観始めて、茫然自失。
奔放なストーリー展開、魅力的なキャラクター設定。
どれをとっても、文句の付けようがない。
脚本を書いた「中島かずき」は、天才じゃないかと思った。
それにしても、ずるい。歌舞伎役者を映画に出すなんて。
歌舞伎の世界で厳しく鍛えられただけあって、芸に風格と深みがある。
好みの問題もあるけれども、市川染五郎だから、この脚本が映えたという点も少なからずあると思うのだ。
☆ 病葉出門(市川染五郎)の魅力について
この作品の最大の特徴は、登場人物が実に魅力的に描かれていると言う点である。
特に、病葉出門(わくらばいずも)は、男の色気が画面一杯に溢れていて、ぞくぞくしてくる。
その毒気?に当てられて、こんなにメロメロなったわたしをどうしてくれるのだと言いたいくらいだ。
それは、何もわたしだけではないはずだ。その証拠に、つばき(宮沢りえ)だって、こんなに好き放題されても、ちっとも厭そうな顔してないし、
それどころか、こうやって無理矢理抱きしめられるのを楽しんでいる風ですらある。
わたしはどうかって?
わたしはちょうどこんな感じ。ぽーっとなってる。
多分、これが病葉出門の魅力あるいは魔力なのだと思う。
この役が、市川染五郎の舞台での当たり役となったのも頷ける。
そして、その役がこうもぴったりと嵌まった訳は、彼の類稀な説得力の溢れる演技にあると思うのだ。
例えば、このシーン。
昔の漫画で緊迫感を表現したい時に、よく使われていた「汗びっしょり」の手法。
懐かしいと言えば聞こえがよいが、今時、こんな古臭い手法は、駆け出しの新人漫画家でも使わない。一歩間違えると「イモ演技」になるところだ。それが、彼にかかると、緊迫感一杯の、それこそ制作者の期待どおりの演技となる。歌舞伎の世界の伝統の重みを知っている彼ならではの、迫真の演技ではないかと思うのだ。
そのほかにも、この作品、遊び心が一杯だ。
出門が大がまの背中で大見得を切った後に、
南北(小日向文世)が「つまらねえっ」と斬り捨てるセリフは、その典型と思う。
こんなセリフ、よく歌舞伎の重鎮連中が許したものだ。
懐の深いところを見せ付けて、恐るべし、日本伝統芸術。
☆ 宮沢りえって、こんなに可愛かったかしら?
一昔前の国民的美少女・・・失礼!!!
彼女は思い出したくもないでしょうけれど、某元横綱との恋の破局。
あの事件以来、わたしは、どうも彼女のことをネガティブにみていた気がする。
大変な誤解であった。彼女は、やはり常人では持ち得ないようなオーラを発散している。
彼女を観るだけでも、この作品を鑑賞した値打ちがあるというものだ。
この運命の「赤い糸」・・・出門に括り付けられ、驚愕する彼女の表情の何と可愛いこと。
彼女の可愛さや美しさをここまで引き出すのは、並大抵のことではないと思うけれど、それは、元々の素材があっての話。 やはり、国民的美少女は本物だったのだ。
そのうえ、歌舞伎の演技をちょいとしてみせるなんて、りえちゃん、粋だねぇと言わざるを得ない。
このシーン、何だか市川染五郎も、「おおっ、やるもんだねぇ」と言うような顔をしていて、随分、楽しそうに見える。
蛇足ではあるが、南北の弟子が、「不浄の者が板の上に上がるなんて・・・」と言いかけるのを、南北が「いいねえ、おもしろい!」と制するところも、すっきり爽やかで心地よい。現実の歌舞伎の世界では、いまだに「女=不浄の者」とする考えは残っているとは思うが、映画の世界で、それを突き崩しているのが痛快である。
☆ 魅力的な共演者が一杯
作品の質をさらに高めているのが、2人の脇を固める共演者たちである。
「鬼御門」の頭領「国成延行」に内藤剛志、最後まで出門に戦いを挑む「邪空」に渡部篤郎。
阿修羅王復活を企む鬼女「美惨」に樋口可南子。
画面に華を添えるのは、新進女優の2人、「沢尻エリカ」と「韓英恵」である。
沢尻エリカは、旅芸人、実は、「闇のつばき」の一員で、昼間は、見物客から「お気に召したら、お気持ちだけでも」と見物料を集めて回るつばきの妹的な役を演じている。その風情が実に可愛らしい。
どこかで観たなぁと考えていたら、「蛍火」役で「SHINOBIに出ていたのだ。彼女の可憐さは本物だ。
韓英恵は、この作品のマスコット的な役割を果たしている「笑死」を演じた。笑死は、ふふふという笑い声がほとんどで、セリフこそそんなに多くないが、最初から最後まで、ずっと満遍なく登場し、この作品の雰囲気を作り出すという極めて重要な役割を果たした。わたしは、彼女をこの作品で初めて観たのだが、今後が楽しみである。
こうしてみると、随分、豪華なキャスティングだ。 これで、おもしろくないはずがない。
☆ 見どころについて
何と言っても、「阿修羅城」でのつばきと出門の「恋の決着」の付け方だろう。
阿修羅は、転生するまでは、幼い人間の少女の姿を借りて、この世を彷徨っている。
彷徨っている理由は、人間に殺されるためなのだ。5年前に、出門を廃寺に誘い込み、出門をその無垢な瞳で怯えさせ、半狂乱にさせたあげく、少女の姿をした自分を斬らせた。
「あの時の少女と同じ瞳だ」と呻く出門には、5年前の記憶が鮮やかに蘇っていた。
「阿修羅王」復活の秘密とは、転生を繰り返すことにあったのだ。
転生の第1段階は、幼い少女の姿で殺されること。人間に殺される恨みが、幼い少女の姿から若い娘の姿に転生するエネルギーとなる。
転生の第2段階は、強い人間の男と恋すること。殺された恨みを持っているはずの人間に恋するというジレンマが、「阿修羅王」転生のエネルギーとなるのだ。
阿修羅王復活を願う美惨にとって、最大の問題は、つばきが誰に恋するかだった。美惨にも、つばきの相手は判らなかったのだ。だから、つばきが出門を自分の身を盾にして庇ったのを見て、美惨は、ほくそ笑む。つばきが出門に恋していて、つばきの阿修羅王転生が間近いことを悟ったからである。
邪空が今一歩まで追い詰めた出門とつばきをわざわざ見逃したのは、美惨に「阿修羅王復活」が確信できたからにほかならない。
そうとも知らない二人は、とうとう結ばれてしまう。そして、つばきの阿修羅王への転生が完成してしまう。
束の間の幸福が地獄への入口を開いてしまうとは、なんという悲劇だろうか。
自らの肉体が変容していくのを感じ、絶叫するつばきを、「大丈夫だ、俺が守ってやる」と言い聞かせ、抱きしめる出門だったが、もはや阿修羅王への転生を食い止めることはできなかった。
出門はつばきに約束していたのだ。
「俺とお前はサカシマの縁だ。俺がお前とこの痣の一切合切を引き受けてやる」と・・・。
そう言われた時の、つばきのこのうれしそうな表情。深く愛するゆえに、出門は、その約束をどうしても果たさねばならなかった。
ああ、わたしもこんな風に言われてみたい。
彼に、こんな風に抱きしめられて、こんなこと言われたら、すぐ落ちちゃうよ、わたし。
大体、最近の男たちは、こういう気の利いた口説き文句は言わないよね。女はみんな、素敵なセリフで口説かれてみたいと思っているはずなのに。
そして、トドメはこれ。
もう一度、わたしを切るために阿修羅城へ来るかという阿修羅王となったつばきの問い掛けに、瀕死の重傷を負っている出門が、大見得を切ってみせる場面である。
「首が飛んでも、動いてみせらあ」 ・・・無理とわかっていても、男としての見栄を張って、大見得を切る。
くうぅぅぅ、痺れるぅ。カッコいいっ。男はこうでなくっちゃ。これが「病葉出門」流の決着の付け方という訳だ。
この際、あれほどの怪我があっさりと治癒したことについては、触れないでおこう。
なにしろ、出門は妖術(例の赤い糸)まで使うお人なのだ。
怪我だって、すぐに治るに違いない。多分、気力で・・・。
かくて、鬼となったつばきを討つために、出門は阿修羅城へたった一人で向かうのだった。
カッコいいっ。
千両役者っ。
歌舞伎なら、「いよっ、高麗屋っ」って、掛け声をかけるところかしらね。
クライマックスとなるべき最後の阿修羅王と出門の殺陣が、ちょっと宝塚風で「お姫様チャンバラ」になってしまっているのも、このカッコよさに免じて許してあげる。
2人が抱き合って刺し違える最後の場面では、その運命の過酷さに、思わず涙が溢れてしまうのだ。
この作品のテーマ?
そんなことは、もういいの。
おもしろかったら、それで十分。
鬼とは一体、何なのかとか、鬼はどうして滅びなければならないのかとか、人間の持つ愛憎が昇華した先には何があるのか、などという小難しい話は、どうでもよくなる、そんな娯楽超大作でした。
これは、日本映画史上屈指の名作のひとつだと思います。
ちょっと、持ち上げすぎかな?
ハートは当然、満点の3つ
mina、お勧めの作品です。
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僕はイマイチ感動できなかったのですが、滝田監督は大好きです!歌舞伎を意識しないで作ってくれれば、更に広がりがあってよかったのではないかと思っています^^ でもりえちゃん、いいですねぇ~♪
あは、、やられましたね。あたしもやられた。
でも、minaさまは彼氏に慰めてもらえるから、いいじゃない。
りえちゃんは、ちょっと、、、細すぎ。
あたしのお肉を、あげたいわぁ。
登場人物が美しい人ばかりで、それだけでも目の保養になった映画でした(^0^* )
自分とこで書いたんですが、
同じ日にコンスタンティンも見てますんで
残念ながらSFXではどうしてもう~~~。
ただし「妖術・赤い糸」にひたすら
きゃ~もうきゃ~~~でした。(すいません、こんな言い方で・・・)
が、宮沢りえはとても良かったです。最近はどんな役をやっても映えます。
minaさん、睦月ももともとは東北の岩手出身なんです。東京に出てきたのは今年の4月。それまでは隣の市にある唯一のシネコンに車で行って映画を観る日々でした。もちろん、ミニシアターなんて洒落たものもないし、舞台や芝居なんてチョーチョー有名どころが年に1~2回来るくらいなもんです。
幸い、東京に出てくる機会に恵まれたので、今はむさぼるように劇場に足を運んでます。
だから、田舎住む方の気持ち、非常によく理解できます。(minaさんは岩手ほど田舎に住んでいるわけじゃないかもしれないですね・・失礼しました。)
やっぱ。何するにも東京はいい場所だと実感してます。
では、また遊びに来ます。これからもよろしくお願いしますね♪