massan

旅行大好きバサミのブ・ロ・グ

IKEA

2013-05-18 21:21:53 | 通販・買い物
久しぶりにIKEAに行った
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人生がときめく片付けの魔法をIBOOKで読んでいる

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片付けは祭りだという言葉に触発され、まず服から手をつけた

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「ときめかないものは捨てましょう!」

ときめかないけど、これって着やすいんだよね

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なかなか片付かない

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北海道旅行 息子の日記から

2013-05-17 21:59:28 | 旅行記
         
北海道旅行  
2001,2.9~2.12 
                  (九州旅行に続き、息子の12年前の日記より)

Naoyuki_173  そんな遠い所へは行ったことがないので、夢をみているように北海道に行っている。

 加古川~大阪まで新快速で、大阪から函館までNIHONKAI1号という寝台列車で行っている。そこでおもしろいおじさんたちと出会った。その人たちは、社長の集まりだそうで富山から来ている。
 昼に青森で少し止まるので、そこで弁当を買って食べた。そして、約18時間で夢の中の夢の北海道函館に着いた。
Naoyuki_174  それから乗りかえをして、SUPER HOKUTOという電車に乗り、2時50分頃に信じられなかったけど札幌に着く。札幌は大阪や神戸ぐらいの都会で、雪はサラサラだった。まずYHに荷物を置きに行った(学園前駅)
 その近くでぶらぶらと散歩してコンビニに寄って、土産を買った。その近くにあるキリンビール園で晩のご飯を食べた。ラーメン、寿司、おでん、デザート、ジンギスカンなどの食べ放題だった。とても美味しかった。
Naoyuki_178  食事が終わると、すすきのの氷像を見に行った。行く途中、ハイヒールを履いている人や、厚底のブーツを履いている人をよく見かけた。地元の人と本州の人との歩き方は違うとタクシーの運転手さんが言っていた。地元の人はすり足だから転ばないと言う。それでもハイヒールの人が転ばないのはおどろいた。すすきのの氷像はというとよくできている。いろんな会社の人が作っていて、そこの大通りにずらっと並んでいる。その次は少し歩いて札幌の雪祭りを見た。とても大きい。あれを作るのはとても大変そうだ。
 人はとても多かった。疲れながらYHに戻って風呂に入った。寝たのが11時30分ごろだった。二日目は6時に起きてかまくらを作った。北海道はいつも雪が降っていて、1mは積もっていた。かまくらなんか作れなかった。
 ユースで朝食を食べてから、今日は小樽に行った。小樽駅から少し歩いて、通り道に何も思わずアリババコレクションという古そうな所に入った。そこで300円の石を買った。その石は夢や長寿、知性にいいみたいだ。名前は忘れた。青っぽい色の石を選んだけど、それは、めずらしい石らしい。ほんとうかどうかはわからない。
 次にうろうろNaoyuki_177 してからおすし屋で昼食を食べた。北海道のおすしはとても新鮮で美味しかった。それから、小樽の堺町に店が並んでいたので、そこに行った。まず、石の蔵に入った。ここにもたくさんの石があった。ここでは、白水晶という、石と一緒に持っているとその石の効果が強くなるという石だそうだ。その通り道にオカシも買ったが、それを書いていると話が長くなるのでやめる。それからは、昆布屋に入った。
 Naoyuki_164 ここの人は親切だった。Naoyuki_170
 昆布を買ったら昆布のお茶ももらったし、そりも貸してもらった。そりで遊ぶのは初めてだ。とても楽しかった。遊んでいると何かよくわからないおばさんかおばあさんに出会いそりを貸してほしいと言ったから、貸してやった。何かつぶれそうでこわかった。
 その次に北一ガラスやガラスを作る見学をして、少し行くと、オルゴールの音が聞こえてきた。
 小樽はオルゴールの街だそうだ。とてもきれい。 それからオルゴールの店に入った。2つほど店があったけど、2つとも入った。本館の方でオルゴールを買った。題名は「別れの曲」だった。
 そこから少し前に行ったらルタオという店に入った。その一番頂上から見た小樽の町はとてもきれいだった。それから札幌に帰って、晩御飯は札幌ビール園で食べた。ここではかまくらやすべり台が作ってあった。食事が終わるとユースに帰った。
 
三日目
 今日は北海道最後の日だ。今日はホテルまで行って食事をした。バイキングでとてもおいしかった。食事が終わると雪祭りの道を歩いて時計台に行った。中に入ると色々な資料があった。時計台は札幌農学校の第二代教頭ウィリアム・ホイラー博士の構想図をもとに明治8年10月(工費3869円16銭3厘)に完成したそうだ。時計台は北原白秋作詞(山田耕作作曲)のこの道という歌に印象があった。
 時計台を出ると次に、雪印パーラーに入Naoyuki_163
った。ここで休んで北海道限定のアイスクリームを食べた。おいしいアイスクリームだった。
 
 これで北海道の旅は終わった。でも帰りはトワイライトEXPで帰る。2時に駅に入り、2時9分に電車に乗る。汽車だ。この中でも色々と勉強する。この電車には、サロンカー、食堂が付いていて、サロンカーにだいたいいた。青函トンネルの事を駅員さんは教えてくれた。まず青函トンネルの長さは、53.85kmで、「ごみばこ」と覚えたらいいみたいだ。トワイライトEXPで通る駅の数は339で、運転する人は2時間以
Naoyuki_186 運転させたらいけないそうだ。だから11人が交代する。その日は疲れていたから8時に寝た。
 前には写真をとるのが好きなおじいさんがいた。いつも景色をとっていて、だいたい800枚ぐらいとっていた。その人も北海道の旅行の帰りで奈良から来ていた。いい人だった。よく一人旅をするそうだ。
 
 そして一時間おくれたけど新大阪に着いた。そこでうどんを食べてから加古川に帰る。
 北海道旅行は楽しかった。今まで生きていてよかったと思う。いい場所だった。色々な親切な人に出会い、色々な事を学んだ。また北海道に行って書いてみたい。

丹波に紅葉狩り

2013-05-15 09:07:38 | 旅行記
2年前の高源寺に続き、丹波紅葉めぐり

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高山寺

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コスモスを見に来たときに教えてもらった紅葉の名所

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 761年に法道仙人により弘浪山頂に開かれた。その後、源頼朝の命を受け、重源聖人により復興され、11の末寺をかまえた

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 昭和33年に現在地に本堂、山門等を山上より移築した。

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参道両脇を中心にカエデが境内を彩っている

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十一面観世音菩薩御真言

  『オンマカキャロニキャソワカ』

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円通寺へ

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境内では丹波布展が開かれていた

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 丹波布は、明治末期まで青垣町佐治の農家で盛んに織られ、京都方面でも佐治木綿として売られていた

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丹波市糸つむぎの実演に感激

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 円通寺は南北朝時代の正月に、時の将軍足利義満が、後円融天皇の勅命を奉じて創建した。

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 今日まで600余年の歳月を経た、禅宗の古刹だ

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 織田信長の中国攻略に伴う明智光秀の丹波攻めにより、この地の寺社仏閣は悉く焼き払われた

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 この寺にも軍勢が近づいたとき、豪士荻野喜右衛門が光秀の本陣に赴き必死の説得の結果兵火を免れたと寺伝は記している

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池の辺にそそり立つ一本杉は御神木

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 この大杉は樹齢700年といわれ、かつてこの場所に『光源氏』のモデルとされる『源融』が建てた『賀茂大明神』の御神木であった。『賀茂大明神』は500年間も地域の人々の信仰を集めていたが、円通寺の建立に際し他へ遷された

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縁側で猫がお昼ね

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外装とは違って、料理は洋食

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ふわふわ玉子のオムライスをオーダー

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 築185年の古民家を改築し2008年10月31日にオープン

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 茅葺きの古民家である「国指定有形文化財 蘆田家住宅」

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 本当に気持ちよさそう

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丹波にコスモス

2013-05-12 22:35:55 | 旅行記
2012年9月28日(金)

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すみ江さんと丹波清住のコスモス畑へ

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約7haの休耕田を利用したコスモス畑Img_1411

さまざまな品種が植えられている

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休耕田のため年により多少場所が異なる

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見ごろは10月上旬

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少し見ごろには早かったが、満足

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道端には彼岸花

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飛鳥の彼岸花を思い出しました

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コスモス畑のすぐそばに、幾多の謎を秘める丹波の正倉院達身寺がある

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 その歴史は不明な点が多いが、8世紀ごろの建立とみられ、郡内では最も古い時代に開けた寺の一つである

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 この寺は、行基菩薩によって開かれたといわれ、宗派は天台か真言宗であっただろうと思われる

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 1712年に竹雲提山和尚の発願により師である円通寺25世大庵清艦和尚を開山として、禅宗の中の曹洞宗として火を灯し、現在に至っている

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 明智光秀が丹波攻めをした時、寺を焼かれる前に、仏像を守ろうと僧侶達が谷へ運び下ろし、仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられている

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 1695年、この村に疫病がはやり、多くの人々が亡くなったために、占い師に占ってもらった結果、『三宝を犯した仏罰である』といわれ、村人達は山に登り放置された仏像を集めて、破損していた達身堂をこの地に下ろし、修復し、仏像を安置し奉った

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 達身寺の仏像は木彫仏であって、大半が一本造りである。寄木造りも数多く作られたはずだが、長い間放置されたため、寄木では仏像の姿で今の世に残ることができず、破片化されてしまった。

 1.一寺に一躯奉ればよいといわれている兜跋毘沙門天が16躯もあること

 2.本尊仏になる仏像が多いこと

 3.未完成の仏像があること

 4.仏像のお腹がふくらんでいること(これは達身寺様式といわれている)などの特徴と疑問が残る

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昼食は丹波名物”たまごかけご飯”

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達身寺で薦められ、高山寺へ

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丹波の紅葉の名所の一つである

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決めた今年の紅葉狩りはここに来よう

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高山寺をあとにし、独鈷の滝へ

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ツリフネ草 赤紫の船の形をしている

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岩龍寺 

 弘仁年間(809~823)嵯峨天皇、住吉明神の霊夢により、弘法大師をこの地に巡錫せしめ、刺して坊舎を建立し、七堂伽藍を整備させられた。

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もみじの名所でもあり、予約で精進料理をいただくこともできる

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岩龍寺から少し歩くと

独鈷の滝

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 落差約18mの滝で、傍らの大きな洞窟には不動明王が祀られています。滝の名前は、岩龍寺を開基した弘法大師が、独鈷を投げ、突き刺さった場所からこの滝が湧き出たという伝説に由来(独鈷を投げて大蛇を倒したという説もあります)。

 断層崖が連なる一帯の渓谷は氷上町の文化財に指定され、シダ・コケ類の珍しい植生やサワガニなどの姿を見ることができる
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独鈷の滝から上流方向へ5分ほど歩くと

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落差13mの不二(ふに)の滝が

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独鈷が雄滝で、不二が雌滝といわれている

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境内のすぐ脇に、根元は1つ、そこから二股に別れた「夫婦杉」がある

樹齢400年の立派な杉の木

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三ツ山大祭

2013-05-11 23:54:57 | 旅行記
2013年4月5日(金)
仕事帰りに、20年に一度の三つ山大祭へ

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想像していた以上に大きい

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パッチワークみたい

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小袖山 

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20年後には誰と一緒に来るのだろうか

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桜も満開です

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レトロなBAR ”ノットブルー"へ

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姫路城から徒歩約8分、国道2号線沿いにある

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my favorite ポテトチップス

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昭和初期の古い建物を改装してできたバー

木製の階段を上り、2階の店内へ
開放感ある天井吹き抜けに、心地よい空間が広がる

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日が暮れました

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ライトアップ

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姫路城へ

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ラッキー 今日から夜桜会が開催

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普段は入ることのできない、夜の姫路城西の丸庭園を無料開放し、桜のライトアップが行われていた

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しろまるひめもライトアップ

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幻想的な桜と天空の白鷺のコラボレーション

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今年のテーマは、「夜桜官兵衛」

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姫路城初の試み
姫路城西の丸庭園の百間廊下城壁に映像を投影して映し出すプロジェクションマッピングも「黒田官兵衛」をメインテーマ

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黒田官兵衛をイメージし、誠実さをイメージした青色の配色

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まさに美・美・美

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