ヤーホ、こんにちは。

日々思うこと、笑顔を忘れずに。

春の歌まつり

2009年03月29日 14時41分31秒 | Weblog
りんどう歌謡学園主催の春の歌祭りが野田市欅のホールできょう10時から行なはれた。音風はこの学園の吉川教室とされている、そのために歌まつりなどには何人かは出場する事になっている。

この日私達を含めて7組が出場した、丁度お昼頃22番目に私とKさんが「絆」を唄う事になった、息もピッタリ気持ちよく唄うことが出来た。沢山の拍手をいただき先生にも良かったよと言われた。私達火曜サークルの仲間が4人唄い終わったところで帰ってきた。

今日は長寿会の会計監査があり私は監査役だったので5時から集会所で行われる監査に立ち会う事になっている、いわば大役が控えていた。

帰ってくる途中車の中でKさんは音風を辞めたいという、Kさんの愚痴を何度となく聞いているので留意する事はしなかった。やむおえないと割り切るしかないと思うことにした。Kさんは先生になんと言ってやめるのだろうか???。

ひろば

2009年03月25日 14時56分16秒 | Weblog
団地自治会主催の「ひろば」が第一集会所で10時から14時まで行われた。このひろば高齢者を対象とした交流の場としてつくられてもので、カラオケや将棋を楽しみ思い思いの人とのおしゃべりに花が咲いている。お昼時間には軽食がいただけるのも楽しみの一つとなっている。

今日は25人ほどの集まりだった、男女ほぼ半数将棋を楽しみに集まってくる男性が増えたぶん男性の数を増やしている。

団地に住む高齢者の数からしてはあまりにも少ないと思う、引っ込み思案というか外へ出ることをおっくうがる人も多いように思う。

今月の初め一人暮らしの高齢者が火災を起こしてなくなった、布団に包まり寝タバコが原因とか?煙が出ていたが火事とは思わなかったとは近所の人の話、近所付き合いのない一人暮らしの人だったと言う。どんな人だったのか顔も知らないと言う、蒸し焼きじょうたいだったとは消防署の人の話だった。

独居老人が多いこの団地、孤独死が多いのが気にかかる。亡くなって数日間分からなかったという例は後おたたない、悲しい現実がある。近所付き合い、多くの人との交流が必要だと痛感しています。

高齢者を対象にしたカラオケ教室、だれ彼と隔たりのないおしゃべりを中心にした「ひろば」など用意されているのに多くの人が無視しているように思われる。

一日一回は外に出よう、を会い言葉にしているのに買い物以外は外に出ないと言う人があまりにも多い、信頼できる友達が居ないなど、自分から努力しない人があまりにも多い。悲しいことではないだろうか。

気が抜ける

2009年03月24日 10時06分19秒 | Weblog
今日カラオケ教室「音風」の日、午後1時から3時までということになっているが実質歌の練習は1時間ぐらいになっている。

この教室殆どが地元の人で固まっている、そのために連絡事項というか地元の人だけに通じる話が話し合われて、われわれのような外からこの地に移ってきたものにとっては通じない話が多々ある。

何となく疎外されているような思いがすることがある、そのために馴染めなくてやめて行く人も居るように思える。いやな感じを受ける事は確かにあるように思える。

5月の最終日曜日、この日音風のカラオケ発表会。このイベントが終わったら辞めてゆく人がでるそんな気がする。私もこの教室への熱意が薄れていっていることは否めない。

発表会の日にKさんとデュエット曲「ふたりの絆川」を唄うことは決まっているが、一人で唄う歌をどうしょうか迷っている、唄うか? 歌わないか?今は決めかねているのが実情だ。

この教室に魅力を失ってきていることもあるように思える。唯一の魅力は日曜日には教室がなく自由に曲を選べて唄うことが出来ることではないだろうか? 

カラオケを唄える店は各所にあることを考えれば、地元優先的な考えは間口を狭くしてしまう事にはならないだろうか? 教室は通常2時間と決められていることを考えれば、地もとの話がこのなかで語られることに疑問を持っても当然とも思える。

6月にはいってこの教室がどうなるか、他から移りすんだ人は減るかもしれないそんな雰囲気がある。

久しぶり

2009年03月22日 10時21分00秒 | Weblog
昨日パソコン活用に4週間ぶりに出席した、N先生の講義も快調そのもの仲間達の元気な顔を見て私の居場所も此処にあると感じた。

おんぼろ自転車は廃棄して新しいものに替えた、おんぼろ自転車で事故にあったら笑われるだろう。今年5月に満80歳になる次期講義は水曜日になる予定、自転車に乗れる限り三郷教室に通ってくる予定で居る。

吉川から教室まで40分の道のり、私が元気で居られる基は此処にあるのではないだろうか。S先生の講義が隣の教室で行なわれて居るのも何となくこころ強い気がします。

今日の講義、オートシェイブでインコを描こうだった。丸や月を利用して胴体や羽、頭を描いてゆく。なかなか面白いし、随所に他でも使える技法があるように見受けられる。あと1日かけて完成させることになっている。

2009年03月18日 10時03分51秒 | Weblog
昨日6週間ぶりに音風に行く、3月29日のりんどう歌謡学園主催の春の歌の祭典で唄う事になっている「絆」デュエット曲をKさんと唄ってみた。久しぶりに唄ってみたが唄に崩れはなかった2度ほどうたってみて確認した、なんとか安心して唄えるような気がする。

野田の欅のホールで歌う、始めての会場だが出番は12時頃ということで余裕をもって行けるような気がする。

音風からは8人が出場する事になっているようだ、役100人くらいの人が唄うようなので終わりは6時近くになるように思われるが、私達は午後2時ごろには帰って来たいと思っている。

音風では今月は「寿 契り酒・石原詢子」の歌、新婚の門出を祝う祝い歌だった。
意外と淡白な歌でこの歌が唄われるか疑問が残る、祝い歌にはいい歌が沢山ある演歌に限らず民謡にもいい歌がある。私なら残念だけれど他の歌を唄うだろう。

歩く

2009年03月16日 16時28分03秒 | Weblog
今日始めて念願の1万歩を歩く、暖かい陽に誘われて歩き始めた。団地からきよみ野の1.2丁目を抜けて5丁目の遊歩道を歩く、途中ペンチに横になる空を眺め限りなく澄み切った青空雲ひとつない。

こうしていると中年のお母さんが散歩で私の横を通り過ぎて行く、犬の散歩の人、二人ずれのおばあちゃんが話をしながら通ってゆく。この辺にはお店などない、やはり散歩ではないだろうか?皆元気なのに驚く、わたしも足腰が痛いなどと言っていられないと思う。

暫らくして歩き出す、二合半用水から分水して作られた農業用の鍋小路用水は小休止か?水は流れていない溜まり水になっていてアオコが繁殖していた。

このふちの遊歩道の横は桜並木になっている、桜の蕾が少しずつ膨らんできているようだ、2週間前後には開花を迎えるだろう多くの人の目を楽しませてくれるに違いない。

二合半用水には2キロに亘って桜並木が続く約700本の桜が植えてあるそうだ、お花見に多くの人でにぎあう。私達もお花見で2度3度となくお世話になる、平和な世の中のお掛けかと喜んでいる。

戦中派のわれわれにはことのほか嬉しい、こんな世の中が末永く続く事を祈りたい。

後期高齢者医療

2009年03月12日 09時07分54秒 | Weblog
先日、親展と書かれている後期高齢者医療に係わる医療費通知が埼玉県後期高齢者医療広域連合から送られてきた。

それによると私の20年10月~20年11月の医療費は27万3660円とのことだった。10月は医科外来で10日調剤で10日。11月は医科外来4日、調剤3日になっている。

この中で一番費用の掛かっているものは独協医科大学越谷病院で受けた外来での鼻の皮膚がんの手術の2回、どちらも僅か1,2分の手術だったが12万5010円ということだった。

月別の医療費は10月は11万0450円。11月16万3210円。私達の医療費は窓口で支払う金額は1割負担ということで10月に支払った額は1万1045円。11月、1万6321円でした。

私など年金の少ないものにとって月1万円以上の医療費の負担はこたえます。なんとか病気をしないように頑張るしかないようですね。

64年を迎えた東京大空襲

2009年03月11日 09時05分59秒 | Weblog

きのう、東京大空襲は64年目を迎えた。インターネットで東京大空襲を検索してみた、東京に初の空襲があったのは、1944年7月、サイパン島などマリアナ群島を制圧され、ここが日本本土空襲の基地となった。同年11月24日、軍需工場である北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)の中島飛行機工場に対する初の戦略爆撃による空襲が行なわれた。

東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けている。1945年3月10日に行なわれた空襲は太平洋戦争に行なわれた空襲の中でもとりわけ民間人に大きな被害を与えた空襲だった。

一口に死者10万人といわれているが、警視庁の調査では、死者8万3793人、負傷者4まん918人、被災者100万8003人、被災家屋26万8358戸、行方不明者10万人以上といわれている。

東京大空襲ではB-29は日本の貧弱な防空能力を見越し、多くの爆弾投下機から殆どの機銃と弾薬を降ろして通常の約倍6tの高性能焼夷弾を搭載していた。投下された爆弾の種類は、この作戦で威力を発揮した収束焼夷弾(M49)を中心とする油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾、やエレクトロン焼夷弾、ナパーム弾などであった。クラスター焼夷弾は投下後空中で散弾のように分散する。この空襲で制御投下弾量は38万1300発、1783tにのぼったとされている。

3月10日の大空襲は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっている町工場が立ち並ぶ下町の市街地とそこに生活する市民そのもそを攻撃対象に行なわれた低高度夜間爆撃であった。

9日から10日に日ずけが変わった直後に爆撃が開始された。B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は午前0時7分に深川地区に初弾が投下された。その後城東地区にも爆撃が開始され、午前0時20分には浅草地区や芝地区(現港地区)爆撃が開始されている。

これにより住民を猛火のなかに閉じ込めて退路を断ち、逃げ惑う市民には超低空のB-29から大量の榴弾や機銃掃射があびせられた。火災の煙は高度15000mの成層圏のまで達し、秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れたとされている。

この頃私は武蔵野市の隣町に住んでいた、夜空に真っ赤に燃える東京の空が見えた。思いおこすと涙がでる。何があろうと戦争はしてはいけない、避けるべきであると思う。戦争は反対するしきゃない。

選手交代

2009年03月10日 14時38分00秒 | Weblog
1月に肺炎になる、しかしそれほど気にもしていなかった。2月の寒さがこたえた、弟が肺気腫の手術後の経過がよくなく救急車で再入院した。

入院後もかなり苦しんだようだったが2月末、帰らぬ人となる。その葬儀が心身ともこたえた、それ以来身体に痛みが走る。肺炎は治っているようだが肺の機能低下は避けられないようだった。

腰の痛み右足の痛みはまだ浅いようだが動きには支障を来たす、此処暫らくは続くようだが、春が待ち遠しい。暖かくなれば多少は良くなるとおもう。

いま年金者組合の支部の副会長になっているが重責を果たすことが出来なくなってきている、4月の支部総会で役員を降りたい。

いま決算期を迎えている、私の担当する地域の集金を一部手伝ってもらっている。無事決算が出来る事を願っている、後任を出来るだけ早く決めて欲しいと思う。

迷惑をかけてはいるが事務局長、その他の役員の方々にお願いするしきゃない。まず自分の健康を取り戻す事を第1に考えたい。

水槽の掃除

2009年03月08日 15時26分16秒 | Weblog
午後からグッピーの水槽の掃除をした。グッピーを他の容器に移して水を抜き水槽と、挽きつめてあった小石を洗う。

洗ってみると意外と汚れている、真っ黒になるほど水か濁っている。3回ほど水替えをして水槽と小石を洗う、そして水草も丁寧に洗う。

グッピーも昨年11月頃から増え始めて、百匹を超えていたので間引くしきゃなかった、自分の好みでより分ける。可哀そうでもそうするしかなかった、約30匹ほど残した。

小石を入れ、水を入れて水草を植える。電熱器具を取り付けて、外付けの浄化槽を取り付ける。グッピーを放してやると嬉しそうに勢い良く泳ぎです。見た目もすっきりして気持ちいい、おおよそ3時間をついやした。