車いすで快適な生活を!

車いすで楽しく快適に過ごしたいという子をもつ母日記

小学生からの友達

2022-03-25 11:51:30 | しょうちんのこと
小学性からの友達について少し

彼は、昨年4月に東京に引っ越ししてからは、お正月まで福井には戻りませんでした。
東京の生活が快適らしいです(コロナのこともありましたし)
なので、お正月は寒い寒い福井では体調も崩れるし、冬には移動したくないなぁと
言っていました。

ですが、年末突然、帰るわ~といいました。
なんで?
と聞くと

あいつらも帰ってきて会うし

といいます。
そう、あいつらと呼ぶ彼らは小学生からの友達3人です。
小学入学したときから同じでしたが、なんとなく話すのか?くらいで
どんな距離感がいいのか迷ってる感じでしたが
S先生の5、6年生で過ごした2年で友達としてスタートし
その後、中学3年で友達として熟成され
全員別の高校進学した3年間生涯付き合う友達として認識したのかなと
母は勝手に思ってます。

彼らは、昨年まで毎年数回ウチに遊びにきて、夜ご飯食べて長時間すごします。
ゲームしたり、話こんでいたり、近くのボーリングに行ったり、
ラーメン食べに行ったりしてます。
車いす使っているしょうちんを友達の1人として
当たり前のようにサポートしてくれているのだと思います。
(監視しているのではないので憶測です)

高校になると、4人全員違う高校になったにもかかわらず
毎年数回遊びに来て、学校のこと友達のこと家族のこと
いろんなこと私にも話してくれます。

そして、引っ越しの直前も・・
そして、年末も・・

今からいろいろあって、会う頻度は減るだろうけでも、
おじさんになって、お互い小さいころからの友達として
思い出したときに
元気か?
と連絡するような感じなんだろうなぁと思います。
そんな関係の友達いることって、親としては心強い存在です。

そんな存在の友達も
あのS先生の出会いで、彼らもぐっと引き寄せられた気がしてます。

最後に、結局寒い時期に帰郷したので、体調崩し
早々に1人で東京に戻っておりました。
雪降ってましたし・・・。
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担任S先生の考え

2022-03-18 12:36:37 | 小学校
5年生の春に支援の先生による大騒動はあったものの、
あんなに嫌なことあっても
しょうちんは学校に行きたいといいました。

小さい頃から病院や、支援制度で大人と接する機会が多く
大人が困らない言葉を選ぶことが多かったのことが気になっていました。
なので、ここも学校には行くものだという大人の気持ちを汲んだのかな?
と思ったのを覚えています。

しかし、後から納得したのは、担任の先生、周囲のクラスメートと過ごしたかったのだと思います。
何より担任の先生のかかわり方は、今でも感謝でいっぱいです。
厳しさと優しさのバランスがとれていて、いつも明るくて。。。
体育会系の女性のS先生です。(家庭科専攻らしいですが)

S先生の考えは
車いすを利用しているというだけ
体育でも、遊びでも、校外学習でも 車いすで参加できない場合は、
どんなルールで参加する?
とクラスで話し合い、本人の意見も聞きながら納得した形でみんなと参加しました。

参加するのが当然、でも、同じように参加できない場合は、除外するのではなく
どうやったら参加できるかな?というものなんだよと子供たちに伝えていました。

それは、しょうちんが生まれて不安にかられて読んだ福祉の本の
希望をもてた考え方でした。でも、いろいろあって現実には存在しないんだと
実感してた時だったので、びっくりしました。
(こういう風に考えてくださる先生も存在するんだ)

先生の言動で
あなたがいて当然、みんなと同じようなクラスの一員
だという気持ちになったのかと思います。

特別配慮を必要としている子供は、どこか入れてもらってる感が大きくなります。
(多分ですが、親もなので、私も特別な子の母親でいれてもらってます感が和らいだ時です)

しょうちんにとったら、信頼できる大人が親以外にいるという安心感と自己肯定感で表情も変わり、
発する言葉が変わってきました。
車いす使用しているしょうちんにとってでなく、
全ての子供にとって、こういう存在って成長期に出会えると強いなぁと思います。

そういう先生の考えからは、
私たち親子の気持ちだけでなく
支援のH先生、クラスメート、クラスメートの親御さんまでも意識が変わった気がします。
次はそのようにかかわっていくクラスメートとの距離感やお友達について思い出してみようかなと思っています。
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思い出①(小学生5年生の大騒動)

2022-03-16 10:40:14 | 小学校
すこし思い出しながら、今までのことザクっとまとめてみようと思いました。
このブログがストップしたのは、小学生5年生の運動会でした。。。
その前の大騒動に少し戻ってみました。

本当にいろいろなことありましたが、
この5年生の支援の先生の大騒動は忘れることができない出来事の1つ。
今考えてもひどい話。。。
小学校5年生の春に新しい支援の先生が1か月で交代することになったことです。

しょうちんが、支援の先生の悪口や悪態を親に言ってもいいものなのか・・・
と悩んだ挙句に話してくれたことにより発覚しました。
それがゴールデンウイークだったと思います。
覚えているのは、しょうちん父と母では、
話し合いのによる改善の余地なし
二度とこの支援の先生を大事な子供に会わせない
として、学校の校長先生に話に行きました。
教育委員会が支援の必要とする児童にサポートとして準備してくれる支援の先生・・。
もう必要ないとは言わないけれど、こういう思いするならいない方が絶対いいという固い意志だったのを覚えています。

学校側は先生に指導して、改善し取り組んでいく提案をされましたが断固拒否しました。
また、私たち親も、その支援の先生に会うことさえも断固拒否しました。
許せなかったからです。
でも、指導で改善できる範囲だと学校側が思ったことも残念だった記憶があります。

その先生が学校に来ている間は登校しないという しょうちんの意志を尊重しました。
学校は行きたい
支援の先生の暴言や悪態で行けない

ただ、この状態は3日くらいで、支援の先生に休んでもらい支援の先生なしで学校に戻れたことも覚えています。
それは学校側も小学生の教育現場では不相応という想いは一緒だったのかなと思いたいと思っています。

その時の拒否は10年ほどたった今でも間違ってなかったと思います。

そして、その後2週間ほどで教育委員会が契約してくれた新しい支援の先生は、
彼が小学5年生の6月から中学3年生の終わりまで、心のこもった暖かい支援をしてくれることになります。
こんな始まりの小学5年生でしたが、ここからしょうちんが少しずつ変わっていきます。
この後の小学5,6年生は素敵な時間を過ごせるのです。
この時期があったら、その後にくる厳しい高校時代も耐えれた気もします。
次は、その素敵な時を思い出します。
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