ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「歴史から学び、今を生きながら未来を変えるという力が、一人一人の核に委ねられている」/『僕の核』

2013年09月17日 | 日本とわたし
Shing02氏が、2006年にアップしていた、核についてのレポート「僕と核」
原発事故以降、突然、頻繁に目や耳に入ってくるようになった、わけのわからん数値の単位やら専門用語やらに???の連続やったわたしが、
なんとかして、ちょっとでも理解できんもんかと、ネット図書館の通路の中であちこち彷徨い歩いてるうちに見つけた、
まあ、わたしのような物理・化学・科学オンチの人間にも、それはそれは分かり易い言葉で、そやけどきちっと解説してくれてるレポートです。

これを書かれたのは、米国の理工系の大学を卒業した音楽家Shing02さん。
坂本龍一氏とともに、2006年の『六ヶ所村を止めよう』プロジェクトに参加し、そのことがきっかけで、原子力(核)について個人的に調べ始められたそうです。

もし、みなさんの中に未読の方がおられたらと思い、ここに転載させてもらいます。
時間が無い方、まとめの部分だけでもいいので、ぜひぜひ読んでください!

『僕と核』(2006)より

9. スターングラス博士のまとめ

スターングラス博士のインタビューの内容を、まとめたいと思います。

まずは、
「自然放射線と、人工放射線は、人体への影響は違う」
ということです。
人工の放射線は、今までに地球に存在しない、放射性同位体をつくります

ウランの核分裂生成物の中には、食物や水、空気を通して体内に取り込まれると、
ふつうの栄養素と勘違いされて、数%は骨や内臓などの局部に蓄えられて、そこで濃縮されながら、長期的に放射線を出すものがあります。
なぜ勘違いされるかというと、周期表で、同じ縦の列に並んでいる元素は、電子構造が似ているため、体内で似たような化学反応をしてしまうのです。

例をあげると、ストロンチウム90はカルシウムと間違えられて、骨や血、脳に送られます
セシウム137はカリウムと間違えられて、細胞内の電解質として取り入れられます
また、ヨウ素131は、甲状腺に蓄えられます
これらの元素が体に入ることよりも、それぞれ放射性の同位体であることが問題なのです。

更に大事なのが、

「短期間で高レベルの外部被ばくと、
 長期間で低レベルの内部被ばくは、
 放射線の被ばく量による人体への影響が、比例しない」


ということです。
これはどういう意味かと言うと、
100の衝撃を一度に受けた人間が、100のダメージを受けたとして、
1の衝撃を100回に分けて受けた人間へのダメージが、合計で100以上になる可能性が強いということです。
従来の教育では、「線量率効果」と言って、100のダメージを100回に分ければ、
その間に体は回復するので、総合的なダメージは100以下である、よって低レベルは無害である、と考えていたのです。

数字だけだと分かり難いので、人間に例えてみると、

「百人の人に一度に蹴られてボコボコにされる」のと、
「一人の人に百日間つきまとわれて、毎日一回蹴られる」のでは、

どっちがダメージを受けるでしょう?
もちろん、どちらも嫌です。
でも、一度のケガは治るかもしれないけど、何日間も蹴られる方がしんどい、と思う人も多いでしょう。
これが、放射線にも言えることなのです。

ネガティブな例だけもあれなので、ポジティブな例をあげると、

「同じ日に百人の異性とデートをして、豪遊する」のと、
「憧れの人につきそってもらって、百日間愛情をもらい続ける」のと、

どちらが良いですか?
両方ってのは駄目です。
たいていの人は、冷静に考えれば後者を選ぶでしょう。
そうでもないか。

つぎに、S博士の研究の中でも、もっとも大事に扱っているテーマが、

「胎児や乳児が放射線によって受けるダメージは、
健康な成人が受けるダメージより更に何百倍、何千倍も拡大される」


ということです。
これは、当たり前のことですが、
胎児や乳児というのは、脳や心肺機能など、大事な器官の細胞が、もの凄い勢いで成長しているため、
正常な細胞の増殖を妨げる因子があると、発育や知能の障害など、その子の一生に渡って、支障をきたしてしまう可能性があります。

赤ちゃんは妊婦さん共々、環境から来るマイナスのインパクトから、もっとも守るべき存在です。
健康な成人を許容量の対象にしていては、赤ちゃんにはとうてい迷惑なのです。
つまり、産まれてくる赤ちゃんの健康状態というのは、その時代の環境のバロメータでもあるのです。
これは、免疫力が下がっている成人や、老人が受けるダメージにも、同じことが言えるでしょう。

これらのことを踏まえて、あらゆる放射線は、
現在の「安全値」では、思っているより100倍から1000倍のダメージを体に与えている、ということです。

博士は、原子力産業の歴史も説明してくれました。
歴史というものは、本当に多くを物語っています。
要約すると、

「民間の原子力発電は、軍需産業をサポートするために始められ、
リスクを完全に把握する前に広められた、未熟なテクノロジーであったため、
これまで世界中で、何度も事故を起こして来た」


ということを、この50年の実績が充分に証明しています。

今の原子力発電の技術は、完成度も高く、特に日本は危機管理も厳しく、安全装置が何重にも設計されています。
しかしながら、発電という目的を達成している以上、「微量」の放出を正当化しているのが、原子力産業の真の姿ではないでしょうか。

(ちなみに、原子力発電所から、どれくらいのストロンチウムやヨウ素の放出があるのかが、どうしても気になったので、東京電力の人に詳しく聞こうと、メールでやり取りしていたら、
 最後には、
フィルタやホールドアップ装置など、原子力発電所における各種設備の設計上の性能や、実際の性能については、
 当社の知的財産となっており、お教えすることができませんので、ご了承願います
」と言われました。
「実際の」って、どういう意味でしょうか)

失敗しながら学ぶのは、人間の性です。
これが他のテクノロジーであれば、これまでの大事故も、まだ大火災で済んだでしょうし、
簡単な誤作動や停電で、大きな心配をする必要もありません。
原子力発電所のように、その確率が何%であろうが、天災を含め、大事故が起きれば
何百万人規模、何百世代と後遺症を残すようなリスクは、有史上、類を見ぬスケールであることは否めません。
被害を抑える作業のためだけで、何万人もの人間が、命を切り捨てなければいけないのです。


ウランの核分裂が出すエネルギーは、化学反応による燃焼とは、次元も桁も違います
通常の汚染とはっきり区別しなければいけないところは、やはりここに由来すると思います。
原子力発電も、いつかは必ずなくなります。
しかし、その時が先延ばしになればなる程、処理場に困った核廃棄物は、増え続ける一方です。
電力は、一瞬で消費しますが、廃棄物は永遠に残ります
地球市民は、どちらを選ぶでべきしょうか。
その話し合いの場を持って、核を捨てる選択をした国は沢山あります。
そして日本は、核の道を選んでいるのです。


10. 日本人に何が起きているのか?

「火の無いところに…」と昔から言いますが、これだけ全世界で、モクモクと議題にのぼっているからには、
本当に原子力が「非のない」ものであるか、日本でも、みんなで考え直すべき時期に来ていることは、間違いありません。

スターングラス博士の言っていることが本当だとして、そして、日本にある原子炉がほぼ米国製であるとしても、
「それはアメリカの原子力産業の実体であって、日本の生活にどれだけ関係があるのか」と考える人もいると思います。
また、「放射線のことは良く分かったけど、みんな元気に暮らしているんだから良いじゃないか」と思うかもしれません。
果たしてそうでしょうか。
それには、「原子力が産まれてから、これまで日本でどんなインパクトがあったのか」という、日本人の現状に目を向ける必要があるでしょう。
最終的には、それがいちばん分かり易いのです。

厚生労働省が発行する「人口動態統計」の中から。興味深いと思ったデータを。いくつか紹介したいと思います。
(データは著作権法第三十二条二項に基づいて転載していますが、厚生労働省の刊行物とホームページでも調べることができます)



統計学に関して。素人なりに言いたいことは、統計をまとめることによって隠れてしまう側面は、沢山あると思います。
すべてを数値化したり平均をとったところで、それぞれのケースに何があったかなど、その経過を無視してしまって、結果論だけで終わってしまいます。

しかしながら、正確な統計をとって。それを適切に分析することによってのみ、浮き彫りになってくる事実もあります。
統計学では、全体の流行というのは、天文学的な確率以外には。否定できない数値に表れてくるのです。
統計を見ることによって、年代ごとの比較を行ったり、「私たちはこれまでどのような道を歩んで来て、これからどこに行くのか」を視覚的に確認すれば、
生活レベルのミクロな物事も、マクロな流れで。客観的に捉えることもできるでしょう。

スターングラス博士をはじめ、アメリカで。低レベル放射線の影響を訴えて来た科学者たちも、
統計こそが動かせざる証拠であり、彼らの決定的な武器だったのです。
これは。原子力の安全性を訴える側も、同じように考えて、広報活動をしているのです。


<日本人のがん>

それでは、被ばくが引き起こすとされる「がん」は、どれくらい起きているのかを、検証してみたいと思います。
ひらがなの「がん」は、癌、悪性腫瘍、肉腫などの総称です。博士のインタビューにもあったように、この50年で、日本人のがんは急ピッチで増えていると言います。まずは図を見てみましょう。



「悪性新生物=あくせいしんせいぶつ」と言うのが、がんです。
なぜ、「悪性新生物」と言われるのでしょうか?
これはNeoplasm=ネオプラズムの直訳で、「生物」というよりも、「成長する腫瘍」を意味します。

戦前と戦後では、医療が発達して、抗生物質やその他の治療法ができたため、
バクテリア(細菌)の感染による死因が、驚異的に消えたことがポイントです。
その代わり、がん、心臓病、脳疾患が、一気に増加しています。
その中でもがんが、群を抜いてトップを走っているばかりか、今でも急上昇中です。
今日の日本人は、二人に一人は、生涯にがんにかかると言います。
(上記の表は「がんの死因別による死亡率」を示しているだけであって、ほかの死因と併発していた場合は統計に示されません。
また、甲状腺のがんなど、治療を受ければ死に至らないがんも沢山あります)

日本では、がんは、
「正常な遺伝子が、活性酸素やタバコなどの発がん性物質により傷つけられ、突然変異を起こしてがん遺伝子になる」と言われています。
いわゆる「生活習慣病」のカテゴリです。
これが何を示唆しているかというと、「がんにかかる人が悪い」ということです。
統計を見れば決定的なのですが、色々調べて行く上で、自分はそう思わなくなった。

がんは、「生活習慣」が引き起こすような生易しいもんではない。
ここまで来れば、先進国の環境汚染による「風土病」と呼んだ方が相応しい。


肥満などが引き起こす、心臓病や脳疾患などと比べれば、がんとは、何年もの潜伏期間を要する、遺伝子の突然変異の積み重ねによるものです。
先に書いたように、同じ細胞で複数の変異が起きて、はじめてがん細胞になるのです。
人体は、がん細胞を常に抱えているようなものですが、がん細胞の抑制遺伝子も破壊されて、ようやく悪性腫瘍にまで発展します。

遺伝子の変異は、自然にも起きることで、それが生命体の進化の助けになっていることは分かっています。
しかし、戦前にあったがんのレベルが、自然放射能やウィルスなどのせいと考えれば、
この50年で上昇を続けている、がんの余剰な死亡率は、人の手による環境の変化によることは明らかです。

いくら「突然変異」の原因が食生活だと仮定しても、食事に遺伝子を変異させるほどの強力な因子が含まれているはずです。
それは、一体なんだろう。
従来の説では、食べものに含まれている多くの化学物質が、人体の免疫力の過労を起こしていると言います。
その上、タバコの煙は、数千種類の化学薬品で、肺のフィルタをわざわざ詰まらせるもんだから、がんの発症率が上がるのも当たり前なのです。
(ついでですが、タバコには、栽培過程で微量ながら、放射性のポロニウム210が入っていると言います)

がんにもいろいろな種類があり、環境、食生活、遺伝による因子が重なっており、
決して、電離放射線とウィルスの挟み撃ちのせいだけにすることはできません。
ヘビースモーカーでも肺がんにかからない人もいれば、遺伝的な不幸で、産まれながら白血病になる子供もいる。
それでも、環境的な要因は、いずれ人口に、平均的に表れてくる。
例えば、女性の喫煙率は全体的に下がっている(若い層では上がっているとされている)のに、女性の肺がんの死亡率は上昇を続けている。
これは、空気がそれだけ汚れている証拠だろう。
若い女性の間で増加している乳がんに加えて、深く注意したい点です。
以下の図は、男女の、部位別の、がんによる死亡率を示したものです。



がんの原因は無数にあるが、環境的な要因が最も大きく、強い免疫力があれば、遺伝子の異変が起きても、がんを未然に防ぐことができる、と考えることは大事だと思います。
それが、健康な体で、毎日のように起きていることなのです。

補足として、博士のインタビューにもあった(すい臓の機能低下が引き起こす)糖尿病について。
日本でも、10人に1人と急増している糖尿病は、「世界では、この20年で、3000万人から2億3000万人に増えた」と言います(Medical News Today)。
日本人は、欧米人と比べてすい臓も弱く、元からインスリンの分泌量も少ないそうです。
これも、食生活を注意すれば、改善できることは間違いありませんが、がんと同じく、自然環境の変化がもらたらした病であることは、ほぼ間違いないでしょう。

いずれ、きちんとした独立機関が、日本中で医学的なデータを集めて、統計をまとめる必要があるでしょう。
今まで諸外国でもそうであったように、これが、世論を大きく左右することになるのではないでしょうか。

 
<日本人の寿命>

これだけ主要な器官の重病が急増していながら、日本人の平均寿命は、この50年でずっと伸びて来ている。
少子化&高齢化は、深刻な社会問題になってきていますが、日本は、世界有数の長寿国としても知られています。
表を見て見ましょう。



平均寿命というのは、誤解を招く部分もあります。
昔は、幼くして亡くなるケースが、今よりずっと多かったので、平均値を下げてしまいますが、
50年前でも成人すれば、60才まで生きることは珍しくなかったし、80才を超える人もいました。
それにしても、今の日本人は、長く生きている分、健康な人生を送っていると言えるのでしょうか。

「80才くらいまで生きれたら、がんになって死んでも良い」と思ってしまえば、元も子もありません。
いくらそれが当たり前の世界になっていても、正しい情報さえあれば、あきらめる必要はないのです。

最近は、遺伝子の研究が進むにつれて、特定のがんに効く薬などが開発されています。
しかし、重病を患って病院の世話になる前に、体の免疫力と治癒力を尊重して病気を防ぐ方が、健康的にも経済的にも、ずっと賢い選択だと言えるでしょう。
統計を見れば分かる通り、今後は医療費も負担もあがる一方ですから、すべての人に公平に与えられるサービスではないかもしれません。
それが歪んだサイクルであり、そのシステムに入れなかった人々は、どうすれば良いのでしょう。

他にも、興味深い統計は沢山あります。
例えば、50年前は、自宅で息を引き取る人が85%だった。
それが現在では、85%が病院で亡くなっている。
出産にも同じ傾向が見られる。
私たちは、どうやって産まれて、どうやって死んで行くかも、劇的に変わってしまった時代に生きているのだ。
時代の流れとして当然のことですが、習慣となってしまったことを人が疑わなくなるのは、不思議なことです。

余談ですが、日本人は、伝統的に健康な食生活と合わせて、お風呂に肩まで入る風習があるから、より長生きするのだと思います。
一日の環境からの刺激による疲れをとったり、血行や新陳代謝を促進させることは、本当に大切な行為なのだと思います。


<日本の赤ちゃん>

それでは、赤ちゃんの方を見てみましょう。
なぜ、胎児や乳児の健康を気にかけることが大事なのでしょうか。
それは前章でも触れたように、遺伝子が世代交代する際には、妊娠中の親の健康状態を通して、自然環境が、赤ちゃんの健康を形成するからです。
いくら成人が、環境の変化に対応できていても、最も敏感な胎児には、どんな微量な負荷でも届くことになります。

欧米では、核実験や原子力施設の事故がある度に、必ず、「乳児死亡率」という統計に反映されてきました。
その点、日本は戦後から、乳児の死亡率がずっと下がり続けています。
これは、日本の医療技術のめざましい進歩と、衛生基準のたまものであると思われます(60年代の核実験のピークには、下降が緩やかになった)。
日本では、原子力発電所がこれだけ稼働し続けているにも関わらず、現在はほとんどゼロです。

それでは、ここ数十年は、健康な赤ちゃんが産まれて来ているのか?ということは、少しばかり、別の話であると思います。

放射線の影響の一つと指摘されている、未熟児の数を見てみましょう。
未熟児とは、1kg未満の赤ちゃんのことを言います。
平均体重は、男女ともにおよそ3kgです。
50年前と比べると、全体の出生数は、実に半分となっていますが、出生率と比べると、実に、60倍もの未熟児が産まれて来ています
赤ちゃんの平均体重こそ、劇的には落ちていないものの、明らかにヘビー級の体重が消えて、そのまま未熟児クラスに変わってしまったのです。

また、男性の精子の数も急減し、女性も生殖機能が落ちて来ていると言います。
それは、なぜでしょうか?
何かの反動で、必然的に起きていることなのでしょうか?

このようなことも、がんのデータと同じく、放射線とだけ結びつけて話を進めようとは思っていません。
ただ、私たちの社会が向かっている方向を、明確に示しているものだと思うから、知るに値するものだと感じて紹介しています。
これから親になる人たちは、赤ちゃんの健康を大切に守ってあげてください。

*   *   *

ここまで読んで、「できる範囲で健康を守るためには、一体何ができるんだ?」と思う人もいるでしょう。
原因を消すことができなくても、結果を予防することはできるでしょうか。
どこから始めて良いのか分からない場合は、まず原因をきちんと認識することによって、初めて対応が見えてくると思います。

どんな人間も、健康に産まれ、健康な生活を送って、(変な言い方ですが)健康に死んで行く権利があると思う。
このレポートの主旨も、一行に要約するとしたら、それだけです。

日々の健康について、考える余地は誰にでもあると思います。
それは、ただ長生きするための健康ではありません。
人間が、まともな生活を送るため、の健康です。

リアルな話、自分の好きなことをして、自分の選択で体を壊すことは、避けられない。
それが、仕事をするということの、本当の定義なのかもしれない。
健康とは、自由に生きるための土台、産まれ持った唯一の資本です。

人が年をとって、老化して、死んで行くことは、極めて自然なことですし、後がつかえているのだから、皆が長生きしすぎたら、社会がパンクしてしまいます。
自然に起きることは、選べることではない。
しかし、人がやっていることは選べる。

例えば、自然放射線が老化を促進しているとして、それが良いとか悪いとか、言える筋はないでしょう。
人工放射線によって健康を損なっているのは、人口の数%かもしれないし、数割かもしれない。
でもそれが、乳児や老人に拡大されることとすれば、いずれは全員に言えることです。
社会がひとつの生命体と考えたら、体のいちばん弱い部分が壊れ始めたときに、
行動力のある白血球がそれに対応しなかったら、いずれは、全体が冒されてしまうのは時間の問題
です。
歴史というものは、新しい命の循環なのだから、いちばん繊細なリンクを守らなければいけないのです。

人体は、45億年かけて地球が育んだ、最も繊細な生き物ですから、自然から離れるほど、健康が崩れてしまうのは当然です。
知らず知らずに起きている環境破壊はきっと、健康が崩れて行くのと、平行した道を辿って行くでしょう。
それでも、大気汚染、水道水の質、食べ物の質など、神経質になってもきりがないし、病気の心配ばかりする必要はないと思います。
なぜなら、人間の体は、気にしているよりもずっと、精巧につくられていますし、見てないところで一生懸命働いてくれています。
自然な生活を心がけることこそが、一番の健康法なのです。
現実的には、ビタミンや抗酸化物質をとるなど、免疫力アップのためにできることもいろいろありますから、時間をかけて勉強する価値のあるトピックだと思っています。
そして、人間の健康は、精神状態と密に繋がっていますから、心をタフにすることも、体を丈夫に保つことに、大きく貢献しているのではないかと思います。


まとめ

このレポートを書くにあたって、何について、どこからどこまで語ればよいのか、とても迷いました。
集中して、離れて、という作業を繰り返して、少しずつ考えをまとめていきました。
今でもかなり考え中です。

自分が疑問に思っていることを、ひとつずつ辿って行くと、芋づる式に、新たな疑問がどんどん沸いてきます。
まさに情報の臨界点で、その規模は、一生をかけても、一人で網羅できるものではありません。
それでも、できる限り情報を整理することは、物事をいろいろな側面から考えるために大切だと感じます。

レポートを進める上で、色々な人の話を聞いて強く感じたのは、
原子力の汚染を、仮定としてでも認めなければ、どのような証拠を見せられても、理解に苦しむことでしょう。
逆に、その壁をクリアできれば、いろいろなことが見えて来て、新しい情報も自分なりに吸収して、繋げて行けると思います。
一マス目を踏めるかどうかによって、日々の情報の解釈が、がらりと変わってくると思います。

とにかく、どのような人であろうが、
一個人が全てを理解した上で、「賛成」か「反対」の総合的な判断をしろ、と言うのは無理な注文です。
そんなことは始めから頼まれてないし、だからこそ、ほとんどの人は興味を持つ余裕もないでしょう。


私たちが問いかける必要があるのは、「原子力発電所は良いか、悪いか」ではありません。
その問いは50年前にされるべきでした。
原子力は確かに存在するのだし、消すこともできません。
これから長らく付き合っていく必要のあるものです。
いちばん現実的なのは、「これ以上増やすのか、それとも減らして行くのか」という、具体的な方向性だと思います。

国民の意識に、そのベクトルを植え付けることができれば、日本の未来が劇的に変わることは間違いないでしょう。
今は、そのような重大な決断が、お任せコースになっているのが問題ではないでしょうか。
原子力は、いつかは完全に制御できるかもしれませんが、現時点では語られるべき問題点が山積みになったまま、廃棄物が増え続けているのは誰の目にも明らかです。
と同時に、原子力産業だけを非難して他のことを忘れるようでは、本物の変革は期待できないでしょう。
そこを限定して見てしまうと、現実と折り合いを付けることが、難しくなると思います。

自分も含め、多くの人は、原子力産業に関わっていませんし、詳しく知る機会もありません。
原子力産業は、当たり前のことですが、必要性のアピールしかしないですし、
一般の人は、小さな事故が起きる度に、より大きな事故に繋がるのでは、と同じ論争が繰り返されます。
双方が、理想ばかりを主張して、あげ足を取り合っているうちは、埒があきません。
自分たちの住む世界で何が起きているのか、現実を見て、目を覚ますことが必要です。
完璧な答えが見つからなくとも、ちょっとずつでも行動に移して積み重ねていけば、先の景色は雲泥の差になります。
こればかりは、科学の力に頼ることはできません。
人の力が大事になります。

むろん、健康を守ることや環境保護だけを目的とすれば、どのような産業も成り立たなくなるでしょう。
社会的には、「環境や健康に少々悪くても、便利な生活のためなら良い」とあきらめていることや、むしろ奨励されていることも多々あります。
コンピュータひとつをとっても、電化製品は、製造、消費、廃棄のレベルにおいて、環境に多くの負荷をかけているものです。
それは、極論を言えば、一人の人間にも当てはまることだと思います。

今の水や空気は、50年前、100年前よりも、ずっと、ずっと、ずっと汚れてしまっています。
自然が浄化してくれる以上に、人がきれいにしようと努力する以上に、それを汚し続けています。
まずこれを肝に命じなければ、何を言われても流してしまうでしょう。
数十年前まで飲み水にしていた水源が、そのままでは使えないところが多いのです。
将来は、燃料資源より先に、大規模な水の危機が来るのではないかと心配している学者も多いくらいです。
すでに世界では、水や食料危機が訪れている場所も沢山あります。
また、環境破壊によって、何億年も存在してきた多くの動植物が、地球から消えて行っています。
あと30年で、生物の20%が、今世紀中には50%が絶滅する危機に立たされています。
地球にこれだけの変化があって、人類だけが平気でいられると思いますか。

これらの由々しき事態を、地球規模で表すとしたら、エネルギーの「偏り」が、色々な所で起きてしまっていることが分かります。
その時代によってチャレンジがあるのは当たり前かもしれませんが、
未来のエネルギー分布が少しでも正常であるように努力することが、それぞれの持ち場で出来ることではないでしょうか。


<宇宙の中の、社会という生命体>

もう一度言うと、私たちの住んでいる宇宙には「エネルギーの保存の法則」というものがあります。
エネルギーは、無から産まれたり、消えて無になることは絶対にない、という意味です。

私たちの生活を支えている経済のサイクルでは、人のエネルギーの「保存の法則」が働いています。
そのためにある共通の単位として、お金が機能しています。
労働力がお金に換算され、富の集中をつくる資本主義のシステムの中で、人のエネルギーが統率されていく。
しかし、このお金というシステムは、限られた循環を表しているだけです。
お金は、「人と人の間でやり取りされるエネルギーの対価」として支払われるのであって、人の労働力とアイディアを売買しているに過ぎません。
地球からは請求書が来ないので、「人と自然の間で起きるエネルギーのやり取り」を換算することはできません。

人間はお金をもらってももらわなくても、エネルギーを使って、エネルギーを発散しています。
無数の原子や分子を、右から左に運んだり、伝導したり、加工したり、壊したり、消化したり、捨てたり、たくさんのエネルギーを動かしています。
それに加えて、言葉を交したり、いろいろな周波数に乗っけて、精神的、霊的なエネルギーも発信しています。
人間の出力が、それを受けた人々の行動によって、また物理的エネルギーに変換されるのです。
こうして、人は社会の総エネルギーに確かに貢献しています。
私たちのあらゆる言動は、明らかに宇宙を変えていて、未来をつくっていく力を持っているのです。

何が言いたいかと言うと、経済的な活動を優先させてばかりいると、
その閉じたシステムの外で起きている、膨大なエネルギーの移動、集中、分散に、関心が薄くなっていきます。
社会にとって効率の良いものを求める体制が、目立つようになります。
そして、生活水準も高まることによって、過半数の生活が苦しくなるほど、その価値観に従わざるを得なくなるサイクルが出来上がってしまうのです。
すべてのエネルギーを辿っていけば、どこからか来ているように、お金も辿って行けば、それはどこかから出ていて、何者かの意志が反映されている訳です。
それがどうした、と思えばそれまでですが、全体の集合意識はどのように操作されて、何処に向かっているのかを見極めることは肝心だと思います。

先進国に生きる私たちは、「経済に悪いことが起きれば、自分たちの生活も危うくなる」 という恐れが、幼い頃からメディアによって擦り込まれています。
それに従っていては、いつまで経っても、経済が発展するほど環境が悪くなっていくと言う悪循環は終わりません。
これからは、システムが需要をつくり上げ、その需要のためにつくられるシステムではなく、
人々の意志をちゃんと反映させた社会づくりが必要であり、それは小さなコミュティのレベルから可能だと思います。
良い意味でのリスク、良い副産物を期待できる有機的なステップを、踏み出すほかありません。

また、このレポートで、さんざん科学的な話をした上でなんなんですが、僕は科学的根拠がすべてとは思わない。
科学はどんなに進歩しようが、それは実験によって確かめられる物理現象を分析しているだけであって、宇宙の真理の半分を解明しようとしているに過ぎない。
「科学」は宇宙の歯車を細部まで説明出来ても、「なぜ、そこにあるのか」という領域までは入って行く権限がありません。
現代文明は、自分たちが造った物に過信して、目に見えるものばかり追い求めて、そこで返ってくる答えで満足しようとしている。
目が見えることは既に奇跡的なメカニズムだと思うけど、それでも目に見える世界はほんの僅かだ。
自分たちの行いが自然から跳ね返って来て、たくさんの信号が届いているとしたら、私たちにはそれが見えているでしょうか?

原子力は無限に小さい世界ですが、人間には五感で分かる範囲で、正しい判断をする能力が備わっています。
歴史から学び、今を生きながら、未来を変える、と言う力が、ひとりひとりの「核」に委ねられています。
今、すべてを変えるのは難しい。
それでも、正しい判断の基準となる知識を広めていけば、有機的な運動をつくっていけるだろう。
どんな職業をしていようが、度合いこそ違えど、誰もが科学者であり、数学者であり、政治家であり、哲学者であるし、普段の生活でそれを発揮しているのだ。
人間にはそれだけの「能力」があるゆえ、もう少し賢くあれるはずです。
21世紀は、領土や資源を奪う争いだけでなく、環境と情報の汚染による「見えない戦争」が主になって来ています。

世論を動かす大衆と、その架け橋になる共通のメディアとが一丸となれば、どんなに重いものだってかんたんに動かせる。
日本だけでも一億以上の人間がいるのです。
まとまった方向に向かえば、それこそ巨大な力です。
50年後の世界はどうなっているか分かりませんが、今産まれてくる赤ちゃんたちが動かす世界であるから、
若ければ若いほど、生き残るための知恵を教えてあげることが大切です。
だから自分たちがどこに意識を向けるかを、ちょっと気を付けるだけでも、革命的なことになる。
革命とは、物事を根本から疑うことによって価値観を修正するという、精神的行為から始まるのです。

人々の力で行政を変えるチャンスが、限りなくゼロに近かったとしても、このようなレポートを書く意義はあるのか?
それは、ガッデムもちろんです。
一般のレベルでできることは、何も団結して大企業や政府に立ち向かうことだけではありません。
規模にかんけいなく、知恵を交換してお互いを守ることはできる。
大切に思う人たちの間で実践できる、かんたんな助け合いの精神ではないでしょうか。
なるようになれ、ではこのままひどくなっていく一方です。
一人の力では、何も変わらないからと信じ込んで何もしないでいるのは、この先、何も変わらないことより、何もしなかったことの方が大問題になるだろう。

人間の一生は、長くもあり、短くもある。
死を恐れていたら、生きることも恐れてしまうだろう。
「立つ鳥、跡を濁さず」と言うことわざがあるが、それを心がけたいものです。
(これ、原子力産業の標語にして、額に入れて飾ってもらいましょう。)

この世界は、人間社会よりずっと広い。
いつの時代も、約束されていることは何もない。
それでもこの世代が動けば、より住みたいと思える未来をつくることができるかもしれない。
この世代というのは、いま生きているひとたち全員だ。
この星は、まだまだ美しい。全世界が抱えている原子力問題の解決の糸口を、日本から発信していけると僕は強く信じています。
日本やアメリカでは、自由に発言する権利がまだある有り難さを、ひしひしとかみしめて。




「僕と核」2012
■第五部:考察


「放射線生物学」を通して被曝のメカニズムが解明されるにつれて、人体を守るための「放射線防護」の知識と方法も大きく進歩してきた。

キュリー夫人の時代はX線をふんだんに浴び、核実験時代は放射性降下物をふんだんに浴び、問題は多く残るものの基準値はがどんどん下がり、医療現場や核関連施設で被曝レベルを厳しく管理している現在に至る。

2011年は「シーベルト」と言う単位が一般になった。 放射能の汚染レベルとしてベクレル、毎時/マイクロシーベルトが使われている。その結果、年間線量20mSvなどが話題になってきたが、果たして、それ以下の「低線量」はどうなのだろうか?

ICRP(国際放射線防護委員会)は、この数十年でシーベルトを用いた基準値を産業のために発行、更新して来た。
放射線の種類、核種、臓器毎に係数を用いて、内部被曝による負荷の「合計を計算する」仕組みになっている。


Dr. Rolf Maximilian Sievert (1896-1966)

2011年は「シーベルト」と言う単位が一般になった。 放射能の汚染レベルとしてベクレル、毎時/マイクロシーベルトが使われている。その結果、年間線量20mSvなどが話題になってきたが、果たして、それ以下の「低線量」はどうなのだろうか?

ICRP(国際放射線防護委員会)は、この数十年でシーベルトを用いた基準値を産業のために発行、更新して来た。
放射線の種類、核種、臓器毎に係数を用いて、内部被曝による負荷の「合計を計算する」仕組みになっている。

ベクレルが「1秒間に起きる崩壊=放射線の数」に対して、シーベルトは放射線が人体(主に内臓) に吸収された線量の「負荷」を数値化したものであるが、そこに「人為的な解釈が含まれる」単位であるために、影響を知るには100%信用できる単位ではないことを問題視している医者や学者も多い。

(ICRP基準にまつわる問題について詳しくは、2011年4月に発表した「日本産婦人科学会へ」の末尾を参照)

Dr. Rolf Maximilian Sievert (1896-1966)
 
シーベルトの問題点は:

・放射線の影響は「細胞・遺伝子単位」で解明されているのにも関わらず、未だに60年前の「臓器単位」の係数を用いて被害を「予測」している。
このデータは、他ならぬ広島と長崎に投下された原子力爆弾の生存者データである。

吸収されたエネルギーが変換され、細胞の膜や器官が破壊されて、遺伝子の破損やエラーに繋がることは第二部で取り上げた。
シーベルトは過去の統計に偏っていて、最新の科学が反映されてないことが指摘されている。原子力産業が「シーベルト」を用いて低線量の被曝を「許容」している実情があるからである。


・代表例として、1960年代にジョン・ゴフマン博士が「低線量」どころか一つの原子から出た一筋の放射線(トラックと呼ぶ)が細胞に及ぼす影響を提唱し、大問題になった。米政府の要請で発表したデータだったが、 「内部被曝は少しでも、がんのリスクを増やす」と発表してしまったからだ。ゴフマン博士はX線と乳がんも関連づけたため、医療現場にも大きな波紋があった。ここから「LNT説=直線しきい値なし」が取り上げられ、NAS (米国科学アカデミー)によるBEIRレポートでも裏付けられたが、リスクを容認する側からは否定的な意見も多い。

「直線しきい値なし」の影響は立証されていない、と言う批判があるが、「しきい値あり」の説の方こそ、立証できない。影響のある/なしはこれまでの被曝データに基づくもので、病気を特定のがんに限定するなど、偏見が入っている部分が多い。この何十年も続いている傾向は、「卓上で希釈される放射能」に記した。
・シーベルトを内部被曝に正確に適用しようとしても、全身の吸収線量を計算するためには各部位の線量を計らなければいけないが、測定方法や測定器の制限により、外部被曝と内部被曝の区別が殆どついてない場合が多い。内部被曝の長期的な影響が出る可能性を無視していることになる。
・まとめると、シーベルトは放射線の総線量を知る上では有効だが、人体への影響は個人差も含め無害だと保証できない部分がある。
被曝は免疫の負担になることは分かっているのだから、少ない線量でも体の免疫が抑えることができるか、と言う個人の課題になってくる。

その程度の目安を誰もが知りたいだろうが、どの程度のリスクを受け入れるかと言う、リスク管理の意識(リスクに関する記事はこちら)にもよるので、水掛け論になってしまう可能性も強い。

リスクを人に伝える際には、確定的影響と確率的影響、その誤差、個人差を含めて話を進めなければいけない。
平均値ばかりとっても、健康な大人の男性が持ち上げられる重量を女性や子供にまで適用できないのと一緒で、個人差を認めなければ「個人」という概念を消し去っているも同然なのです。


< 内部被曝の歴史 >



2011年に原子力産業の歴史の系譜を制作した。内部被曝の扱いにも焦点をあてたものだ。



第二次世界大戦当時から「残留放射能=フォールアウト」 による内部被曝が政治的、経済的にタブー視されてきたのは明らかである。
語ることも許されなかった時代だったのである。

先ほど述べたように、低線量の影響を訴えたBEIRレポートにしても、臓器毎の負荷を比べる被曝の統計として、未だに基本となっているのが広島と長崎の被爆生存者のデータである。 この件について非常に重要な情報をまとめているのは、笹本征男氏の意志を受け継いだ、NPO法人市民科学研究室、柿原泰氏・著の報告書『原爆調査の歴史を問い直す』です。

広島・長崎のフォールアウトや、日米の政府がいかに記録と報告を改ざんしたか、などが事細かく記されている。
是非、読むことをおすすめします。(情報はこちら

ただでさえ、アメリカ陸軍と日本の医師団が原爆投下直後に行った情報と、ABC=原爆調査委が行った調査には五年間のブランクがあり、その間亡くなった人たちの統計はもとより、生存者の被爆者を調べる手法にも疑問が沢山残っている。

敗戦後と言う特別な政治背景があったにせよ「このデータが現在まで引き継がれ、国際的に被曝の許容値を設定する理由になっている」とすれば、その正当性を現在の科学と照らし合わせて見直す必要があることは間違いないだろう。

参考までに、米政府は核実験から30年以上経った1990年から現在まで RECA(被曝補償法) により、アメリカ本土の被曝者1万5千人に各5万ドル含め、2万4千人に計160億ドルを支払っている。裁判によってフォールアウトの影響を認めたため、保証を行っているのだ。

シーベルトによる基準値を言い争う暇があったら、各自が知識の底上げをすることによって、生物側の視点から議論が行われて行くことを期待する。


放射能の線量を計るシーベルトは有効な単位であると同時に、人体への影響を知る上では不完全な情報である。
核種を詳しく調べるなど、踏み込んだ調査をしなければ、ずれた基準のまま論争になってしまいます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。