美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

成覚寺~平維盛ゆかりのお寺(芸濃町河内)

2011-11-28 18:30:03 | 津のこと

(落合の里駐車場から徒歩で成覚寺へ)

今年のNHK大河ドラマでは、浅井三姉妹ゆかりの伊勢上野城(津市河芸町)が脚光を浴びましたが、
来年の大河ドラマ「平清盛」に関連して、
津市産品の伊勢平氏発祥の地「忠盛塚」と、
津市芸濃町の平家落人伝説の地である「落合の郷」が、
来年は話題になるものと思います。

今回は、落合の郷と平家ゆかりの成覚寺をご紹介します。


(成覚寺の鐘楼と参道の案内板)

津市芸濃町河内地区の「平家落人伝説」の主人公は、
平清盛の孫にあたる平維盛(たいらのこれもり)という武将です。
平維盛の父・重盛は清盛の嫡男であり、ゆくゆくは清盛から重盛、重盛から維盛に
平家棟梁と太政大臣の地位が譲られる予定でしたが、
重盛が平家滅亡(1185)前の1179年に病死、その子維盛は平家の主流から外れてしまったようです。
屋島の戦いに破れた後、維盛は平家一族を離れ、
和歌山県の那智の海に偽装入水自殺を行い、自分は死んだことにして伊勢の国へと逃れ、
芸濃町河内に31人の家来と共に隠れ住んだということです。
その家来達により河内地区が形成され、ここの住人はほとんど落合姓を名乗っています。

成覚寺は、維盛が肌身離さず持ち歩いていた持念佛(釈迦三尊佛)を本尊として創建。
当初は禅宗寺院でありましたが、後の天正15年(1587)真宗高田派に改宗しました。
本堂の裏に維盛の墓があります。
またこちらの住職は維盛の直系の子孫だと言われ、代々小松姓を名乗っています。
生前の重盛が「小松大臣」、維盛が「小松中将」と呼ばれていたことから、
身分を隠すために小松姓を名乗ったのではないでしょうか。


(成覚寺本堂)


(住職の小松さんから話を聞く)


(本堂の天井画)

平家ゆかりのお寺とは言っても、河内集落の過疎化が進み、
お寺の補修もままならない状態でしたが、
このほど本堂の天井が改修され、龍の天井画が掲げられました。
龍の絵は地元の人が描いたものだそうです。


(境内の説明板と維盛公の墓)

>関連する記述
平家落人の里・美杉日神
平家ゆかりの久我・光円寺(亀山市関町)
平家落人の里・嬉野日川
平家落人の里・一志町波瀬
成覚寺~平維盛ゆかりのお寺(芸濃町河内)
NHK大河ドラマ「平清盛」、伊勢平氏発祥の地~忠盛塚(津市産品)



成覚寺の生け垣の奥に果樹畑があり、
その更に奥の林の中に、芸濃町河内出身で、徳川家康の側室だった「於奈津の方」の生家があったそうです。

於奈津の方(芸濃町出身、徳川家康の側室)



河内集落を流れる安濃川河岸には「落合の郷」と名付けられた、親水公園が整備されています。
この川では天然アユが釣れるため、
夏になると釣り好きのお父さんが、子どもを連れて遊びに来る姿が見られるようです。

2011.9.7.錫杖湖畔散策と平家の里(津市芸濃町河内)

石彫体験・芸濃町落合の郷

忠盛塚の桜(津市産品)

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