ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

楽な批判というものはあり得るのか?

2010-01-23 22:23:52 | 議論
 先日、あるニセ科学批判の記事を読みました。
そしてそこのコメント欄にこのような方が登場しています(全文引用ではなく部分抜粋です)。

>touhou_huhai
これは本当なのか?なんて絶望に満ちた話なんだ。

ニセ科学批判そのものも、ニセ科学批判の背景を知らなくてはできない。発展の歴史を踏まえずして、初めからやり直すとしたら、ニセ科学という進歩を続ける敵に立ち向かうとき、戦車に竹槍で突撃するようなみじめなことになる。

ニセ科学批判の新たな入門者は、先行者が学んだより何十倍も素早く、体系的に、同じ水準に達するまで学べなくてはならない。

人間が”火を起こす”とか”服を作る”ということを常に先行者と同じだけの手間をかけて学ぶとすれば、いったい教育にはなんの意味がある。

いったい元記事のどこをどう読んだらこういった結論に至るのか不思議ですが、これをネタに批判するということについて少し書いてみます。
批判することにおいて近道というものはほぼないと思った方がいいと思います。大体の場合、批判というのは相手の論理、事実認識のおかしなところをつくものですから、そもそも“どこがおかしいのか?”がわかるだけの思考能力、知識がないと成り立ちません(よしんば成り立ったとして有効な批判になりにくい)。で、思考能力や知識を身につけるにはそれなりの努力と時間がかかります。僕がやっている熊森批判でいうなら少なくとも生態学、外来生物問題の基礎知識といくつかの実例は知っておかないと批判ができません(ただしこれは熊森を生態学方面から批判するときの場合。別の切り口でやる場合にはまた違ってきます)。
とはいえ、先人たちの議論、考察の積み重ねというものは確かにありますし、それが本や論文となっている場合も多々あります。近道があるとしたらそういった積み重ねを真っ先に理解しておくことが批判することへの近道となりえるのではなかろうかと。言い換えれば基本を押さえておくということですね。ちょっと例を出しますと、素人が相対性理論や進化論批判をしてもその圧倒的多数はすでに議論済みのことであるんですね。もっと具体的に言うと自然淘汰や性淘汰、中立説も理解してないような人が「鹿の角は適応では説明できない」と言っても笑い話にしかなりません。
自分が「○○がおかしい」というのは勝手ですが、それを多くの人に共有してもらいたかったらそれなりの努力は必要というだけのことです。

 先のコメント欄の人についていえば元記事で書かれていることは「現状がどうなっているか基本を押さえたうえでニセ科学批判を批判しましょうよ」ということなのに、どういうわけか「批判には過去から現在までのすべての知識が必要」と読み替えて因縁をつけています。
勝手に藁人形をこさえて脳内フルボッコしているわけですから話になりません。

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3 コメント

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Unknown (yack)
2010-01-26 03:32:11
確かに、先のコメ欄の人の意見は過剰反応と言えるものですね。
ニセ科学を批判するのには労力がいると思います。が、当該テーマに関する知識があまりなくても、自然科学をかじった者なら、ある程度の批判をすることが出来る場面は少なくないと思います。
もちろん知識の有無による制約は受けますが、論理構造や前提条件、アプローチの方法などの妥当性に対する批判は分野によらず可能だというメッセージも、その記事には必要だったような気がします。
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ご指摘ありがとうございます (梨(管理人))
2010-01-26 18:11:22
>当該テーマに関する知識があまりなくても、自然科学をかじった者なら、ある程度の批判をすることが出来る場面は少なくないと思います。

確かにそういった部分もありますね。たとえば陰謀論だったらいくつか特徴を押さえておけば専門外の分野であってもそれが陰謀論かどうかある程度見分けがつきますし。今度、記事を書く時はそこにも気をつけます。
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経験者は語る (C-D)
2010-01-26 22:43:26
こういうのは過剰反応ではなくて確信犯でしょうね。
もし、件のコメント欄の人が嘆いて見せたように「ニセ科学批判そのものも、ニセ科学批判の背景を知らなくてはできない。」ということが真理であるなら、「ニセ科学そのものも、ニセ科学の背景を知らなくてはできない。」ことになりますから、「戦車に竹槍で突撃するようなみじめなことになる。」などというアンフェアな話にはなりません。
つまり、この人は相手の話しに乗るフリをして、自論に都合よくダブルスタンダードを用いているのです。
私のブログにもよくこういう人が現れますが、こういう反論の為の反論をしようとする人は文字通り反論が目的ですから、隠された前提に惑わされて真正面から反論しても、あまり面白くない結果になることのほうが多いでしょう。
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