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昨日からカミーユ・クローデルのことばかり考えていて頭から離れずにいる。展覧会でカミーユに会ったら何かこちらから言おう思っていた。「しょうがないよ」とか「突っ走って愛をひとりじめできるものではない」だとか、それは私自身がロダンに対してのローズ的立場に拠るものだと冷静に受け止めていたからだ。けれど、その考え方は意味がないもので違っていると気づく。内縁の妻だとか愛人だとか情熱の炎を傾けている本人には関係のないこと。愛や人生をも創造の原動力とする芸術家レベルをまったく見誤っていたのだ。そして、カミーユに対して次に考えた。想像した。私のいまの年齢でこれから30年以上も精神が破綻をきたしたままならどうだろう。それはずいぶんとさらに孤独だ。暗闇の世界だ。そのまま生きながらえたくないと思うほどだ。彼女の激しい心象そのままの強烈なカタマリをいくつも見つめていたら、何か悲しみや苦しみや悔しさがそこにはおそろしいほどに渦巻いていてなんとも言葉にならず、ただただ息をのむだけだった。そして、展覧会最後に見た『炉端の夢』(1899)暖炉の前に腰掛ける女、シンデレラ・・カミーユの姿と重なり、さらに私の心を静かにさみしくさせた。
ただいま迷宮美術館で取り上げられてますよ。
魔性の女だなんて、こっちは本気だったのにね。
弟のポールにもよく会います。
レーモンドとも親しかったみたいね。
別れた後なのにね。
<パンセ>は後から付けられたタイトル、ほんとは<少女の頭部>。
帽子姿がかわいいねんけど、なんかやっぱりせつない。
そうそう、守衛こと碌山の黒光である<女>、近美や旧早稲田図書館にあるブロンズじゃなくて、石膏のがあるそう。
白い身体、女、印象が違うかなぁ。きっと違うよね。
ただいま豊島区の展覧会で出てる、見てみたい。
そうそう、ついでにカミーユの弟ポールは、藤田嗣治に挿絵だったか仕事を依頼している。
接写してみたくなる・・・確かに魅了される。
ダリウス・ミヨー、ポール・クローデルね。
それで、♪ブラジルの思い出1921なわけね。
外交官フランス大使のポールの秘書官としてブラジルで2年で過ごした。
チェック →♪屋根の上の牡牛 ビシュコフ指揮
ブラジルの古いい歌に由来、性的な含意 !?
■ 公開シンポジウム「西洋作家の神道観 ―日本人のアイデンティティーを求めて―」
http://www.meijijingu.or.jp/pdf/sinto_01.pdf
http://www.meijijingu.or.jp/pdf/sinto_02.pdf
ラフカディオ・ハーンやポール・クローデルは
「日本と西洋のイメージの交差」(国立国会図書館)でも資料が出ていたな。
ポールの「Dodoitzu」で、思い出したけど、そうね、音楽のシューベルトの問題じゃないわな。
♪ワタシノ オウチハ
※ポール → ミヨー → バカラック♪
ミヨー&バカラックラインの音をさらにチェックせよ。