ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

あなたは『ケータイを持ったサル』ですか?それとも……

2013年12月11日 | 日本とわたし
associations.jp 全国の原発廃炉を目標にした時限運動体に、
デモが日本を変える──柄谷行人氏「9・11原発やめろデモ」でのスピーチの全文の文字起こしが掲載されていました。

↓以下、転載はじめ



この4月から、反原発のデモに参加しています。
このアルタ前でも、6・11デモにも参加しました。
私がデモに行くようになってから、いろんな質問を受けます。
しかも、たいがい否定的な質問です。

そのひとつは、「デモで何が変わるのか?デモで社会を変えられるのか?」というものです。
私はこう応えます。
もちろん、デモで社会を変えることができる
確実に変えられます
なぜなら、デモをすることで、デモをする社会をつくれるからです。

考えて欲しい。
今年の3月以前に、日本には、沖縄を除いて、デモはほとんどなかった
それがいま、日本全国、今日もたぶん、100ヵ所以上でデモが行なわれています。
その意味で、日本の社会はすこしは変わった
これは明らかです。

例えば、福島原発の事故のようなことが、ドイツやイタリアで起こればどうなるか、
あるいは、韓国で起こればどうなるか、
巨大なデモが、国中に起こるでしょう。
しかしそれに較べれば、日本のデモは、異様なほどに小さい
しかし、それでもデモが起こったことは凄い、救いである、と私は思います。

デモは、主権者である国民にとっての権利です。
デモができないなら、国民は主権者ではない
例えば韓国では、20年前まで、デモは出来なかった
軍事政権があったからです。
しかし、その軍事政権を倒して、国民主権を実現した。
デモによって倒したのです。
そのような人たちが、デモを手放すはずがありません。

では、日本ではなぜデモが少ないのか?
なぜそれは、ヘンなことだと思われているのか?
それは、国民主権を自分の力で、闘争によって獲得したからではないからです。

日本人は戦後、国民主権を得ました。
しかしそれは、敗戦によるものであり、事実上占領軍によるものです。
つまり、自分で得たのではなく、与えられたものです。
では、これを自分自身のものにするためには、どうすればいいか?
それはデモをすることです。

私が受けるもうひとつの質問は、「デモ以外にも手段があるのではないか?」というものです。
たしかに、デモ以外にも手段があります
そもそも選挙があります。
その他、さまざまな手段があります。
しかし、デモが根本的です。
デモがある限り、その他の方法も有効になりますが、デモがなければ、それらは機能しません
いままでと同じことになります

さらに私が受ける質問は、「このままデモは、下火になっていくのではないか?」というものです。
戦後、日本には、幾度も全国的な規模のデモがありました。
しかしそれは、長続きしなかった。
今回のデモもそうなるのではないか、というわけです。
たしかに、その恐れはあります。
マスメディアではすでに、「福島の事故は片付いた」、「ただちに経済復興に取り組むべきだ」というような意見が強まっています。
ところがそんなことはない。
福島では、なにも片付いてはいないのです。
しかし、当局やメディアは、片付いたかのように言っている
最初からそうです。
彼らは最初から、事実を隠し、たいしたことはなかったかのように装ってきたのです。
ある意味で、それは成功しています。
多くの人たちがそれを信じている
信じたいからです
そしたら、今後に、反原発のデモは下火になっていくことは避けられない、というふうに見えます。

しかし違います。
福島原発事故は片付いていない。
今後もすぐには片付かない。
むしろ、今後に、被爆者の病状がはっきりと出てきます。


また、福島の住民は、永遠に郷里を離れることになります。
つまり、われわれが忘れようとしても、またじっさいに忘れても、原発の方は執拗に残る
それはいつまでも続きます
原発が恐ろしいのはこのことです
それでも人々はおとなしく、政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。
そうであれば、日本人は、物理的に終わりです。

だから私は、こう信じています。

第一に、反原発運動は長く続くということです。
第二に、それは原発にとどまらず、日本の社会を根本的に変えるちからとなるだろう、ということです。
みなさん!粘り強く闘いましょう!
以上です。


柄谷行人 公式ウェブサイトより

反原発デモが日本を変える
 
3月11日の東日本大震災から、この6月11日で、3か月が経過する。
震災直後に起こった福島第一原発の事故を契機に、日本国内のみならず海外でも、「反原発・脱原発デモ」が相次いでいる。
東京においても、4月10日の高円寺デモ、24日の代々木公園のパレードと芝公園デモ、5月7日の渋谷区役所~表参道デモとつづき、
6月11日には、全国で、大規模なデモが行なわれた。
作家や評論家など、知識人の参加者も目立つ。
批評家の柄谷行人氏は、60年安保闘争時のデモ以来、芝公園のデモに、およそ50年ぶりに参加した。
今後、この動きは、どのような方向に向かい、果たして原発廃棄は実現可能なのか。
柄谷氏は、6月21日刊行の『大震災のなかで 私たちは何をすべきか』(内橋克人編、岩波新書)にも、「原発震災と日本」を寄稿している。
柄谷氏に、お話をうかがった。
(編集部)

  *  *  *

【柄谷】
最初に言っておきたいことがあります。
地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。
今年の3月まで、一体何が語られていたのか。
リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による、日本経済の避けがたい衰退、
そして、低成長社会にどう生きるか
、というようなことです。
別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない
今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる
それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる
また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる
こういう考えの前提には、経済成長を維持し、世界資本主義の中での競争を続ける、という考えがあるわけです。
しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを、完全に没却している
もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。

日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が、少し出てきていました
しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった
まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている
だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。
しかし、そもそも、エネルギー使用を減らせばいいのです。
原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。
あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうという、ケインズ主義的思考が残っています
地震のあと、むしろそのような論調が強くなった。
もちろん、そんなものはうまく行きやしないのです。
といっても、それは、地震のせいではないですよ。
それは、産業資本主義そのものの本性によるものですから。

原発は、資本=国家が、必死に推進してきたものです。
原発について考えてみてわかったことの一つは、
原発が必要であるという、その正当化の理論が、日本では、歴史的に著しく変わってきたということです。

最初は、原子力の平和利用という名目で、核兵器に取り組むことでした。
これは、アメリカの案でもあり、朝鮮戦争ぐらいから始まった。
このような動機は、表向き言われたことはありませんが、現在も続いている。

つぎに、オイルショックの頃に、石油資源が有限であるという理由で、
火力発電に代わるものとして、原発の建設が進められ
るようになった。
これも、アメリカの戦略ですね。
中東の産油国を抑えられなくなったので、原子力発電によって対抗しようとした、といえる。

その次に出てきたのが、火力発電は炭酸ガスを出すから、温暖化につながる、
したがって、原発以外にはない、というキャンペーン
です。
実際には、原発はウラン燃料作り、原発建設、放射能の後始末などで、炭酸ガスの放出量は、火力発電と違わない。
だから、まったくの虚偽です。

このように、原発正当化の理由がころころ変わるのは、アメリカのブッシュ政権時の、イラク戦争と同じです。
つまり、最初は大量破壊兵器があると言って、戦争をはじめたのに、
それがないことが判明すると、イラクの民主化のためだと言う。
途中で理由を変えるのは、それが虚偽であること、真の動機を隠すためだということを、証明するものです。
原発に関しても同じです。
それが必要だという理由が、ころころ変わるということ自体、それが虚偽である証拠です。


 ―― なるほど。

【柄谷】
フクシマのあと、脱原発に踏み切った国を見ると、核兵器を持っていないところですね。
ドイツやイタリアがそうです。
この二カ国は、日本と一緒に、元枢軸国だったのです。
ところが、日本はそうしない。
それは、本当は、日本国家が、核兵器をもつ野心があるからだと思います。
韓国もそうですね。
ロシアやインドは、もちろん核兵器を持っている
核兵器を持っている国、あるいはこれから作りたい国は、原発をやめないと思います。
ウランを使う原子炉からは、プルトニウムが作られますからね。
元々そうやって、原子爆弾を作ったんだから、原子力の目的はそれ以外にはない。
原子力の平和利用と言うけれど、そんなものは、あるわけがない
同じ原子力でも、トリウムを燃料として使うものがあります。
『原発安全革命』(古川和男著、文春新書)という本に書かれていますが、
トリウムはウランより安全かつクリーンで、小型であり、配電によるロスも少ないという。
しかし、それがわかっていても、採用しないと思います。
そこからはプルトニウムができない、つまり、核兵器が作れないからです。

原発は、経済合理的に考えると成り立たない
今ある核廃棄物を片付けるだけで、どれだけのお金がかかるのか。
でも、経済的に見て、非合理的なことをやるのが、国家なのです。
具体的には、軍ですね。
軍は、常に敵のことを考えているので、敵国に核兵器があれば、核兵器を持つほかない
持たないなら、持っている国に頼らなければならない。
できるかぎり、自分たちで核兵器を作り所有したい、という国家意志が出てきます。
そこに、経済的な損得計算はありません
そんなものは不経済に決まっていますが、国家はやらざるをえない
もちろん、軍需産業には利益がありますよ。
アメリカの軍需産業は、戦争を待望している
日本でも同じです。
三菱はいうまでもなく、東芝や日立にしても、軍需産業であって、原発建設はその一環です。
他国にも原発を売り込んでいますね。
日本で原発をやめたら、外国に売ることもできなくなるから困る
だから、原発を止めることは許しがたい。
したがって、原発を止めるということは、もっと根本的に、軍備の放棄、戦争の放棄、ということになっていく問題だと思います。


 ―― 4月24日のデモについて、おうかがいします。
柄谷さんは、ご自身が講師を務める、市民講座「長池講義」の公式サイトで、
「私は、現状において、反原発のデモを拡大していくことが、最重要であると考えます」と述べ、
反原発デモへの参加を呼びかけられました。
実際に、芝公園と、その次の渋谷区役所前のデモに参加された。
街頭デモへの参加は、50年ぶりのことであり、なぜ柄谷さんをこの運動に向かわせたのか、お聞かせいただけますか。

【柄谷】
デモに行くということについては、かなり以前から議論していたと思います。
数年前から、何カ所かで、「なぜデモをしないのか」という講演をしたのです。
『柄谷行人 政治を語る』(図書新聞刊)の中でも、その話をしています。
なぜ、日本でデモがなくなってしまったのか
そのことについても考察しています。
それと関連する話ですが、3月11日以降に、わかってきたことがあります。
実際は、1980年代には、日本に、大規模な原発反対の運動があったのです。
それなのに、なぜ今日まで、54基もの原発が作られるに至ったのか
そのことと、なぜデモがなくなったのかということは、平行しており、別の話ではないということです。

現在言われている反原発の議論は、1980年代に、既に全部言われていることですね。
事実、多くの本が復刻されて読まれている。
今も、完全に通用するのです。
むしろ驚くべきことは、
あの時に言われていた原発の危険性、技術的な欠陥、それらが、未だに何一つ解決されていないということです。
原発はまた、危険であるがゆえに避けられない、過酷な労働を伴います。
半奴隷的と言ってもいい労働が、ずっとつづけられてきた
今度の事故で、あらためて、そのことに気づかされました。
原発に反対すべき理由は、今度の事故で、新たに発見されたのではない
それは、1950年代において、はっきりしていたのです。
しかし、それならなぜ、原発建設を放置してしまったのか
特に強制があったわけでもないのに、原発に反対することができなくなるような状態があったのです。
デモについても、同じことです。
デモは、別に禁止されてもいないのに、できなくなっていた
では、この状態を突破するには、どうすればいいか。
そのことを、僕は考えていました。
そこで、デモについて、いろいろ考え発言したのですが、結局、まず自分がデモをやるほかないんですよ。
なぜデモをやらないのか、というような「評論」を言ってたってしょうがない。
それでは、いつまで経っても、デモがはじまらない。
デモが起こったことがニュースになること自体、おかしいと思う。
だけど、それをおかしいというためには、現に自分がデモに行くしかない、と思った。


 ―― 参加されて、どんな感想をお持ちになりましたか。

【柄谷】
気持よかったですね。
参加した人もこれまで、デモについての固定観念を持っていた、と思うのですが、来てみたら全然違う、と感じたんじゃないですか。
子供連れで来ている人がかなりいました。
僕は、安保の時に、何度もデモに行きましたが、今回のデモは、あの時とは違いますね。
しかし、僕がデモに50年ぶりに参加したというのは、日本において、ということです。
実は、アメリカに住んでいた頃は、何度かデモに行ってるんですよ。
といっても、わざわざ出掛けて行ったのではない。
たとえば、10万人のデモが家の前を通っていて、そこを通り抜けないと、カフェにも行けない。
だから、ついでにデモに参加したわけです。
むろん、イラク戦争反対のデモだったからですが。
今回の日本のデモは、そのときのデモに似ています。


 ―― 安保の時とは違うと言われましたが、どのような違いがあったのでしょうか。

【柄谷】
1960年のころは、基本的に、労働組合が中心で、その先端に学生のデモがあったのです。
「全学連」のデモも、最後の半年ぐらいは違いますが、
それまでは、国民共闘会議のなかの一集団で、長いデモの先頭にいたんですね。
何十万人の参加者の中の、1万か2万ぐらいが学生だった。


 ―― 一緒にやっていたわけですか?

【柄谷】
そうですね。
ただし、1960年以後、学生と労働者との断絶が続きました。
1960年代末の、いわゆる全共闘のころは、学生のデモは、労働運動とはつながりがほとんどなかった
その分、デモは過激なものになって、普通の市民は参加できない
だから、いよいよ断絶化する。
したがって、1960年以後は、大規模な国民的デモはなかった、といっていいと思います。
現在は、大学の学生自治会はないし、労働組合も弱い。
早い話が、東電の労組は、原発支持ですね。
労働組合に支持された民主党も、原発支持です。
こんな連中が、デモをやるはずがない。
だから、現在のデモは、固定した組織に属さない、個人が集まったアソシエーションによって行われています
たとえば、僕ら(長池評議会のメンバー)は50人ほどですが、その種の小さいグループが、いっぱいあると思います。
今後も、若い人たちがデモをやるならば、僕は一緒に動きます。


 ―― 1991年の湾岸戦争の時、日本の参戦に反対する「文学者の集会」を、柄谷さんは開かれました。
その時のことを振り返って、「僕だけなら何もしなかった」「(自分は)受身である場合が多い」とおっしゃっています(『政治を語る』)。
今回は、自ら呼びかけを行ない、今後もそれはつづけていく、と発言されています。

【柄谷】
僕は、他の人たちがやっているデモに、相乗りしているだけであって、自分ではじめたのではない
その意味で受け身です。
しかし、それは問題ではない
僕は、運動の中心にならなければならないとは、まったく考えていない。
デモがあれば、そこに行けばいい
ただ、たとえデモがあったとしても、ひとりではなかなか参加できないものなんですよ。
それなりに連合していないと、デモはできないと思います。
だからアソシエーションが必要だ、と言っているわけです。


 ――『政治を語る』の中では、2000年に、NAMをはじめた時のことを振り返って、次のように言われています。
「この時期に運動をはじめたのは、理論的なこともそうですが、現実に危機感があったからですね。
1990年代に、日本で、「新自由主義」化が進行した。
いつでも戦争ができる体制ができあがっていた。
僕は、『批評空間』をやっている間、それに抵抗しようとしましたが、無力でした。
たんなる批評ではだめだ、と思うようになった。
だから、社会運動を開始しようと思った」
その時の思いと、今回の行動は、繋がっていると考えてもよろしいのでしょうか。
NAMの正式名称(New Associationist Movement)が示す通り、当時から、アソシエーションの必要性を強調されていました。

【柄谷】
今もそれは同じです。
当時、アソシエーションというとき、協同組合や地域通貨といったもの、
つまり、非資本主義的な経済の創造を考えていたのですが、
それはむろん、今後に、ますます必要になると思います。

特に、経済的な危機が来たら。
20世紀末に、それまでの「批評」ではだめだと思ったのは、ソ連崩壊以後の世界が、根本的に変わってきたと感じたからです。
それまでの「批評」、あるいは「現代思想」というのは、米ソの冷戦構造の下に出てきたものですね。
簡単にいえば、米ソによる二項対立的世界を脱構築する、というようなものです。
実際には何もしないし、できない。
米ソのどちらをも批判していれば、何もしないのに、何かやっているという気になれた
しかし、ソ連が崩壊したことで、このような世界は崩壊しました。
米ソの冷戦構造が終わったことを端的に示したのが、湾岸戦争ですね。
そのとき、僕は、今までのようなスタンスは、もう通用しないと思った。
だから、湾岸戦争の時に、文学者を集めた反戦集会をやったのです。
しかし、それに対して、僕を批判した連中が大勢いましたね。
もと全共闘、というような人たちです。
たぶん、かつてはデモをやっていた連中が、集会やデモを抑圧するようになっていたのです。
しかし、現在、若い人たちは、デモを否定的に見るような圧力をもう知らないでしょう。
それはいいと思いますね。


 ―― 確かに今回、特に20代から30代の若い人たちが、積極的にデモに参加している印象があります。

【柄谷】
やはり、大きな災害があったからだと思いますね。
非日常的な経験をすることで、新しい自分なり、新しい人間の生き方が出てきたんでしょう。
これまでの普段の生活の中では、隠蔽されていたものが出てきたんだと思います。
資本主義経済というのは、本当にあらゆるところに浸透していて、小さな子どもの生き方まで規定していますからね。
最近聞いて、面白いなと思ったものがあります。
「就活嫌だ」、というデモがあるらしい。
それはいいと思う。
当たり前の話で、大学に入学して間もなく、就職活動を始めなきゃならないなんて、嫌にきまっていますよ。
こんなものが大学ですか
今の大学に、学問などないということは、原子力関係の研究者の様子を見れば、わかります。
だから、嫌だといえばいい
デモをすればいい


 ―― 柄谷さんは『政治を語る』の中で、繰り返し、デモの必要性を説かれていますが、
その意味で、「希望の芽」のようなものが、今出はじめたと思われますか。

【柄谷】
そう思います。
3月11日以後、日本の政治的風土も、少し変わった気がしますね。
たとえば、「国民主権」という言葉があります。
国民主権は、絶対王制のように、王が主権者である状態をくつがえして出てきたものです。
しかし、主権者である国民とは何か、というと難しいのです。
議会制(代表制)民主主義において、国民とはどういう存在なのか。
選挙があって、国民は投票する
その意味で、国民の意志が反映される
しかし、それは、世論調査やテレビの視聴率みたいなものです。
実際、一か月も経てば、人々の気持はまた変わっている
要するに、「国民」は、統計的存在でしかない
各人は、そのような「国民」の決定に、従うほかない
いいかえれば、そのようにして選ばれた代行者に、従うほかない
そして事実上は、国家機構(官僚)に従うことになる
こんなシステムでは、ひとりひとりの個人は、主権者ではありえない。
誰か代行者に、拍手喝采することぐらいしかできない。


昔、哲学者の久野収が、こういうことを言っていました。
民主主義は、代表制(議会)だけでは機能しない
デモのような直接行動がないと、死んでしまう、と。

デモなんて、コミュニケーションの媒体が、未発達の段階のものだと言う人がいます。
インターネットによる、インターアクティブなコミュニケーションが可能だ、と言う。
インターネット上の議論が、世の中を動かす、政治を変える、とか言う。


しかし、僕はそう思わない
そこでは、ひとりひとりの個人が見えない
各人は、テレビの視聴率と同じような、統計的な存在でしかない
各人は、けっして主権者になれないのです。
だから、ネットの世界でも、議会政治と同じようになります。
それが、この3月11日以後に、少し違ってきた。
以後、人々がデモをはじめたからです。
インターネットもツイッターも、デモの勧誘や連絡に使われるようになった。

たとえば、中国を見ると、
「網民」(網はインターネットの意味=編集部注)が増えているので、中国は変わった、
「ジャスミン革命」のようなものが起こるだろうと言われたけど、何も起こらない。
起こるはずがないのです。

ネット上に威勢よく書き込んでいる人たちは、デモには来ない
それは、日本と同じ現象です。
しかし、逆に、デモがあると、インターネットの意味も違ってきます
たとえば、日本ではデモがあったのに、新聞もテレビも、最初そのことを報道しなかった
でも、みんなが、ユーチューブで映像を見ているから、隠すことはできない
その事実に対して、新聞やテレビ、週刊誌が、屈服したんだと思います。
それから段々、報道されるようになった。
明らかに世の中が変わった。
しかし、それがインターネットのせいか、デモのせいかと問うのは、的外れだと思います。


 ―― 地震直後と現在と比べて、柄谷さんご自身の考え方に変化はありましたか。

【柄谷】
それはもちろんありますが、あまり大きくは変わらないですね。
最初は、この先どうなるか、見当がつかないぐらいだった。
現在だって、こういう状態が、ずっとつづくのかなと思っていますが。
原発事故の後、「ただちに危険はない」と、よく言われていましたね。
でも、外国人は、ただちに国外に逃げていた
ドイツなんて、成田への直行便を、やめてしまった
今でも僕が見ているのは、ドイツの気象庁が出しているデータです。
彼らは、最初の段階から、きちんと情報を提供していた
その日の風向きによって、放射性物質がどういうふうに流れているか、毎日伝えています
それは風向き次第で、大阪や札幌には飛んでいくし、時にはソウルまでいっている
外国人はそれを見ているが、日本人は見ていない
日本では、内緒にしようとしているからです。
だから、そういうことを知らない人が多い
しかし、日本政府が隠そうとしても、もはや隠すことはできない。
今は、すぐに、インターネットで情報が流れます。
外国人は騒ぎ過ぎるとか、風評被害である、とか言う人がいますが、黙っている方が罪は重い
危険であることを当たり前に指摘するのが、なぜ風評なのか
日本人が何も言わないのは、真実を知らされていないからです。
最近になって、段々状況がわかってきたので、怒り出した人たちがいます。

つい最近、イタリアで、2009年4月に起こった地震(309人が死亡、6万人以上が被災した)に関して
防災委員会の学者らが、大地震の兆候がないと判断したことが、被害拡大につながったとして起訴された
この場合、地震学者が、大地震は「想定外」だった、と弁明することは許されると思うのですが、それでも起訴されています。

一方、福島第一原発の場合、当事者らが、大地震は「想定外」だった、という弁解は成り立たない
東電はいうまでもなく、官僚、政府にいたるまで、罪が問われても当然です。
あれは、紛れもなく犯罪ですから
しかも、放射能汚染水を、海に垂れ流していますから、国際的な犯罪です。
「東京(電力)裁判」が必要になると思う。
というと、これから未来に向けて、何かしなければならないときなのに、
原発事故の責任を問うということは、後ろ向きでよくない、という人がいます。
しかし、過去の問題に対して、責任を問うことは、まさに未来に向かうことです。
これまで危険な原発を作ることに、なぜ十分な反対もできなかったのか
そのような責任の意識から、僕は今デモに行っています。

若い人たちは違いますよ。
生まれた時に、すでに原発があったから。
だけど、今後に原発の存続を許せば、今回と同じことが起こるわけです。
デモの先導車で、ラップをやっていた若い女の子が、もし原発を放っておいたら、未来の人たちに申し訳ない、という
そういう気持が、若い人たちにもあるんだな、と思った。
それから、京都大学原子炉実験所の助教である、小出裕章さんという人の講演を聞いたときも、感銘を受けました。
彼は、「原発を止められなくて申しわけない」と話しつつ、涙ぐんでいた
今回の事故の後、「ほら見たことか。俺はあんなに反対していたんだ」と言うこともできたはずですが、
何であれ、止めることができなかったことに変わりはない、だから申し訳ない、ということです。
原発を推進した連中が、責任を問われるのは当たり前ですが、
一番そのような責任から免れているはずの人が、責任を感じている

ならば、僕のような者は、責任を感じざるを得ないですね。

恐ろしいと思うのは、原子炉は、廃炉にするといっても、別に無くなるわけじゃないということです。
閉じ込めるための石棺だって壊れる。
これから何万年も、人類が面倒見ていかなければいけない
未来の人間がそれを見たら、なんと自分たちは呪われた存在か、と思うでしょうね。
しかも、原子力発電を全廃しても、核廃棄物を始末するためだけに、原子力について勉強をしないといけない。
情けない学問ですが、誰かがやらざるをえないでしょう。
しかし、いかなる必要と権利があって、20世紀後半の人間がそんなものを作ったのか
原発を作ることは、企業にとってもうけになる
しかし、たかだか数十年間、資本の蓄積(増殖)が可能になるだけです。
それ以後は、不用になる
不用になったからといって、廃棄できない、恐ろしい物です。

誰でも、よく考えれば、そんな愚かなことはやりません。
しかし、資本の下では、人は考えない
そこでは、個々の人間は主体ではなくて、駒のひとつにすぎません
東電の社長らを見ると、よくわかります。
あんな連中に、意志というほどのものがあるわけがない。
「国家=資本」がやっているのです。
個々人は、徹頭徹尾、その中で動いているだけですね。
ただ、それに対して、異議を唱えられるような個人でないと、生きているとは言えない


 ―― 脱原発の動きについては、そのひとつの試みとして、ソフトバンクの孫正義さんが提案している案(大規模な太陽光発電所の建設など)も、最近注目を集めています。

【柄谷】
ぼくは信用しない
自然エネルギーの活用、というような人たちは、新たな金儲けを考えているだけですね。
エコ・ビジネスの一環です。
太陽光というと、パネルなどを大量に生産することができる。
あるいは、大量に電気自動車を作ることができる。
しかし、サハラ砂漠ならともかく、日本では、太陽光発電そのものが、環境破壊となる
そんなものは、いらない
現在のところ、天然ガスで十分です。
それなら、日本の沿岸にも無尽蔵にある。
要するに、先ず原発を止める
それからゆっくり考えればいいんです。


 ―― 反原発運動を考える際に、現在「不買運動」の必要性を指摘する人もいます。
これは、NAMの時に、柄谷さんがおっしゃっていたことに繋がっているんじゃないか、と思います。


【柄谷】
不買運動はいいと思いますが、今のところ、まず、デモの拡大が大事だと、僕は思う。
その中から自然に、そういう運動が出てくればいい
先程言った、「就活嫌だ」というようなデモでもいい。
とにかく、何か事があれば、人がデモをするような市民社会にすること、が重要だと思います。
それが、主権者が存在する社会です。
一昔前に、人類学者が、『ケータイを持ったサル』という本を書きました。
若い人たちが、お互いに話すこともなく、うずくまってケータイに向かっている。
猿山みたいな光景を、僕もよく見かけました。
たしかに、デモもできないようでは、猿ですね。
しかし、ケータイを棄てる必要はない
ケータイをもったまま、直立して歩行すればいいわけです。
つまり、デモをすればいい
実際、今、若者はケータイをもって、たえず連絡しながら、デモをやっていますね。
そういう意味で、「進化」を感じます。


 ―― 最後に、現在立ち上がった運動が持続するために、何が必要だと思われますか。

【柄谷】
デモをすることが当たり前だ、というふうになればいい
「就活嫌だ」のデモでいい。
「職をよこせ」のデモもいい。
デモをやる理由は、無数にあります
今の日本企業は、海外に移って、日本人を見捨てています。
資本はそうしないとやっていけない、というでしょう。
しかし、それは資本の都合であって、その犠牲になる人間が、黙っている必要はありません

異議申し立てをするのは、当然のことです。

それなのに、デモのひとつもできないのなら、どうしようもないですね。
誰かがやってくれるのを待っているのでは、何もしないのと同じです。
誰かがやってくれるのを待っていると、結局、
人気のあるデマゴーグの政治家を、担ぎ上げることにしかならないでしょう。
それは結局、資本=国家のいいなりになることです。
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Unknown (かまどがま)
2013-12-12 18:15:09
うわっつ!柄谷先生!!うっかり忘れていました。
実は大昔、先生がアメリカにわたる前に文学の授業受講した事があるのです。
その後、出版物は時々手にしていたのですが、知性を試される難しさで頭が痺れます。でも深く考えることを強いられる経験をすることが出来ました。
『デモのススメ』紹介していただいて心から感謝です。
ちょっと時間を作ってサイトで頭を痺れさせてみます。
返信する
Unknown (青空)
2013-12-12 22:41:46
http://ameblo.jp/sinsiadog/entry-11677003496.html

この記事、日本人は知らないでしょう。
有耶無耶にしてきたつけが今、回ってきているような気がします。

ブログ主さんはブログを閉じる前に大事な記事や下書きをアップされています。近い内の閉じるという事です。

残念です。益々隠された状態になってしまいます。


反原発デモって、瓦礫拡散反対の声は上げるな、とか、
ガス抜きな所ありますね。


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Unknown (ソーゾー君)
2013-12-13 01:22:54
青空君・・良く解ってるね・・ネタばらしお疲れさん。

瓦礫拡散が目的の一つだよ・・「だから廃炉や検索や瓦礫撤去などの作業で被爆する」と言う事実には触れない。

そしておまえが提示した情報は嘘だよアホ・・
薩長系の売国奴に拾われた天皇家にそこまでの力はない。
歴史を見たら解るけど天皇家は権力者に利用されてきた一族だ。
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Unknown (ソーゾー君)
2013-12-13 01:31:09
ブログ主はデモをやる前に世界の構造=仕組みを理解すべきだな・・

何も知らず無知な者が無責任にデモを煽り他人を危険に晒すべきではない。

お金の仕組みを知ってますか?銀行の仕組みを知ってますか?株式の仕組みを知ってますか?

これを知らないのに企業とか経済とか政治とか原発を語れないよ?
解るわけがないから・・もし理解していると豪語するなら上記の仕組みを即答できるはずだ。

「俺は出来るよ?」
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Unknown (青空)
2013-12-13 03:47:33
ソーゾー君 

実際の埋蔵されている文書で嘘では無いです。
昭和天皇の権力が強かったという事はネットで大分もう事実として広がっています。

最近のハリウッドの天皇の映画を観た時、最後に実際の写真が大きいスクリーンに映し出されました。

映画では初対面にマッカーサーと会見となっていましたが、
その実際の写真はすっかり安心感を漂させる雰囲気の昭和天皇でした。

あの大スクリーンの写真を見た時、既に話がついている、という印象を持ちました。

あのブログの他の記事を全部信じるかどうか、それぞの判断で良いのでは、と思います。

スピリチュアルな話は私も良く分かりません。
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Unknown (かまどがま)
2013-12-13 10:53:48
終戦にまつわる天皇の密約は沢山あります。そんなものは珍しくない。

これも、沖縄を切り捨てる文章で長期の沖縄占領の根拠にもなったとされています。

http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html

日清戦争終結の時も宮古八重山を中国にしても構わないというような文章があり、それはその時は欲しくないとされている(苦笑

今の憲法も、主権在民と象徴天皇の並立は素直に考えれば矛盾しているという見方ができます。
当時、天皇制を全廃すると、国内の不安定要因になり占領がスムーズに行われないとの判断から残されたもの認識されています。
そして、今の天皇は全身全霊で平和を尊重し良き国民の象徴を努めようと人生をかけて頑張っているのは否定できない事実です。

ただ、小泉の云う「神の国」や安倍の云う「美しい国」は明治維新当時、西欧文明に対するコンプレックスから特別な国であるという意識を形成する必要性から天皇を神とし、それが今でも周辺の国を差別し自分たちを特別とするネットウヨクの根拠となっていることを忘れることはできません。
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Unknown (青空)
2013-12-13 11:17:17
http://blog.goo.ne.jp/fukushine777/e/f58c0d6a96ed78a9b7d6ca07e25dd82c

しかし残念ながら、当事者の方々にとってはこれが現実だと思います。

赤十字へ寄付したお金もちゃんと渡っていないと言われているようです。

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かまどがまさんへ (まうみ)
2013-12-13 13:14:47
そうですか、柄谷先生の書物は、読むと頭が痺れるんですね?!
う~ん……わたしだと、知恵熱が出るかも……。
でも、この記事の言葉は、とてもわかりやすいですね。
いろいろと、うなづきながら、何度も何度も読ませていただきました。

『何か事があれば、人がデモをするような市民社会にすること』
時間がかかるかもしれませんが、わたしはこの市民社会を目指したいと思います。
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青空さんへ (まうみ)
2013-12-13 13:22:06
わたしもその件について、似たような文章を読んだことがありますが、そのことについて今ここで、論議をしようとは思いません。

『反原発デモって、瓦礫拡散反対の声は上げるな、とか、ガス抜きな所ありますね』

多分、これは、反原連のことをおっしゃっていると思いますが、この記事の、柄谷氏が言われている反原発デモというのは、あちこちで自主的に行われている原発反対デモのことだと思います。
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まうみさんへ(蛇足です) (かまどがま)
2013-12-13 13:36:37
柄谷先生は講義はたぶんバイト感覚で、難しことは話されませんでした(こちらが読みとれなかった可能性大ですが)。
著書は、文系のはずなのに、論理的でまるで数学のように頭がグルグルになります。
むしろ、音楽を作られるまうみさんの方が全体構造の把握など、楽にできると思います。

民主主義を自分たちのものにする、そのやり方がデモができる社会の実現と云うことですね、深く納得できます。
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