ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「他国を愛さないでただ自国を愛する者は、他人を愛さずしてただ自己の一身を愛する者である」幸徳秋水

2013年07月23日 | 日本とわたし
舩橋淳監督のFacebookから。

非戦と原発反対の、根底にあるのは同じ。

一部の人間の意思決定により、したっぱにいる普通の市民の命を奪い、人生を狂わせる、
そんなことが許されてはならない、という思いだ。

国境という線引きで、利害を対立させ、双方が国益のためという建前で、
互いの国の人々を傷つけ合う、戦争。

市町村という線引きで、わが町を他の町よりも発展させるためという建前で、
後の世代に多大な迷惑(使用済み燃料)と借金、そして、万一事故が起こったとき、その町そのものを消し去る災禍をもたらす、原発。

国境に関係なく、県境に関係なく、基本的な人間存在を傷つけてはならない、
そんな暴挙をする権利は、何人たりとも持ち得ない。

したっぱにいるおっちゃん、おばちゃん、じいさん、ばあさん、子供たちが、どれだけ苦しい目に遭うのか。

戦争を、核を、誰かが誰かに強要することが、あってはならない。

この思いは、誰もが共有できると思うし、そんな純粋な道義心こそが、政治を動かす原動力であるべきだ。

以下の、幸徳秋水の、権力批判を読んで欲しい。
今の世に通ずる慧眼だと思う。


思うに、幼児が井戸に落ちようとするのをみたら、
誰でも走って、これを救うのに躊躇しないだろうことは、
中国の孟子が言ったとおりで、我々も同じである。
もし、愛国の心をして、本当に、この幼児を救うのと同質のシムパシー、
惻隠の念、慈善の心と同様に、ならせることができるなら、
愛国心は全く美しいもので、純粋で、一点の私心もないのである。

私は、いわゆる愛国心が、純粋な同情、惻隠の心でないことを悲しむ。
なんとなれば、愛国心が愛するところは、
自分の国土に限られているからである。
自己の国民に限られているからである。
他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、
他人を愛さずして、ただ自己の一身を愛する者である。
浮ついた名誉を愛するのである。
利益の独占を愛するのである。
公正と言えるであろうか。
私でない、と言えるであろうか。


幸徳秋水「帝国主義」より



https://www.facebook.com/atsushi.funahashi.58

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