ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

科学との正しい付き合い方 感想

2010-06-06 15:48:55 | 書籍
 この本のすべてがダメというわけではないですが、問題の多い本でした。ニセ科学に興味のある人は読まなくても特に障りはないでしょう。そうでない人にも特にお勧めはしません。一言で言うなら、基礎を抑えているようで抑えていなかったというのが感想です。
この本は科学とのかかわり方を初級、中級、上級にわけて論じているわけですが、級が上がるにつれて論理が荒くなっていくのはどういった冗談でしょうか。上に行けばいくほど、本来なら緻密な論理と現実に基づいた話が要求されるはずですが、上に行くほど著者の根拠を示さない「思う」ばかりが目立っているように僕には見受けられました。
本の中で疑うところにばかり話が行き過ぎて、妥当性についての記述がほとんどなかったのも僕としては評価を下げざるを得ませんでした。疑うことは妥当性をどうやって選んでゆくかとセットで語らなければ、俺様理論屋の培地を作るだけでは?
また、中級編やコラムでファインマンを持ち上げておきながら、上級編で血液型性格判断批判者を批判するというのは矛盾しています。“どんな相手”でもおかしいと思ったら「クレイジー」と言うファインマンは疑う心を持ち続けた素晴らしい人と持ち上げるのに対し、酒の席での血液型性格判断批判者は空気の読めないアホですか。権威主義に注意しろとかいってるくせにファインマンという権威にべったりのように見えるのはいったいぜんたい何の冗談でしょう。趣旨がまるで一環していません。
また、ニセ科学批判に関しての理解が薄いままニセ科学について物申しているのも失策でしょう。
たとえば、P253で血液型性格判断批判について。

引用はじめ
>本当の科学リテラシーを持ち主であれば、白黒つけた判断はせず、ボーダーラインを広く取って疑い続ける姿勢を持っています。なので、そのような断言した言い方はできないはずです。
 でも、中途半端な科学リテラシーの持ち主だと、上記のような「正しい世界観から外れていたら誤りだ」と早計な判断を下してしまい、それを他人にも押し付けてしまうのです。
 明らかに「疑う心」の欠如です。
引用終わり

そもそも黒や灰色(非科学や未科学)を白(科学)と言い張っているのに対して「それ、白じゃねえから」というのがニセ科学批判です。灰色を白と言ってもニセ科学になるし、まして黒ならです。そもそも血液型性格判断についてほんとに調べたんでしょうか。疑うことに酔ってる俺様理論屋が一人前できている気がするのは気のせいでしょうか。

正直、上級編にあったこの人の科学観にも同意できません。妥当性のはざまで揺れ動いているのが科学なのに「真理があるという信念を持つ」のが科学教の信者って誰得ですか。それこそニセ科学に見られる特徴でしょう。
ちょっと科学哲学や科学史を省みれば科学は真理などというものにたどり着けないのは明白でしょうに。もしかしたらこの人と僕の間に「真理」という言葉の認識に差があるのかもしれません。
他の場所でも取り上げられていますが、ちょっと下調べが雑だったのではないですか。

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2 コメント

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Unknown (TAKA)
2010-06-09 21:49:57
こんにちは。私の場合、著者の内田麻理香さんは、甘い論を時々挟む事で、科学と正しく向き合うことの難しさを自ら示して下さったのだと思います。梨さんが言及されたことを、内田さんは心の底から喜んでいると思います。

ちなみに、私がサイエンスコミュニケーターになったら、次のような姿勢で頑張るかもと夢想します。
・・・・・・
「イソップ童話の悲しいコウモリみたいには、成りたくない。なるべく、八方美人的な言説を振りまいて、より多くの読者から心の広い人と思われたい。」
「しかし、科学側の気持ちを丁寧に説明しても、大衆の反応はイマイチのようだ。」
「ならば、科学をdisって、一般大衆の抑圧された気持ちに媚びたほうが、印税アップである。」
「私の本の影響で、少しくらい科学を誤解する人が増えても、世の中たいして変わらない。科学全体の行く末よりも、私個人の利益が優先だ。」
「ところで、なぜ蔓延しているニセ科学を忌避しなければならないのか?」
「定着してしまったニセ科学を、いまさら排除しなくても良いはずだ。第一、考えるのが面倒だ。いちいち対処するよりも、座して傍観していたほうが楽である。」
「というか、我々はニセ科学と共存できますよ!心の広い大人ですからね!心配しなくても、今の平和な環境は永遠に続きます!だって今までが、そうでしたから!」
・・・・・・
現実の世界では、このようなサイエンスコミュニケーターなど居るはずが無いと、私は信じています。
空気の読める理系の内田さんは、私のような科学素人の固い頭を柔らかく溶かすために、自ら道化を演じてくださった訳ですね。(もちろん、根拠は私の主観です!)
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Unknown (梨(管理人))
2010-06-09 22:24:36
やっぱりサイエンスライターとかこの手の人にニセ科学を語らせると、ときどき「ありゃ?」となるのは

>定着してしまったニセ科学を、いまさら排除しなくても良いはずだ。第一、考えるのが面倒だ。いちいち対処するよりも、座して傍観していたほうが楽である

って部分もあるんでしょうねえ。サイエンスライターの北村氏がブログで「確からしさに基づいているかはサイエンスライターの淘汰の要素としては薄い(意訳)」と書いていらっしゃいましたし。多少の確からしさが犠牲になるのは時と場合では仕方ないときもあるでしょうけど、論旨を一貫しないというのは論者として致命的と思うのですよ。
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