ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

別れ日

2014年07月04日 | 家族とわたし
7月4日午前1時20分、ショーティが死んだ。

遅くまで働いていた次男とまなつちゃんの帰りを待っていたような、家族全員に見送られて逝きたかったというような、そういうタイミングで。
15年と8ヶ月の生涯だった。

6月14日の夜、水煮アサリの小さな身を食べてから、嘔吐と下痢をくり返し、その後一切食べなくなった。
それまでに、すでに、食がかなり細っていたけれども、水だけは飲んでいたので、ちゃんと排尿もできていた。
けれども、その土曜日以降、水さえ飲まなくなったので、もちろん尿も出ず、だから獣医に診てもらいに行った。
糖尿病に加え腎不全が、もうどうしようもないくらいに悪化していて、尿毒症を併発していた。
医者は開口一番、「安楽死させましょうか?」と聞いてきたけれど、我々にはそんな覚悟はできておらず、
さらにはショーティ自身が、自分の好きにさせてくれ、と言っているような気がしたので、そのまま家に連れ帰った。

その日から今日までの、ショーティとの時間。

夏だったという幸運。
いつもよりも余計に入っていた仕事や用事が、すべて終っていたという幸運。
だからわたしは、思う存分、多分それはショーティにとってはかなり迷惑だったかもしれないけれども、
彼女との時間を過ごすことができた。

ここは、わたしの寝室の机の上。
わたしの目を盗んではこっそり入り、カーテンを頭で押しのけて、窓の外を眺めていたお気に入りスポット。
もう入り放題、見放題。出血大サービス。


毎日、天気の良い日は、暑くなる前と夕方に、彼女と外で過ごした。
普通に歩くこともままならないほどに弱った足で、なぜかスルスルと段差の高い階段を降り、まずはここで一休み。


わたしがせっせと、地面の中から掘り出した古い煉瓦を、適当に並べている間、いつだって現場監督をしてくれたショーティ。


また撮ってんのかいな……おんなじようなもんばっかやのに……(ショーティの独り言)。


日に日に、どこかが弱っていく。
日に日に、どこかが壊れていく。
日に日に、その日が近づいていることを感じる。

そんな小さな命を眺めながら、けれどもそのことに圧倒されてしまわないように、動揺しないように、なんとか日常を保ち続ける。


ここが、後半10日間のお気に入り場所。さて彼女はどこでしょか?


後ろから。


白い紫陽花を見るたびに、強烈に、彼女のことを思い出すと思う。


彼女を守ってくれてありがとう。


彼女のすぐ横では、桃とつゆ草と茗荷が、夏の日射しに歓喜の声を上げている。


亡くなる2日前。


それまでは、とても過ごしやすい、サラサラと乾いた風が心地良い、東海岸特有の夏日が続いた。
彼女は、あちこちヨタヨタと歩き回っては座り、また歩いては座りして、けれどもだんだんと、ぐったりと寝ていることが多くなった。
けれど、ピアノの生徒が来た時などは、3階の元次男部屋のクローゼットまで、よいしょよいしょと上っていったりもした。
食べ物はたったの1回成功しただけで、あとはもう、与える側の人間にとっての気休め程度にしか、口に入れなくなった。
吐き気があるので、水を飲みたくても、その吐き気に邪魔をされて、飲み辛そうだった。
なので我々は、暇さえあったら、吐き気止めのマッサージをした。
撫でて撫でて撫でて、もうこれは、彼女がもしあと3年長生きしたら、いやもっとかもしれんぐらいに撫でた。

ネットで調べると、無限に出てくる、治療や餌の数々。
けれども散々考えて、ぐるぐると堂々巡りしながら出した結論は、このまま我々の手あてと声かけだけで、最後までいこう、
注射や投薬、そして強制的に食べさせるなど、そういう彼女が嫌だと明らかにわかっていることはしないでおこう……そういうものだった。

ヘタレのわたしは、ちゃんと眠れない夜が続くと、彼女のあとを水を持って追いながら、朦朧とした頭の中で、いつまでこれが続くかな、自分の体が保つかな、などと考えた。
何度も何度も、もうあかん、さいなら、と言ってるような眼差しを向け、ぐったりと横たわっている彼女を撫でながら、
「ありがとう、もう頑張らんでええよ、うちの仔になってくれてありがとう」とくり返し言って、
ふと、このままスウッと、痛みも苦しみも無いまま逝ってくれたらわたしも楽になれる、などと一瞬思った自分を、恥じたり責めたりした。
失いたくない。
まだまだ、せめてあと数年、一緒に暮らしたかった。
彼女は、わたしにとっても旦那にとっても、生まれて初めての、長年に渡り世話をし、一緒に暮らした小さな動物だった。
けれども、わたしたちの知識の未熟さと、経験の無さが、彼女を糖尿病にし、腎不全を併発させ、そして尿毒症にまで至らせてしまった。
このことをいくら悔いても、どうしようもないと分かっている。
だから撫でるたび、ごめんな、かんにんな、と謝るしかなかった。

亡くなる前日は、激しい雷と稲光、週間予報通りだった。
とても暑く、とても蒸した。
ショーティの体力が消耗しないよう、うちとしては珍しく、エアコンを午前中からつけた。

それまでほとんど首を持ち上げなかった彼女が、急にしっかりとした様子で、稲光で光る外の様子を眺め始めた。


ずっとずっと、長い間、見続けている。


そして町では、雷が去った後、とても大きな虹が出た。

その晩は、落ち着きが無く、部屋の中を動きたがった。
雷と稲妻のエネルギーが、彼女の気持ちを昂らせたのかもしれない。
けれどももう、後ろ足が立てない状態になっていた。
前足だけで、ズルズルと、上半身を引きずってでもどこかに行こうとする。
とりあえず抱き上げて、近くの気に入りそうな所に降ろしてあげるしか、わたしには術が無かった。
その夜はだから、いつもにも増して眠れず、これでもう3週間近く、まともな睡眠を取れずにいるなあ、いつまでこの自分が保つかと、ふと思った。
そしてその思いの中にまた、彼女の死を待ち望んでいる自分がいるような気がして、気持ちが塞がった。

明け方、うたた寝をしてしまい、気がつくと彼女は、わたしの寝室の机の下で横たわっていた。
抱き上げると、弱々しいけれども、ゴロゴロと喉を鳴らして喜んでくれた。
ナーンと、久しぶりに、彼女らしい声が聞けた。
気がつくと、彼女の首回りがベトベトに濡れていた。
きっと、自分で水を飲もうとして、失敗したのだろう。
水は、どこに居ても行っても飲めるよう、だからそれで時々、人間の足がそれらを蹴飛ばしてしまい水浸し!という事態が、部屋のあちこちで発生した。
軽く拭いて、それからはずっと、お気に入りのクッションの上に寝たまま、昨日の晩がウソだったかのように、彼女はひたすら眠り続けた。
昨日の木曜日はたまたま、生徒がひとりだけ、という日だった。
だからもう、他のことは何もせず、ただただショーティと一緒に過ごそうと決めていた。
飲めなくなった、食べられなくなった彼女を見続けていると、自分の食欲も失せた。
けれども、だからといって、飲まず食わずの上に寝不足、などというようなことを続けていたら、いつかきっとダウンしてしまう。
だから、ちょっとだけ待っててね、と声をかけ、急いで台所に行き、適当にあるものを口に入れ、また彼女の所に戻っていった。

昨日も蒸し暑い日になった。
夕方はまた、雷と稲光、そして大雨が降った。
けれどももうショーティは、そんなこともおかまいなしに、ただただ同じクッションの上で寝ていた。
夜から息が浅く速くなった。
水も一切、飲もうともしなくなった。
また遅くなったので、旦那は「もし容態が変わったら起こして欲しい」と言って、2階の寝室に行った。
息は更に速くなった。
長男に、今夜が山かもしれない、とメールをした。
別れの時がいよいよ近づいてきたことを、身を以て教えてくれる彼女に、これまで通り背骨マッサージやアンプク(お腹を『の』の字に撫でてやることを我が家ではこう名付けた)をした。
ありがとう、ごめんね、楽しかった。一つ覚えのように、彼女の名前を呼んではそう言った。
夜中、次男とまなつちゃんが、仕事から戻ってきた。
次男の声を聞いた途端に、息がさらに浅く、速くなった。
待ってたのかなあ……と思った。
いつだって、ちょっと乱暴に抱き上げられたり、小さな意地悪をされて、ムスッとしてたけど、やっぱ次男のことも愛してたんだよね、ショーティ。

でも、ほんとうにいよいよだ。
次男が、「水とか最期に飲ませてやりたい」と言って、ティッシュに水を染ませて口元に運んだ。
口が開いた。
びっくりした。
え?飲めるの?飲みたいの?
次男が台所に飛び込み、今度は無塩バターを指に塗り、それを彼女の唇に塗りつけた。
「バターが大好きやったから、こいつ」……そう言いながら。

ひと舐めふた舐めしたかと思ったその時、ものすごい形相で吐こうとし出した。。
それはもう、ほんとうに、体全体を硬直させ、のけぞらせ、そのまま憤死してしまうのかと思うほどの激しい反応だった。
とても長い時間のように思えたけれど、結局それはほんの数回のことで、だから時間にすると1分も経たなかったと思う。
けれども、辛い光景だった。
その後すぐに、下顎呼吸に移り、ああこれはもう終わりだと思ったので、旦那を起こした。
10回くらいの、体中の空気を絞り出すような息をして、そして彼女は永遠の眠りについた。

7月4日、JULY 4th、アメリカの独立記念日の午前1時20分だった。

いつだって、玄関のドアを開けると、お迎え猫ショーティがいた。
旦那とビデオやテレビドラマを観ていると、あたしの椅子は?と、我々の間に置くよう催促した。
爪が伸びてくると、チャッチャッチャッと音を立てながら、部屋の中を歩いていた。
若い頃は跳躍力がすごくて、とんでもない高さのカウンターなどにひとっ飛びした。
お客が苦手で、来るとすぐに、そういう高くて手の届かないような所に逃げた。
だからそこに、猫ベッドを置いたりした。
日本からこちらに移る際には、JRの快速電車の中で大鳴きし、それが人間の赤ちゃんがグズッたような声色だったので、乗客の皆がキョロキョロ周りを見回していた。
声がとてもユニークだったので、聞いた人は皆、びっくりするか笑うかした。
生徒や生徒の家族にも人気があった。
年をとってからは、物怖じしなくなり、逆になにかを訴えるように、鳴きながら近づいていったりした。
どうして欲しいかを、実にはっきりと、分かりやすく伝えることができる仔だった。
おしゃべりだった。
言いたいことの意味が、はっきりとわかる鳴き声だった。
3.11以降、爆裂に増えたパソコン作業の間は決まって、右横に置いた丸いスツールの上で、同じように丸くなって寝ていた。
たまに気がつくと、ジィーッと見つめられていて、あ、ごめんごめんと、申し訳程度に撫でた。

去年のクリスマス前、もうすでに苦しくなっていたのに、そのことに気づかず、パソコンに気を取られながら片手間に撫でているわたしに腹を立て、ガブリと噛み付いた。
その痛みさえ懐かしい。
あの時、あんなに怒らなければよかった。あんなに責めるべきではなかった。
わたしには、そんな資格などなかったのだから。


うちに来てくれてありがとう。
家族として、一緒に暮らしてくれてありがとう。
たくさんの楽しさ、可笑しさ、温かさをありがとう。

泣けて泣けて、胸の真ん中にポッカリと穴が空いたような、スウスウとした寂しさを感じながら、
彼女のなきがらをベッドに戻し、やり方はめちゃくちゃだけども、お線香とロウソクをたて、般若心経を唱えた。


バイバイショーティ。


彼女のために、どこにでも寝転がれるように、部屋のあちこちに用意した仮ベッド。見たらすぐに泣けてくる。



少しだけ寝て起きると、目がちゃんと開けられないほどにまぶたが腫れて、とんでもない顔になっていた。
旦那が朝から、近所のイタリアンのパン屋さんで、ケーキをいっぱい買ってきてくれていた。
ショーティの命の成就祝い。


さて、彼女のなきがらをどうしよう……。
庭に埋めるのは多分違法だけれども、前庭の、彼女がいつも座っていた紫陽花の後ろに、彼女のお墓を作ることにした。
さて、彼女の棺はどうしよう……。
段ボール箱もいいけれども、なにかもう少し頑丈なものはないものか……。
あ、そうだ、前に、畑のためにと歩美ちゃんがもらってきてくれていた、ワイン箱があった。

まるで、ショーティのために用意されたと思えるほどにピッタリ!


いや、ちょっと窮屈やねんけど……(ショーティ談)。


穴掘りする男たち。


ふたを釘で打ち付けて、いよいよ埋葬。


さよならショーティ。


ここに花を植えよう。



今日は独立記念日。
美しい花火が、各地で盛大に上げられる。
ショーティはきっと、そんな日を命日にしようと、目論んでいたのかもしれない。

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15 コメント

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虹の橋をわたって・・・ (okan)
2014-07-05 10:29:08
きっとショーティちゃんはたくさんの「ありがとう」を言って虹の橋を渡っていったと思います。

満足な寝息が聞こえてきそうな写真・・・

お疲れ様でした。

でも、これからは生きているとき以上に身近にショーティーちゃんを感じることができると思います。

思えばいつでもどこにでも・・・
ショーティばいばい。 (まーこ)
2014-07-05 11:19:51
そっか。逝っちゃったんだね。まうみちゃん、わかるわ・・・何ができて何ができなかったとかそんなことは関係ない。寄り添ってお互い必要だった時間を全うできたんだよね。まうみちゃんは置き去りにされてないしショーティは一人ぼっちじゃないし。虹の橋のたもとで待ってるよ。みんなといつか会える日までなるべくゆっくりさせてな・・・って感じよ、きっと。またまうみちゃんが来たらやかましいんやししばらくのんびりしてるわ・・・そう思ってるって。いつでも見守ってくれてるって心強いやん。わたしもアンディやペロや夫や母が見守ってくれてるから大丈夫やし。花火が賑やかにお見送りやね・・・ショーティばいばい。
Unknown (ひでまろ)
2014-07-05 11:33:52
僕もかわいがっていた猫が亡くなったときの
ことを思い出しました。
何の前触れもない突然の別れだったので、
ショックから立ち直れませんでした。
早くなくなってしまったうちの猫と違ってショーティは
天寿を全うできたと思います。
ショーティはすごく幸せな人生だったと思いますよ。
さようなら、ショーティー (ニィニィ)
2014-07-05 14:30:51
家族に大切にされて、お弔いもしてもらって・・・
ショーティーは、幸せな猫ですね。

3年前に亡くした家の猫のことを思い出しながら読みました。
だんだんに弱っていき、ある朝、容体が急変したので、
慌てて動物病院に連れてゆき、延命措置をお願いして・・・
最後の苦痛を与えてしまったかもしれない、と思うと、
それが心残りでなりません。
まうみさんは、しっかり覚悟ができていて、飼い主として立派です。

今、家にいる、元ノラの三毛猫が、年齢不詳ながら高齢な様子で、お別れの日はそう遠くないように感じています。
何度経験しても、ペットとのお別れは辛いものですが、今度は家で穏やかに見送ってあげられたら、と思っています。
さようなら、ショーティ (tumugi)
2014-07-05 14:59:13
ただただ涙が流れてきます。
白い紫陽花と黄色いひまわりに囲まれたショーティの穏やかな顔が、しあわせだったと語っているようですね。
ショーティちゃん、おやすみなさい (sarah)
2014-07-05 22:31:22
ショーティちゃん、眠っているように安らかな顔・・・。

家族に看取られて旅立てたこと、幸せな猫ちゃんだと思います。

ショーティちゃん、天国からまうみさん一家を見守ってね。
ショーティ、お疲れ様 (ろば)
2014-07-06 00:05:12
正直ここ最近まうみさんのページを開くのが怖かった・・・

ついにこの日が来てたんですね・・・

ショーティ、すごいよ
頑張ったよ~
あの世の中を見据えた眼の向こうには何が見えてたんでしょう?
きっと、まうみさんたち家族と過ごした長い長い15年と8か月の楽しかった日々・・・

はるか日本の滋賀の琵琶湖の波も見えていたかも?

ショーティ、まうみさんたちと一緒に過ごせて幸せだったね、きっと、ありがとうって何度も言ってたと思います

生き物は自分の死を悟り、その日をいつにするか考えて死んでいく気がします。
うちに飼ってた犬の晴海君も、家に帰ってきていた娘息子のいた日に、弱っていたが生き延びていたのに
急に息を引き取った。

十分生きたよ・・・
でも、もっと一緒にいたかった
もっと、なででやりたかった
その暖かい体を・・・・・

ありがとう~ショーティ
私たちも一緒に見送らせてもらった気がします

家族の住む庭で安らかに眠ってください

あじさいとひまわりがきっとずっと咲いてますよ~
まうみさんのピアノの音も、旦那様のコーヒーの香りも届きます。

それにしても、美味しそうなスイーツ!!
旦那様の暖かい優しい気持ちがあふれて
私ったら、涙とよだれで・・・・・・

Unknown (ゆず茶)
2014-07-06 01:03:06
とうとう逝ってしまわれましたか。
家の猫が亡くなった時の事を思い出してしまいました。
埋葬は家の猫の場合も庭です。
シェルターからの猫でしたが、不思議に寮生活をしていて、一番あの猫が飼いたいと言っていた娘が何かの休みで家に帰ってきて、一緒に埋葬する事が出来たのは本当に奇跡のようでした。

暫く大変かもしれませんが、きっとどこかで見守ってくれてると思います。
Unknown (凪)
2014-07-06 01:51:52
ショーティさんと、まうみさんご家族の、最期の丁寧で穏やかな時間が目に浮かびます。悲しくて辛いお別れでしょうが、きっと、さりげなきけどものすごい宝物を置いていってくれているはずです。それは、しばらくしてから、何気ない感じで見つかるのです。
Unknown (田中冽)
2014-07-06 03:31:41
ああ、とってもかわいいショーティ。さようなら。とてもかわいかった。ありがとう。

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