ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

遺伝的多様性に関する私見7 交雑問題2

2010-04-11 22:36:55 | 遺伝的多様性
 さて、前回の書いたことを踏まえて遺伝子撹乱はどうして問題視されるのか整理していきます。その前に前回書いていなかった重要な前提について書きましょう。それは“生物多様性は歴史的遺産としての側面を持つ”です。なぜこういうことが言えるのかというと、生物多様性というのは長い年月をかけて出来ているからです。たとえばヒトとチンパンジーが種分化してから500~700万年経つとされています。けしてヒトとチンパンジーがある日突然はっきりと分かれたわけではありません。気の遠くなるほど長い年月をかけて少しずつ遺伝的な違いが積み重なった結果、現在のヒトとチンパンジーがあるわけです。ここから言えることは、生物は個々に固有の歴史を持っているということです。
実際、古墳や貝塚から当時の生活の手掛かりが得られるように遺伝子からある種AとBがいつ別れて行ったのか、過去にどのような分布の広がりを持っていたのかなどを調べることができます。
そして、僕たちの社会というのはこういった歴史的遺産にある程度価値を認め、それをむやみに傷つけるのは慎むべきという風潮があります。たとえば、イースター島のモアイに傷をつけた日本人が逮捕されたという事件がありましたし、国内外の文化財に傷をつけて御用ということはままあることです。こういった人たちはまず好意的な見方をされません。裏返して言えば、歴史的遺産は個人がむやみに傷つけていいものではないということです。これは、遺伝子撹乱にもほぼ当てはまります。遺伝的多様性を含む生物多様性は歴史的遺産の側面を持つからこそ、それをむやみに傷つける行為は慎むべきということです。
これに対して異論もあるでしょう。たとえば「保全生態学でも外部から人間が遺伝子を持ち込むことを推奨する場合もあるじゃないか。個人の持ち込みで遺伝子撹乱が起きるならそれだって遺伝子撹乱だろう?」というものです。これは半分正しくて半分間違っています。まず、保全生態学でそういうことをやる場合は類縁関係を考慮しています。歴史的遺産のたとえで言うならボロボロになった歴史的遺産を修復するようなものです。つまり、なるべく元の形は残そうとしているわけです。これに対して、遺伝子撹乱とよばれるものはそこら辺を考慮していません。わけのわからないつぎはぎ。たとえて言うなら東大寺の大仏をしゃちほこの代わりに大阪城の天守閣に移動させたようなものです。
たとえ傷ができてしまったとしても、修復と落書きを同列に論じることはできませんよね。ただし、その修復が本当に適切であるのかについての議論はありでしょう。
ここでのまとめとしては、僕たちが歴史的遺産の価値を重要視するのであれば(大切な前提)、それをむやみに傷つけるような行為は慎むべきで、それは遺伝的多様性にも当てはまるということです。次回は交雑によって保全の上で不利益を被った例を紹介したいと思います。

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