<高台学会>

高台の鑑賞と研究 

事例 百八十二

2013-11-13 14:06:49 | Weblog
16世紀後半、朝鮮半島北部会寧窯の斑釉茶碗です。
朝鮮の藁灰釉のものはこの事例集でも数碗取り上げておりますが、紹介のものは碗成りの器形、斑釉の調子、高台周りの作行き、等極めて優れた風情です。
唐物一辺倒から高麗茶碗、国焼きと茶の湯の志向が変化を遂げた時代に半島北部産のこの手の茶碗は当時の茶人たちに発見されなかったようで、伝世のものは残念ながら一碗もありません。
会寧窯等の作陶技術は室町末から桃山にかけ岸岳の山の中で突如出現しその後肥前の各地に飛び火して唐津焼きの隆盛を遂げます。
砂岩系の岩石を擂り潰し何らかの手を加え陶土を精製し登り窯で焼成をする、と簡単な事のように見えますが当時では最新の技術と多大な労力をかけた一大産業に変貌していくわけであります。

事例 百八十一

2013-11-13 14:06:07 | Weblog
御本切高台茶碗であります。
高台が撥上に開き、その中が浅い擂り鉢状にくるくると削られ、素早く三方に切込みがはいっております。
仔細に観察しますと、一瞬にして削られ切込みが入ったことが窺われます。
釜山窯のねったりとした胎土が高温で焼き上げられた質感と、その外連味のない様子は居合抜きの名人の所作を見ているような、胸がすくような心地です。

事例 百八十

2013-11-13 06:39:18 | Weblog
全体が青みを帯びた呉器茶碗です。
高台内は呉器の約束通り丸匙で掬ったように削られています。
高台の様子は大徳寺などと比して粗粗(あらあら)しく、いわゆる番匠呉器に分類される手であります。

只今根津で開催中の井戸茶碗展図録中に高麗茶碗制作の背景として、従来窯と借用窯と云う考え方が発表されております(井戸茶碗ーその研究の未来 谷 晃氏 野村美術館館長)。
16世紀後半、朝鮮半島南部の稼働中の陶磁器窯で制作されたものを従来窯の作品(それ以前の作品も含め朝鮮国内需要の茶碗を日本人が選択し日本に持ち込んだもの)とし、
16~17世紀前半にかけ日本人が関与し朝鮮半島南部の稼働中の連房式窯の一部、あるいは全部を借用し日本向けの茶碗を制作したということで、借用窯の作品とした論考です。

御本以前の高麗茶碗の最後に位置づけられている呉器はその形状、朝鮮には一碗も残存していない事等から借用窯の作品と位置づけられるものと考えてよいのでしょうか。
そうすると井戸も同様に考えられますが、窯の発掘調査等が進展しなければまだまだ謎の部分が多いのであります。

事例 百七十九

2013-11-12 15:25:54 | Weblog
三島輪線象嵌盃です。
常のごとくひっくり返しますと、竹の節に二周りほど削られ、高台内はほぼ平らにさっと一回り削られております。
朝鮮陶磁には珍しく露胎し、高台内中央に微かに兜巾状に突起が確認できます。
高台内を削る時はこの中央を中心にくるりと削る訳です、必然的に中心はこのように突起状に残る道理であります。

◎11月2日より12月15日まで東京南青山根津美術館で「井戸茶碗」開催中です。
大井戸39碗、古井戸16碗、青井戸19碗、井戸が総勢74碗、というよりお一方(ひとかた)、お二方(ふたかた)という捉え方をすると井戸の方々74名ですぞ!
勿論高台の方々も同数お見えになっております、最も展示場では高台の方々は伏せていらっしゃいますが。展観図録にはお一人お一人の高台も掲載されております。
我が事務局もほぼ日参に近くお布施を払い根津詣でをいたしております。
今生の至福のひと時を味わっております。
◎追伸12/3より名碗「蓬萊/武野」「老僧」のお二方が大阪・藤田美術館より御越しになられます。

事例 百七十八

2013-11-04 16:44:30 | Weblog
酒徒達が憧れてやまぬ岸岳帆柱窯の斑唐津筒盃です。
高台中心部に可愛いでべそのような兜巾が見えております。

砂目勝ちと云うよりはほとんど砂?というような帆柱の土味であります。
(陶磁器と云うと粘土と連想しますが朝鮮や唐津は砂岩等を擂り潰して陶土を作ります)
藁灰釉の源流は朝鮮北部の会寧窯という事ですが、斑釉のあがりはやはり帆柱や皿屋のものが釉に奥行感がありひと味もふた味も違います。
藁灰との相性で云えばやはり岸岳の陶土の質が優れているのでしょうか。