角田光代著『対岸の彼女』を読む。
最近十余年ぶりに市の図書館を利用するようになったのだが、以前と違い貸出の予約が簡単に(携帯から)できるようになったのでこの本を試しに予約してみた。
この本で著者は数年前に直木賞を取ったが、そのときから拙は一度読もうと思っていた。
当時は「勝ち犬」「負け犬」論が喧しく、この本の紹介でもそれが使われていたと思ったが、別に主人公の二人はどちらも勝っているわけではない。二人とも屈託を抱えて生きている。
小夜子の屈託は現在の、葵の屈託は過去のそれで互いに交差しつつ物語は進む。特に葵とナナコの交流は純粋で切ない。
現在では自由人が如く生きている葵の言葉、「ナナコはどこへ行ったの?」
この言葉は切ない。
物語の最後に小夜子は葵に向けたナナコの手紙を見る。そしてイメージする景色。切なくもあるが爽やかでもある。
女同士の友情もいいものですナ、と思わせる本でありました。
最近十余年ぶりに市の図書館を利用するようになったのだが、以前と違い貸出の予約が簡単に(携帯から)できるようになったのでこの本を試しに予約してみた。
この本で著者は数年前に直木賞を取ったが、そのときから拙は一度読もうと思っていた。
当時は「勝ち犬」「負け犬」論が喧しく、この本の紹介でもそれが使われていたと思ったが、別に主人公の二人はどちらも勝っているわけではない。二人とも屈託を抱えて生きている。
小夜子の屈託は現在の、葵の屈託は過去のそれで互いに交差しつつ物語は進む。特に葵とナナコの交流は純粋で切ない。
現在では自由人が如く生きている葵の言葉、「ナナコはどこへ行ったの?」
この言葉は切ない。
物語の最後に小夜子は葵に向けたナナコの手紙を見る。そしてイメージする景色。切なくもあるが爽やかでもある。
女同士の友情もいいものですナ、と思わせる本でありました。