NHK大河ドラマ「平清盛」で、今年人気が出そうな
平家ゆかりの地「嬉野日川 平家の里」です。
旧一志郡嬉野町の中心部より、県道嬉野美杉線を西に向かい、
嬉野宮野町の「なめり湖」よりさらに南の日川という集落です。
集落は8軒ほどの小さな集落で、
集落に至る道路は、上の画像のように狭い市道となっています。
こちらの日川という集落は、平氏の一族、平六代(たいらのろくだい)が
家来とともに源氏の追討から逃れて隠れ住んだと伝えられています。
平六代は、同じく源平の合戦から逃れて津市芸濃町河内に隠れ住んだと言われる、
平維盛の長男で、幼名を「六代丸」、後に六代と名乗り、その後出家して「妙覚」となりました。
源平合戦の頃は、京都に残っていたため、父・維盛とは行動を共にしていませんでしたが、
最終的に、父と同じ伊勢国に辿りついたようです。
2枚め、3枚目の画像が、日川集落にある日川寺と、その横にある五輪塔群です。
五輪塔は、六代の家来たちの墓でしょうか。
日川寺の裏にも、五輪塔群があります。
この日川寺の付近には、平六代の墓と伝えられる、大きな墓石があり
墓石の裏には「妙覚」と彫られています。
出家して「妙覚」となった六代は、
1194年、鎌倉に下向し、将軍頼朝に会見、伊勢に住まうことの許しを得ましたが、
1198年、27歳の時に姻戚の吉田経房の陰謀により捕らえられ、斬首された、
ということです。
なお、六代が隠れ住んだという同様の伝説が、津市美杉町日神にもあり、
「日川」も「日神」も「ひかわ」と読むという共通点があります。
日川寺の西、日川富士と呼ばれる小さな山の中腹には、
逃げのびてきた平家一族が隠れたという「平家の隠れ岩窟」があります。
渓流を越えて、山の斜面を登ります。
急斜面に飛び出した岩の下に、小さな岩屋があります。
大人が5~6人、ようやく入れるほどの広さです。
嬉野日川と美杉日神に、同じ六代伝説があるというのは、初めて知りました。
※この項の画像は、芸濃ガイド会のフルイチさんよりご提供いただきました。
※平六代および日川平家の里については、以下のホームページを参考にしました。
伊賀上野からの日帰り登山・嬉野町日川
熊野地方の落人達-平六代
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