「安倍首相 NGOを道具にしている」
アフガニスタンで、医療や農業の支援活動をしている、福岡市の非政府組織(NGO)『ベシャワール会』の中村哲現地代表が、一時帰国し、25日、同市内で、毎日新聞のインタビューに応じた。
安倍晋三首相が、海外のNGOのために、自衛隊の任務拡大の必要性を唱えたことに、
「NGOを道具にしている」と批判。
首相が、集団的自衛権の行使容認に踏み切れば、現地での危険は増すとして、撤退を検討せざるを得ないとの考えも示し、
非軍事による国際貢献の重要性を訴えた。
【井本義親】
集団的自衛権 行使容認を批判
ペシャワール会は、1984年からアフガンやパキスタンで、医療活動を開始。
米軍のアフガン攻撃開始後も、活動を継続し、同地の干ばつ対策として、農業用の用水路建設にも取り組んでいる。
中村氏によると、欧米諸国がアフガンに軍隊を出したことから、現地住民の憎しみや怒りが倍増。
欧米のNGO関係者は現在、テロの標的となる危険が高まったことから、活動拠点のジャララバードから撤退した。
それでも同地に残るペシャワール会について、中村氏は、
「憲法9条を持つ日本は『戦闘に参加しない国』という信頼感があり、それが私たちの活動を守っている」と強調。
「欧米のように、軍事力を使い、日本人というだけでターゲットになれば、当然私は逃げる」と述べた。
首相が、15日の記者会見で、「限定的な集団的自衛権の行使」と説明したことについては、
「戦場に行ったことのない人間の発言。
武器を持って衝突すれば、互いに恐怖心や防衛心が強くなり、歯止めはなくなる」
として、ひとたび行使を認めれば、際限がなくなると警告した。
「危険あおらず外交努力を」
一方、首相は、海外で活動するNGOを救出するためとして、自衛隊の駆け付け警護を認めることの正当性を唱えた。
だが、これは、集団的自衛権と関係ない武器使用の問題で、中村氏は、
「自らの主張を通すために、NGOを道具としている。
集団的自衛権行使に賛成させるために、こじつけている印象は拭えない」と不快感を示し、
「国民の危機感をあおるのでなく、外交努力で不必要な敵はつくらないことこそ、内閣の責任だ」と訴えた。
おめでたい
日本が亡国となっては、最早日本人ではなくなる。
日本人として活動できるのは、日本国という器があってこそ。
NGOと国家や国益を同レベルで考えるあたり、いかにも左翼ですね。
あなた方が活動できるなら、国民は丸腰でいろと。
とてもきな臭い世の中、大型書店へ行くと、オタク向けの戦争ものがたくさん置いてあり、まるでゲーム感覚なのがとても不愉快な世相です。
人間と同じく、国家も信用が大切。それを一度失うと、取り戻すのにどれだけ時間がかかるのか。いま、まさに信用を無くそうと自らセールスを買って出ているのが、この人と取り巻きでしょう。(誰の指令なのかわかりませんが)
一国を預かる首相ならば、その民を思いやる気持ちが大切なはずなのに、皆無。それどころか、最も守るべき命さえも「金儲けのダシ」としか思っていない人間、またそれを支える人々に深く失望し憂慮します。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます!
半年前に帰省した時、本屋さんでは、『永遠の0』の映画の予告編が、くり返しくり返し流されていました。
感動的な音楽をバックに、零戦が飛んでいる。
そのことに大きな違和感を感じたこと、本棚に目玉として置かれている本の内容が、とても偏っていたことを、今、あじさいさんのコメントを読ませていただいて思い出しました。
自分たちがしていることが、どういう意味を持っているのか、
その影響の大きさなども含めて無自覚な人(自覚をしていても、雇われの身でなにも出来ない人もおられるのでしょうけれども)が多過ぎますね。
今の政権は、メディアを使うことにおいては非常に狡猾で上手いので、わたしたち市民は、ネットを使って、それに対抗できるものを生み出さなければならないと思うのですが……。
中村代表の主張は、現場での体験に基づいたもので、如何に阿部政権が交戦的、反平和的な方向に向かっているか、説得力を感じます。
ついつい、あちらの方で呼びたくなってしまいます。
中村氏は、長年の間、とても大変な思いをしながら現地の方々とともに、生きていくための術を作り続けてきた方です。だからこその言葉だと思います。
わたしたちはなんとかして、この今の、とんでもない政府の在り方を、変えていかなくてはなりませんね。
このままいけば徴兵制にもなりかねないことを本当に分かっているのでしょうか。
戦争をするのは政治家ではなく私たちになるのですよ?
日本国の経済発展(もっといえば自分たちの金儲け)のため、日本国の世界的立場を確実なものとするためだけに集団的自衛権を行使しようとしている。
もともと集団的自衛権という言葉は大戦の最中、戦争を行う理由づけとして生まれたもの。
それは現在、日本が主張している集団的自衛権となんら変わりはありません。
国民の命のためだの平和を守るためだの誰かさんはおっしゃっていますが、それこそ笑止千万。
本当にそう思ってあの方が発言していると思っている人はそれこそ平和ボケしてるのではないでしょうか。
集団的自衛権の行使ですら閣議で決めてしまうような今の政府。国民主権の概念はどこへいったのでしょうか。
まぁ、今の日本国民にそれを問いたところであまり変わらないような気がしますが。
この記事を読んでまだ↑のようなことを言っている人は本当頭お花畑ですね。戦争にならないと一生分からないのでしょうね。
それに集る、同じ穴のムジナたちが、実施にむけて画策し、それをまた助長するバカどもがいて、
その力と数の多さと複雑さに誤摩化され、負かされ、何の関係もないありとあらゆる場所に住む市民たちが、巻き添えを食って殺されていきます。
殺されるだけではなく、殺す側に立たされて、気がおかしくなって自死を選ぶ人もいます。
老い先があと数十年の人はともかくも、若い人たちにその現実を知り、考えてもらいたいという思いで、これからも声を上げ続けていこうと思います。
戦争などという愚行が、日本の国に再現されてしまうようなことになる前に、大きな気づきの波が生まれますように。