ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

戦後ずっと、平和教材として祭り上げ、神話化されてきた絵本『かわいそうな象』の真実

2013年04月13日 | 日本とわたし
Peace Philosophy Centreからの、もうひとつのお話は、『かわいそうな象』という絵本についてです。

わたしはこの本を何回も読んで、そのたんびに泣いてた記憶があります。
なのでよけいに、この本当のことを知って、いやな気持ちになりました。
いやな気持ちというより、なんでこんなことをして子どもを騙さなあかんのか、
それをした当時の大人はきっと、自分らは正しいことをしてると思てたんやと思います。
それが怖い。ほんまに怖い。
そうやって、自分は正しい、ええことしてると思い込んでる、地位も金も権力もある人間が怖い。

日本は今、妙に、あの時期に似た様な方に向こてるような気がしてなりません。

物事を見て聞いて判断する際に、情緒や情念がまず一番おっきな位置を占めがちな傾向がある。
そこを狙て、やつらはつけこんできます。
自分らの思うように物事がすすむように。
悪さしてることがバレへんように。
もっともっと自分らの懐が潤うように。

もう騙されるのはやめましょう。
いつまでも、へ~とか言うてたらかっこ悪い。
見えてないこと、聞こえてないこと、伝えられてないことの中に、真実が隠されてます。
大勢の人が賛成してないことに、正しいことが隠されてます。

この、「かわいそうな象」のほんまの話を読んで、自分の考え方について考えてみてください。

↓以下、転載はじめ

アジア太平洋戦争 もう一つのいわれなき虐殺 
「かわいそうな象」の事実関係は絵本に描かれているものと違った


今春、東京では、上野公園の桜を楽しんだ方も多かったのではないでしょうか。
その上野にちなみ、児童「平和」文学の金字塔とされており、英訳もされている絵本「かわいそうな象」の、背景にある事実関係を解き明かした、論考の紹介をしたいと思います。

ちょうど私は、沖縄戦開始時(米軍慶良間諸島上陸、1945年3月末)の被害者を追悼するために、沖縄に行ってきたところです。
米軍の捕虜になったら、男は八つ裂きにされる、女は乱暴され殺されると騙され、背いたら日本軍に殺されかねない状況の中、
愛する者や自らの命を絶たされた人たちの、無念の死を思うにつけ、
戦争とは、国と国との戦いというよりも、国家による敵、味方を問わない市民殺害の行為である、という確信を新たにして帰ってきました。

1943年半ばの東京、空襲も始まっていない時期に、「戦時」だというだけで、必然性もなく、避難も許されずに虐殺された動物たちのことを思うと、
これは、沖縄における、「強制集団死」をはじめとする、日本軍による住民虐殺のように、そして後に東京を本当に襲う、米軍による大虐殺事件「東京大空襲」のように、
無謀な戦争における、もう一つの、いわれなき虐殺事件と位置付けられるのではないか、と


もうひとつのかわいそうなゾウの話

―戦時の猛獣処分をテーマにした、児童文学に潜む問題について―
小幡 詩子

親子連れで賑わう上野動物園は、1882年(明治15年)に、文明開化と共に生まれた、日本初の動物園。
3月20日は開園記念日で、今年133歳を迎えたが、その長い歴史の一時期、軍事と密接な関係があった。
寺内寿一元帥や東条英機、杉山元参謀総長の名前で、戦地から持ち帰った珍しい動物が、寄贈されていた。
また、戦時中、殺処分された動物たちの慰霊行事は、現在も続いている。

『かわいそうなぞう』は、児童文学作家の土家(つちや)由岐雄によって、太平洋戦争中の上野動物園で、象が殺処分を受けたという実話を元に描かれ、
1951年『愛の学校・二年生』(東洋書館)の中で発表された。
1970年に、金の星社より、「絵本」として出版されるや、大反響を呼び、1998年までに100万部、2005年時点で220万部を超えた。
紙芝居や副読本にも収録されるのみならず、小学年生向けの国語教科書にも採用され、1974年~1986年まで使用され、79年には英訳本も刊行された。
文字や絵を通じてのみならず、評論家の秋山は、ラジオ番組『秋山ちえ子の談話室』で、1970年~2002年の32年間、毎年終戦記念日に、戦争の悲惨さを伝えるために、この絵本を朗読した。
秋山氏によると、この放送が、子どもたちに、戦争はごめんだ!と思う心を育てる役割を果たしてくれる、と願って続けたようだ。

あらすじ
第二次世界大戦が激しくなり、東京市にある上野動物園では、空襲で檻が破壊された際の猛獣逃亡を視野に入れ、殺処分を決定する。
ライオンや熊が殺され、残すは、象のジョン、トンキー、ワンリー(花子)だけになる。 
象に毒の入った餌を与えるが、象たちは吐き出してしまい、殺すことができない。
毒を注射しようにも、象の硬い皮膚に針も折れてしまう。
そこで、餌や水を与えるのを止め、餓死するのを待つことにする。
象たちは、餌をもらうために、必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。
さて、三頭の死に、飼育員たちは泣き叫ぶわけだが、初出では、心の中で叫ぶのに対して、
絵本版では、死んだ象の上を、敵機が何機も飛んでいて、その敵機に向かって、「戦争をやめろ」と叫んでいる。



もうひとつのかわいそうなゾウの話

以上、絵本では、飼育員たちが「戦争をやめろ」と、東京上空を飛んでいる敵機に、こぶしを振り上げ叫んでいるが、
本当に、大空襲の最中での出来事であったのか? 
関連資料を調べると、象たちが殺された1943年の夏、空襲は、まだ切迫してはいなかった。
確かに、42年に、B25爆撃機による空襲はあったが、まだ小規模な奇襲攻撃にしか過ぎなかった。
B29による東京大空襲は、1944年11月から始まるので、空襲で猛獣たちが逃げ出す心配などなかった
猛獣ならともかく、なぜ、おとなしく芸をして、人気者の象まで殺されなければならなかったのか? 
児童文学評論家の長谷川潮は、土家が、殺処分と空襲の時間的経過を明らかにせず、切迫していないのに殺処分は仕方がないと描き、
そもそも、猛獣処分命令の背後にある、真の意味を描き出すことをせず完結させた、と批判し、戦時猛獣処分をテーマにした、児童文学に潜む問題点を追及した。   

そこで、長谷川潮の『戦争児童文学は真実をつたえてきたか』、野坂昭如の『干からびた象と象使いの話』、および小森厚の『もう一つの上野度物園史』に基づいて、
殺処分命令の背後に、一体何があったのか、時系列的にまとめてみる。
これは、仕方のなかった事件ではなく、戦争推進側の人間の勝手によって引き起こされた、
象にとっても、動物園の人々にとっても、戦況を知らされていなかった国民にとっても、悲劇
である。

1943年、上野動物園園長の古河忠道は、陸軍獣医として応召しており、福田三郎が園長代理を務めていた。
8月16日、福田と古河は、東京都公園課長から、
「戦局が悪化したわけではないが、万一に備え、一ヶ月以内に、ゾウと猛獣類を射殺せよ」と命令を受けた。
しかし、射殺は住民に不安を与えるので、毒殺に変更された。

動物園関係者は、動物の一部でも救えないか、と他の動物園に相談した。
8月23日、仙台の動物園が、ゾウの『トンキー』とヒョウの赤ちゃんを受け取ることになり、田端駅貨物係との打ち合わせも済んだ。

ところが、これを聞いた、東京都長官(今の都知事、当時は任命された内務官僚)が激怒し、中止を命令。
9月1日に、猛獣処分はほぼ完了。
でも、ゾウはまだであった。
3頭は、鋭い嗅覚で、毒殺用の餌を嗅ぎ分け、食べなかった。
そこで、絶食による餓死の処置がとられた。
オスのジョンは、餌と水が絶たれ、17日後に死んだ。

でも、メスの2頭は、なかなか死に至らなかった。
芸をすれば餌がもらえると思い、飼育員の前で、覚えている限りの芸を必死に披露する、健気な姿を見て、さすがに飼育担当係は、内緒で餌を与えていたのだ。
それがばれて、飼料倉庫は施錠され、飼育係が倉庫に近づくことすら禁止されてしまった。

ゾウの殺処分が遅れ、戦時猛獣処分の事実が、公表前に世間に洩れることを恐れた都は、9月2日に、この『時局に鑑みての非常処置』を公表し、9月4日に、動物慰霊碑の前で、慰霊法要を行った。
慰霊碑に近い象舎の周囲に、鯨幕が張られ、中には、まだ生きている2頭のゾウが隠されていたのに……。

慰霊祭の7日後、絶食18日後にワンジーが死に、トンキーは9月23日、絶食30日後に死んだ。



さて、殺処分は、『軍からの命令』と語られているが、都ではまだ、戦争は緊迫していなかった。
米軍による大空襲は、この1年以上先、敗戦色濃厚になった1944年秋のこと。
では、誰がこれを命令したのか?
東京都長官に就任したばかりの、大達茂雄(戦後の文部大臣)である。
古河によると、
都長官になる前、シンガポール市長であった大達は、内地に帰って、勝ち戦と思い、戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させるために、
動物園の動物を処分することで、警告を発したかった
」とのこと。
さらに、
「ゾウなどの疎開も、断固許さなかったのは、東京が、戦争切迫に備え、全国に範を垂れるとしてやった」のである。
つまり、殺処分は、大空襲で猛獣が逃げ出し、住民が危険に晒されるのを避けるために、仕方がなかったことではなく、
国民に覚悟させ、戦争を継続させるための、いわば『精神論』として行われ、そのため、葬式を派手に演出する必要があった


この様に、絵本では、大空襲が先で殺処分が後に続くが、実際は、順序が逆であった
文学では、事実に基づく戦記物でも、虚構の導入は当然である。
だがこの場合、前後の関係が逆転することで、意味合いが全く異なってくる。
土家の絵本をはじめ、空襲が始まって、人間を守るために殺処分された、という視点から書かれた児童文学は、
その決定者たちを人道的に描写し、虐殺指示(加害)の責任を、不問に付す傾向にある

虐殺の命令者は、戦争推進者で、戦争を始めた側だ。
虐殺命令に至る過程を明白にし、その責任を追求し、初めて、本当に戦争に抗議することではないか?
敵機に「戦争やめろ」と叫ぶのは、見当はずれではないか。
  
この絵本の他にも、純真な子どもたちの情緒に訴えようと、被害の視点から、戦争に反対する感動作はある。
特に、動物殺処分は、子どもたちの心を切に捉える。
しかし、前後の入れ替えによって、結果として、加害の責任がぼやかされ、被害(犠牲)の面が前面に出され、圧倒的情念に気圧されると、戦争の本質や真実は、捉えにくくなる
情念自体は結構であるが、論理が議論を生み、熱狂がもたらす暴走を防ぐのに対して、
情念は、議論を封じ、論理の破綻を隠蔽することもあるのを忘れてはならない。
さらに問題なのは、戦後ずっと、本作品を代表的戦争児童文学として、平和教材のひとつとして祭り上げ、神話化してきたことだ。
長谷川は、戦争に至る構造を見抜く批判力が、我々(読み手)に必要である、としている。

だが、現政権肝入りの、教育再生実行会議を中心とする、【美しい日本の歴史】観の下で、構造的に見抜く力は育つのであろうか?
一層難しくなろう。
無垢な幼少期より、被害中心の、悲しいけれど健気で感動的な絵本やビデオに触れて、情操が教育されると、加害の視点が育ちにくくなる。
そんなマインドセットの児童たちが、小・中学校の歴史の授業において、自虐史観はいけないとばかり、加害性、残虐性、強制性等薄められた近現代史を教え込まれると、
加害意識はなくなり、その分、尊大な被害者意識が膨れ上がる危険性もある。
もし、被害妄想から他罰的になり、先制攻撃をすることにもなったら、いつか来た道を辿ることになる
そうならないためにも、教科書のみならず、戦争児童文学の批判的読み直しが、焦眉の急であろう。
絵本は、教科書以上にやりにくいだろう。
たかが絵本、されど絵本なのだ。

小幡詩子:
地域ケアを考える【猫の手会】のソーシャルワーカー。

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8 コメント

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Unknown (サム)
2016-12-22 14:25:39
日本領への空襲は1938年から始まっています。
その頃からは東京への空襲に対する警戒は始まっていたはずです。
1942年4月にはすでに、東京、川崎、名古屋、四日市、神戸などが空爆で襲われています。
また、象がおとなしい動物だというのも間違いで、強さでは哺乳類界一、怒ると非常に凶暴で危険というのは、数々のクイズ系/教育系番組や子供向け動物本などでも常識となっています。
サムさんへ (まうみ)
2017-01-05 10:30:47
コメントをありがとうございました。
ウィキペディアからの情報として、わたし自身も読ませていただきました。
「都長官になる前、シンガポール市長であった大達は、内地に帰って、勝ち戦と思い、戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させるために、動物園の動物を処分することで、警告を発したかった」という証言が真実であるならば、この真逆の発想からくる殺傷はやはり、戦争というものが招く悲劇ではないかと思います。

この記事で指摘したかったのは、「虐殺命令に至る過程を明白にし、その責任を追求することが、戦争に抗議することになるのではないか?」という問いです。
被害者意識が強く、己が犯した物事を検証せず、誰も責任を取ろうとしない。
この風潮がまた、次の悲劇を呼ぶことになります。それだけはもう避けなければなりません。
Unknown (Unknown)
2017-02-26 09:47:56
忘れてはいけないことは国民が戦争を望んでいたこと。
満州事変では軍が天皇の命令を無視して暴走し、それに続く五・一五や二・二六、国連脱退をメディアが扇動して国民が軍国化していくことに熱狂した。
権力者を批判することは勝手にすれば良いが、まず戦争責任を負わなかったメディアと扇動されやすい国民性を深く反省しなければならない。
国民はメディアの扇動にひっかかり、自ら民主主義を捨ててしまったのだ。
天皇が悪いわけでも、軍が悪いわけでもない。

そしてアメリカの行ったことも忘れてはならない。そもそも真珠湾攻撃を手引きしたのは、コミンテルに乗っ取られたアメリカのコーデル・ハル等外交部にも責任がある。
Unknown (通りすがり)
2017-04-23 22:16:29
>被害者意識が強く、己が犯した物事を検証せず、誰も責任を取ろうとしない。
この風潮がまた、次の悲劇を呼ぶことになります。それだけはもう避けなければなりません。

なるほど、と思いました。
戦争の悲惨さを知る事も大切ですが、なぜ戦争が起きるのか、どうすれば避けられるのかを考えた方が、より有効という事ですね。

ただ個人的には、子供のための絵本ですからこれはこれでいいと思います。
大人になるにつれて、自然と客観的事実を捉えられるような教育を学校だけでなく家庭でも施せば大丈夫だと思います。
悲しすぎる (ゆり)
2017-07-12 06:33:47
絵本は餓死させる本当は殺処分3頭のぞうは大人しいアジアゾウジョンは初めに殺処分されて何も与えずショーノアとに部屋に閉じ込めてガス室に何日もガス流して戦争の悲しさ今の子供たちはなしてともそんな戦争中に動物園がゾウ亡き物にしようしたなんてこれは創作絵本でも24年前上野動物園にかわいそうなぞうのお墓に書いてありました戦争で国からの命令で沢山の動物が犠牲にやせ細ったゾウの姿は絵本ではここまでがんばって生きようとししているのに殺処分は涙が止まりません可哀相本当に
日本人の罪 (オヤジ)
2017-07-28 21:16:36
順序が逆であれ、日本人が引き起こした結果、争いへのこだわりから戦争によって動物だけでなく、沢山の命を犠牲にした事実は変わらない。

私たちが幼い頃から潜在的に植え付けられる「勝敗」の精神は捨てなければならない。

武力による戦争でなければ、ヒーローなら悪役を痛め付けて良いのか?スポーツなら争って良いのか?勝つことへの優越感、負けたことへの劣等感が私たちの精神にある限り、私たちは、永久に争うことを止めないだろう。
オヤジさんへ (まうみ)
2017-09-04 10:18:09
返事が大変遅れてしまい、申し訳ありませんでした!

数年前に書いた記事ですので、返事をさせていただくのは控えていたのですが、最近特に、きな臭い空気が漂うようになってきましたので、この記事がまた、皆さんの目にとまるようになったのかもしれませんね。

戦争は、始まりであれ、最中であれ、愚かな人間の愚かな行為によって、命を奪われるものが後を絶たない、とても悲惨な物事です。
それがどれほど悲惨なものかを、話や映像で、伝え続けていくことが本当に大切だと思います。
オヤジさんへ (まうみ)
2017-09-04 10:18:27
返事が大変遅れてしまい、申し訳ありませんでした!

数年前に書いた記事ですので、返事をさせていただくのは控えていたのですが、最近特に、きな臭い空気が漂うようになってきましたので、この記事がまた、皆さんの目にとまるようになったのかもしれませんね。

戦争は、始まりであれ、最中であれ、愚かな人間の愚かな行為によって、命を奪われるものが後を絶たない、とても悲惨な物事です。
それがどれほど悲惨なものかを、話や映像で、伝え続けていくことが本当に大切だと思います。

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