minoaka Tommy の わらぶき小屋

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大橋巨泉

2016年07月21日 21時09分30秒 | 日常・雑感
昭和の名司会者・大橋巨泉が亡くなる。

巨泉といえば、まずは「11PM」。
「野球は巨人、司会は巨泉」
「朝 まるで弱い朝丘夢路」のフレーズは今も覚えている。


元々はジャズ評論家。それから放送作家~司会者に。

ラジオの司会でこんな事があったと、song1234さんのブログにあったので、引用させてもらう。

” 昭和40年頃に「大学対抗バンド合戦」というラジオ番組があった。
当時は、どこの大学にも、ハワイアンバンドがあった。

彼は司会者、審査員には、審査員長の小島正雄氏、エセル中田氏等がいた。
ある時、演奏後の評価で、エセル氏が、「この演奏はプロでも通用する」と仰った。
すると、審査員でもない司会者の巨泉さんが、「僕は誰かに感動を与えられることが、すばらしいと思っている。プロとかという枠は外すべきだ」と言った。

その時私は、「巨泉さんは、司会者なのに、審査員みたいなこと言う、失礼な人だ」と思ったことが、今でも印象に残っている。
まあ歯に衣着せぬ巨泉さんでしたね。 ”


奥さんは元歌手の浅野順子さん。
確かに、自分の好きなスタイルを貫き通した82年の生涯だった。
参院議員にもなったが、党の運営に不満で、半年で辞職している。


裕ちゃんなんかのいた昭和9年生まれの同期会があったが、もう半数以上が鬼籍に入っていて、昭和の星が段々少なくなっている。

  ご冥福をお祈りいたします。
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3 コメント

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上から目線でも、、、 (song1234)
2016-07-21 22:38:24
こうしてみるといろんな所で活躍した方でしたね。巨泉さんの始めの奥様「マーサ三宅」さんは、藤沢市駅ビルの朝日カルチャーセンター湘南のジャズ講師として名前が載っていますが、実際はお弟子さんが講師をされ、ご自分自身は、今は出講はされていないようです。
上から目線中心の巨泉さんですが、ジャズ評論家の先輩でもある小島正雄氏には頭が上がらなかったようですね。
ラジオ (Kobutori)
2016-07-22 06:34:45
大橋巨泉さんの思い出は、私もラジオの「バンド合戦」です。
公開放送を観に行ったこともありました。
遠慮のない批評をまじえた司会ぶりは、若い時から一貫していたのですね。
テレビの「11PM」でさえも、総選挙の夜はかなり持論を語っていた信念のた人だったのかなー。
もう一人のラジオの名人永六輔さんも逝かれ、あちらの世界の方が楽しげですねー。
それに比べ俺は~ (Tommy)
2016-07-22 23:30:41
そういえば、ラジオを持ってなかったので、「バンド合戦」は聞いたことなかったのが、残念。
「お別れは嫌よ」は、オッパチの「グッバイ・ホノルル」並に有名な曲だったんですね。
後半はセミリタイアし、オーストラリアなんかでゆっくりしてたって、羨ましい生き方だ。

巨泉「たった一度の人生だぜ。俺は自分の好きなようにやらせてもらうよ」

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