この青々とした植物はピアレという。
ミントかと思って買ったらミントじゃないけど、ミントの葉っぱと混ぜてティーにして飲みました。
タケチンが何かを見つけてもて遊んでいたのでよく見ると小さなイモムシだった。
スコティシュは動作がスローモーだったりするけれど、やはりネコなので動いているものを感知する能力はすごい。蝉もカナブンもアブもいつだったかベランダにいたゴキブリをくわえて来たこともあって驚いた。
この間の浜崎洋介氏の動画で、「すさび」の美学の感性では救いにならないと話していた。
「すさび」から「さび」へと移行し、曹洞宗の開祖、道元禅師が登場している。
若い頃、とある人が話していた。
「道元って潔癖症なんだよ〜」と、あれ以来、道元は潔癖症というイメージがついてしまっている。
仏教の宗派はいろいろあれど、禅宗はより厳しいルールがあるというのはなんとなくわかる。若い頃、四天王寺で座禅を一度だけ経験したことがある。なぜかわたくしは座るといつまでも座れるタイプで、成瀬氏の合宿で瞑想をする場面でも最後まで残ってしまったほど座ることができちゃうのである。まあ、前世がサドゥだったことも関係しているのかもしれない。
禅宗は食事の作法も厳しい。
だって、あなた、命をいただくってことですからね。
中今重視ですからね。
所作を意識するのですからね。
https://www.sotozen-net.or.jp/zen/eating/fushukuhanpo
そういう意味でも、世間から見れば禅って「潔癖症」、神経といえなくもないと思ってしまう。
もしかして、日常生活自体が、所作を意識する儀式といえなくもない。
初めての修行者は、まず、門前まえで1時間待たされるようです。
人を1時間も待たすなんて、遅刻だろ。といいたくなります。
修行って、日常生活そのものなんだとも思う。
それも身体性を重視される。
還暦を過ぎて始めた肉体労働を伴うパートなんて、まさしく禅的修行といってもいいと思うことにした。
朝が早い!
桶の水も貴重なんです。
常に今を意識することに徹する。
そうそう、瞑想と違うのは、座禅は目を閉じてはいけない。瞑想をやってる人はわかると思うけど、目を閉じると魔がやってくるからなのだろうか。
夏は白山登山があるんですね。
感謝って、こういう生活の中から芽生えてくるのかもね。
そういえば、小池龍之介という東大出身の僧侶がいます。
出した本はベストセラーになり、解脱に近いようなことを本人も話していたけれど、海外へ放浪の旅に出て、安定した場所から過酷な貧乏旅を経験し、己が全然できていなったことを自覚したと動画で、か細い声で話していた。
宗派は禅宗ではなかったように思う。
身体性が伴わないと放浪の旅などは過酷過ぎて耐えられないのだろうか。
声が大きく出て響くということは大切なことなのだと思う今日この頃。