にっき

歴史 アニメ 音楽 ライブ フェス プロレス 写真 猫が好きです。

前田利家公

2014-12-26 01:15:58 | 歴史




12月25日は前田利家公の旧暦のお誕生日。
おめでとうございます。
滑り込みで25日に投稿したかったのですが間に合いませんでした。すみません。。。





前田利家公は私の地元、石川の有名なお殿様です。金沢城にはもう何回か行ってますねえ。近いし。

春は絶対行ってるかな。金沢城公園の桜、すごい綺麗なんすよ。これは今年の春に撮影した金沢城の桜o(`ω´ )o




水面に桜がうつってるのわかります?
これめっちゃ綺麗なんですよ。生で見 みると。
一番最後に金沢城に行ったのは今年の夏かなあ。。。?
多分その時に撮影した利家の銅像。



せっかくなので利家について少しかきやす。



幼名は犬千代。これはよく耳にする名前ですよねえ。今の月9でも藤ヶ谷君が犬千代って呼ばれてます。途中から利家って呼ばれてるって友達が言ってたけど本当なのかな。最後の方あんま見てねぇや。(笑)


正室は芳春院こと、まつ様。
そんなまつのお母様は、利家のお母様のお姉様であります。つまりこの2人、従兄妹同士なんですよ。
数え年でまつが13、利家が22の時に1人目の子供が産まれています。かなりの年の差。。。


20代の男が10代前半の女の子をごにょごにょ。。。だなんて。今じゃ犯ざry
…ゴホンッ。ネットでは「利家 ロリコン」なんてワードをチラホラ目にします。ひ、否定できない。。


でも、当時は成人するのが早かったのでそんなもんなんでしょうか?
20歳までに結婚していないと行き遅れになってしまうんだとか。
当時の文化が今まで続いてたら、私は完璧行き遅れじゃねぇか馬鹿ヤローコノヤローなんてこった。。。


まつ様について少し。
まつは立派に正室としての役目を果たしているようで、11人(2男9女)実子がいるそうな。戦国時代はたくさん子供を産んでるイメージありません?
でも、1人で11人もの子供を産むのは当時でも珍しい事だったみたいです。まつ様さっすがああああ!すごーーーい!!!!

あ、ちなみにまつ様は秀吉の正室であるねね様と仲が良かったみたいですよ。
…って、いかんいかん。このままではまつの話に流れたまま戻ってこれなくなりそうなので流れを戻しますね。



利家は若い頃、織田信長の小姓として仕かえていました。

大うつけと呼ばれる信長に負けず劣らず利家もなかなかだったようで、豪華な槍を担いで派手な衣装を纏って町を練り歩くかぶき者だったそうな。6mくらいある槍を振り回して歩いてたとか。。。しかも戦ないときに。。。厄介すぎる。。。なんて奴だ。。。(笑)
オマケに短気で喧嘩っ早い性格だったそうです。

でもまあ、破天荒な信長にかぶき者の利家。。気があうんでしょーね。二人は悪友だったとか。

しかも利家はとーーーっても身長が高く(182cm)、今で言うイケメンであったことから、信長と衆道関係であったとかなかったとか。。。
まあ、あえて衆道のことは置いといて(笑)、182ってヤバいでしょ!戦国時代で182は巨人ですね!私が好きな筆頭は158だったはず。わたしと同じだし。。。。




かたい絆で結ばれている二人ですが、十阿弥殺害事件なんてものが起こり信長の逆鱗に触れた利家が出奔する。。。な~んてこともありました。


この事件に深~く関わってくるのが十阿弥。
十阿弥は、織田信秀(信長の父)の側室の子だと言われてます。そして、信長お気に入りの茶坊主。

その十阿弥を利家が斬殺してしまう。。というのが十阿弥事件。
この事件は、十阿弥が利家の笄を盗んだ事から始まります。


ちなみに…笄とは髷を結う時に使う結髪道具です。脇差の付属品のひとつで、刀と一緒に持ち歩くことが多いんだとか。
利家の持っていた笄はまつからもらったもので、な、なんと!まつの実父の形見。。。


大事な大事な笄を盗まれた利家は激怒。
おのれええええっ十阿弥!!!斬り殺してやるううううう!!!!
ってなっちゃう訳です。当然ですね。大事な妻から貰ったもの。ましてや妻の実父の形見となれば。。ね、そりゃ怒りますよ。


利家はすぐさま十阿弥を斬ろうとしますが、周りの者に止められ、十阿弥は斬られずに済みます。笄を盗んだことに対してもお咎め無し。
勿論利家は、十阿弥の処罰を信長に訴えますが拒否されてしまいます。信長のお気に入りであった為、、ですかねえ。


当然十阿弥は調子に乗ります。
信長に自分はこんなに愛されてるんだ!何しても大丈夫でしょっ!てなっちゃいますよね。
てなわけで。利家の陰口を言いまくる言いまくる言いまくる。。。


それで怒りが増した利家は、わざわざ信長の目の前で十阿弥を斬殺。
信長は激怒し、利家を斬り捨てようとしますが柴田勝家らに止められ、本来ならば打ち首の所をなんとか出仕停止処分に留まります。

そして利家の放浪生活開始。
どうにかして許しをもらいたい利家は、呼ばれてもいない戦に勝手に参戦。
その戦というとが、かの有名な桶狭間の戦いです。。。

武将の首をとって信長のとこに行くわけですよ。でも信長さんてばカンカン。馬鹿者ー!って感じでまた怒られちゃう利家。

その後、森部の戦いとやらにも無断で出陣。
敵を倒して信長に報告し、やーーっと許してもらえたんだとか。(笑)


必死な思いが通じたんでしょうね。。。
よく諦めなかったよ。。すげぇよ利家。。。


他にも戦中に眼だかなんだかに(たぶん、眼かなぁ。。)矢が刺さっても関係なしに暴れ回ってたとかなんとか。。。



いやいや、これ本当なのかな(笑)
すごすぎるよ(笑)


ってな感じでわんぱくでかぶき者な利家公。
でも利家公のおかげで今の石川県は発展できたわけだし、感謝感謝です。
利家公大好きですよ、わたし。地元大好きだしね。


利家について調べてたら金沢城行きたくなったなあ~~~石垣みたい。
金沢城、たくさんの種類の石垣があるので興味ある方は見に行ってみると良いかと。
ついでに兼六園いって、茶屋街いくってのもおすすめです。
みんな金沢遊びにいらっしゃいな~~~




あ、利家公、改めておめでとうございます!




ってな感じでおわり。