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日々のこと記してます。

レイキの続き

2024年02月25日 | 霊的なもの

 

ヒロ | LINE VOOM

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待てができない犬らしいけど、その気持ちわかります。

 

目のしょぼしょぼは、やはり花粉症でくしゃみ鼻水も出ている。

 

真夜中1時30分頃にタケチン、ウンチ。

今朝方、6時頃に臭いと思っていたらまた、ウンチしていた。

食べ過ぎなのだろうか。

フードの量を考えようと思う。

 

また、寒くなって、今日は雨、午後からマンションの排水口掃除と点検が各部屋行われる。年一回の行事のひとつ。

タケチンのウンチとシッコはトイレには捨てない。

水に溶ける砂なのでトイレに流してもいいのだけれど、詰まったときのことを想像するとえらいことになりそうなので捨てれない。ゴミの日まで消臭ゴミ袋に入れて置いてある。

 

エス党の元公認秘書が自死している。

わたくしの勝手な印象なのだけれど、ケー氏は見るからに体育会系で波動は強いけれど、高くはない。オーラが大きいと影響力はあるけど、人間的にはどうかと思っていた。あの覆いかぶさって来るようなあつくるしいスマイルも苦手だった。わたくしが矢作氏のおはなし会に参加していたからか、やけにエス党がいい、メイメイさんも気に入ると思うとススメて来た女がいたが、その女は、ただ敬愛しているらしき男が指示していたので、それに乗っかってるだけなのである。指示しなくなったら、その女もやめるのである。

調子良過ぎるお気軽にどうぞである。

 

ところで、レイキを習得した人をレイキマスターというのだそうだ。

習得というよりも伝授といったほうがいいのかもしれない。

神智学からニューエイジは生まれたのだろうか。

ニューエイジを日本に広めたのは吉福伸逸氏かもしれない。ヒッピーは嫌いだけど吉福氏は尊敬してるってどうなのって自分で思う。

 

https://morfo.blog.ss-blog.jp/2019-03-11-1

上の頁、わかりやすくまとめていると思う。

 

成瀬氏は、30年ほどまえ、五反田にある教室でよくシャンバラの内緒話なるものを開催していた。そのとき、わたくしは横浜に住んでいたのでたまに参加していたと記憶している。シャンバラというのは霊的次元にありその次元の大師とのチャネル交流をしてのお話会だったのかもしれない。

その後、知花氏、山川紘矢/亜希子夫妻などの集まりにも参加していた。

何年かして思ったことだが、白色大同胞団(グレートホワイトブラザーズ)という、霊的な教えを広める偉大な存在たちが、地球上の選ばれた人間を通してその思想を伝授やチャネリングとかで継承しているのではないのかと思っている。

神秘主義傾向にある思想はすベてそうなのだと思うし、今、参加しているサロンもそうなのだと思う。

つまりは、地球、太陽系は彼らに乗っ取られているとさえ思うときもある。

 

その組織のなかで、白魔術と黒魔術が生まれ、白色大同胞団のリーダーがサナート・クラマだという説は、まあまあ聞く。

 

上の情報があると、どうしてもレイキヒーリングは気色悪いという印象を受けてしまう。


早朝のこわい出来事

2024年02月22日 | 霊的なもの

徒歩30分ほどの場所にそのヒーリングサロンはありました。

 

ヒプノセラピー、チャネリング、あと大昔にアクティベーションだったかな・・・を受けたことがあったけれど、どれもビフォーアフター変化なかったのは、自分がリラックスできなかったからなのかもしれない。

 

だが、今回のレイキヒーリング体験は、効果が感じられた。

 

終わると、ほんわか〜として、上半身がじりじりとエネルギーが動いている感じもする。アロママッサージのライトな感覚とも違う。ほんわか〜に包まれているようだった。

 

 

彼女はリラックスという言葉は使わずに、気楽、気楽という。

レイキヒーリングをやっているとパイプになっている本人も幸せな気持ちになって、神羅万象とつながっている感覚があるそうだ。

それって、わたくしも若い頃はあったんだよね。

 

行きは雨が止んでいた。

帰りは雨が降り出した。ほんわか〜した不思議な気持ちで歩いて、スーパーで買い物して帰った。

 

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ここまでが、昨日、記したブログです。

 

その後、今日の明け方に奇妙な出来事があったので記す。

 

午前四時ごろ、タケチンの朝フードに起きて、再び二度寝のために布団の中に入る。タケチンも朝フードを食べ終わり布団の上にやって来た。

時間にしては5時50分から59分に間の出来事である。

寝ぼけまなこの夢の中で、部屋に鍵がかかっているのかということがやけに気になるのだ。肉体と霊体の間に隙間にいたのかもしれないような寝ぼけまなこの中で、部屋に鍵がかかっているかどうか確認に行かなければならないと思っている。

 

枕もと先を見ると、変な白い筒のようなものが立っている。それは何かと手で触ってみて、ああそうかとなぜか納得してまた寝ぼけまなこのまま寝ようとすると、遠くで、「ただいま〜」という男性の声がする。

寝ぼけまなこのままのわたくしは、その声は上の階の部屋なのかと思案していると、その声の主が部屋の中に入って来たではないか。

部屋の中をぎしっぎしっという音を立てながら歩いて来るのだ。その音と共に部屋も少し揺れているような感じがする。

そして、わたくしが寝ているラタンベッドの横まで来た感じがする。

 

その途端、身体が動けなくなった。

この野郎、負けてなるものか!と気合を入れてどうにか動こうとしていると、いつの間にか身体の縛りは解けた。

 

そして、今度は寝ぼけまなこではなく、しっかりと、この世の意識に戻って来た。

時計を見ると5時59分だった。

 

部屋に入って来た男の年齢のイメージは、若人か中年くらいの感じで、小太りなか巨漢かのイメージがする。

 

思えば、その夜、さあ、寝ようと寝返りを打った瞬間、わたくしの身体の少し上の空間に手をかざす様子の人の手のビジョンがチラッと視えた気がした。瞬間だったので、大して気にとめなかったのだけれど、あれはなんだったのか。

この世に意識が戻ると、地域の氏神様、熊野の神様などなどを思い浮かべイメージで総動員させて助けを求めた。iPhoneでは、どこぞの僧侶の不動明王の真言の動画を部屋に小さく流してみた。後、自分でカタカムナ祝詞を唱えたりと自分なりにやれることはやってみた。涙。

 

昨日のレイキヒーリングは、いい感じだったし、アプローチしてもらった女性はたおやかな感じのする人だった。

今朝の出来事と関連付けるのもどうかとは思うけど、しばらく様子をみて、やはりレイキはやめたほうがいいように思っている。


鞍馬山メモなど

2024年02月16日 | 霊的なもの

 

ベランダに咲いてた白い花、名前わからず。

 

水曜日の帰り、中津から地下鉄に乗るとラッシュの時間帯で天王寺駅下車しても歩きながらぶつかって来る人までいて難儀した。三年まえまでは、わたくしなどはもっと速く歩いていたことを思い出す。もうあのスピード感は取り戻せないように思うし取り戻したくないとも思う。

走馬燈のような目まぐるしい日々だったなあ。そんな日々を送っていた自分を誇りに思う。

今では感謝の気持ちさえ湧いて来る仕事場の人たちとの思い出、切磋琢磨、辛苦したけど、小さな成功体験もあり〜の、残業、休日出勤、理不尽、不満たらたら、喜怒哀楽のオンパレードだった日々よ、ありがとう、わたくしの宝物だといえる。もう、戻りたくないけどね。

 

 

鞍馬山のメモ

鞍馬寺の少し先にある奥の院の魔王殿にはサナート・クラマがまつられているという。知人曰く、あの周辺にはとんでもない危険な魔の場所がいっぱいあるらしい。

でも、皆、嬉々として行くのですね。

中丸薫という方が魔王殿で60年に一回公開される秘仏とやらを霊眼(アストラルの視力)で、視たそうだ。それは、なが〜い巨大な鼻をしていたという。彼女にそういうビジョンが視えたのは、イニシエート(伝授された者)のひとりでもあるからだという話です。

霊眼で霊視した天狗の仮面を被ったビジョン。仮面を外すとその存在は永遠の16歳の少年であるサナート・クラマなのだそうだ。寺では祀られるけど神社では決して祀られない存在、それがサナート・クラマなのだという。

 

レイキ体験というのを一度経験したくなったので、月末に近所のヒーリングサロンで受けることにした。一日1名様限定で、個人でオイルトリートメントもやってる。とても丁寧な感じがホームページからも伺える。

浄化

解放

自然治癒

そして、目覚める意識

わたくしは、人をなんとなく色で感じ取ってしまうところがあるように思う。

カラーボトルなども気になってしまう。

 

何年かまえに、とある集まりで一緒に学んでいるある女とカフェでお茶したとき、「わたし、自信のない人は嫌いなの。」と、タバコをふかしながら、これまた、あんたが言いそうな台詞だよね〜ということを口にしていた。その後、自信があるフリはしてみたものの、嘘の自信なので、注目を浴びたいとか、何とか仲間に入れてもらいたいとか、合わせようとかという虚勢とかカラ元気を出して疲れていた。

思えば、自信って、自分を信じることで、マウント取ったり、相手をコントロールしたりすることとは程遠い。相手に認めてもらうとか自己肯定感とかもなんか嘘っぽい。


時代は巡っている。

2023年10月05日 | 霊的なもの

体調不良四日目、今日は、期限が今日までなので、振り込みに行かなくては行けない。

たこ焼きも買って来たいし、新鮮な水を思う存分飲みたい。

 

https://www.villalodola.jp/magazine/column-085/

 

風の時代に入ったという。

水瓶座の時代という人もいて、水瓶座のまえは魚座の時代だったらしい。だとしたら、魚座って水だから、土じゃないよね。

土、風、水、火の要素を持つ時代は200年サイクルだというが、星座のサイクルはもっと長ーーーーい。

 

魚座の時代はキリストは、イエスだった。

牡牛座の時代のキリストは、ミトラなのだとか。

こんなこというと、クリスチャンの人たちは、そんなことあるはずがないというだろうが、神智学ではそうなのだ。キリストというのは役職名なのである。ミトラは牡牛座の時代のキリストであり、イエスは魚座の時代のキリストなのです。聖徳太子も魚座の救世主であるイエスの伝承の重ね合わせなのではないのだろうか。

イエスが属していた教団(エッセネ派)はユダヤ教ではなくミトラ教である。ミトラ教は古代ペルシア神話を母体にしている。

 

風の時代のまえは土の時代だったという。

 

土の時代を生きて来たので、土の時代の価値観は経験や体験しているのでわかる。

風の時代って、目に見えない軽さ(ライト感!)フットワークが爽快になりそうな感じがする。断捨離が流行したのもわかるように思う。ノマドワークとか、多様性の時代なのだと思う。だから、AIも進化して来るのだと思う。

わたくし、体調が悪くて三日ほど寝込んでいたが、AIロボットが一家に一台あると、是非とも買い物とかをお願いしたい。AIはデータ処理が速いので、「リンゴとバナナと後、ケーキ屋でプリンも買って来てね。」とかお願いすると、即座に理解してわたくしの代理としてスーパーにも銀行にも一緒に旅にさえ出かけてくれるかもしれない(重い荷物を持ってくれる)。

風の時代は、200年ほど続くという。

風の時代に、AIが活躍するのは当然だと思う。

だけど、西洋占星術では、風の時代も終わるときが来るという。

 

で、次にやって来るのは、水の時代だ。

水の時代がすごい。

水って液体、溶け合ってる。真にシェアする時代が水の時代なのだという。

だから、皆で幸せになりましょうなどというのは、水の時代の産物で、風の時代には不要なのである。

風の時代は、個人がとっても自由なのだ。風の時代に皆で幸せなユートピアを作りましょうなんてことは、息が詰まってしまうことになる。風の時代は、いつでもどこでも自分の周りは常に風通しがいいのだ。

風の時代が終わり、水の時代がやって来ると、風の時代の意識も薄れて、君たちが誤解している真の平和とやらが訪れるのかもしれない。水は女性性でもあるので、水の星座が持っているような感情が重要視される時代が来るのかもしれない。感情重視なので共感力もバリバリ発揮されるのだろうか。なんかえげつない。

 

水の時代が終わると、火の時代がやって来るという。

 

ま、とにかく風の時代がやって来るというのだから、同調圧力のような共感し合いましょうはいらない。ユートピアという言葉にもマンネリ感さえ感じてしまう。


実相の世界(物自体)

2023年07月22日 | 霊的なもの

 

豆乳南瓜スープに市販のカボチャスープの粉末を混ぜてみたら不味くなったので、捨てようと思いながらもカボチャのプリンにしてみると少しはマシになったけど、いまいちだったので、米粉を入れてボテチンクッキーにしてみるとまあ美味しくなったように思う。

 

昨年から参加しているサロン情報では、幽界は今月中でなくなるという。

それは次元が上がるということなのだけど、高次元の魔界がなくなったというわけではないという。

 

幽界はもうすでになくなっているという女もいるが、そいつの情報はまったく信頼していない。神社に神はもういないとも言っていたが、それって変な話ではないのか。

なぜかというと、量子論でいうと、いるけどいないになってしまうからだ。

電子は全体に遍満しているので、神社で祈ったとしても、その空間にはいないが、距離は関係ないので、参拝して祈ると感応することもある。

 

シュレーディンガー曰く

われは東方にあり、西方にあり、地上にあり、天上にあり、われは世界なり

波のように重なり合って遍満しているので、祈るとポコッと出現するのだろうと思う。

 

わたしたちは、世界をありのままではなく、脳内で加工してこの世をみている。

だから、ありのまま(物自体)は、視えていない。

 

 

無意識、潜在意識、顕在意識(エーテル体意識肉体意識

 

日常生活では、主に肉体意識(精神と物質(分けることはできない))を使っている。

 

カントは、肉体意識の物質を物自体といい、そこは視えてはいないけれど、幼い子供たちや犬、猫などの動物たちはモノ自体が視えていることもあるので、精霊や天使が視えているのだろうと思う。

物自体とは、ありのままの世界ということなのだろう。

大人になり、わたしたちが見てる目のまえの世界は心の世界で、子供たちや犬や猫たちが視えている世界の方こそ物質の世界であり実相で物自体であり、本来の世界のありのままである。

これには仰天するだろう。

つまりは、わたしたち大人は、視るということが逆転しているのである。

人間は大人になると物自体から切り離されてしまうのである。

 

そのうち、花とか石とも話ができるようになるのだろうか。

 

エーテル体意識も(気とエーテル物質(分けることはできない))。