美津島明編集「直言の宴」

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ガルブレイス『日本経済への最後の警告』(徳間書店)について (イザ!ブログ 2012・5・10掲載分)

2013年11月14日 05時21分42秒 | 経済
ガルブレイス。懐かしい名です。この名を懐かしがるのは、1970年代後半に20才前後だった世代特有の現象なのかもしれません。

当時、テレビのCMで盛んにガルブレイスの『不確実性の時代』が宣伝されていました。私はそのころからへそ曲がりだったから買いませんでした(村上春樹の『1Q84』はブック・オフで100円で売り出されるまで絶対に読まないと心に誓っています)が、BBC制作の、ご本人が進行役を務める同名のテレビ番組は、ぼんやりとですが観た記憶があります。内容についてはほとんど覚えていませんが、確かイギリスの、インドにおける植民地経営の光と影について述べられていたような気がします。ずいぶん視野の広い人だという漠然とした印象を持ちました。『不確実性の時代』は、外国の経済学者が書いた本にしては異例と言っていいほどに売れたのではないでしょうか。

『日本経済への最後の警告』という、日本人にとってはとても気になるタイトルのこの本が発刊されたのは2002年7月31日。「聖域なき構造改革」の鳴り物入りで小泉内閣が発足したのが2001年の4月なので、それから約1年余りが経ったころに発刊されたことになります。翻訳を通してですが、彼は大した文筆家であることを再認識しました。こちらを退屈させずに最後まで一気に読ませるワザの持ち主なのです、ガルブレイスは。

小泉内閣の構造改革路線について、いろいろと言及されています。いくつか拾ってみましょう。まず、ガルブレイスは、次のように読み手に問いかけ、また、あらかじめ結論付けます。

いったいあの気高い『武士道』の民、『菊と刀』を愛する日本人は、どうしてこんなにも自信と覇気を喪失してしまったのでしょうか。考えられる理由は一つです。「個人」としては言うまでもなく世界一優秀な国民なのですが、いかんせん「政府」の指導者たちがあまりにもミクロ的な視野でしかものを見ておらず、マクロ的な長期にわたる将来展望や、「百万人といえども吾行かん!」という確固たる信念や理想を欠いているからです。

突然『武士道』が出てきていますが、これは新渡戸稲造の、英語で書かれた有名な本を指しています。これを読んでフランクリン・ルーズベルトが非常に心を動かされたと、ガルブレイスは書いています。『菊と刀』はもちろん、アメリカ人のルース・ベネジクトによる、これまた有名な日本人論です。「世界一優秀な国民」なんてちょっとこそばゆい感じもしますけれど、多少のリップ・サーヴィスを交えながらもガルブレイスは真剣そのものです。

彼は焼け野原の日本に、故ルーズベルトに心酔するニュー・ディーラーの一員としてやって来て、GHQの下で働きました。そうして、その後の日本の復興を温かい目で見守り続けてきた人です。けっこう日本びいきなのですね。彼が日本に対して不遜な意識を持たなかったのは、カナダ生まれという出自に原因の一端があるのかもしれません。

そんなガルブレイスが、日本の1990年からの「失われた十年」を心から憂慮しているのです。何故こんなことになってしまったのか、と。それは、一言でいえば、政府の長らくの経済政策の誤りとその定見のなさが原因であるとガルブレイスは断じています。小泉もその轍をどうやら踏みそうである、というガルブレイスの危惧の念がこちらにひしひしと伝わってきます。

最も重大な問題は、このレーガン政権時代の極端なまでの自由放任経済を真に受けたことによって、日本の為政者たちは、今日にいたるまでの大きな禍根を残すこととなった「バブル経済」と、その必然的な結末としての「大崩壊→大不況」を招き寄せてしまったのだ、という歴史的事実です。

上記の「レーガン政権時代の極端なまでの自由放任経済」を理論的に支えたのが、サプライ・サイドの経済学、いわゆるレーガノミクスです。小泉の「構造改革なくして経済成長なし」という信念を理論的に支えたのも、このサプライ・サイドの経済学です。では、それはどういう経済理論なのか、ガルブレイスの言葉に耳を傾けましょう。

一九八一年一月二〇日に発足したレーガン政権の「レーガノミクス」(Reaganomics)と総称される一連の経済政策は、極端に「富の供給側」、すなわち大資本や大企業など金持ち階級の利益を擁護しようとするものでした。一口に「サプライ・サイダー」と総称されるこのSSE(供給側重視の経済学ー引用者注)支持者たちの中にも様々な学派や主張が混在していました(マネタリズム・合理的期待形成論・公共選択論・自由競争主義などの諸潮流があるー引用者注)が、その主旨を最も簡単に言えば、「ケインズ革命のため、アメリカの『政府』機構は不必要に膨張してしまった。この肥大化した『大きな政府』(ビッグ・ガバメント)を、累進税率の廃止や高福祉政策の見直しなどを通じて『小さな政府』(スモール・ガバメント)に引き戻し、富の生産・供給側が本当にやる気(incentive)を起こすような経済体制に変えていかなければならない」というもので、極端なまでに「個人」や「企業」のインセンティブを重視し、「政府」の果たすべき役割を軽減しようとしたのでした。

さらに続けましょう。

そしてこのような政策は、同じような「大きな政府」のマイナス面(政府支出の増大や国有企業の肥大化、官僚機構の無駄遣いなど)に悩まされ続けてきた日本の指導者層にも積極的に受け入れられ、いわゆる「民営化」論や「社会福祉制度の抜本的見直し」論などという形で、1980年代の世界を大きく揺り動かしたのです。

もちろん、その渦中に日本もいましたし、その延長線上に、橋本行財政改革(1996年1月~98年7月)や小泉構造改革(2001年4月~06年9月)があったことは、今日においてはもはや論を俟たないでしょう。ガルブレイスは、日本の読者にこう問いかけます。

日本の指導者たちは、あまりに頑迷にレーガノミクス時代の負の遺産にすぎない「サプライ・サイド・エコノミクス」(SSE)的な思考様式にとらわれ、こだわりすぎて、「政府は何もしないのが一番良いのだ」というフーヴァー的な「理想論」にすがりつきすぎてはいないでしようか?

これは、そっくりそのまま現在の日本政府・日銀にも当てはまる批判です。だから、日本は「失われた10年」をそのまま引きずって「失われた20年」になだれ込み、デフレ不況下における被災地の復旧・復興を増税でまかなおうとする愚策を展開することで、新たに「失われた30年」に突入しようとしているのです。ちなみに、何故SSE的思考様式が負の遺産に過ぎないのかといえば、ガルブレイスによると、それは、財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」をもたらしただけで、経済を好転することがほとんどできなかったからです。また、「フーヴァー的」という言葉使いのなかのフーヴァーとは、1929年のウォール街における株価大暴落に端を発する世界大恐慌時に無為無策だった当時のアメリカ大統領の名です。彼は、自由放任主義の信奉者だったのです。

この段階に立ち至ってもなお、日本の政策担当者たちは、「消費税の引き上げ」を初めとする広く薄い税収増や、「健康保険の自己負担分の増額」などの社会保障制度への切り込みなど、結局は「社会的弱者」層の″痛み″感が増すようなことばかりに力を入れている。かつてフランクリン・ルーズヴェルトが何よりも先に手をつけたような具体的な政策、すなわち「新しい仕事を創成する」ことや「庶民が住む所を奪われないようにする」ことなど、眼前に広がる急務にほとんど手をつけようとしない。

これは、現野田政権の批判なのではありません。約10年前の小泉政権に対する批判なのです。それからの10年間、政権交代があっても、政策の基調に変化がないことがお分かりいただけると思います。その政策の基調を一言でいえば、需要サイドを重視するケインズ政策の全面的な否定と言えるでしょう。次のグラフをご覧ください。


*三橋貴明「新世紀のビッグブラザーたちへ」より 出典:内閣府「国民経済計算」

これは、1980年から2007年までの公共投資(正確には「公的固定資本形成」)と公共投資対GDP比率の推移をグラフにしたものです。1996年をピークに公共投資の総額も対GDP比も劇的といっていいほどに顕著に減少し続けているのが分かります。この傾向は、それ以降も続いています。「コンクリートから人へ」をスローガンにして政権交代を果たした民主党が公共投資を削減し続けるのは当然ですね。

ケインズ政策は、デフレ・ギャップが生じたときの政府の役割を重視します。ルーズベルト大統領のニューディール政策に典型的に見られるように、大規模な公共事業を実施し、有効需要を創出して政府が積極的にデフレ・ギャップを埋めることを、それは強力に推し進めようとします。

ごのブログで何度も申し上げてきたように、橋本デフレは1997年から始まりました。ここから、日本経済は本格的なデフレ不況の泥沼に呑み込まれていきます。それ以降の公共投資の総額と対GDP比とのはっきりとした減少傾向の継続に、ケインズ政策に対する、政府による全面的な拒否の意思の介在を読み取るのは容易なことです。

ちなみに、1989年まで、棒グラフと折れ線グラフが乖離しているのは、この時期が、公共投資を増やさなくてもGDPがどんどん増えていくバブル経済期に当たるからです。また、1990年から1996年まで公共投資が増え続けているのにもかかわらず、GDPが増えていないことをもって、新自由主義陣営が、鬼の首を取ったような意気込みで「ほら、だからケインズ政策はもはや時代遅れと言っただろ」と言い募る場面をテレビで目にしたことが何度かあります。忘れてはいけません、この時期は、バブル経済が崩壊した直後です。だから、もしもこの財政出動の増加がなかったならば、日本経済は恐慌に突入していった可能性が高いとガルブレイス自身が本書で言っています。ケインズ政策がその時期、事実として、日本経済を破滅から救ったことを、新自由主義者たちは銘記するべきです。

2002年の段階で、ガルブレイスは日本のその後の10年間の成り行きをどうやら見越していたようです。ここで、私たちは彼の卓見を誉め称える前に、ハタと気づくべきでしょう。「失われた20年を失われた30年にしないためには、新自由主義的なサプライ・サイド重視の経済政策からケインズ政策的なデマンド・サイド重視の経済政策への大きな政策転換をしなければならないのではないか」ということに。

この本全体で、生粋のケインジアンであり生粋のニューディーラーでもあるガルブレイスはそう主張しています。

私も、このブログでちがった言い方でそのことをずっと主張してきました。(ガルブレイスは、中央銀行の金融政策の重要性について、本書ではあまり言及していません)

ただし、さすがはガルブレイス、単なる土建国家の復権をブチ上げているのではありません。生活必需品が行き届き豊かになったいまの日本で「金を借りてきてでも、政府はじゃんじゃん公共投資に精を出し、有効需要の拡大に専念すべきである」などという原理・原則論だけを振りかざして「景気回復」を迫ってみても、なかなか国全体にエンジンがかからないのは無理からぬことであると言っています。その上で、

ケインズが強調した「公共投資」も、やみくもに列島改造論の時のように土木工事や巨大建造物だけに注ぎ込もうとするのではなく、「社会保障」や「教育」、「国際平和」など、選択的に的を絞って集中的に投資しなければ、ほとんど効果があがらないし、また国民の同意も得られないと思うのだ。

と公共投資の新しい形を示唆しています。それ以上は、私たち日本人自身が考えることですね。

いまならガルブレイスは、被災地の復旧・復興と列島全体の耐震構造の強化と耐用年数の差し迫ったインフラの更新・補強に全力を挙げるよう強く日本政府に進言するはずです。

しかし、そういうガルブレイスの姿は、もう二度と見ることがかないません。なぜなら、ジョン・ケネス・ガルブレイスは、2006年4月29日にこの世を去ったからです。享年97歳です。

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