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日々のこと記してます。

禅の所作について思うこと

2023年08月29日 | 仏教

 

この青々とした植物はピアレという。

ミントかと思って買ったらミントじゃないけど、ミントの葉っぱと混ぜてティーにして飲みました。

 

 

タケチンが何かを見つけてもて遊んでいたのでよく見ると小さなイモムシだった。

スコティシュは動作がスローモーだったりするけれど、やはりネコなので動いているものを感知する能力はすごい。蝉もカナブンもアブもいつだったかベランダにいたゴキブリをくわえて来たこともあって驚いた。

 

 

この間の浜崎洋介氏の動画で、「すさび」の美学の感性では救いにならないと話していた。

すさび」から「さび」へと移行し、曹洞宗の開祖、道元禅師が登場している。

 

若い頃、とある人が話していた。

「道元って潔癖症なんだよ〜」と、あれ以来、道元は潔癖症というイメージがついてしまっている。

仏教の宗派はいろいろあれど、禅宗はより厳しいルールがあるというのはなんとなくわかる。若い頃、四天王寺で座禅を一度だけ経験したことがある。なぜかわたくしは座るといつまでも座れるタイプで、成瀬氏の合宿で瞑想をする場面でも最後まで残ってしまったほど座ることができちゃうのである。まあ、前世がサドゥだったことも関係しているのかもしれない。

禅宗は食事の作法も厳しい。

だって、あなた、命をいただくってことですからね。

中今重視ですからね。

所作を意識するのですからね。

https://www.sotozen-net.or.jp/zen/eating/fushukuhanpo

 

そういう意味でも、世間から見れば禅って「潔癖症」、神経といえなくもないと思ってしまう。

もしかして、日常生活自体が、所作を意識する儀式といえなくもない。

 

初めての修行者は、まず、門前まえで1時間待たされるようです。

人を1時間も待たすなんて、遅刻だろ。といいたくなります。

修行って、日常生活そのものなんだとも思う。

それも身体性を重視される。

還暦を過ぎて始めた肉体労働を伴うパートなんて、まさしく禅的修行といってもいいと思うことにした。

 

朝が早い!

桶の水も貴重なんです。

常に今を意識することに徹する。

そうそう、瞑想と違うのは、座禅は目を閉じてはいけない。瞑想をやってる人はわかると思うけど、目を閉じると魔がやってくるからなのだろうか。

 

夏は白山登山があるんですね。

感謝って、こういう生活の中から芽生えてくるのかもね。

 

そういえば、小池龍之介という東大出身の僧侶がいます。

出した本はベストセラーになり、解脱に近いようなことを本人も話していたけれど、海外へ放浪の旅に出て、安定した場所から過酷な貧乏旅を経験し、己が全然できていなったことを自覚したと動画で、か細い声で話していた。

宗派は禅宗ではなかったように思う。

身体性が伴わないと放浪の旅などは過酷過ぎて耐えられないのだろうか。

声が大きく出て響くということは大切なことなのだと思う今日この頃。


自我を溶かして境界線をなくす件について

2023年06月07日 | 仏教

三木大雲住職の不思議なおはなしです。

 

宝くじ1億5千万当選!?神仏に愛されて金運アップした話|三木大雲

 

大黒さまとの夢うつつの中の出会いと、夢の中の会話が安楽にテキトーなのがいい。

 

七福神といえば、パート探しをしていたとき、警備員関係の面接があった地区に今宮戎神があったので初参拝したことがあった。

参拝後、受けるとこ受けるとこ受かる。

ポンポンと五つ受かって、念願のDTPオペもひとつ受かってしまって、結局、今のパートにした。

それまでは簡単な軽作業にまで落ちていたので、これは恵比寿様の威力なのかと今更ながら思う。座敷童子も家に来るといいことが続くという話を聞いたことがある。

 

ところで、今週、とある方のワークショップに出ることになっている。

 

動画で、その人がアワヤスカとエルエスディに関する話をしていた。

アステカ文明ではキノコ(マジックマッシュルーム)を神の身体と呼んでシャーマンたちが使っていたという。アメリカでは植物系の幻覚剤はうつ病の治療薬に役立つのではないのかと研究されているそうだ。

ジメチルトリプタミン(DMT)は、自然界にたくさん存在している。果物だと柑橘類。

だけど人間の身体はそれを分解できるので、DMTを阻害する酵素を一緒に摂取することでアワヤスカというのができる。

 

DMTというのは実は、わたしたちの脳の中にある松果体からも生成されている。

出た。松果体。松の実のような小さな小さな形をした松果体のことはよく精神世界系の人が口にする。

 

脳にはデフォルト・モード・ネットワークという無意識に脳が行う自我の活動があるという。脳の指揮者のようなものだけども、このネットワークが悩むということもしてしまう。

幻覚剤はその自我を溶かす。

自我は自分は自分だという軸を持つ。その自我をアワヤスカは自我を溶かして境界線をなくすのだ。

 

ああ、そういえば月1の集まりの講師は「僕は悩みはありません。」などと話していたことがあった。あれは自我が溶けると境界がなくなっちゃうからなのだろうか。境界線が無くなると原初体験ともいうべき子供の頃のまだ柔らかい自我感覚に脳がなってしまうからなのだろうか。

そうなると脳のネットワークはどうなるのか。

わしが思うに一瞥体験などは、悩み過ぎて絶望したときにふと訪れると聞いた。それは自我の崩壊なのだと思う。ゾーンなどもそうだ。マラソンなどは辛苦の後に訪れる。

ヨガの達人などは瞑想、呼吸法などでジメチルトリプタミン(DMT)を作り出すことができる。

 

吉福伸逸氏の著書「世界の中にありながら世界に属さない」というのは、超えるのではなく境界線にいることだと記していた。

人はとかく自由でありたがるけれど、この世でそうなることは極端になると超えてしまって、精神に異常をきたしてしまうこともあるので危険が伴うのではないのか。超えなければ境界線に立って、どちらにも属しているようで属さないこともできちゃうのではないのだろうか。何かを創り出しているアートな人たちは日常でそれを使えているのだろう。まあ、こっち側の技術も存分に必須だとは思うけど、それだけでは職人で終わってしまいそうだ。

 

だが、今朝、起きて思った。

結局は、変性意識で生きろということなのだろうか。まあ、変性意識だと境界線を超えてるんで他界しているともいえると思う。

なんでもありーのどーでもいい感覚も芽生えてくるのだろう。

だけど、その感覚はこの世ではまじ使えないことの方が多いように思う。いい加減も度を超えると、わたくしなどはただの悟りのポーズにさえ思えてくる。

それではこの世で何の役にも立たない産物となってしまいそうだ。まあ、人生暇つぶしという人もいるくらいだから、たかが変性意識を一瞥体験や薬などで体験すると労働することさえアホらしくなってしまうのかもしれない。だが、何かを創り出し表現せずにいられないという人たちもいる。そういう人たちの行動はとてもわかりやすくて感動さえ覚える。

それに、一瞥体験やキノコやハーブ類で変性意識になって出会った存在などは何の役にも立たない。人間の自我をかえって強化して上から目線の悟ったような意識にさえしてしまうようにも思う。

あ、そうか。

変性意識状態だと自我は崩壊してるから、常にイワシの群れのような、人間だと長いものにはまかれろ状態だし善悪の区別もなくなるから、平気で三次元的な善悪判断も不可能になるのだろう。

だけどだ、この世の概念でそれを生きるにはまじ、成熟度が必要だ。

簡単にわかったように悪人正気などという人の気が知れない。

なぜなら肉体を持っての体験がないんだけど、この世では言葉というのがあるで語るだけなんだけど、同じことを語っても経験が伴わないから相手の心に響かない。響かないから影響力も生まれない。だけど、変性意識のような体験だけは一応しているのだ。


「一期は夢よ」

2022年09月23日 | 仏教

 

涼しい。

小型の毛布を出すと、タケチンがふみふみにやって来る。

 

ああ、こんなことをいうのはなんだけど、働きたくないという思いもあって、こんなことをいうのもなんだけれど、あ、今日は働きたいなあ〜と思えるときに働けるというという働き先はないのだろうかと思う。

夕食のカレーを作りながら、このカレーを作り終えたらちょっと三時間くらい仕事をしよう。などと思うのはフリーになるとできそうだけれど、それでも納期はあるので調整しなければいけない。

 

昨日は、「モチベーションが下がるときはどういうときですか」「仕事をするとき、重要視していることはなんですか」「ここで働いてどういうことにチャレンジして成長したいですか」というような主旨を聞かれたけれども、週三日、一日五時間ほどのパート仕事にそいういうことを聞かれても気持ちがしぼむ。

 

先月までやってたパートを例に出して答えてみた。

「料理人が毎日、毎日、遅刻して来ること、時給がきちんと支払われないときです」

「仕事は社会人として社会に関わっているという意識を持つことは、わたしには必要です」

「チャレンジですか、ここの店のお酒の種類などを覚えることとか・・・(酒屋の中に制作室がある会社)」と自分で言いながら笑ってしまう。

 

面接した人の反応

時給が支払われないことでモチベーションが下がるのはあたりまえよ〜アハハハハ(笑)。

ふーん。という感じ。

はあ?という感じ。

 

 

あれは誰だったか、「一期は夢よ」と言った僧侶がいた。

ネットで調べる。閑吟集だった・・・けれど、一休禅師がいいそうな言葉だと思う。

 

現代では、「一期(この世)は夢」というのは、仮想現実とかいうのだろうか。

一期はひとくぎりなので、この世は短い夢のようなものだというのだろうと思う。

 

目覚めたあの世は夢ではないということなのだろうか。

浦島太郎は竜宮城で楽しい時間を過ごしたけれど、亀に乗って帰ってきたら何百年も経っていたというのは嘘で、竜宮城をあの世にしてみると長い時間が経っていて、この世に帰ってきたら数秒しか経ってなかったのだと思う。だから、歳はとらないと思う。

 

「一期は夢よ」の時代には、夜は真っ暗闇になったんだろうか。月明かりだけがこの世を照らす。真っ暗闇の方が視えてくるものが容易かったようにも思う。

 


八月で終わる。

2022年08月20日 | 仏教

 

水路に亀が三匹、澱んだ水路ですが、亀、鯉、よく青鷺が飛んで来る。たまに鴨がいる。

 

八月も半ばを過ぎ、あと三、四回シフトに出ればパートを終えることができる。

毎度、毎度、大した失敗もなくホームの食事を提供させてもらっているのは奇跡なのかもしれない。お味噌汁やご飯をこぼしたこともあるけれど、トレーごと落としたことはなかったのは奇跡だと思う。だけどいつも心のどこかにこぼすのではないのかという気持ちはあった。

 

朝のヨーグルト、漬物、フルーツの仕込みも小さな容器に入れ冷蔵庫にしまうときが要注意!

こぼさないようにと自然に口からついて出る言葉は「南無大師遍照金剛」か「アメノミナカヌシノカミ」でありました。クライマックス的な緊張場面はよくあった。

 

毎回、ヘルパーさん用に検食といって、ほんの少しだけ食事を盛らなければならない。その少しを盛っているときに仏様の朝のごはんを思い出す。

人間は神というよりも仏(菩薩)という思いがありますし、祖母や叔母が元気な頃は毎朝、本堂の仏様(空海とか如来系、不動明王、お位牌(故人様の霊魂が宿る依代(よりしろ)とされる重要な仏具)などに、ご飯をお供えしていたことを思い出す。

 

空海の「生身供」という儀式。

 

高野山 奥の院で1200年続く儀式『生身供』Syojingu しょうじんぐ【4K60fps】


シャーマンと魔女

2022年04月26日 | 仏教

 

すだれ屋で見つけたポップなキッチンマット250円、もっと高いのよとお店の人は話していたけれど、どう見ても250円。

 

 

二連休なので、ひさしぶりにHOOPの星乃珈琲店でラザニアのセット、帰りはバス予定だったが時間帯が合わなくて歩いて帰る。

ひさしぶりに30分歩く。

 

 

薄ピンクの椿、ツバキは艶のある花です。

 

昨日の動画は仏教の宇宙観だと思われますので、ヘレナ・P・ブラヴァツキー自体が魔女っぽいし、だけども霊的には進化しているというのがまたこわい。

ところで、ネット検索をしているとロシア側はシャーマンを召集させて自然の神々に守ってもらうようにしている。対してウクライナは魔女たちを使って裏では秘教の儀式が行われているという情報を目にしました。

危機的状況で霊的霊力が使用されるというのはよく聞く話ではあります。日本でも、東京に爆弾を落とそうとしていた戦闘機を昭和天皇と密教僧が祝詞(のりと)のパワーで異次元にテレポーテーションさせ日本を守ったというお話を保江先生の講座で聞いたことがあります。

 

つくづくシャーマン、魔女的霊力はこの世に影響力を及ぼすことができるのかなと思ったりしました。自称シャーマン、自称魔女を自負する女性もいてますし、自分でよーいうなあと思いますけどね。

裏表のない世界ってないのでしょうか。表裏一体なのでしょうか。