ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

明日はあなたと、あなたの子供かもしれない

2013年12月16日 | 日本とわたし
フェイスブックつながりで知った記事です。
この事故のことは、わたしも覚えていました。けれども、うっすらとだけ、です。
わたしは当時二十歳で、家のこんがらがった事情のため、自分が生きられることにのみ集中していた頃で、
だからニュースは、どんな内容のものであれ、テレビの画面に映るよそ事で、かまっている余裕なんかなかったのだけれども、
このニュースを観た時、ふたりの子どもたちは、痛みや苦しみを感じる間もなく亡くなったのだろうか、
それとも、痛い痛いと言って、苦しんだのだろうか、
全身のやけどという、この世で一番痛みがきつい怪我を負い、子どもの生還だけを頼りに頑張った母親が、
我が子の死を知った時の悲しみの深さは、いったいどれほどのものであったろうかと、
自分なりに、この事故の経過を追っていたことを思い出しました。

その事故に、こんな惨たらしい、汚らしい思惑が絡んでいたなんて、全く知らずにいましたが、
今のわたしには、心から納得できる、行政と自衛隊の対応です。

わたしたちは、いつまでのんびりしているつもりなんでしょうか。
自分が、あるいは自分の家族が、友人が、命や暮らしを根こそぎ奪われなければ、実際にその目に遭わなければ、
我が事のように思えず、だから知らなかった、聞かなかった、見なかったことにして、
本当はこれまで通りの暮らしが続けられるかどうかちょっと心配だけども、それを口に出すと面倒なことになりそうなので黙りこくって、
これまで通りの暮らしを、だってしょうがないんだからと言い訳をしながら、これからも続けていくつもりなんでしょうか。

当事者になってから慌てても、遅いんです。
当事者になってしまったら、生きることだけで精一杯になってしまうんです。
当事者は、自分の身に起こったことを受け止めるだけで、いっぱいいっぱいなんです。

それでも当事者は、当事者だからこそ、叫ばなければなりません。
引っ込んでいてはいけません。
自分が受けた不条理や痛み、苦しみ、悲しみを、声を振りしぼって、外に伝えなければなりません。
その声を受け取るわたしたち非当事者は、だからこそ、我が事のように感じ、捉えていなければなりません。
そしてその声を、水面に広がる輪のように、どんどんと広めていって、国全体の叫びにしなければなりません。


転載されていただきます。

↓以下、転載はじめ

1977年に起きた、米軍機墜落事故。

この事故で子を失い、ご自身も大やけどを負いながら、一時は回復されたものの、
精神的なダメージから亡くなった、母親のお父様が描かれた本があります。
『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』http://www.amazon.co.jp/dp/4822807568/



<横浜でおきた、あの事件を思い出した~横須賀米軍ヘリ墜落事故にあたり>



明日は、あなたとあなたの子供かもしれない。

35年前、横浜市緑区(現在は青葉区青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)に、アメリカ軍の戦闘機「ファントム」が墜落した。

全長19メートル、重量26トンの機体は、ジェット燃料がほぼ満載の状態で住宅地に突っ込み、
付近の住宅地20戸を豪炎で襲い、そこに住んでいた3歳と1歳の子供、そして母親はじめ住民9人が、炎に包まれた。

子供は、その翌日すぐに亡くなり、母親は、数十回の皮膚移植手術を受けながら回復したが、
精神的ショックから立ち直れず、半ば強制的に、精神病院に収容され、4年後に亡くなった。


二人のパイロットは、パラシュートで脱出し無事。
陸自のヘリは、燃えさかる阿鼻叫喚の現場を素通りし、無傷のパイロットを収容し、厚木基地へ帰還、二度と戻ってこなかったそうだ。
米軍は、墜落1時間後に現場を封鎖、エンジンなどを回収。
作業にあたる兵士は、カメラに向かってピースサインを出して、記念撮影をしていた
という。

1985年、港の見える丘公園に、犠牲者をモデルとした「愛の母子像」という、ブロンズ像が設置されたが、
行政側は、その碑文に関して、事故の概要を載せることをよしとせず、碑文が設置されるまで、21年の歳月がかかったという。

この話は、早乙女勝元氏により、「パパ ママ バイバイ」という本として出版された。
私は、たまたま家にあったその本を読んだ。

今日、横須賀で墜落した(不時着と言われているようだが)ヘリコプターのニュースを聞き、私が小学生のときの記憶が、いきなり蘇った。

沖縄も含め、常に、私たちは「そのなか」に生きている。
ただ、沖縄ほど、リアリティをもって感じていないだけだ。

このように繰り返される事実に対して、「民間機だって同じだろ」「基地はいらないというのか」という議論をする必要があるのだろうか。

いま、この国が、気が狂ったようにめざす方向に対して、彼らは、忘却の彼方に忘れ去られてしまっていいものなのだろうか。


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5 コメント

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Unknown (かまどがま)
2013-12-17 10:30:12
沖縄は復帰して41年になりますが、その後県内だけで45件の米軍の墜落事故があります。毎年一回以上、ヘリやジェット戦闘機が落ちている。

琉球新報より
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-210624-storytopic-1.html

これは訓練中の落下事故は別です、海兵隊の落下傘訓練では民間地にコンテナや軍用車両も落るのです。

復帰前の1954年には昼休みの宮の森小学校にジェット機が墜落し18名が亡くなっています。

http://www.youtube.com/watch?v=I4YcC01C0as

沖縄の負担軽減と云う時に今ある普天間を閉鎖する条件に35キロしか離れていない辺野古を埋め立てて新たな基地を作るというのがどうして負担軽減になるのか、しかも普天間の海兵隊は沖縄に常駐するのではなく世保の米海軍の軍艦に乗って動きまわる遠征任務なので、中国への抑止という観点でも沖縄にいる必然性は全く無く、(抑止では嘉手納に空軍があります)県外へ移せないというのは防衛の問題ではなく日本政府の政治姿勢のみで押し通されようとしています。
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かまどがまさんへ (まうみ)
2013-12-17 13:57:07
まだまだ知らないことが多いのだと、思い知らされます。
それほどに、事故が起こってるのですね。
毎年一回以上もの、空からの落下事故があるやなんて……。
それはもう、事故とは言えない。
なんていうのやろう……。
そんなものを飛ばしてはいけない所を飛ばしてるんやから、過失ともいえない。

もう、原発も基地も、東京のど真ん中に移せばいい。
常駐する必要がなく、ただ軍艦に乗って動き回るのなら、空だけの話でしょうに。
日本の政治の棄民っぷりには、少しずつみなも気がついてきてるはずです。
福島と沖縄、そして他の理不尽な扱いを受けている地域の怒りを、今こそ結集して大きなうねりにしなければならないと、今夜は特に強く思いました。
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Unknown (macchan211)
2013-12-17 20:49:05
ご存じかもしれませんが、YouTubeに関連する動画がアップされています。

検証 米軍機事故と地位協定 日本人が理解しておくべきこと
http://www.youtube.com/watch?v=GEXtTpgSFLI
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macchan211さんへ (まうみ)
2013-12-18 10:44:33
存じませんでした。
教えてくださり、ありがとうございました。

今、一通り観させていただきました。
怒りと疑問で頭の中がいっぱいです。
返信する
Unknown (kumaka)
2014-01-13 15:36:38
まうみさん。私はこの事件を今もよく思い出しています。運転中に思い出すと泣くこともあります。
私はずっと愛知県在住で、子供もいないのですが。
ここでこの事件が扱われ、若い人にも知ってもらえるのはうれしいです。
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