まだ暑いわ、暑い寒いも彼岸まで。
YouTubeで「本能寺ホテル」を鑑賞していた。中国語の字幕が付いてましたが画像はわりといい、
[日本電影]本能寺酒店(綾瀨遙主演) 穿越時空遇到織田信長 で検索すると出てくる。この織田信長、なかなかかっこいいかも。
池澤夏樹 著の「終わりと始まり」を読んでいる。
日本語もひとつの言葉で具体的な生きる動きを表現する言葉ってありますよね(動詞)。
「うがつ、くける、くじる、しごく、なる、はつる」などなど、
「こく」は、長細いものを片手でゆるく握り、他方の手で引き動かす ことである。
自然に近いとこで生きている人たちにこういう言葉が生まれる。
アイヌ言葉には、そういう単語がたくさんあるそうだね、かつては人間にとって生きるとはもっと具体的で、ものの重さや質感、匂い、生活の一場面、不幸とか幸福がそのまま一つの単語に出ている、という。
台所にそういう単語はまだ残っているかな、さばく、とぐ、電子レンジができてからは「チンする」になってしまった。コンビニみたいだね。
今年の夏にiPhonにして、2017年の手帳はほとんど使用しなくなった、なんでもiPhonで事足りる。
温泉ちゃんのLINEは、ほとんどがスタンプだったりして、そういうのやるだけアホみたいなような気がする。
デジタル化で、かさばらなくなったよね。
肉体感なしで、
本もデジタルテクストにすれば何冊も持ち運べるし、重さのある媒体からの解放〜無重力の空間なのだね。
安いし、アクセスもしやすいし、
まるでスピ系のいう、軽いライト感を得たような気もする、あ、スピ系は安なかったわ。
いままでの文化の営みは肉体感があった、アイヌの単語のように言葉に受肉していた、そういう意味では深みのある記憶、持続、奥行きが生まれていたようにも思う。
スピ系のいう神や天使や宇宙人が関与してくると(味方して守護してくれるのかな)、
肉体感のある産みの苦しみはどうなるのか、なにも子供を産むことだけが生みの苦しみではない、あの苦悩して産み終えたあとの軽さや爽快感やライト感はもう無くなるのか。