シリーズ」に合わせて集めて1962年に結成した。
そして第3期メンバーでデビューしたのがこの曲。1971年に解散している。


■26位 朝まで待てない (ザ・モップス)

ボーカルはタレントの鈴木ヒロミツさん。
日本のサイケデリック・ロックにおける草分け的存在として知られる。



■27位 トンネル天国 (ザ・ダイナマイツ)

この曲がデビュー曲。
1969年に解散。


■28位 恋のジザベル (ザ・スウィング・ウエスト)

1957年に結成されたロカビリーバンド。
リーダーはホリプロ社長堀威夫。
その後、エレキバンド化を計り、さらに、グループサウンズのスタイルと変遷していった。
メンバーには、佐川満男、守屋浩、湯原昌幸、田辺昭知らが在籍した事もあった。



■29位 友達になろう (アウト・キャスト)
スカウト、オーディションで集合した為に団結力が弱く活動は短命に終わってしまった。




■30位 帰って来たヨッパライ (ザ・フォーク・クルセダーズ)

テープの高速回転による甲高い声と伴奏で語る歌である。
途中で「神様」の説教があるがこれは通常速度で北山修の関西弁となっている。
メンバーは加藤和彦さん(2009年にお亡くなりになっています)、
北山修さんは精神科医として国立大学教授を歴任し



■31位 真っ赤な太陽 (美空ひばり)



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