原発再開を喜ぶ人も、『原発反対』を叫ぶわたしたちも、絶対に忘れてはならない、ずっと考え続けなくてはならない人たちのこと。
原発には、人として生きる権利を損なうことばかりが伴います。
だから、そのようなことが公にならないよう、原発を推し進める人々は、ひたすら隠し続けてきました。
そしてわたしは、その嘘に、ずっとひっかかったまま過ごしていました。
原発事故が起こる前に、福島原発の計画、デザイン、建設に関わってきた米国人エンジニアと、話をしたことがあります。
かなりの年配の方で、耳がすっかり遠くなっておられましたが、当時のことを話す時の目は、それはそれは活き活きと輝いていました。
けれども彼には、稼働原発現場の末端で繰り広げられる、人を人とも思わぬ作業や扱いの実情を、認識できているような気配は無く、
ただただ、日本のめざましい経済発展に、自分が一役買って出られたことを、誇りに感じているようでした。
原発は、人としての尊厳を蔑ろにするだけではなく、稼働することによって出る核のゴミが環境を汚染し、生き物すべての健康を損なう、この地球上にあってはならないものです。
そんな、あってはならない物ではなくなる日を夢見て、多くの科学者、技術者が、懸命に研究や実験を行ってきましたが、
何十年経った今も、やはり手に負えないこと、始末ができないことが明らかになるばかりで、だから世界では次々と、廃炉や新規建設の撤廃が決められ始めています。
けれども、すでに建てられてしまった原発については、稼働にせよ廃炉にせよ、それに伴う危険な作業はすべて、請け負ってくださる方々任せで、
その方々の、心と体の両方にかかる負担に見合う報酬や生活環境が、まるで保証されてないままであることが分かっていても、
作業員のための大きな運動、というのが、これまでに起こった記憶がありません。
さらに今は、この方々のおかげで、重大な事故を起こした原発がなんとか、再び危機的な状況に陥らないでいてくれて、だからとりあえず無事に暮らし続けられているというのに、
せめてその方々の犠牲に見合うものを!という運動も声も、一向に、全国規模で上がってきません。
それは、原発震災で、今も避難所に留めさせられている方々や、高線量の汚染地に閉じ込められている方々、さらには帰還を余儀なくさせられた方々のことを、
我が事のように捉え、考え、思い、何か自分にできることはないかと一所懸命に考える人が、爆発的に増えてこないことにも、つながっているような気がします。
原発はもう、ほんとのほんとにいりません。
↓以下、転載はじめ
誰かがやらなければ。で、誰がやるんだい?
ー収束作業の現場からⅢー
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
汚染水漏えい、4号機プール燃料取り出しと、厳しい問題が続く東京電力福島第一原発の収束作業。(まうみ注・この記事は、昨年の1月23日に書かれたものです)
今回は、1~3号機の作業に従事する斉藤貴史さん(仮名)に、お話を聞いた。
斉藤さんは、もともと、全国の建設現場を渡り歩き、事故後の福島第一原発の現場に入っている。
私たちの周辺で、いま現在、放射線や被ばくを問題にする場合、その単位は、毎時何マイクロシーベルトというレベルだろう。
が、斉藤さんが携わる現場は、時間当たりミリシーベルトという、桁の違う世界だ。
そういう現場に身を置く斉藤さんの言葉は重い。
そして、被ばくによる犠牲者がいるという、衝撃的な話も。
さらに、高線量の現場が、露骨な格差社会になっている実態が語られる。
一方で、線量計の警告音に怯え、健康被害の不安を抱えながら、現場に向かう作業員たち。
他方で、安全なところから指示を出し、次々と交代して行くゼネコンの社員たち。
そのあり様は、あまりに対照的だ。
賃金や待遇にとどまらず、被ばくの問題にまで、格差が表れている。
斉藤さんの話は、現場作業の実態から、文明の限界に関する問題にまで及ぶ。
しかし、やはり、次の問いが重い。
「原発に反対とか賛成とかはいいけど、どっちにしろ、誰かが収束作業をやらなかったら、またドーンと行くんだよ。誰がやるんだい?」と。
私たち一人ひとりに、お前はどうするのか、ということが突きつけられている。
(インタビューは11月中、いわき市内)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宇宙服の人たちは
【ようやく斉藤さんから話を聞く機会を得たが、約束の場所に来てくれるかどうか不安だった。
姿が見えたときはホッとした。が、それもつかの間、席に着くなり、取材に対する不信感を露わにして、まくしたてた】
斉藤:
私らから、何を訊きたいんだい?
マスコミとか、専門家とか、政治家とか、そういう人たちはね、自分ら、線量のあるところにはまず行こうとしないで、
外から、どうたらこうたらって言っているけど、チャンチャラおかしいよ。
自分ら、安全なところにいて、「汚染水が漏れてるぞ」とか、「これ、ダメじゃないか」とか。
ダメだって言うなら、お前、一回でもいいから、50ミリシーベルトでも100ミリシーベルトでも浴びに来てみろと。
それから言いなさいよと。私ら、言いたくなるよ。
【全く返す言葉がない。さらに現場の衝撃的な話が続いた】
斉藤:
だけどね、私らよりも、もっとすさまじい作業やっている人たちがいたんだよ。
爆発からまだ程ない時期、もう、宇宙服みたいなのを着て行く人たちがいたんだ。
酸素ボンベを持って、鉛の服を着て、その上にベストを着て。
何をしているのかなんて、そりゃ分かんないよ。
私らはそういう作業はやってないから。
5~6人で、ダッダッダッて中に入っていくんだ。
この人たち、何してんだろうって見てた。
結局、そういう人らが、メルトダウンした辺りに行って、何かの作業をしてたんだろう。
事態はどんどん悪化して行く状況だったから、誰かがそこに行ってやらないといけない作業があったんだと思うよ。
でも、その人ら、半分以上は亡くなっていると思う。
まあ、名目は、心筋梗塞とか、何だとか、とにかく、被ばくで死んだとはなってないと思うけど。
聞いた話では、だいたい2週間の作業で、1日に80万円から100万円ぐらい、2週間で1千万円以上。
それを家族に渡して、自分はその仕事に飛び込んで行くと。
その人なりの事情もあったんだろうね。
みんな、一切口外しないという、念書を書かされているんだ。
それが国なのか東電なのか、私ら、分からないよ。
誰も、口をつぐんで、詳しいことは言わないから。
だから、みなさん、外で空論みたいなことを言っているけど、
原子炉がメルトダウンして、どうしようもないときに、誰かがやらないと収まらなかった。
そこに飛び込んで行った人たちがいたから、今の状態が保たれているんだよ。
そう思うと、この人らに、心の中で、こう毎日、手を合わせてるね。
あなた方がいてやってくれたから、われわれは今の作業ができてるんですよって。
APDが鳴る恐怖
【不信を露わにしつつも、斉藤さんは、少しずつ現場の様子を話してくれた】
――どういう作業をされてきたのですか?
斉藤:
主に、ガレキの撤去作業だね。
ガレキって言ったって、もう毎時500ミリシーベルトとか、2000ミリシーベルトというヤツだからね。
1号機の辺りなんかも、今は、カバーをつけたんで、線量も結構落ちてるけど、最初は、まあ、高かったね。
で、爆発してるから、もうガレキだらけ。
それを全部、私らが行って処理して、鉄板を三枚ぐらい重ねて敷いたりしてきたんだ。
海岸側なんか、まあ、すごいよ。
「墓場」って言われているところがあるんだけど、潰れたタンクとか、重機とか、クレーン車がひっくり返って、もう、みんなそのまんま、触るに触れない。
そういうのを目の前にしながら、作業をやってきたんだ。
タービン建屋のところなんかも、今は線量も下がってるけど、やっぱり一番最初は、ガレキだらけで、線量もものすごく高い。
そこにタイヤを敷き詰めて、その上に鉄板を敷いていったんだよ。
今は、たまにお偉いさんが視察に来たりしているけど、その鉄板というのは、われわれの犠牲で敷かれたもんだからね。
――線量の高い場所の作業は、遠隔操作ではないのですか?
斉藤:
やっぱり人が行かないとダメだね。
無人重機なんかも使うけど、結局は人なんだよ。
例えば、ガラコン(コンテナ)にガラを入れて、それをクレーンで釣ってくるんだけど、そのガラコンをクレーンから外すのは人なんだ。
そのガラがすごい線量なんだ。
鉄板を敷いて行く作業だって、クレーンで釣り上げた鉄板を降ろすとき、チェーンとかワイヤーを外すのに、やっぱり誰かが行かといけないわけさ。
――ロボットの開発も進められているとされていますが。
斉藤:
いやあ、ロボットだって、入れないところは入れないんだよ。
建屋の中の様子を調べるのでも、ロボットに行かせるんだけど、階段やらなんやらがグチャグチャで、入っていけない。
それから、あんまり線量の高いところだと、ロボットでも故障しちゃう。
半導体かなんかがやられちゃって。
で、ロボットは帰ってこないんだ。
とにかく、ロボットでさえ壊れる線量ってどういうことだい。
で、ロボットがとにかく入って行けて、中の様子が少しわかっても、例えば、何かがゆらゆら見えてるんだけど、それが湯気なのか煙なのかというのは、ロボットでは判別がつかないんだ。
結局、最後は人が行って、目視確認してこないことにはどうしようもない。
今だって、湯気も煙も、あっちこっちから出てるからね。
これから、3号機建屋の上を除染ということで、こそぐ作業をやる。
それに、自走式の機械を入れるっていうんだけど、たぶん使い物にならないね。
だって、大きなガレキは除いたけど、デコボコで、鉄筋があっちこっちに出てるんだよ。
鉄筋だって、直径が30ミリぐらいある太いヤツ。
そういうのに引っかかって、機械なんか前に進めないよ。
結局、人間が行って、そういう鉄筋とかを一個一個叩いて行かなければ、機械なんて走れないんだ。
――その作業は、かなりの被ばくがありますね。
斉藤:
そうね。
もう、ちょっと行っただけで、APD(警報付きポケット線量計)が、ピッピッピッピッ…って鳴るんだよ。
そういうところに行って、作業をするわけさ。
その恐怖感、わかるかな。
もう、パニックになるのもいるんだから。
作業をしようとして、燃料プールのそばに行くとか、クレーンから外しに行こうとするんだけど、もう近づいただけでAPDが鳴っちゃう。
予定した仕事なんか全然できないで、すぐに戻ってくることになっちゃう。
それで次の人が行って、またすぐに戻ってくる、という具合だよ。
でも、APDが鳴るからって行かないと、いつまでもどうしようもないから行くんだけど、作業は予定よりどんどん延びて行くね。
工程表通りには全然行かないよ。
で、工程表通りに行かせようとすると、APDがアウトになっちゃう。
アウトというのは、APDが、2ミリシーベルトとか3ミリシーベルトの設定を超えちゃうと、もう、ピィーって鳴りっぱなしになっちゃう。
そうすると、この人は始末書だから。
始末書を書かされるんだ。
――始末書とは、どういうことですか?
斉藤:
「そこまで浴びてはいけないのに、お前は浴びた」ということだな。
何でだと。
浴びた人の責任にされてしまうんだよ。
ゼネコンさんとしては、浴びないように計画して指示を出しているんだから、浴びたヤツが悪い、という理屈になるんだね。
だったら、そんなに浴びるような仕事なんか、やめさせろよって、言いたくなるよ。
そういう矛盾ばっかりなんだよ、現場は。
で、それじゃあ、APDが鳴らないように急いでやろうとすると、今度はつまずいたりして、そうしたらこれまた始末書だからね。
現場では走るなって、一般の工事現場のルールと同じようなことを言うんだよ。
でもね、線量の高いところにいたら、誰しも、早く線量の低いところに行こうとして、タッタッタッて足早になるのが人情じゃないか。
それを、「何でルールを守らないのか」って怒る。
だったら、あんたが自分で線量の高いところに行って、ゆっくり歩いてみろって。
――そうすると、その作業計画そのものに、無理があると。
斉藤:
まあ、ゼネコンさんとしては、無理がないようにしているつもりなんだろうけど。
でも、実際に現場に行ったら、こっちで線量を測ったときは、低いから大丈夫ってことで作業を始めても、すぐ近くに、すごく高いところがあった、なんてことがよくある。
一般の工事現場なら、工程表があって、今日はここまで作業をして、という風に計画している。
で、このままでは納期に間に合わないとなったら、徹夜作業だってやるよね。
だけど、ここの作業の場合、工程表は一応、上の方で作ってはいるけど、実際に現場の作業では、APDが鳴ったから、今日はここまでで上がる、とするしかないんだ。
間に合わないから、線量を浴びてでもやってこい、なんて話にはならないわけさ。
そうすると、工程表では1カ月だった作業が、優に2カ月、3カ月ってかかっちゃうことだってある。
そうすると、2年の目標も10年にだって延びてしまう。
線量が高い、という大問題があるから、工程表通りには行かない。
それが、収束作業の難しさなんだよ。
だから、工程表が早まるなんてことはまずない。
計画の前倒し、なんて言ってるけど、あれは、現場の実情を全く知らない人たちの絵空事だね。
――熟練の作業員がいなくなる、と言われていますが。
斉藤:
限度いっぱい浴びて、現場を離れなければならない人が、どんどん出てるよ。
で、役に立たないのが、いつまでも現場に残ってる。
いい加減で、仕事したくないやつは、デレデレ長くいるな。
逆に、役に立つ人は、パッパ、パッパと仕事をするから、線量も食らっちゃって、はい、じゃあもう終わり、となってしまうケースが多い。
だから、なんかおかしいんだよ。
そういう矛盾だらけの中に、身を置いて仕事をしている。
まあだけど、そうは言っても、職人はみんな、結構まじめに一所懸命、やる人が多いんだよ。
ただね、入れ墨をしょってる人が、最近、増えてるね。
半分までは行かないだけど、結構いる。
若いのもいれば、歳のもね。
――政府・東電の「中長期的ロードマップ」によれば、2015年に3号機燃料プールの燃料取り出し、17年に1、2号機燃料プールの燃料取り出し、としていますが。
斉藤:
そんなものは、机上の話だから。
まあ、3号機のオペフロ(オペレーションフロア=原子炉建屋上部、燃料プール付近)の作業は、何とかやれてる。
1号機は、いったん被せてあった建屋カバーを、また外すことになってる。
でも、その先はどうかな。
4号機の場合と違って、3号機も1号機も、燃料プール辺りの線量は高いからね。
2号機なんかは、建屋はあんまり壊れていないんだけど、内部なんかもう計り知れない。
線量なんか万単位だからね。(格納容器付近で毎時約7万ミリシーベルト)。
完全に致死量でしょ。
100年経っても手が付けられないんじゃないかな。
どうするもこうするも、どうにもならないでしょう。
7年後にオリンピックだというけど、その辺りまでは、ごまかしごまかしでやっていくんじゃないかな。
でも、その後、どうするのか。
オリンピックでいい格好しちゃって、その後が大変になるじゃないだろうか。
2カ月で交代するゼネコン社員
【高線量の現場で、悪戦苦闘している話が続いた後、そういう現場に行かないで指示だけをする人たちがいる、という話に及んだ】
――ゼネコンの人たちの話が出ましたが。
斉藤:
私らの立場から言わせてもらうと、ゼネコンさんたちは、本当にどうしようもないのばっかりだよ。
だって、ゼネコンの人たちは、2カ月で交代するんだから。
現場に来たって、「ここはどこですか?」から始まるんだから。
どこに何があって、こうなっていて、ということを覚えるのに、だいたい1カ月半ぐらいかかるわな。
覚えたと思ったら、もうあと2週間しかない。
2週間で何ができるの。
しかも、その間に雨が3、4日でも降れば、もうほとんどないわけ。
やっと現場を覚えたかなと思ったら、「長い間、お世話になりました」って、まだ、2カ月かそこいらでしょって。
それでも色紙には、「みんなで共に頑張って、福島の復興のために…」とか。
だったら、お前が一命を投げ打って、ここで頑張ればいいじゃないか。
そんなきれいごとだけ書き残して、すぐにいなくなってしまうね。
――ゼネコンの人たちは、なぜ2カ月で交代なのですか?
斉藤:
そりゃ、自分たちは線量を浴びたくないからでしょ。
一応、会社の決まりらしいんだけど、要するに、彼らは、線量を浴びないで帰ることしか考えてないんだよ。
そうじゃないヤツなんて、皆無だね。
でも、東電なんかもっとひどいよ。
事故直後に頑張った人らは別だけど、今は、東電の人は、現場に出ることはほとんどないから。
線量の高いところに行くのは私ら。
私らを遠くから見守っているのが、東電の仕事。
私らが、彼らの身代わりで行ってるわけ。
だから、おかしいんだよ。
はっきり言って、大学出の知識のある人は、現場には絶対に行かないね。
本当は、そういう人が現場に行ってやってくれれば、もっと早く解決するかもしれないのに。
だけど、そういう人は一歩引いて、外から指示しかしない。
それじゃあ現場なんか見えないよ。
それでは一向に、収束なんかしないよ。
これね、日本の人間の育て方、教育が間違っているんじゃないの。
「自分たちは、偉いんです。だから、自分たちは、安全なところで指示をします」って。
どこが偉いのか。
これっておかしいんじゃないの。
――そうすると、ゼネコンの人たちの仕事は?
斉藤:
彼らは、口は達者だけど、仕事はできない人が多い。
現場の人からちょろっと聞いたことを、さもさも自分で考えたことの様に、朝礼なんかで語ったりするのは得意だけど。
自分もいっしょに作業をするっていう姿勢だけでも見せれば、またものの見え方も違ってくるんだろうけど、一切、しようとしない。
現場に来ても、検査とかチェックとか言って、その辺をちょろっと見て、すぐに免震重要棟の中に戻ってしまうね。
そのくせ、私らが、現場判断で、これはこうやった方がいいと思ってやったりしたことには、「それは予定外作業だ。何でやったんだ」って怒るんだ。
そうかと思えば、この作業はこうしましょうって決まっていたのに、後から後から、あれもやってこれもやってって言ってくるわけ。
あんたら、私らに、予定外作業をするなって言っているくせに、予定外作業をどんどん押し付けてるじゃないのって。
全く支離滅裂だね。
私らモルモットか
――被ばく量はどれくらいでしょうか?
斉藤:
だいたい、1年半ぐらいで、70から80ミリシーベルトかな。
そうするともう、しばらく線量のある現場には出られない。
どっか別の仕事に行かないといけない〔*〕。
〔*電離則では、1年で50ミリシーベルト、かつ5年で100ミリシーベルトが上限とされている。それを超えると、5年間は、管理区域内で仕事ができなくなる。〕
だから、なるべく長く仕事ができるように、線量の高い作業に行ったら、次はそうじゃない作業に、という具合に、交代交代で回しながらやっている。
みんな、生活がかかってるからね。
果たして、そういうやり方がいいのかどうかはわかないけど、今のところは、私ら、それで納得してやっていくしかないんだよね。
ただ、放射線っていうのは、浴びないでいいんだったら、浴びないに越したことはないと思うよ。
原子をいじって、エネルギーを取りだそうとするわけでしょ。
その弊害なんだから。
私はそう考えている。
――電離検診は?
斉藤:
月に一回ね。
これなんか、納得できないものがあるね。
私ら、毎月、病院に行って、自分の体のデータを、東電にしろ、国にしろ、提供しているわけさ。
なのに、彼ら、それに対して、何の回答も返信もない。
おかしいんじゃないの。
現場では、みんなそう思ってるよ。
データだけとって、彼らだけは知っていて、本人には教えないなんて、それだったら、モルモットといっしょじゃない。
「ああ、ちょっとこの人、病んできたな。もうすぐガンが発生するんじゃないか」とか。
20年ぐらい先に、「放射線を浴びると、こうなるんですね」という研究成果を発表するために、データ取りをしているだけだよ。
その実験材料にされているんだから、たまったもんじゃないよ。
原発をやめる覚悟
【斉藤さんは、収束作業の最前線にいながら、原発の是非、日本の未来、文明の限界といった問題について考えていた。
いや、原発事故という、現代文明のもたらした災害に向き合っているからこそ、考えざるを得ない、ということかも知れない】
斉藤:
原発は、もうやめた方がいいと思うよ。
ただ、やめた場合、日本は経済的に落ち込むよね。
他の国との競争にも負けるでしょう。
一度、文明の味を覚えた者が、それを捨てる覚悟をできるのか。
どっかに行くにも新幹線に乗らないで、鈍行で行けるだろうか。
誰も行かないじゃないの。
新幹線どころかリニアだと。
どうしてそんなものがいるんだろうね。
国民が、みんな、隣りがテレビを持っているからウチもテレビ、ピアノがあるからウチもピアノってやってきたわけでしょ。
私は、人間が、何か踏み込んではならないところまで踏み込んでいるような気がしてならない。
遺伝子操作とか、原子力とか。
車に例えれば、ブレーキの要領がわからないのに、スピードが出るからってビュンビュン走っている感じ。
もうこの地球が、人間の文明を支え切れなくなっている。
何かがおかしいとしか思えない。
◇別の意味の豊かさ
もっと別の意味の豊かさとか幸福といったものに、目を向けて行くべきだと思うんだ。
里山で、現金は少ないけれども、こんなにいい自然と、田圃や畑がある生活。
そういうところに、文化の豊かさとか、心の豊かさとかがあるんじゃないか。
でも、日本人は、本来持っていた、そういう豊かさを壊しながら、経済的な豊かさを求めて、原発もつくってきたわけでしょう。
そういう文明を捨てられないというなら、やっぱり原発なりなんなりが必要だ、という話になるよね。
日本という国は、どういう選択をするのか。
その辺をもっと、真剣に議論していかないといけないじゃないの。
◇具体的には難しい
たしかに、今回の事故をきっかけに、そういう文明はちょっともうおかしいんじゃないかと、感じている人も出て来てるよね。
でも、そういう人たちが出て来ても、他方でやっぱりやめられない人たちがいて、
やめられないという人の方が裕福で力があるから、そこで人間同士のいさかいとか、いじめだとか、国同士の対立とかが起こるんじゃないか。
私ら、現場で、ガレキをひとつひとつ処理するような作業をしながら、でも、本当にこれからどうなるのかってことを考えてしまう。
そうすると、本当に、頭痛がするような気持ちなんだ。
◇賛成でも反対でも収束作業は必要
とはいえ、原発に賛成だとか反対だとかというのは、好きなだけやってくれたらいい。
だけど、どっちにしろ、壊れてしまった原発を、何とか止めないといけないわけでしょ。
収束作業は、とにかくやり続けるしかない。
やらなければ、またドーンと行きかねないんだから。
そこのところを、まず、考えてもらいたいんだな。
だから、原発に賛成だという人には、
「じゃあ、この収束作業のこの状態はどうなんですか、この、先の見えない現実を見ても賛成なんですか」と訊きたいね。
逆に、原発に反対だという人には、
「じゃあ、反対反対って言ってるけど、この収束作業を進めるために、誰かが飛び込んで行って、犠牲にならないと仕方がないじゃないですか」と。
もし今、私らが作業をやめてしまって、誰も何もしないで放っておいたら、また放射能をまき散らすようなことが起こるわけなんだから。
だから、誰かがやらないと。
で、誰がやればいいんだい?
収束作業の本当に詰めた話になると、そういう問題になるんだよ。
だから、賛成だとか反対だとか、収束作業がどうだとかこうだとか、外から言ってるんじゃなくて、一度、ここに来なさいよと。
それができないにしても、せめて、私らのような人間が、ピーってAPDが鳴る音に怯えながら、作業をしているんだということを、頭のどっかに置いていろいろ考えてほしいと思うんだ。
私ら、自分たちが今やっていることに、どういう意味があるかなんてことは、今は分からない。
ただ、いつか死ぬときになって、自分らが多少でも、いろんなことをしたお蔭で、少しは収束に向かったのかなあと思えれば、まあ、それでいいんじゃないのかな、という気持ちなんだ。(了)
↑以上、転載おわり
*付記
この、斎藤さんの言葉を読んだ友人歩美ちゃんが、こんなコメントをくれました。
「文明」この言葉を読んで、ガンジーが訪英した時、イギリス人記者に、
「このイギリス文明を見て、どう思われますか?」と訊かれたときの返答を思い出します。
「文明?それがあればいいね」
さらにこれは、日本山妙法寺開祖、藤井日達上人の言葉です。
「文明とは電灯のつくことでもない、飛行機の飛ぶことでもない。原子爆弾を製造することでもない。
文明とは人を殺さぬことである、物を壊さぬことである、戦争しないことである、お互いに人間が親しむことである、お互いに人間が敬うことである」
さて、現場という意味では、地元住民の方々の、原発再稼働への反応について、こんな意見を聞きました。武田邦彦氏のものです。ご紹介します。
↓以下、転載はじめ
https://www.youtube.com/watch?v=cgmEBYzuPiA
原発再開と地元住民の責任
http://takedanet.com/archives/1020479241.html
武田邦彦・平成27年2月23日
ある報道で、原発が再開される地方の女性が、大喜びしているのが伝えられた。
「お金が落ちる」と言うことだが。
福島原発事故で福島の人が被災したのは「被害者」だが、なぜ被害者かというと、「政府や自治体が福島県民をだましていたから」である。
大人なら、「自分が決定権がある」というものについては、その決定によって他人が被害を受けたら、決定の権限に応じて、責任を分担する必要がある。
これまでは、政府や自治体が、「地震でも大丈夫」とウソを言っていたのだから、住民がそれに惑わされて原発誘致を決めた、ということがいえるが、今はそうではない。
もし、電力会社や自治体が、今でも「安全だ」といっても、福島原発事故から、安全技術は進歩していない。
規制を厳しくしても、電力会社が悪意をもっていなければ(福島原発事故までも最善を尽くしているなら)、技術が向上していなければ、危険の程度は変わらないからだ。
たとえば、「活断層を調べる」ということを行っているのは、原発の建設の時だけだ。
高層マンションも新幹線の線路も、震度6で破壊してしまっては困るが、活断層の調査なしで工事が行われる。
もし、新幹線の架台が、下に活断層が通っていたらダメなら、日本列島は活断層だらけなので、ぐねぐねした線路になるはずである。
日本の重要建築物の中で、原発がもっとも地震に弱いから、活断層の上に作れないということは、テレビを見ていれば普通の人はわかる状態でもあり、
さらに、福島原発(第一は爆発、第二はほとんど津波がなかったのに爆発寸前)の状態を見ているのだから、「知らない」とはいえない状態にある。
だから、福島原発が爆発して、原発がどのぐらい危険なのか、素人でもはっきりわかる状態だ。
それでもお金が欲しいから、原発を再稼働すると決めた市町村の人たちは、
もし原発に事故が起こり、それを電力会社が補償できなければ、再開に賛成した住民が、被害を受けた人たちに補償しなければならない。
「決定権」というのは「責任」を伴うもので、日本人なら、そのぐらいの覚悟はしてほしい。
「自分は一般の国民だから、何を決めても義務は生じない」というと、「民主主義」の原則にも反する。
私たちは主権者であり、投票もし、住民集会も行われる。
地元の承認というのを重く考えてくれているのだから、そのときこそ国民が、
「私が主人だ。主人だから、決めたことには責任を持つ。だから国民の意見を聞くべきだ」というのでなければ、日本の原発の安全性も上がらないだろう。
「原発反対」を叫ぶのは、私たちの力がなく、民主主義ではないときのことだろう。
原発には、人として生きる権利を損なうことばかりが伴います。
だから、そのようなことが公にならないよう、原発を推し進める人々は、ひたすら隠し続けてきました。
そしてわたしは、その嘘に、ずっとひっかかったまま過ごしていました。
原発事故が起こる前に、福島原発の計画、デザイン、建設に関わってきた米国人エンジニアと、話をしたことがあります。
かなりの年配の方で、耳がすっかり遠くなっておられましたが、当時のことを話す時の目は、それはそれは活き活きと輝いていました。
けれども彼には、稼働原発現場の末端で繰り広げられる、人を人とも思わぬ作業や扱いの実情を、認識できているような気配は無く、
ただただ、日本のめざましい経済発展に、自分が一役買って出られたことを、誇りに感じているようでした。
原発は、人としての尊厳を蔑ろにするだけではなく、稼働することによって出る核のゴミが環境を汚染し、生き物すべての健康を損なう、この地球上にあってはならないものです。
そんな、あってはならない物ではなくなる日を夢見て、多くの科学者、技術者が、懸命に研究や実験を行ってきましたが、
何十年経った今も、やはり手に負えないこと、始末ができないことが明らかになるばかりで、だから世界では次々と、廃炉や新規建設の撤廃が決められ始めています。
けれども、すでに建てられてしまった原発については、稼働にせよ廃炉にせよ、それに伴う危険な作業はすべて、請け負ってくださる方々任せで、
その方々の、心と体の両方にかかる負担に見合う報酬や生活環境が、まるで保証されてないままであることが分かっていても、
作業員のための大きな運動、というのが、これまでに起こった記憶がありません。
さらに今は、この方々のおかげで、重大な事故を起こした原発がなんとか、再び危機的な状況に陥らないでいてくれて、だからとりあえず無事に暮らし続けられているというのに、
せめてその方々の犠牲に見合うものを!という運動も声も、一向に、全国規模で上がってきません。
それは、原発震災で、今も避難所に留めさせられている方々や、高線量の汚染地に閉じ込められている方々、さらには帰還を余儀なくさせられた方々のことを、
我が事のように捉え、考え、思い、何か自分にできることはないかと一所懸命に考える人が、爆発的に増えてこないことにも、つながっているような気がします。
原発はもう、ほんとのほんとにいりません。
↓以下、転載はじめ
誰かがやらなければ。で、誰がやるんだい?
ー収束作業の現場からⅢー
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-90.html
汚染水漏えい、4号機プール燃料取り出しと、厳しい問題が続く東京電力福島第一原発の収束作業。(まうみ注・この記事は、昨年の1月23日に書かれたものです)
今回は、1~3号機の作業に従事する斉藤貴史さん(仮名)に、お話を聞いた。
斉藤さんは、もともと、全国の建設現場を渡り歩き、事故後の福島第一原発の現場に入っている。
私たちの周辺で、いま現在、放射線や被ばくを問題にする場合、その単位は、毎時何マイクロシーベルトというレベルだろう。
が、斉藤さんが携わる現場は、時間当たりミリシーベルトという、桁の違う世界だ。
そういう現場に身を置く斉藤さんの言葉は重い。
そして、被ばくによる犠牲者がいるという、衝撃的な話も。
さらに、高線量の現場が、露骨な格差社会になっている実態が語られる。
一方で、線量計の警告音に怯え、健康被害の不安を抱えながら、現場に向かう作業員たち。
他方で、安全なところから指示を出し、次々と交代して行くゼネコンの社員たち。
そのあり様は、あまりに対照的だ。
賃金や待遇にとどまらず、被ばくの問題にまで、格差が表れている。
斉藤さんの話は、現場作業の実態から、文明の限界に関する問題にまで及ぶ。
しかし、やはり、次の問いが重い。
「原発に反対とか賛成とかはいいけど、どっちにしろ、誰かが収束作業をやらなかったら、またドーンと行くんだよ。誰がやるんだい?」と。
私たち一人ひとりに、お前はどうするのか、ということが突きつけられている。
(インタビューは11月中、いわき市内)
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宇宙服の人たちは
【ようやく斉藤さんから話を聞く機会を得たが、約束の場所に来てくれるかどうか不安だった。
姿が見えたときはホッとした。が、それもつかの間、席に着くなり、取材に対する不信感を露わにして、まくしたてた】
斉藤:
私らから、何を訊きたいんだい?
マスコミとか、専門家とか、政治家とか、そういう人たちはね、自分ら、線量のあるところにはまず行こうとしないで、
外から、どうたらこうたらって言っているけど、チャンチャラおかしいよ。
自分ら、安全なところにいて、「汚染水が漏れてるぞ」とか、「これ、ダメじゃないか」とか。
ダメだって言うなら、お前、一回でもいいから、50ミリシーベルトでも100ミリシーベルトでも浴びに来てみろと。
それから言いなさいよと。私ら、言いたくなるよ。
【全く返す言葉がない。さらに現場の衝撃的な話が続いた】
斉藤:
だけどね、私らよりも、もっとすさまじい作業やっている人たちがいたんだよ。
爆発からまだ程ない時期、もう、宇宙服みたいなのを着て行く人たちがいたんだ。
酸素ボンベを持って、鉛の服を着て、その上にベストを着て。
何をしているのかなんて、そりゃ分かんないよ。
私らはそういう作業はやってないから。
5~6人で、ダッダッダッて中に入っていくんだ。
この人たち、何してんだろうって見てた。
結局、そういう人らが、メルトダウンした辺りに行って、何かの作業をしてたんだろう。
事態はどんどん悪化して行く状況だったから、誰かがそこに行ってやらないといけない作業があったんだと思うよ。
でも、その人ら、半分以上は亡くなっていると思う。
まあ、名目は、心筋梗塞とか、何だとか、とにかく、被ばくで死んだとはなってないと思うけど。
聞いた話では、だいたい2週間の作業で、1日に80万円から100万円ぐらい、2週間で1千万円以上。
それを家族に渡して、自分はその仕事に飛び込んで行くと。
その人なりの事情もあったんだろうね。
みんな、一切口外しないという、念書を書かされているんだ。
それが国なのか東電なのか、私ら、分からないよ。
誰も、口をつぐんで、詳しいことは言わないから。
だから、みなさん、外で空論みたいなことを言っているけど、
原子炉がメルトダウンして、どうしようもないときに、誰かがやらないと収まらなかった。
そこに飛び込んで行った人たちがいたから、今の状態が保たれているんだよ。
そう思うと、この人らに、心の中で、こう毎日、手を合わせてるね。
あなた方がいてやってくれたから、われわれは今の作業ができてるんですよって。
APDが鳴る恐怖
【不信を露わにしつつも、斉藤さんは、少しずつ現場の様子を話してくれた】
――どういう作業をされてきたのですか?
斉藤:
主に、ガレキの撤去作業だね。
ガレキって言ったって、もう毎時500ミリシーベルトとか、2000ミリシーベルトというヤツだからね。
1号機の辺りなんかも、今は、カバーをつけたんで、線量も結構落ちてるけど、最初は、まあ、高かったね。
で、爆発してるから、もうガレキだらけ。
それを全部、私らが行って処理して、鉄板を三枚ぐらい重ねて敷いたりしてきたんだ。
海岸側なんか、まあ、すごいよ。
「墓場」って言われているところがあるんだけど、潰れたタンクとか、重機とか、クレーン車がひっくり返って、もう、みんなそのまんま、触るに触れない。
そういうのを目の前にしながら、作業をやってきたんだ。
タービン建屋のところなんかも、今は線量も下がってるけど、やっぱり一番最初は、ガレキだらけで、線量もものすごく高い。
そこにタイヤを敷き詰めて、その上に鉄板を敷いていったんだよ。
今は、たまにお偉いさんが視察に来たりしているけど、その鉄板というのは、われわれの犠牲で敷かれたもんだからね。
――線量の高い場所の作業は、遠隔操作ではないのですか?
斉藤:
やっぱり人が行かないとダメだね。
無人重機なんかも使うけど、結局は人なんだよ。
例えば、ガラコン(コンテナ)にガラを入れて、それをクレーンで釣ってくるんだけど、そのガラコンをクレーンから外すのは人なんだ。
そのガラがすごい線量なんだ。
鉄板を敷いて行く作業だって、クレーンで釣り上げた鉄板を降ろすとき、チェーンとかワイヤーを外すのに、やっぱり誰かが行かといけないわけさ。
――ロボットの開発も進められているとされていますが。
斉藤:
いやあ、ロボットだって、入れないところは入れないんだよ。
建屋の中の様子を調べるのでも、ロボットに行かせるんだけど、階段やらなんやらがグチャグチャで、入っていけない。
それから、あんまり線量の高いところだと、ロボットでも故障しちゃう。
半導体かなんかがやられちゃって。
で、ロボットは帰ってこないんだ。
とにかく、ロボットでさえ壊れる線量ってどういうことだい。
で、ロボットがとにかく入って行けて、中の様子が少しわかっても、例えば、何かがゆらゆら見えてるんだけど、それが湯気なのか煙なのかというのは、ロボットでは判別がつかないんだ。
結局、最後は人が行って、目視確認してこないことにはどうしようもない。
今だって、湯気も煙も、あっちこっちから出てるからね。
これから、3号機建屋の上を除染ということで、こそぐ作業をやる。
それに、自走式の機械を入れるっていうんだけど、たぶん使い物にならないね。
だって、大きなガレキは除いたけど、デコボコで、鉄筋があっちこっちに出てるんだよ。
鉄筋だって、直径が30ミリぐらいある太いヤツ。
そういうのに引っかかって、機械なんか前に進めないよ。
結局、人間が行って、そういう鉄筋とかを一個一個叩いて行かなければ、機械なんて走れないんだ。
――その作業は、かなりの被ばくがありますね。
斉藤:
そうね。
もう、ちょっと行っただけで、APD(警報付きポケット線量計)が、ピッピッピッピッ…って鳴るんだよ。
そういうところに行って、作業をするわけさ。
その恐怖感、わかるかな。
もう、パニックになるのもいるんだから。
作業をしようとして、燃料プールのそばに行くとか、クレーンから外しに行こうとするんだけど、もう近づいただけでAPDが鳴っちゃう。
予定した仕事なんか全然できないで、すぐに戻ってくることになっちゃう。
それで次の人が行って、またすぐに戻ってくる、という具合だよ。
でも、APDが鳴るからって行かないと、いつまでもどうしようもないから行くんだけど、作業は予定よりどんどん延びて行くね。
工程表通りには全然行かないよ。
で、工程表通りに行かせようとすると、APDがアウトになっちゃう。
アウトというのは、APDが、2ミリシーベルトとか3ミリシーベルトの設定を超えちゃうと、もう、ピィーって鳴りっぱなしになっちゃう。
そうすると、この人は始末書だから。
始末書を書かされるんだ。
――始末書とは、どういうことですか?
斉藤:
「そこまで浴びてはいけないのに、お前は浴びた」ということだな。
何でだと。
浴びた人の責任にされてしまうんだよ。
ゼネコンさんとしては、浴びないように計画して指示を出しているんだから、浴びたヤツが悪い、という理屈になるんだね。
だったら、そんなに浴びるような仕事なんか、やめさせろよって、言いたくなるよ。
そういう矛盾ばっかりなんだよ、現場は。
で、それじゃあ、APDが鳴らないように急いでやろうとすると、今度はつまずいたりして、そうしたらこれまた始末書だからね。
現場では走るなって、一般の工事現場のルールと同じようなことを言うんだよ。
でもね、線量の高いところにいたら、誰しも、早く線量の低いところに行こうとして、タッタッタッて足早になるのが人情じゃないか。
それを、「何でルールを守らないのか」って怒る。
だったら、あんたが自分で線量の高いところに行って、ゆっくり歩いてみろって。
――そうすると、その作業計画そのものに、無理があると。
斉藤:
まあ、ゼネコンさんとしては、無理がないようにしているつもりなんだろうけど。
でも、実際に現場に行ったら、こっちで線量を測ったときは、低いから大丈夫ってことで作業を始めても、すぐ近くに、すごく高いところがあった、なんてことがよくある。
一般の工事現場なら、工程表があって、今日はここまで作業をして、という風に計画している。
で、このままでは納期に間に合わないとなったら、徹夜作業だってやるよね。
だけど、ここの作業の場合、工程表は一応、上の方で作ってはいるけど、実際に現場の作業では、APDが鳴ったから、今日はここまでで上がる、とするしかないんだ。
間に合わないから、線量を浴びてでもやってこい、なんて話にはならないわけさ。
そうすると、工程表では1カ月だった作業が、優に2カ月、3カ月ってかかっちゃうことだってある。
そうすると、2年の目標も10年にだって延びてしまう。
線量が高い、という大問題があるから、工程表通りには行かない。
それが、収束作業の難しさなんだよ。
だから、工程表が早まるなんてことはまずない。
計画の前倒し、なんて言ってるけど、あれは、現場の実情を全く知らない人たちの絵空事だね。
――熟練の作業員がいなくなる、と言われていますが。
斉藤:
限度いっぱい浴びて、現場を離れなければならない人が、どんどん出てるよ。
で、役に立たないのが、いつまでも現場に残ってる。
いい加減で、仕事したくないやつは、デレデレ長くいるな。
逆に、役に立つ人は、パッパ、パッパと仕事をするから、線量も食らっちゃって、はい、じゃあもう終わり、となってしまうケースが多い。
だから、なんかおかしいんだよ。
そういう矛盾だらけの中に、身を置いて仕事をしている。
まあだけど、そうは言っても、職人はみんな、結構まじめに一所懸命、やる人が多いんだよ。
ただね、入れ墨をしょってる人が、最近、増えてるね。
半分までは行かないだけど、結構いる。
若いのもいれば、歳のもね。
――政府・東電の「中長期的ロードマップ」によれば、2015年に3号機燃料プールの燃料取り出し、17年に1、2号機燃料プールの燃料取り出し、としていますが。
斉藤:
そんなものは、机上の話だから。
まあ、3号機のオペフロ(オペレーションフロア=原子炉建屋上部、燃料プール付近)の作業は、何とかやれてる。
1号機は、いったん被せてあった建屋カバーを、また外すことになってる。
でも、その先はどうかな。
4号機の場合と違って、3号機も1号機も、燃料プール辺りの線量は高いからね。
2号機なんかは、建屋はあんまり壊れていないんだけど、内部なんかもう計り知れない。
線量なんか万単位だからね。(格納容器付近で毎時約7万ミリシーベルト)。
完全に致死量でしょ。
100年経っても手が付けられないんじゃないかな。
どうするもこうするも、どうにもならないでしょう。
7年後にオリンピックだというけど、その辺りまでは、ごまかしごまかしでやっていくんじゃないかな。
でも、その後、どうするのか。
オリンピックでいい格好しちゃって、その後が大変になるじゃないだろうか。
2カ月で交代するゼネコン社員
【高線量の現場で、悪戦苦闘している話が続いた後、そういう現場に行かないで指示だけをする人たちがいる、という話に及んだ】
――ゼネコンの人たちの話が出ましたが。
斉藤:
私らの立場から言わせてもらうと、ゼネコンさんたちは、本当にどうしようもないのばっかりだよ。
だって、ゼネコンの人たちは、2カ月で交代するんだから。
現場に来たって、「ここはどこですか?」から始まるんだから。
どこに何があって、こうなっていて、ということを覚えるのに、だいたい1カ月半ぐらいかかるわな。
覚えたと思ったら、もうあと2週間しかない。
2週間で何ができるの。
しかも、その間に雨が3、4日でも降れば、もうほとんどないわけ。
やっと現場を覚えたかなと思ったら、「長い間、お世話になりました」って、まだ、2カ月かそこいらでしょって。
それでも色紙には、「みんなで共に頑張って、福島の復興のために…」とか。
だったら、お前が一命を投げ打って、ここで頑張ればいいじゃないか。
そんなきれいごとだけ書き残して、すぐにいなくなってしまうね。
――ゼネコンの人たちは、なぜ2カ月で交代なのですか?
斉藤:
そりゃ、自分たちは線量を浴びたくないからでしょ。
一応、会社の決まりらしいんだけど、要するに、彼らは、線量を浴びないで帰ることしか考えてないんだよ。
そうじゃないヤツなんて、皆無だね。
でも、東電なんかもっとひどいよ。
事故直後に頑張った人らは別だけど、今は、東電の人は、現場に出ることはほとんどないから。
線量の高いところに行くのは私ら。
私らを遠くから見守っているのが、東電の仕事。
私らが、彼らの身代わりで行ってるわけ。
だから、おかしいんだよ。
はっきり言って、大学出の知識のある人は、現場には絶対に行かないね。
本当は、そういう人が現場に行ってやってくれれば、もっと早く解決するかもしれないのに。
だけど、そういう人は一歩引いて、外から指示しかしない。
それじゃあ現場なんか見えないよ。
それでは一向に、収束なんかしないよ。
これね、日本の人間の育て方、教育が間違っているんじゃないの。
「自分たちは、偉いんです。だから、自分たちは、安全なところで指示をします」って。
どこが偉いのか。
これっておかしいんじゃないの。
――そうすると、ゼネコンの人たちの仕事は?
斉藤:
彼らは、口は達者だけど、仕事はできない人が多い。
現場の人からちょろっと聞いたことを、さもさも自分で考えたことの様に、朝礼なんかで語ったりするのは得意だけど。
自分もいっしょに作業をするっていう姿勢だけでも見せれば、またものの見え方も違ってくるんだろうけど、一切、しようとしない。
現場に来ても、検査とかチェックとか言って、その辺をちょろっと見て、すぐに免震重要棟の中に戻ってしまうね。
そのくせ、私らが、現場判断で、これはこうやった方がいいと思ってやったりしたことには、「それは予定外作業だ。何でやったんだ」って怒るんだ。
そうかと思えば、この作業はこうしましょうって決まっていたのに、後から後から、あれもやってこれもやってって言ってくるわけ。
あんたら、私らに、予定外作業をするなって言っているくせに、予定外作業をどんどん押し付けてるじゃないのって。
全く支離滅裂だね。
私らモルモットか
――被ばく量はどれくらいでしょうか?
斉藤:
だいたい、1年半ぐらいで、70から80ミリシーベルトかな。
そうするともう、しばらく線量のある現場には出られない。
どっか別の仕事に行かないといけない〔*〕。
〔*電離則では、1年で50ミリシーベルト、かつ5年で100ミリシーベルトが上限とされている。それを超えると、5年間は、管理区域内で仕事ができなくなる。〕
だから、なるべく長く仕事ができるように、線量の高い作業に行ったら、次はそうじゃない作業に、という具合に、交代交代で回しながらやっている。
みんな、生活がかかってるからね。
果たして、そういうやり方がいいのかどうかはわかないけど、今のところは、私ら、それで納得してやっていくしかないんだよね。
ただ、放射線っていうのは、浴びないでいいんだったら、浴びないに越したことはないと思うよ。
原子をいじって、エネルギーを取りだそうとするわけでしょ。
その弊害なんだから。
私はそう考えている。
――電離検診は?
斉藤:
月に一回ね。
これなんか、納得できないものがあるね。
私ら、毎月、病院に行って、自分の体のデータを、東電にしろ、国にしろ、提供しているわけさ。
なのに、彼ら、それに対して、何の回答も返信もない。
おかしいんじゃないの。
現場では、みんなそう思ってるよ。
データだけとって、彼らだけは知っていて、本人には教えないなんて、それだったら、モルモットといっしょじゃない。
「ああ、ちょっとこの人、病んできたな。もうすぐガンが発生するんじゃないか」とか。
20年ぐらい先に、「放射線を浴びると、こうなるんですね」という研究成果を発表するために、データ取りをしているだけだよ。
その実験材料にされているんだから、たまったもんじゃないよ。
原発をやめる覚悟
【斉藤さんは、収束作業の最前線にいながら、原発の是非、日本の未来、文明の限界といった問題について考えていた。
いや、原発事故という、現代文明のもたらした災害に向き合っているからこそ、考えざるを得ない、ということかも知れない】
斉藤:
原発は、もうやめた方がいいと思うよ。
ただ、やめた場合、日本は経済的に落ち込むよね。
他の国との競争にも負けるでしょう。
一度、文明の味を覚えた者が、それを捨てる覚悟をできるのか。
どっかに行くにも新幹線に乗らないで、鈍行で行けるだろうか。
誰も行かないじゃないの。
新幹線どころかリニアだと。
どうしてそんなものがいるんだろうね。
国民が、みんな、隣りがテレビを持っているからウチもテレビ、ピアノがあるからウチもピアノってやってきたわけでしょ。
私は、人間が、何か踏み込んではならないところまで踏み込んでいるような気がしてならない。
遺伝子操作とか、原子力とか。
車に例えれば、ブレーキの要領がわからないのに、スピードが出るからってビュンビュン走っている感じ。
もうこの地球が、人間の文明を支え切れなくなっている。
何かがおかしいとしか思えない。
◇別の意味の豊かさ
もっと別の意味の豊かさとか幸福といったものに、目を向けて行くべきだと思うんだ。
里山で、現金は少ないけれども、こんなにいい自然と、田圃や畑がある生活。
そういうところに、文化の豊かさとか、心の豊かさとかがあるんじゃないか。
でも、日本人は、本来持っていた、そういう豊かさを壊しながら、経済的な豊かさを求めて、原発もつくってきたわけでしょう。
そういう文明を捨てられないというなら、やっぱり原発なりなんなりが必要だ、という話になるよね。
日本という国は、どういう選択をするのか。
その辺をもっと、真剣に議論していかないといけないじゃないの。
◇具体的には難しい
たしかに、今回の事故をきっかけに、そういう文明はちょっともうおかしいんじゃないかと、感じている人も出て来てるよね。
でも、そういう人たちが出て来ても、他方でやっぱりやめられない人たちがいて、
やめられないという人の方が裕福で力があるから、そこで人間同士のいさかいとか、いじめだとか、国同士の対立とかが起こるんじゃないか。
私ら、現場で、ガレキをひとつひとつ処理するような作業をしながら、でも、本当にこれからどうなるのかってことを考えてしまう。
そうすると、本当に、頭痛がするような気持ちなんだ。
◇賛成でも反対でも収束作業は必要
とはいえ、原発に賛成だとか反対だとかというのは、好きなだけやってくれたらいい。
だけど、どっちにしろ、壊れてしまった原発を、何とか止めないといけないわけでしょ。
収束作業は、とにかくやり続けるしかない。
やらなければ、またドーンと行きかねないんだから。
そこのところを、まず、考えてもらいたいんだな。
だから、原発に賛成だという人には、
「じゃあ、この収束作業のこの状態はどうなんですか、この、先の見えない現実を見ても賛成なんですか」と訊きたいね。
逆に、原発に反対だという人には、
「じゃあ、反対反対って言ってるけど、この収束作業を進めるために、誰かが飛び込んで行って、犠牲にならないと仕方がないじゃないですか」と。
もし今、私らが作業をやめてしまって、誰も何もしないで放っておいたら、また放射能をまき散らすようなことが起こるわけなんだから。
だから、誰かがやらないと。
で、誰がやればいいんだい?
収束作業の本当に詰めた話になると、そういう問題になるんだよ。
だから、賛成だとか反対だとか、収束作業がどうだとかこうだとか、外から言ってるんじゃなくて、一度、ここに来なさいよと。
それができないにしても、せめて、私らのような人間が、ピーってAPDが鳴る音に怯えながら、作業をしているんだということを、頭のどっかに置いていろいろ考えてほしいと思うんだ。
私ら、自分たちが今やっていることに、どういう意味があるかなんてことは、今は分からない。
ただ、いつか死ぬときになって、自分らが多少でも、いろんなことをしたお蔭で、少しは収束に向かったのかなあと思えれば、まあ、それでいいんじゃないのかな、という気持ちなんだ。(了)
↑以上、転載おわり
*付記
この、斎藤さんの言葉を読んだ友人歩美ちゃんが、こんなコメントをくれました。
「文明」この言葉を読んで、ガンジーが訪英した時、イギリス人記者に、
「このイギリス文明を見て、どう思われますか?」と訊かれたときの返答を思い出します。
「文明?それがあればいいね」
さらにこれは、日本山妙法寺開祖、藤井日達上人の言葉です。
「文明とは電灯のつくことでもない、飛行機の飛ぶことでもない。原子爆弾を製造することでもない。
文明とは人を殺さぬことである、物を壊さぬことである、戦争しないことである、お互いに人間が親しむことである、お互いに人間が敬うことである」
さて、現場という意味では、地元住民の方々の、原発再稼働への反応について、こんな意見を聞きました。武田邦彦氏のものです。ご紹介します。
↓以下、転載はじめ
https://www.youtube.com/watch?v=cgmEBYzuPiA
原発再開と地元住民の責任
http://takedanet.com/archives/1020479241.html
武田邦彦・平成27年2月23日
ある報道で、原発が再開される地方の女性が、大喜びしているのが伝えられた。
「お金が落ちる」と言うことだが。
福島原発事故で福島の人が被災したのは「被害者」だが、なぜ被害者かというと、「政府や自治体が福島県民をだましていたから」である。
大人なら、「自分が決定権がある」というものについては、その決定によって他人が被害を受けたら、決定の権限に応じて、責任を分担する必要がある。
これまでは、政府や自治体が、「地震でも大丈夫」とウソを言っていたのだから、住民がそれに惑わされて原発誘致を決めた、ということがいえるが、今はそうではない。
もし、電力会社や自治体が、今でも「安全だ」といっても、福島原発事故から、安全技術は進歩していない。
規制を厳しくしても、電力会社が悪意をもっていなければ(福島原発事故までも最善を尽くしているなら)、技術が向上していなければ、危険の程度は変わらないからだ。
たとえば、「活断層を調べる」ということを行っているのは、原発の建設の時だけだ。
高層マンションも新幹線の線路も、震度6で破壊してしまっては困るが、活断層の調査なしで工事が行われる。
もし、新幹線の架台が、下に活断層が通っていたらダメなら、日本列島は活断層だらけなので、ぐねぐねした線路になるはずである。
日本の重要建築物の中で、原発がもっとも地震に弱いから、活断層の上に作れないということは、テレビを見ていれば普通の人はわかる状態でもあり、
さらに、福島原発(第一は爆発、第二はほとんど津波がなかったのに爆発寸前)の状態を見ているのだから、「知らない」とはいえない状態にある。
だから、福島原発が爆発して、原発がどのぐらい危険なのか、素人でもはっきりわかる状態だ。
それでもお金が欲しいから、原発を再稼働すると決めた市町村の人たちは、
もし原発に事故が起こり、それを電力会社が補償できなければ、再開に賛成した住民が、被害を受けた人たちに補償しなければならない。
「決定権」というのは「責任」を伴うもので、日本人なら、そのぐらいの覚悟はしてほしい。
「自分は一般の国民だから、何を決めても義務は生じない」というと、「民主主義」の原則にも反する。
私たちは主権者であり、投票もし、住民集会も行われる。
地元の承認というのを重く考えてくれているのだから、そのときこそ国民が、
「私が主人だ。主人だから、決めたことには責任を持つ。だから国民の意見を聞くべきだ」というのでなければ、日本の原発の安全性も上がらないだろう。
「原発反対」を叫ぶのは、私たちの力がなく、民主主義ではないときのことだろう。