先日、長野県のお好み焼き屋で火災が発生し、そこに収蔵してあったカブトムシなどの標本が焼失するということがありました(参照)。これに対して、「所詮、虫採りマニアの道楽だろ」的な意見(ここのブックマークにて虫の死骸は無意味等)があるので、それに対してちょっと反駁してみます。分類や標本にはこういう意義があるよということで。
分類というのは、人間が自然界を把握するために重要なことです。極端な話、食用と間違えて毒キノコを食べたら大変なことになります。分類されていれば、食用かそうでないかを見極めることも可能になります。
梨は分類学については、分岐分類をかじった程度の素人なので、間違いがあったら適宜指摘してください。
では、標本の意義について説明をしたいと思います。
1.過去の生物相を把握する
シーボルトが持ち帰り、現在、オランダのライデン博物館に収蔵されている標本は当時の西日本の魚類について知る1級の資料となっています。それだけでなく、その標本をもとにメダカをはじめとする多くの西日本の魚類に学名がつけられています。このとき、学名をつける基準となった標本をタイプ標本といいます。タイプ標本はその種を知るための重要なものさしです。
シーボルトが集めてきた標本の価値は、200年近くたった今でもゆるぎないものです。
2.外来生物の侵入を明らかにする
事例がマニアックですまないんですが、ヒルミミズという大陸産の外来生物がいます。釣り餌のエビに紛れ込んで(正確にはエビに寄生して)日本に侵入したということがわかっています。なんでそんなことが分かったかというと、標本のおかげでもあります。
これを発見した人は、ヒルミミズの侵入時期を調べるに当たり学校に年代別に保管してあったエビの標本を調べてヒルミミズに寄生されたエビの標本を見つけ出し、いつごろ侵入したのか明らかにしています。
このほかにもチョウや植物の標本は、標本が採取された当時の気候などを知る手掛かりになります。
ここまで書いておいて、重要なこと一つ忘れていました。それは、標本は的確に分類され、適切に保存される必要があるということです。的確に分類というのは、産地、採取時期、種名が明らかにされていることで、適切な管理というのは、それらが劣化、消失しないように管理されているということです。
適切に管理された標本というのは、過去の生物相を把握したり、外来生物の侵入や気候変動の兆候をつかむのに非常に有用なんですね。
このように標本というのは公的な性質の強いものです。特にタイプ標本というのは、後々まで続く学問の礎になるものです。もしも、その種の中にいくつかの種が実はいましたなんてことになれば、タイプ標本とすり合わせてどの種がどのように分類されていたのか明らかにしなければならないわけですから。
というわけで、お好み焼き屋の上にタイプ標本があるなんてことは、社会が負う責任を個人に負わせているという意味で本来はあってはいけないわけです。きちんと博物館に分類学者を配置してそこで管理するのが筋。日本は去年、国も民間も生物多様性とはしゃいでいたわけですが、足元が見えていないようではこの先の展望は望めないでしょう。
分類というのは、人間が自然界を把握するために重要なことです。極端な話、食用と間違えて毒キノコを食べたら大変なことになります。分類されていれば、食用かそうでないかを見極めることも可能になります。
梨は分類学については、分岐分類をかじった程度の素人なので、間違いがあったら適宜指摘してください。
では、標本の意義について説明をしたいと思います。
1.過去の生物相を把握する
シーボルトが持ち帰り、現在、オランダのライデン博物館に収蔵されている標本は当時の西日本の魚類について知る1級の資料となっています。それだけでなく、その標本をもとにメダカをはじめとする多くの西日本の魚類に学名がつけられています。このとき、学名をつける基準となった標本をタイプ標本といいます。タイプ標本はその種を知るための重要なものさしです。
シーボルトが集めてきた標本の価値は、200年近くたった今でもゆるぎないものです。
2.外来生物の侵入を明らかにする
事例がマニアックですまないんですが、ヒルミミズという大陸産の外来生物がいます。釣り餌のエビに紛れ込んで(正確にはエビに寄生して)日本に侵入したということがわかっています。なんでそんなことが分かったかというと、標本のおかげでもあります。
これを発見した人は、ヒルミミズの侵入時期を調べるに当たり学校に年代別に保管してあったエビの標本を調べてヒルミミズに寄生されたエビの標本を見つけ出し、いつごろ侵入したのか明らかにしています。
このほかにもチョウや植物の標本は、標本が採取された当時の気候などを知る手掛かりになります。
ここまで書いておいて、重要なこと一つ忘れていました。それは、標本は的確に分類され、適切に保存される必要があるということです。的確に分類というのは、産地、採取時期、種名が明らかにされていることで、適切な管理というのは、それらが劣化、消失しないように管理されているということです。
適切に管理された標本というのは、過去の生物相を把握したり、外来生物の侵入や気候変動の兆候をつかむのに非常に有用なんですね。
このように標本というのは公的な性質の強いものです。特にタイプ標本というのは、後々まで続く学問の礎になるものです。もしも、その種の中にいくつかの種が実はいましたなんてことになれば、タイプ標本とすり合わせてどの種がどのように分類されていたのか明らかにしなければならないわけですから。
というわけで、お好み焼き屋の上にタイプ標本があるなんてことは、社会が負う責任を個人に負わせているという意味で本来はあってはいけないわけです。きちんと博物館に分類学者を配置してそこで管理するのが筋。日本は去年、国も民間も生物多様性とはしゃいでいたわけですが、足元が見えていないようではこの先の展望は望めないでしょう。
日本の科学者は、どうも政治に関わらないことを清廉とみなす風潮があるように思います。軍人なら、それは正しいかも知れませんが、科学者はむしろ積極的に政治の分野に口をだすべきです。
以前、ノーベル賞受賞者が事業仕分けを批判しましたが、科学者が自発的に政治に口をだすのは、かなり珍しい光景だということで科学系ブログでも結構話題になりました。
こういう動きをもっと広げなければ、何も変わりません。
例えば、JAXAの予算は1800億円ほどと言います。
宇宙に興味がある人から見れば、安いとしか言い様がない予算ですが、宇宙に興味のない人から見ればむしろこれでも高いと思うでしょう。
私は以前、年商1憶程度の小さな会社で働いていました。社員は約30人。つまりJAXAの年間予算というのは、5万4000人の一般人が1年間、必死に働いてようやく捻り出せる金額です。それをポンポンと何の説明もなしに上げることなど出来ません。
この計画を行うことで、いかに国民にメリットがあるのか。この研究はいかに有意義なのかを、科学に興味のない人にも周知できるような組織が必要です。
アメリカの事例がよく出されますが、アメリカの分類学者は、ただ何もせず、今の体制は、ただ優秀な政治家が与えてくれたものなのだろうか?
それは違うだろうに、と思います。
僕がこの文章で伝えたかったのは分類や標本にはこういう意義がありますよ、決して無価値ではないですよということです。
貴方の言うところの興味のない人に対してのメリット等の説明なのですが。
説明専門家が必要というのは大筋同意します(各論では意見がことなるでしょうが)。
オイラは月刊誌『天文ガイド』をたまに本屋で立ち読みするくらいの低レベルな宇宙好きなんだけどさー、素人から見ても不完全極まりねえ原子力湯沸かし機に対して、天文学者さん連中は昔からずいぶんと必要性を説いてたぜ。いまおとなしくしてるのが「ニセモノの証明」じゃねえのか。まったく世渡り上手だねぇ。
尊敬する小柴の爺さんよ、あんたはやっぱり本物だと思ったよ。立派立派!
また、梨さんのおしゃるとおり、特にタイプ標本は公共性の高いものですから公的な機関に保管されるべきでしょう。
ただ彼の場合は論文を執筆するためにタイプ標本を手元に置いて研究していたので、仕方なかったのだと思います。