美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

パナマ文書、タックスヘイヴン、そうして世界のゆくえ(その1) (小浜逸郎・美津島明)

2016年05月31日 11時07分15秒 | 経済
ちょっと前にさかのぼります。小浜逸郎氏が、一カ月ほど前ご自身のFBに、パナマ文書に関する新 恭氏の「日本政府がタックスヘイブン対策に消極的な理由」という論考http://www.mag2.com/p/news/181248?utm_medium=email&utm_source=mag_news_9999&utm_campaign=mag_news_0425 をめぐって、次のようなコメントを投稿しました。

タックスヘイヴンについての新恭(あらた・きょう)氏の以下の記事は、実態をよくとらえており、消費増税などによる国民へのしわ寄せを批判している点で、基本的に共感できるものですが、次の引用部分に関しては、抽象的で納得がいきません。タックスヘイヴンにため込まれている資金は単なる内部留保であり、何ら生産活動に寄与していないのですから、これに対して一国の政府が自国企業の所得や資産として課税を強化することが、どうして「世界経済戦争にのぞむ自国の企業の不利」に結びつくのかよく理解できないのです。どなたか経済に明るい方、この人の指摘が正しいかどうか、教えていただけないでしょうか。
【以下、引用】
「節税でも脱税でもなく、いわばグレーゾーンにある租税回避は、いまやグローバル資本主義になくてはならないものとして組み込まれている。それだけに、各国政府としても、税収奪還を厳しくやれば世界経済戦争にのぞむ自国の企業に不利というジレンマに悩んでいるのが実情だろう。」


それに対して私は、次のような意見をコメント欄に投稿し、それから、氏との間でパナマ文書やタックスヘイヴンをめぐるやり取りが続きました。まだこれから続きそうな様相を呈していますが、とりあえず、これまでの経緯をご報告いたします。

●美津島→小浜
別に、経済にそれほど明るいわけではないのですが、小浜さんの疑問に関して自分なりに分かっていることを申し上げます。まず、「内部留保」の解釈について。これは、会計学上のいわば俗称のようなもので、貸借対照表(いわゆるバランスシート)の借方の「資産」から貸方の「負債」を差し引いた「資本」から税金・出資者への配当金・役員賞与など外部に支払われる金額を控除した残高を「内部留保」と言っています。単なる計算上の数値ですから、とても抽象的な概念なのです。別に企業の金庫にそれだけの金額が貯め込まれている、というわけではないのです。それゆえ「内部留保」が、具体的に資産としてどう運用されているかは、特定のしようがないわけです。つまり、現金預金として貯め込まれているのか、有価証券に化けているのか、設備投資に回ったのか、あるいは、タックスヘイヴンでぬくぬくと太っているのか、特定のしようがないわけです。だから、小浜さんがおっしゃるように「何ら生産活動に寄与していない」とは言い切れないというか、もともとそういう言い方となじむ概念ではない、と言えるでしょう。長くなりそうなので、まずここまでよろしいでしょうか。腑に落ちない点があれば、なんでもおっしゃってください。

●小浜→美津島
ご回答ありがとうございます。なるほど、「内部留保」が設備投資などのかたちで生産活動に寄与している可能性があることは理解できました。もしその部分が大きいことが確証されるなら、グローバル競争に直接関与していることも考えられるわけですね。しかし、依然として、一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化することが、そのまま自国企業の海外での敗北に結びつくという論理がすっきりと理解できません。国際競争に勝つために大切なのは、あくまで世界の需要に応えるべく、良い品やサービスを安く提供するための生産活動そのものだからです。一国だけ突出して課税強化に手を付けると企業の資本が逃げてしまうと「何となく」「みんなが」思っているために、思い込みが常識となって力をふるっているのではないでしょうか。考え方によっては、他国(この場合はタックスヘイヴン)の法人税と自国のそれとに差がないならば、企業は海外展開にそれほどうまみを感じなくなって、国内需要のために生産拠点を自国に移そうとするというシナリオも想定できるように思うのですが、ちがうでしょうか。もっとも、タックスヘイヴンに合わせて自国の法人税を無条件に下げるというのでは、かえって法人税低下競争が起こり、よけい税収を確保できなくなるわけですが。重ねてご教示いただければ幸いです。

●美津島→小浜
ご返事、ありがとうございます。「依然として、一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化することが、そのまま自国企業の海外での敗北に結びつくという論理がすっきりと理解できません」。小浜さんのこの疑問を意識しつつも、しばし遠回りをすることをご容赦ください。というのは、ここには現代資本主義の行く末を考える上でとても大きな問題が潜んでいるような気がするからです。端的な物言いをして溜飲を下げてみてもしょうがないと思うのですね。さて、内部留保の抽象的な性格については、ご理解いただけたものとして、次に、グローバル企業の内部留保が拡大傾向にあることについて、どう理解すべきかを考えてみたいのです。内部留保の拡大とは、マルクス経済学の用語を使えば、「資本の自己増殖運動」そのものです。マルクス(あるいは、宇野経済学の目を通してみたマルクス)は、資本主義の本質は、労働力の商品化によって剰余価値を獲得する「資本の自己増殖運動」であると述べています。その指摘が正しいとするならば(私は正しいと思っています)、内部留保の拡大は、資本主義の本質がむき出しになったものであると言っていいでしょう。分かりやすく擬人法を使えば、内部留保の拡大は、資本主義の本能の表れである。で、そのような資本主義の本能の露出を許したものは、1980年代からの、デフレの招来を不可避的に伴う規制緩和という名のグローバリズムである。と、ここで生徒が来てしまいました。とりあえずここまでで投稿してしまいます。なにかあれば遠慮なくおしゃってください。

(ここで、一日、間が空きます)

続きです。前回申し上げたことをまとめると、規制緩和という名のグローバリズムは、宇野経済学の用語を借りれば、「資本主義の純粋化」をもたらす。すなわち、資本の自己増殖運動という資本主義の本質を鮮明化する。言い換えれば、資本主義の本能を解き放つ。以上です。ここで、タックスヘイヴンにご登場ねがいましょう。グローバル企業は、タックスヘイヴンの守秘法域という性格と避税機能とを活用することによって、資本の自己増殖過程への国家権力の介入を能う限り遠ざけることができます。そうすることで、グローバル企業は、グローバリズムの「意思」を体現することになる。で、グローバル企業間の競争の本質を、「資本の自己増殖の度合いの競い合い」ととらえるならば、「一国の政府がタックスヘイヴンにプールされる資金への課税を強化すること」は、明らかに、国家権力による資本の増殖過程への介入を意味し、資本の自己増殖の度合いの競い合いというゲームに興じているグローバル企業の足をひっぱることになるのは間違いない、ということになります。一国が、グローバリズムを国是としているかぎり、そういう事態は避けるべきもの、危惧すべきものである。そのような「グローバル国家」が、法人への課税強化を「自国企業の海外での敗北に結びつく」と認識したとして何の不思議もありません。で、国家権力を担う政党は、グローバル企業がタックスヘイヴンを活用して資本の自己増殖ゲームに興じるのを認めるかわりに、巨額の政治献金を受け取ることに甘んじる、というスタンスに落ち着くことになりましょう(日本を含む欧米諸国の有力政党は、左右を問わず、そうなっているようです)。勢い、法人が払わなくなった税金は、消費増税という形で、一般国民からせしめる。本当のことを言ってしまうと国民が暴れだすので、あの手この手でだまくらかして、消費増税をしぶしぶ認めさせる。おおむね、そういうことになっているのではないでしょうか。そうして、行きつく先には、ハイテックなスーパー人頭税国家が待っている。それが、グローバル企業バンザイの新自由主義者が夢に描いている国家の未来像のようです。その場合、国家権力は、グローバル企業のために、一般国民に重税を課す大番頭のようなものに成り下がることになります。マルクス経済学において、労働者は、産業資本と契約を結ぶことで自分の労働力を搾取の対象とされることを余儀なくされます。でも、一応「契約」が介在しているわけです。しかし人頭税国家において、一般国民は「契約」の手続き抜きに、国家権力という大番頭を介して、グローバル企業から税金を搾取されることになるのですね。21世紀の純粋化された資本主義が、19世紀の産業資本主義の退廃形態という一面を有するゆえんです。

●小浜→美津島
恐ろしいシナリオをまことに「生き生きと」描き出していただきました。「資本主義の本能」にそのまま添うかぎり、国民国家としての防壁(民主主義もその重要な要素)は次々に崩され、国家はグローバリズムの奴隷と化していくわけですね。これは、柴山桂太氏が『静かなる大恐慌』(集英社新書)の中で紹介していた、ダニ・ロドリック教授のいう「国家主権、グローバリズム、民主政治」のトリレンマのうち、前二者が最後のものを駆逐してしまう状況を意味しています。タックスヘイヴンについては興味本位の陰謀論が飛び交っているようですが、ことの本質は、国家権力がグローバリズムに全面的に加担し、格差を極大化して中間層、一般庶民を奈落に突き落としてゆく、その過程にどのようにブレーキをかけるかという問題です。これは近著『デタラメが世界を動かしている』(PHP研究所)でも触れたのですが、世界の富裕層80人の資産が世界人口の半分、36億人のそれに匹敵するそうです。さてどうするか。マルクスの剰余労働価値説は私も正しいと思いますし、彼の分析した資本主義の末期症状が今まさに当てはまる状態になってきたと考えられます。しかし彼は私有財産の否定と暴力革命の肯定とを二つの大きな思想理念としていましたから、現在これをそのまま受け入れるわけにはいきません。彼は生まれてくるのが早すぎた思想家だったと言えるでしょう。資本主義と法治主義を守りながら不当な格差の問題をどのように解決するか。私たちの時代の難問はここにあります。トマ・ピケティ氏が提案した富裕層への累進課税率の引き上げも、彼自身が実現困難と認めています。多極化した現在の世界で「せ~の!」でやるわけにはいかないからですね。グローバリズムに対抗するには、まさにグローバリゼーションそのものへの規制ルール、特に資本移動の過度の自由を規制するルールを、問題意識を共有する有力国家群が一致協力して決める以外にはないと思います。ところで、4月30日放送の「チャンネル桜」で、高橋洋一氏が大蔵官僚としてのかつての経験を踏まえて、合法的である租税回避を摘発することはたいへん難しく、訴訟になるとかえって国が負けてしまい、何千億も取られてしまうと語っているのが印象的でした。節税と脱税の間に線を引くのは困難で、しかも大企業や顧問弁護士は自分を守るために何百億もかけて必死で抵抗するからだというのです。これはおそらく正しいでしょうね。感想も含め、お返事いただければ幸い。http://www.nicovideo.jp/watch/1461917084
1/3【討論!】パナマ文書と世界経済の行方[桜H28/4/30]
◆パナマ文書と世界経済の行方パネリスト: 有本香(ジャーナリスト) 川上高司(拓殖大学海外事情...

●美津島→小浜
上記の討論会を拝見しました。元大蔵官僚の高橋氏の話は、おっしゃるとおり、現場感覚にあふれていて大変参考になりますね。タックスヘイヴンを利用した、大企業や富裕層の避税に関して、金融機関や会計事務所や弁護士が知恵を絞っているので、いくら疑わしくても、裁判で勝訴して税金をぶんどるのは極めてむずかしいというお話など、なかなか説得力がありますね。しかし、討論の全体的な印象としては、パナマ文書をめぐってのアメリカの陰謀説、アメリカによる中共政府叩き、などに話が偏っていて、パースペクティヴがやや狭いという感じがしました。そこで、と言っては何ですが、『アングラマネー』や『世界経済の支配機構が崩壊する』などの著者・藤井厳喜氏の、タックスヘイブンをめぐってのロング・インタビューがあり、それがタックス・ヘイヴン問題をめぐっての見通しの良いパースペクティヴを与えてくれるよう気がしますので、その写しを小浜さんにお送りし、情報の共有を図ったうえで、改めてお話しを続けるというのでいかがでしょうか。

(以上の手続きを経たうえで)

話しを続けましょう。藤井氏によれば、タックスヘイヴンは、米ソ冷戦のはざまで生まれました。石油・天然ガス・金・材木などの一次産品を売った代金としてのドルを(国家間の貿易は通常ドル建てで行われます)、当時のソ連は、アメリカに預けていました。しかし、冷戦が先鋭化するにしたがって、ソ連は、それをアメリカから凍結される危惧を抱くようになりました。それで、そのお金をロンドンのシティに持っていきました。それが当時は、正体不明のユーロ・ダラーと呼ばれました(昔、新聞記事に登場するユーロ・ダラーなるものがよく分からなくて苦慮したのを覚えています)。シティは、もともと歴史的に治外法権の地で、女王陛下でさえも当地区に入る場合、シティの市長の許可を得なければならないほどです。その特権をフル活用して、シティは、ユーロ・ダラーをイギリス国内法の規制を逃れるものにしてしまいました。イングランド銀行もそれを黙認するほかはありませんでした。で、シティは、イギリス王室属領(ジャージー島など)・英国海外領(ケイマン諸島など)・旧英国植民地(香港など)を取り込んで複雑化な蜘蛛の巣状のタックスヘイヴン・ネットワークを構築しました。アメリカは、それを後追いした形なのです。つまり、イギリスは、タックスヘイヴン先進国であり、タックスヘイヴン立国であるといえるでしょう(これは大きなポイントです)。タックスヘイヴン問題の転機が訪れたのは、2001年の9.11事件です。アメリカは、当事件をきっかけにテロ対策に本腰を入れ始めたのです。テロを撲滅するには、その資金源を断たねばなりません。そこでアメリカ政府は、アルカイダなどのテロ組織の資金源としてのアングラマネーを追跡し、それをロンダリングするタックスヘイヴンに着目することになります。ところが、タックスヘイヴンには、テロ組織のみならず、名だたるグローバル企業や大富豪の巨額のマネーが行き来していることが判明したのです。それは、1980年代以来の規制緩和の敢行によって、日本を含む欧米のグローバル企業が「資本主義の本能」を解き放たれ、資本の自己増殖過程を貫いた結果である、と言っても過言ではないでしょう。で、アメリカは、タックスヘイヴンそれ自体を規制の対象にし、その縮小を図ることでテロ資金の撲滅を実現しようとしてきたし、している。その延長上にFATCA(ファトカ)があり、さらには、パナマ文書流出問題がある。これが、一番大きな文脈でパナマ問題をとらえた言い方なのではないかと思われます。その場合、まっさきに追い詰められつつあるのは、テロ組織は当然のこととして、タックスヘイブン立国のイギリスなのではないかと思われます。アメリカ主導でタックスヘイヴンの規制が進めば進むほど、イギリスは行き場を失くし、危険な賭けに出る危険が高まる。その現れが、人民元帝国構想の一環としてのAIIBへの参加であり、ウクライナ紛争への資金供与である。藤井氏の論にしたがえば、そんな風にとらえることができるのではないでしょうか。

●小浜→美津島
藤井厳喜氏のインタビュー記事、ありがとうございます。たいへん参考になりました。ここで言われていることは、おおむねそのとおりと思いますが、FATCAに対する期待感が少し楽観的に過ぎるのではないかと感じました。というのは、FATCAは明らかにアメリカ政府が自分の国益のために設立して他国(スイス、ロンドンのシティなど)の合意を半ば無理やり取り付けたもので、これが真の意味の公共精神に根差しているとは思えないからです。FATCAの場合、アメリカ本土以外のタックスヘイヴンに対しては、たしかに守秘法域と租税回避を解除させるために、企業名や金額を教えないとアメリカに投資させないという脅しをかけ(これは一定程度成功したようですね)、また「教えてくれればウチに投資しているお宅の企業情報も知らせてあげるよ」という交換条件で各国政府に協力を呼びかけたわけですが、これが果たして税の公正な徴収や貧富の格差の是正に結びつくのかどうか。というのは、ご存じのとおり、第一に、パナマ文書は、アメリカの政治家やグローバル企業の名前が今のところ発表されていません。第二に、アメリカ国内には、すでにサウスダコタ州、ワイオミング州、デラウェア州などにタックスヘイヴンが存在すると言われています。以上の事実を素直に受け取るなら、アメリカ政府のFATCA実施の目的は、行き過ぎた資本移動の自由やその結果としての極端な貧富の格差に規制をかける所にあるというよりは、むしろ他国に流れている資本を本国に呼び戻す所にあると考えられます。これはたとえて言えば、横に広がっているものを自分中心の縦軸に集めるということです。そうすることによって経済的覇権を取り戻すわけです。もしそうだとすると、美津島さんがいみじくも「グローバリズム国家」と呼んだ(私の知るかぎり、グローバリズムと国家とを対立項としてでなく一つに結合して見せたのは美津島さんが初めてではないかと思います)事態がまさにアメリカという超大国において実現しつつあることになるわけで、政府はグローバリズム資本と癒着して国家はグローバリズムの奴隷(つまり「大番頭」)になり下がるわけですね。そこでは官許アングラマネーもさぞかし跋扈することでしょう。OECDの建前上の努力も、しょせん先進国政府と国際金融資本によっていいように操られるのではないでしょうか。国際金融資本は世界に冷戦や紛争などの不安定要素を作り出すことによって利益を生み出すというのは、今日ほぼ常識となっていますから、彼らが金の力にものを言わせるかぎり、当分世界平和の維持や公正な所得の実現などは夢のまた夢。産業資本主義時代に生きたマルクスの、「生産力と生産関係の矛盾が極限に達して桎梏に変じた時、必然的に矛盾の止揚としての革命に発展する」という予言は、この金融資本主義の時代においてこそ不気味なリアリティを持ってきます。アメリカ大統領予備選でトランプ氏が共和党候補として確定し、サンダース氏が大健闘しているのも、この経済的矛盾を最も体現しているのがアメリカだからと言えそうです。どちらもウォール街に反感を持つ貧困層の圧倒的な支持を受けているからです。今後もし革命が起きるとしたら、まずはアメリカか、はたまた中国か。

●美津島→小浜
興味深い論点をたくさん提示していただきながら、すぐに返事ができなかったことをお詫びいたします。さて、一点目。パナマ文書がアメリカの国益を体現する勢力によって漏えいされたと仮定したうえで、その目的は「他国に流れている資本をアメリカ本国に呼び戻す所にある」のかどうか。小浜さんは、そうではないかとおっしゃっていますね。私としても、格別それに異を唱える理由はありません。というより大いにありえることでしょう。なぜか。その理由の核心は、国際関係ジャーナリスト・北野幸伯氏が言うように「いまのアメリカの最大の課題は、いかにして低下しつつある覇権国の地位を維持するかである」ということに深く関わります。覇権を維持するうえでの最大のポイントは、なんでしょうか。世界最強の軍事力を維持することはもちろんでしょうが、そのためにも、ドルは基軸通貨(国際通貨)であり続けなければなりません。ドルが基軸通貨であるかぎり、アメリカは、いくら双子の赤字で苦しもうとも、いくらでもドルを刷って他国から好きなだけ物品を輸入することができます。つまり最強の経済力を維持することができます。で、逆に、ドルが基軸通貨でなくなれば、双子の赤字は、いまのギリシャのように、アメリカ経済の首根っこを締め付けることになり、GDPは激減を続け、アメリカは覇権国家の地位から陥落することになるでしょう。では、いかにしてドル基軸通貨体制を維持するか。それは、世界の金融資本地図においていまだに大きな(隠然たる)力を保有し続けているイギリスはロンドン・シティの世界大のタックスヘイブン網を潰し、そこに滞留している巨額のドルを自国内のタックスヘイヴンに流入させることによってでしょう。つまり、イギリスから金融立国の地位を奪い、ウォール街を世界金融資本の唯一の中枢にすることによって、ドル基軸体制はとりあえず保たれる。アメリカの権力中枢がそう考え、ウォール街がそれに加担したとしてもなんの不思議もありません。それは、中共に傾斜し経済における事実上の同盟関係を築きつつある英国の国力を衰退させ、英中の絆を分断することで、中共をけん制する、という安全保障面からも理にかなった考え方でしょう。米中新冷戦時代において筋道の通った意思決定であるといえるでしょうね。しかし他方で、5月10日の「ヴォイス」にコメンテーターとして出演した藤井厳喜氏によれば、オバマは、デラウェア州・ワイオミング州・サウスダコタ州などの国内タックスヘイヴンに介入すると言明してもいます。https://www.youtube.com/watch?v=MFieATtz5X4&app=desktop タックスヘイブン情報を他国と共有・交換するFATCAの実施に至る、アメリカのタックスヘイヴンとの長い闘いのきっかけが、2001年9.11事件にあることを思い起こせば、それもむべなるかなと思われます。もしも、覇権国維持のためにアメリカが世界で唯一のタックスヘイヴン国家になってしまうと、アメリカは、イスラム原理主義のテロ勢力にタックスヘイヴンを通じて巨額の軍資金を与える最有力・テロ支援国家になってしまうわけです。それは困る、というわけで、オバマは「国内タックスヘイヴンに介入する」と言明するのでしょう。ここには、明らかに矛盾があります。つまり、アメリカは、衰退する覇権国であるがゆえの大きな矛盾を、タックスヘイヴンをめぐって抱えこんでしまっている。この矛盾をどう昇華するか、という問題は、おそらく、今後の世界史に大きな影響を与えてしまうことでしょう。ここをもう少し引き延ばすと、小浜さんの「今後もし革命が起きるとしたら、まずはアメリカか、はたまた中国か」というもうひとつの論点につながるような気もします。しかし、ひとつの論点をめぐって、字数をたくさん費やしてしまいました。とりあえずここまでで、バトンタッチします。

やりとりは、とりあえず、ここまでで終わっています。
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小保方晴子氏は、常に正直者であり続けてきた (美津島明)

2016年05月23日 17時32分13秒 | 科学


いまさら、という気がしないでもないのですが、みなさんとごいっしょに小保方晴子氏の二〇一四年四月九日の記者会見のハイライトを観直してみたいと思います。その前に、踏まえるべき背景や最低限の基礎知識に触れておきたいと思います。

同会見のポイントはいろいろあるとは思いますが、当時の一般人からすれば、「STAP細胞なるものが本当にあるのかないのか、本人の口からじかに聞きたい」というのが本音でしたから、最大のポイントは「STAP細胞の有無」でしょう。

アメリカのハーバード大学が世界各国で特許を出願していることが判明した現段階において、「STAP細胞の有無」問題に関しては決着がついているというよりほかはありません。世界トップレベルの頭脳集団が、ありもしないものを特許申請するとは到底考えられないからです(ちなみに理研は、二〇一四年六月二六日、STAP細胞の存在をはっきりと否定しています。それが理研の公式見解ですhttp://www.nikkei.com/article/DGXLASGG26H0W_W4A221C1MM0000/ )。

小保方氏は、当記者会見でも、また、今年の一月二八日に上梓した手記『あの日』においても、終始一貫して、STAP細胞は存在すると主張しています。

「私が発見した未知の現象は間違いがないものであったし、若山研で私が担当していた実験部分の『STAP現象』の再現性は確認されていた」(238ページ)
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/28/obokata-note_n_9104078.html

では、氏が主張しつづけてきた「STAP細胞」とは、いったい何なのでしょうか。

哺乳類(ほにゅうるい)の体細胞に外部から刺激を与えるだけで、未分化で多能性を有するSTAP細胞に変化するというもの。これまで発見されたES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)といった多能性細胞と比較して作製法が格段に容易であり、またこれらの細胞にはない胎盤への分化能をも有することで、今後、再生医療等への貢献の可能性が大きいと期待された。
(コトバンク「STAP細胞 とは」より)


マウスの脾臓から取り出した「T細胞」と呼ばれる細胞を弱酸性の溶液に浸した後に培養すると、一週間で多能性を持つ細胞になり、それがSTAP細胞と名付けられたのです。

で、STAP細胞のままでは増殖せず、再生医療へ応用できないため、増殖する能力を持つSTAP「幹」細胞を培養する必要があります。

前者を担当したのが小保方氏であり、後者を受け持ったのが氏の上司であった若山照彦氏でした。小保方氏は、後者の『STAP「幹」細胞』と区別される前者の『STAP細胞』の実在を主張し続けてきたのです。

以上を踏まえたうえで、動画をごらんください。

小保方晴子 「STAP細胞はあります!」 会見まとめ (HD)


どうでしょうか。氏が、世間の攻撃的な好奇の視線の矢を受けとめながら、気力を振り絞って、自分の心からの思いを吐露していることが、いまなら多くの人にも分かるのではないでしょうか。有名な「STAP細胞はあります!」という宣言をした直後、記者の無責任な空っとぼけた質問を受けときにも、再現性の重要性に触れるほどの科学者としてのまっとうな理性をキープしているのは、正直驚きです。研究への情熱だけが、そのときの氏を支えていたのではないでしょうか。当時の世間は、やれ役者だとか、やれ妄想はもうやめろとか、空っとぼけるなだとか、ずいぶんひどい言葉を孤軍奮闘の氏に投げつけていたのです。

FB友達の今井進氏が、長時間の同会見を観終わって私が抱いた感想といまの思いを代弁してくれています。ご紹介します。

私は、小保方さんの会見を見て「あぁ、この人は真っ直ぐな人だ。嘘はつかない人だ」と感じていました。やはり、そうでした。嘘つきか嘘つきでないか?それを見る「目」を備えることなく、マスコミやご立派な肩書の持ち主の言うことに騙される人の多さに驚きます。嫉妬がエネルギー源の每日新聞の須田記者、NHKの捏造番組を制作したクズ、その番組に雁首を並べてごにゃごにゃ話していたロクでもない「大学教授」という肩書のアホ達。こいつらが揃って日本を代表する科学者笹井さんを自殺に追いやってしまいました。特に、決定打となったNHKの番組。重罪です。

「でも、小保方氏は、記者会見後に何度も再現実験を試みて失敗しているのだろう?」という疑問が残りますね。

それについて、理研・バカマスコミ総がかりの「小保方バッシング」の動きに終始一貫抗し続けてきた武田邦彦氏が、次のようなことを音声動画で言っています。すなわち《若山氏は、マウス細胞をスライスする超一級の腕前を持っていて、それが小保方氏に提供される。つまり「STAP細胞」は、ふたりの共同作業の賜物なのだ。ところがなぜか、検証のための再現実験のとき、すでに若山氏は理研を去っていて、同氏の協力が得られないまま、小保方氏は事実上ひとりで検証実験を実施しなければならなかった。その段階ですでに、検証の結果は、失敗が運命づけられていたのだ》というふうに。つまり理研は、その段階ですでに、組織防衛のために小保方氏の科学者としての生命を断つことに決めていたのです。そういう理研のひどさについては、もうすこしきちんと勉強してから発表したいと思っております。日本のために、また日本の科学のために、理研は一度潰してしまわなければならないのではなかろうか、という思いを強めております。
コメント (4)
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STAP騒動の最終勝利者は、アメリカである (美津島明)

2016年05月21日 12時34分11秒 | 科学


昨日私は、あの小保方晴子氏の全面的名誉回復を望むという趣旨の文章をアップした。

しかしSTAP細胞をめぐる事態は、そういう、一個人の名誉の問題を超えた世界規模の展開を示していることが分かってきた。次の記事を見ていただきたい。

「STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も」http://biz-journal.jp/2016/05/post_15184.html

『これまで理化学研究所の公式発表では、「STAP細胞論文はほぼ事実ではなかった」「STAP細胞の実験結果はES細胞の混入したものによる」として、その存在は完全に否定された。

 しかしハーバード大は日本の「STAP細胞は存在しない」という大合唱を他所に、粛々と特許の申請を進めていた。』


これを読んで、私は、空いた口がふさがらなかった。理研がSTAP細胞の存在を否定し、NHKを筆頭とする日本のバカマスコミが、異物排除の百姓根性丸出しで、小保方晴子氏をウソつきよばわりをし、ES細胞を盗んだ泥棒扱いし、言葉による集団リンチに没頭していたとき、アメリカは、着々とSTAP細胞の特許申請の準備をしていたのである。

特許が認定されると、出願後20年間の工業的独占権を認められるという。また、特許の出願は、日本(!)、米国、EPO(欧州特許庁)、カナダ、オーストラリアなど世界各地で行われているというから、認定後、アメリカは、どれだけのマネーを獲得するのか、素人の私には想像もつかない。おそらく天文学的な巨額のマネーを手にするのだろう。

つまり日本は、小さなコップのなかでつまらない不毛なバカ騒ぎをすることで、アメリカさまに大きな儲け口を属国よろしく献上したことになる。底なしの愚かさである。以前、SEALDsやオタク憲法学者を担いで「戦争法案」のトチ狂ったバカ騒ぎを演じることで、侵略国家・中共を喜ばせたように、今度は、STAP細胞をめぐる死人を出すほどのバカ騒ぎで、マネー国家・アメリカを大いに喜ばせたわけである。日本はやはりチンケな百姓国家なのだろう。少なくともその側面が存在することは否みようがない。

繰り返しになるが、理研・早稲田大学・NHKを筆頭とするバカマスコミは、可及的速やかに小保方晴子氏の全面的名誉回復のためにできることをすべてなせ。贅言は無用である。事態は急を要する。そうして、バカマスコミが作り出したおろかな空気に付和雷同した人々は、自分たちのチンケな百姓根性によって、ひとりの天才科学者の命さえも奪いかねなかったことを思い返していただきたい。積極的に氏を擁護できなかった私も、そういう人々と大同小異であることはもちろんである。

そうすることで、自らの愚行によって失った莫大な国益が戻ってくるわけではないが、いまはできることをなすよりほかにすべがないだろう。それさえもできなかったら、日本はほんとうにダメである。
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小保方晴子氏の全面的名誉回復を望む (美津島明)

2016年05月20日 12時19分33秒 | 科学


マスコミは、あえて大きく取り上げようとしませんが、あの小保方晴子氏の全面的名誉回復をすべき時期が到来しています。以下に、その契機となるふたつの出来事に触れた、自分自身のFB投稿を掲げます。

ひとつめ。


STAP現象の確認に成功、独有力大学が…責任逃れした理研と早稲田大学の責任、問われるhttp://biz-journal.jp/2016/05/post_15081.html

あの日、「STAP細胞は、あります!」と、小保方氏は、孤立無援の状況のなかで言い切った。それが、正しかったことを証明する強力な援軍の登場である。ドイツの名門大学、ハイデルベルク大学の研究グループが、スタップ細胞の確認に成功したというのだ。小保方氏の、一日も早い、科学者としての名誉回復が望まれる。具体的には、理研と早稲田大学理工学部は、氏に対して深く陳謝し、氏に対する不当な処置のすべてを撤回しなければならない。大宅健一郎氏の不屈のジャーナリスト魂に、私は感動している。それにしても、若山氏は、ずいぶんと罪深い所業をなしたものだ。

文中の若山氏の「罪深い所業」とはなにか。要するに、小保方氏にとっての当時の直属の上司・リーダーであった若山氏が、STAP細胞をめぐる、ありもしない罪を小保方氏になすりつけようとした(と強く疑われる)ことです。詳細については、次のふたつめの記事と私のコメントをごらんください。


STAP問題、小保方氏犯人説を否定する検察判断…嘘広めたNHKと告発者の責任問われるhttp://biz-journal.jp/2016/05/post_15165.html

神戸地検は、1年あまりの捜査の結果、小保方氏が若山研究所のES細胞を盗んだとする刑事告発を不起訴とし、「窃盗事件の発生自体が疑わしく、犯罪の嫌疑が不十分だ」という異例の強い調子の声明を出した。検察の立場から、小保方犯人説を強い調子で否定した のである。と同時に、告発者である若山教授サイドを厳しく難詰している とも受け取れる。先日私は、ドイツの研究機関が、小保方氏が公表したプロトコルを参考にしてSTAP細胞の存在を確認する実験に成功したことにも当FBで触れた。STAP細胞が存在することと、小保方氏がES細胞を盗んだ事実はないことを、いずれも権威ある機関が明言したのである。理研、早稲田大学、NHKを筆頭とするバカマスコミは、小保方氏の名誉回復のために、なしうることをすべてすべきである。見苦しい言い訳をすべき段階ではもはやない。さっさとやんなさいな。それと、当時の満身創痍状態の小保方氏の渾身の「STAP細胞はあります!」発言をネタにして、面白半分にからかうような軽口をたたいた一般人も、心のどこかで恥じ入る気持ちくらいは持ってもいいのじゃないだろうか。別に自慢するわけではないが、私は一貫して「隠れ小保方派」であり続けてきた。あの記者会見を長時間ずっと見ていて、氏がウソをつくような人だとは、どうしても思えない、という素朴な印象を捨てきれなかったからだ。

上記URLの記事を書いたのは、大宅健一郎氏です。氏は、小保方氏が世間から冷たい目で見られ孤立無援の状態であったとき(実は、いまもそうなのでしょうが)から、一貫して、事実を積み重ねることによって同氏を擁護し続けてきました。不屈のジャーナリスト魂の持ち主である、としか言いようがありません。敬服します。

最後に、私のふたつめのFB投稿にコメントをくださった渡辺純央氏とのやり取りを掲げておきます。氏は、ヴィジュアル業界人ならではのユニークで鋭い指摘をなさっています。

〔渡辺 純央〕 勝負ありましたね。NHKは自己検証番組が必要なレベルです。それと、発表直後から狂ったように叩きまくったネットやメディアの背後には何があったか?
こっちを捜査して欲しいぐらいです。

〔美津島明〕 おっしゃるとおりですね。これは、いろいろな意味で大問題だと思います。なあなあですましたがる日本人にとっては、なるべく小さく扱いたい問題なのでしょうが。

〔渡辺 純央〕 私はこれ、ザハデザインたたきとよく似ている、と感じてます。
生物学方面のことはよくわかりませんが、デザインの事なら多少は分かるので、違和感バリバリでした。日本型ムラ社会。そこに一番大きな問題がある、と。ザハさんはもう亡くなってしまいましたが、小保方さんは生きてるのでまず、本人の救済が先決でしょう。まあ、国内で受け入れるガッツのある研究機関など、無いでしょうが…マックス・プランク研究所とか、いかがでしょ?

〔美津島明〕 なるほど。ザハ・ハディッド氏のことは生前よく知らなかったのですが、BBC放送で追悼番組をやっているのを観て、毀誉褒貶の多い建築デザイン家であることを知りました。私の素人目に、氏のデザインは、規格外の天才の産物と映りました。国立競技場だって、いくらかかろうが関係ないじゃん、といいたくなるくらいに、確実に世界をもっと面白くしてくれる類の天才を感じました。そのときは、ザハの名を特に意識しませんでしたが。思いっきり差別用語を使ってしまいますが、「鈍感な百姓どもが、けちなソロバン勘定をして、しのこの言うんじゃない」という感想が、正直なところでした。「日本型ムラ社会」。そういうことなのでしょう。小保方氏もまた、科学畑における規格外の天才科学者の一員なのでしょう。チンケな百姓どもに囲まれてかわいそうに、と思います。


国立競技場ザハ・デザイン

〔渡辺 純央〕 わが国には色んな所に風通しの悪い、ムラ(既得権益集合体)が存在していて、異物を排除しています。建築の世界にもそれはあり、毎度毎度、醜い争いをしてることは、私のような周辺分野にいると漏れ、聞こえてくるわけです。ザハさんの場合、まず国内ゼネコンとのつながりがない(当たり前)。女性で、非欧米人。審査委員長が建築界の異物にして天才、安藤忠雄、という条件が重なってました。こうなってみると小保方さんの条件も、似たようなところがあったのかな?と。

〔美津島明〕 理研も、ずいぶん風通しの悪いムラ社会のようですからね。笹井氏は、ムラ社会・理研と異形の天才肌の小保方氏とのはざまで、圧力に耐えきれなくなって自殺したのでしょうか。そうしておそらく、若山氏が、生命科学のムラ社会の権化のような存在の少なくともひとりであることは間違いないようで、小保方氏の存在に対して、脅威を感じたのでしょう。で、潰しにかかった、と。バカマスコミもまた絵に描いたようなムラ社会なので、ムラ社会を脅かす小保方氏のような存在を、とにかく叩いておこうという百姓の本能に従った、という面があるのでしょうかね。


テレビ業界は電通ムラ、言論界は知識人ムラ、経済学会は主流派経済学者ムラ、憲法学会は護憲ムラ。知っているだけで、すぐにこれだけ列挙できます。やはり日本はムラ社会のようですね。で、この件に関して、ムラ社会特有の「なあなあ」は許されません。
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由紀草一の、これ基本でしょ? その2(熊本地震に関連して、オスプレイと川内原発)

2016年05月14日 12時09分59秒 | 由紀草一
〔編集者より〕由紀草一氏の、時事問題シリーズ第2弾です。今回のテーマは、熊本地震の救助活動にオスプレイを使用したことと川内原発の稼働停止の是非です。いずれも、錯綜したものを含む難しい論題です。由紀氏の、快刀乱麻ぶりをごらんください。



  熊本大震災の被災者の方々には、僅かばかりの寄付しかできない私から申し上げられることはありません。一日も早く元の生活に戻れますよう、祈るばかりです。
  もっとも、人ごとではなく、どうも日本は地震頻発期に入ったように感じられまして、首都圏で同じようなことが起きたらどうなるか、私も少なくとも今のような呑気な暮らしはしていられないことは確かでしょう。それにしても、本震と余震が入れ替わる(元の本震が前震になったんでしたっけ?)ような連鎖はどのようにして起きたのか、そもそも地震そのもののメカニズムも、ほとんど解明できていないようなので、当分は謎。
  と言えば、つい「科学が進歩したって、人間の力なんて所詮ちっぽけなものさ」と平凡な感慨が湧いてきそうになりますが、またそれは真実であっても、人間は、ちっぽけなできることを営々とやり続けるしかありません。これまでずっとそうしてきたように。
  関連して、個人的に興味を惹かれた話題が二つあります。他の分野でもそうなのですが、特に今回採り上げる領域では、私は全くの素人です。しかし、そういう者は世間には少なくないわけですから、恥も外聞もなく初歩的な疑問と愚考を述べて、皆様の教えをいただければ、それは他の人にとっても有益になるのではないかと思い、この一文を草します。

  第一に、オスプレイ問題。同機はもともと評判が悪かった。何しろかつてはアメリカで「後家製造機(widowmaker)」なる不名誉な称号を冠されていたということで、現在の反米軍基地運動の標的のようになっていた。それが、今回、短い期間ではありますが、震災被害者の救援活動に使われた。これはオスプレイの評判を上げて配備しやすくしようとする、政治目的からではないか、という疑問と批判が、いくつかのメディアや共産党・社民党から出されました。
  具体的にはどういう問題があったのか。朝日・毎日・琉球新報などの論説をまとめて、その後に私見をつけ加えます。
  (1)日米どちらの側から、アメリカによる災害支援を申し出たのか、不明。
  17日から18日(以下の日付はすべて4月のものです)にかけて、安倍首相や中谷元・防衛相は、米側からの申し入れがあったとしたが、あちらのメディアでは、日本の要請によって出動したのだ、とある。琉球新報が米国務省に訊ねると、「外交上のやりとりの詳細を明らかにするのは控えたい」とのみ回答したそうです(『琉球新報』25日)。
  これについては、昨年4月に改訂された「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」には「日本における大規模災害への対処における協力」も謳われており、それに則った処置ですから、どちらが先に申し出たのかは、あまり重要ではないと思います。
 (2)オスプレイの使用は必要だったのか。
  オスプレイは主翼のプロペラの角度を変えることで、従来のプロペラ機とヘリコプターの長所を兼ね備えるようにしたものです。つまり、スピードと航続距離は飛行機並み、それでいて垂直離着陸やホバリング(空中で停止すること)もできる。遠距離で、飛行場がない場所への物資・人員の輸送には絶大な効果が期待できる。これは事実のようです。
  しかし今回は、普天間基地米海兵隊のMV22「オスプレイ」四機が、まず普天間基地から岩国基地に到着し、そこから熊本県南阿蘇村の白水運動公園まで物資を輸送したのです。岩国から公園までは約200キロですから、「遠くまで、早く運べる」というオスプレイの特性を生かす余地はなさそうです。自衛隊には、積載能力ではオスプレイを上回るヘリコプターであるCH47「チヌーク」があることですし。
  それで実績はというと、オスプレイは16日から23日までの6日間で、のべ12回飛行、総量で36トンの物資を運んだそうです。一回当たり平均3トンということですね。同機の最大積載量は9トンなのだから、三分の一しか使わなかったことになる。さらに、自衛隊はチヌークを70機保有していながら、使ったのは18機のみ。
  これらからすると、オスプレイ投入は、災害支援のためには不要であった時と場所で、同機の安全性と有用性をアピールするためになされたのではないか、と例えば共産党の井上哲士議員などは言うのです(『しんぶん赤旗』28日)。どうですかね、これ?
  今のところの私の感想は、以下。
  オスプレイ単独なら、確かになくても済んだのかも知れませんが、これは、チヌークその他と同様、日米双方の、各種輸送機中の一つとして使われたのです。「災害を他の政治目的に利用するとは、けしからん」というのは、わかりますけど、感情論です。糾弾されてしかるべきなのは、「ほとんど役に立たなかった」「むしろ邪魔だった」ときで、そうではなく、救助活動全般の中で、他のヘリコプターと同様の役割を果たしたのが事実ならば、排斥すべき理由は特にありません。
 (3)さかのぼって、オスプレイ反対論者は、「こんなの、高額で、危険なだけで、ものの役には立たない」と言いたいので、またそれでこそ、在日米軍全体の象徴として相応しいので、多少とも「役に立った」という情報は否定したい。この動機は明らかにあります。
  結論から見ると、ついにアメリカ共和党大統領候補となったドナルド・トランプ氏と一致するみたいですね。「もっと金を出さねえと、日本からも韓国からも米軍は引き上げるぞ」と言ってますから。反対派の皆様は、引き上げてもらったほうがいいんでしょう?
  日米同盟を大切にしたいいわゆる保守派のほうでは、対抗上、オスプレイの安全性を言い立てる。この構図は、後述の、原発問題とそっくり同じです。
  「事故率」とか、いろんな数字が飛び交っていますが、ここは素人の強みで、最も大雑把に申しましょう。今のオスプレイ、殊にMV22型は、米軍使用の航空機中で、そんなに事故を起こしやすいというほどではないが、それほど安全、とも言い難い。旅客機だってたまには事故を起こすのだから、これは当たり前でしかありません。そして一般庶民にとっては、現に起きたことは百パーセント、起きなかったことは零パーセント、これ以外にはありません。
  MV22は、昨年11月、ハワイで訓練中に着陸に失敗し、乗組員一人が死亡、二十一人が重傷を負っています。国内では平成16年に沖縄国際大に米軍ヘリが落ちましたが、これは従来型のヘリであるCH53。両事故とも、軍人以外の一般人が負傷したわけでもない。現に大事故が国内で起きて、何人も巻き添えになった原発事故と違い、オスプレイ反対運動がいまいち盛り上がらないのは、そんなところが理由でしょう。
  一方、有用度はというと、普天間基地のオスプレイは、平成25年、フィリピンの台風災害救助のときに大活躍したのだそうで。迅速に、大量の物資と人員を送れるという長所が、遺憾なく発揮されたのでしょう。これ、日本ではあんまり報道されていないように感じるのは、私が無知だからですか? 
どちらにしても、今後も近隣諸国の役に立つことがあり得るなら、日本に置いておく意味はあるでしょう。「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と、日本国憲法前文にも書いてあることですし。
  国内でも、オスプレイは、山や孤島の多い我が国の災害救助・防衛にはうってつけでしょう。それに、やがては現行の、回転翼によるヘリコプターは時代遅れになり、すべてV型になる、という人もいます。そうだとすれば、受け入れるも何もない、米軍が去ったとしてもなお、日本の軍事基地にはオスプレイ型の輸送機が置かれることになるでしょう。日本が完全な非武装にならない限りは。それは反対派の窮極の目標なのかも知れませんが、今これを受け容れる日本国民はそんなに多くはないようです。
  もちろん、そうであればなおのこと、安全対策には万全を期してもらわなければならない。また、普天間基地にしろ、来年からCV22型のオスプレイ(構造や性能はMV22とほとんど同じだそうです)配備予定の横田基地も、住宅密集地域にあるのだから、事故のときの被害が大きくなると予想されるのは本当でしょう。できれば基地は、人口密度の低い場所に移転してもらうに越したことはない。もっともこれは、オスプレイ以前から言われていたことですね。
  それでも、人間のすることに百パーセントは原理的にないので、なお起きてしまう事故については、我々一般庶民は、自動車事故で年間一万人死んでいても、自動車をゼロにしようとは言わないように、やむを得ぬリスクとするかどうか、それが最後の問題でしょう。

  第二に、現在国内で唯一稼働している鹿児島県の川内原発に関して。
  これを停止すべきだという意見は、ネット上ではけっこう盛んです。比べて大手マスコミは比較的冷静だな、と思っていたら、さすが、というべきか、これもまたネット上の記事ではあるんですけど、朝日新聞デジタル版29日「時時刻刻 地震、原発を止めず大丈夫? 川内停止要望5000件」がありました。
  原発に対する不安があるのは事実でしょうから、採り上げること自体を不当とは言えません。それが不安をいっそう増す効果はあったとしても、言論が自由な社会が払うべきコストというものです。その言説にどの程度の妥当性があるか、考えて発表する自由もあるわけですから、考えてみましょう。
以下の引用はすべて、前述の「時時刻刻」からです。
  18日、田中俊一・原子力規制委員会委員長は、臨時委員会の後でこう語りました。

  我々が納得できる(川内原発を停めるべき)科学的な根拠はない。止めるべきだとの声があるから、政治家に言われたからと言って止めるつもりはない。現状はすべて想定内。今の川内原発で想定外の事故が起きるとは判断していない。

  根拠はないことの根拠は、原発内で記録されているガル数(揺れの勢いを示す加速度の単位)で、16日のマグニチュード7.3の本震時で8.6ガル。福島原発事故以後の原発耐震設計の基準値は620ガル、さらに川内原発では緊急停止させる設定値を160ガルとしていて、それをはるかに下回っている。だから今のところ安全。以上。
  これでは反対派は納得しません。いや、どんな根拠を持ってきてもダメでしょう。だって、「想定外」のことが起きたらどうするんだ、に返す言葉はありません。そりゃまあ、想定していない、つまり考えていないんだから、当り前です。それでいてそれは、五年前には現実に起きてしまったんです。
公平を期すために言いますが、このような状況を作った責任の一端は、東電など、原発を設置・運営している側や、いわゆる原発推進派にもあります。反対派に対抗するため、という理由はあったにもせよ、安全性を過度にアピールし続けていた。さすがに、危険性はゼロとは言わなくても、原発事故の確率は一億年に一度と言う話は昔聞きました。
  え? 今もありますか? どういう計算式なのかは知りませんが、やめたほうがいいですよ。原発に脅える人々を安心させるためにはこれでいいんだ、ですって? 本当に安心したとしたら、それがウソだったと感じられたら最後(一億年に一度しか起こらないことが、今年起きることは、一億分の一の確率であり得るんだから、ウソではない、って「正論」は、庶民には通用しない)、あなたの言うことは二度と信用されなくなりますよ。それが今現に起きていることなのです。
  それを踏まえて、前出の田中委員長の言葉をもう一度見てみましょう。彼は原発そのものの安全性なんて、デカ過ぎて抽象的に思えることを言っているのではない。具体的な現在の川内原発について、今までのデータを積み上げて作った基準からみて、安全だ、とするのです。
  「止めるべきだとの声があるから、政治家に言われたからと言って止めるつもりはない」とは、なかなかカッコいいですね。無知な大衆は最初のうち、新しい科学技術をやみくもに怖がる。やっかいなのは、同じく無知な者が権力者になって、権力で科学の発展を妨害する場合です。今までの科学史上何度もあったことで、菅直人もまた、法的・制度的になんの裏付けもない「要請」で、浜岡原発を止めさせたことで、この轍を踏んでいるのだ、ということでしょう。
  田中委員長は正しいのかも知れない。それでも、一億分の一くらいというハッタリが崩れてしまった今は、原発への信頼を勝ち取る、なんてわけにはいかないのは前述の通り。効果と言えば、原発反対派の恨みを買うぐらいでしょう。原子力規制委員会は、今まで、日本から原発を失くすことを狙っているのではないかと思えるほど厳しい規制をして、言わば頼もしい味方のように思えたのに、ここへきて、「科学者の良心」なんて利いた風なのを振りかざして、裏切るのか、と。
  あるいは、田中委員長は間違っているのかも知れない。そもそも、事故以前に、原子力発電なんて科学技術は、今の、そして今後の、人類にとって必要なのかどうか。「電力は必要不可欠だろう。それにしても、去年の夏はあんなに暑かったのに、原発なしでも大丈夫だったではないか。危険で、なくていいものなら、なくすのが一番ではないか」なんてのは、わりあいとよく聞く意見ですね。これも科学に対する無知から出るとは言えるでしょうが、「科学はただ進歩するだけで本当にいいのか?」なる感覚は、割合と根強い。よくテレビの、SFアニメの題材になりましたし。
  別に馬鹿にしているわけではありません。どんな先端科学技術でも、危険が大き過ぎる上に、他のもので代替可能なら、つまり、今の場合で言うと、他の発電方法で支障がないなら、使わないほうがいいに決まっている。それがまちがいだと言うなら、原発はなんのために要るのか、明らかにされなくてはならないでしょう。日本全体のことはしばらく措くとして、今現在の九州では。
 まず、電力は足りるのか? 「九電の予想では今夏に2013年並みの猛暑になっても、電力需要に対する供給の余力(予備率)は14・1%。川内原発の供給力を単純に引くと、最低必要とされる3%を下回るが、昨年の計画並みに他社から融通を受ければ、余力は計算上6%を超える」とのこと。
  気になるのは、これ、通常時の計算ですよね。被災地復興のための電力は、考えなくてもいいんですか? 原発を停止しても、原子炉に冷却水を送るポンプに使う電力は必要で、それは外部から持ってくるしかないわけですが、計算に入れるほどのものではないんですか? などなどは本当にわからないので、詳しい人の教えを請いたいです。
  たとえ電力そのものは大丈夫だとしても、費用は確実に嵩みますでしょう? そこを『時時刻刻』は、「なぜ原発にこだわるのか。当面の発電コストが火力などより安く、経営面でうまみが大きいからだ」と表現しています。「(九州電力は)原発の停止で経営は悪化したが、『切り札』(幹部)の川内原発が再稼働し、月100億~130億円ほど収支が改善した」。
  まるで九電が儲けるために危険なことをやっているんだと言いたげですが、ここは素直に、原発を一か月停めたら百億から百三十億のコスト高になる、ととっていいでしょう。それは結局、電力消費者、つまり一般住民が払うしかないんじゃないですか。九電が飲み込むとしたら、従業員の給与を下げるか(労働条件が悪化する)、設備費を削るか(安全対策の劣化を招きかねない)するでしょうから、最終的に地域社会や住民に悪影響が出る可能性は高い。そうではありませんか?
  それから、いったい、いつまで停めればいいのか。地震が収まるまで? 今度のような群発だと、その時期の見極めは難しそうですね。いや、不安がっている人がいるから停めろ、ということなら、もう大丈夫、と思って原発の運転を再開したら、とたんにまた大地震、なんてことだって、あり得なくはないし、それも不安の種にはなるんだから、考慮のうちに、つまり、想定のうちに入れるべき、ってことになりませんか? もちろんこれは、「原発は未来永劫再稼働してはならない」というのと同じ意味です。
  別に意地悪ではないですよ。というか、実際に、一度停めたものを再開しようとしたら、「要望」を出した五千人のうち何人かは、「まだ早い」と文句を言うんじゃないですか? だって、反対派の最終目標は、原発の全面廃止なんだから、そう「想定」されますよね。彼らの望み通りになったら、九州の人々は、地震による被害に加えて、高い電力を、なんらかの形で、今後ずっと支払い続けなければならないことになりますけど、不安解消代としてなら出してもいい、と考える人もいるんでしょう。
  それで、私の、今のところの結論。いかにも、原発なんぞという険呑なものは無くしたほうがいい。ただ、それに代わる安価で安全で安定供給可能なエネルギーを見つけるために、電力会社には儲けてもらって、うんと研究費を出してもらわなければならない。それ以前には、安全対策を今まで以上にしっかりやってもらう必要がある。これにもまた金が要る。だから、今は川内原発は停めないほうがいい、というものです。どうですか、これ? 
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