ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

メイソン・ジェニングスを聴きに行ってきた🎵

2024年06月30日 | 音楽とわたし
「誰かだけ特別なんて信じないな。僕らは大きな仲間の部分部分なんだ」
Mason Jennings(メイソン・ジェニングス)のバイオグラフィーより

彼のコンサートを聴きに、友人夫婦と一緒に、うちから車で1時間半ほどかかるフィラデルフィア近郊の町まで行ってきた。
彼のことはずっと前に夫が教えてくれた。
なんとも不思議な歌い方をする人で、最初はその微妙なズレが気にかかって仕方がなかったのだけど、一旦慣れてしまうと今度は中毒性のある不思議な魅力に変化して、彼がカルト的な人気を開拓しているという意味がうっすらとわかる。
メイソンはホノルル生まれ。2歳のときにピッツバーグに移住して、16歳で高校をドロップ・アウトした。
彼の歌を聴いているとボブ・ディランが思い浮かんでくる。

例えばこんな感じ。
Duluth

会場はとても古い劇場で、なぜか今回は最前列の、いわゆる”かぶりつき”のテーブル席を夫は予約していた。






かぶりつきなだけに、その一帯は猛烈なファンたちが陣取っていて、夫はともかくわたしは特に、部外者であることをひしひしと感じながらコンサートを聴いていた。
その列の人たち(特に女性)は、メイソンの曲の歌詞を全て、一言一句間違いなく覚えていて、コンサートの始めから終わりまでずっと、彼と一緒に歌っていた。

舞台の上には一本のギター、そしてハーモニカ。

彼はギターとピアノを演奏しながら、自作の曲を次々に歌っていく。




彼の歌の和声はとてもユニークで、おいおいそこに行くか!とつっこみたくなることがよくあるのだけど、なぜか納得してしまう不思議な力がある。
客席が3分の1ぐらいしか埋まらなくて、なんか申し訳がない気持ちになったのだけど、彼もファンたちも楽しそうに声を掛け合っていて、なんともいい気分のコンサートだった。
それにしても、あれだけの数の曲の歌詞をきちっと覚えて歌えるってすごいなあ。
って、感心するとこそこ?😅

初夏の独りごち

2024年06月30日 | ひとりごと
わたしの髪の毛は直毛で太く、数が異常に多くて美容師さん泣かせだったが、ここ数年シャンプーをするたびに大量の毛が抜けるから、前よりはかなり減ってきたように思う。
さらに髪の毛そのものが痩せてきたからか、ちょっとでも湿気たり濡れたりすると、毛先がピンピンはねて収拾がつかない。
最近特に汗っかきになったので、いくら丁寧にカットしてもらっても、汗をかいた途端にあらゆる方向に跳ね上がる。
なんとかなだめようといろいろと試すのだけど、一旦はねると輪ゴムでぐるぐる巻きにしてもピンで止めてもまるで効果がない。
水の中に入っている間は気がつかないが、プール以外の場所でちょっとでも運動や作業をすると、いわゆる”滝汗”をかくようになった。
だからどんなにブローしようがセットしようが、汗をかいたらハイそれま〜で〜よ、である。
鏡を見るのが恐ろしいぐらいに髪の毛がぐちゃぐちゃになってしまう。
いっそのこと、夏の間だけ超がつく短髪にしてしまおうかと夫に言うと、う〜ん、美容師さんによく相談した方がええんとちゃう?という答えが返ってきた。
どうせまた、めっちゃダサい姿になる可能性が大きいと思っているんだろう。
わたし自身もその可能性は否定しない😅

脇毛はとうの昔から自然消滅し、眉毛も端から徐々に薄くなってきた。
左側だけだったほうれい線は今や右側にもくっきりと現れ、目の下のたるみは女版宍戸錠、いや、今だと女版真田広之か、とにかく半端なくタレ膨らんでいて目障りったらない。
口元は気をつけていないとへの字口になるので、気がついたらギュッと上に上げるのだけど、それも気づいた時だけだから時間にしたらしれている。
二の腕を隠せない水着姿で参加するアクアビクスのクラスでは、タプタプと盛大に揺れる両側の肉のカーテンを、人様の前に曝け出さなくてはならない。
ちなみにこの振袖二の腕は、加齢とか運動不足とかじゃなくて、高校時代からすでにこんな状態で、だから若い頃からどんなに猛暑であっても、ノースリーブの服は絶対に着ない。
半袖もだめで、肘まで隠れる袖丈でないと心が落ち着かない。

加齢に伴うもの、加齢とは無関係なもの、体質的なもの、遺伝で避けようがないもの、いろんな理由があるのだろうけど、やはりまあ、しょーもないと思いつつ、けれども気になる今日この頃(いや、今日この頃に始まったものではないが)のあれやこれやなのである。


一昨年去年と、2年連続でランタンフライの幼虫に襲撃された胡瓜を守ろうと、ネットの情報を集めては一つ一つ試したが、どれひとつうまくいかなかった。
そこでついに、網で囲うしかないという結論に達し、とりあえず言葉通り網で囲ってみたのだけど、雷雨と暴風で荒れた夜が明けて見に行くと、見るも無惨なことになってしまっていた。
こうなるともうこれしかないと、100ドル近くもする囲いを購入した。
最初からそうしていれば良かったのだが、自分たちだけのための超小規模な菜園の、それも胡瓜だけのために、そこまでお金を使っていいのかという気持ちが拭い切れず…ケチって損をするとはこういうことだ。

組み立ては単純作業だったのだけど、説明書がいい加減で、何度もやり直さなければならなかった。

あの毒々しい真っ赤な体に白と黒の斑点があるランタンフライの幼虫が、今年はただの1匹も食いついていない。やった!

毎日まだ生暖かい採れたれの胡瓜を、ゴマだれなどをつけていただいている。

茄子とししとう、それから枝豆も、どんどん大きくなってきた。

隣の葉っぱもの限定の菜園では、小松菜と水菜、それからアルゴラが、植え替えもしてもらえずにぎゅうぎゅうの雑居状態で育っている。

米国「2024年大統領選挙のためのテレビ討論会その1」事情

2024年06月29日 | 米国○○事情
昨日の夜9時から、大統領選挙に向けた第一回目のテレビ討論会が行われた。
場所はジョージア州アトランタ。
観る前からハラハラドキドキしていた。
バイデン氏は現職大統領としてうまく立ち回れるだろうか。ボロが出ないだろうか。
高齢であっても次期大統領として健康で、バリバリと職務を全うできるスタミナがあるのか。
そのことを有権者たちは最も重要視しているわけなのだから。

彼が会場に登場してきた時、ああだめだこりゃ、と思った。
歩く姿がヨボってるし、両手はだらんと垂れ下がったままだ。
まるで入院中の、病院の廊下を歩く患者みたいだ。

演説が始まった。
声がいつもより掠れている上に弱々しい。口ごもったり、長い時間俯いたり、口を開けたままぼんやりしていたり(していなかったのかもしれないけどそう見えた)、老いて覇気を失った爺さんという印象を与えてしまっている。

二人に向けられた質問はまず「経済」、そして「中絶」、「移民」、「ウクライナやガザでの戦争」と続き、2021年の1月に起こったトランプ氏の支持者たちによる「連邦議会の襲撃事件」、「トランプ氏の34件の有罪判決」、「環境」に至った。

トランプ氏は相変わらずの調子で、平然と虚偽発言や差別発言を繰り返していたが、今回は候補者のマイクの音源を主催者側がコントロールしていたので、発言の順番を守らなかったり時間超過をした際には、即座にプッツリ切られた。
なので双方ともに、発言時間や順番を守らざるを得なかったので、4年前のテレビ討論会のような不快さは感じずに済んだ。
バイデン氏は、社会保障制度を維持するために富裕層の負担を増やす、住宅建築を増やし価格を引き下げ家賃を制限する、中絶の権利は法的に守られるべき、などと発言し、夫もわたしも大いに納得した。
けれども冒頭で言ったように、弱々しい掠れ声の上に何度も口ごもったり、大事な数字を言い間違えたりする。
これでは発言の内容よりも見た目の印象が票に影響するのではないかと不安になった。

トランプ氏がしつこく繰り返したデタラメ発言の最たるものは、「民主党寄りの州では、妊娠9ヶ月が過ぎても、出生後でも妊娠中絶(殺人)を可能にしたいとしている」というもので、出生後の妊娠中絶ってなに?と思いつつ、よくもこんなウソを堂々と言い放てるもんだと、久しぶりに呆れた。
トランプ氏は、中絶薬の入手については阻止するつもりはないが、中絶の規制は州が決定すべきであると言った。
それに対しバイデン氏は、中絶を週の裁量に委ねるのは、市民権の保護を州に委ねることになると反論した。
トランプ氏は、バイデン氏の移民政策が、テロリストや麻薬中毒者、犯罪者を簡単に呼び寄せることになり、米国の暴力犯罪の要因であると言い切った。
「移民=テロリスト&犯罪者」の復活である。

トランプ氏は今、34件もの有罪判決を受け、中絶問題や連邦議会議事堂の襲撃事件についても大いに追及されるべき立場にある。
そして事実無根の暴言。
そういう彼に対してバイデン氏は、キレッキレの反論ができなかっただけでなく、声はかすれ、動きがしばしば止まり、両目がまるでマネキンのように光を失っていた。
これはまずい、非常にまずい。

トランプ氏は34件もの有罪判決を食らったことを逆手にとって、彼の支持者から支援金を受け取り、今やバイデン氏のそれを上回る額になった。
自身の落選は政治的暴力を受けたことになると言い切り、もし彼が前回のように落選したら、同じような行動(支援者たちによる荒っぽい反撃行為)を呼ぶ可能性もある。
もちろん移民に対する風当たりも強くなる。

誘導睡眠剤が必至の夜となってしまった。

夏の小確幸

2024年06月17日 | ひとりごと
気持ちがぐわんぐわんと上下左右に揺れた10日間だった。
ここに書き残しておきたい気持ちは山々だけど、公の場で話せるようなことではないので書けない。
あ〜でも書きたいなあ…😅

というような心持ちなので、全く関係のないことを今日はお話ししようと思う。
大阪の弟がお楽しみ箱を送ってくれた。
わたしが好きそうな番組を録画してくれたDVD、え?今時はスナックがこんなコンパクトな容量になったんか?!と一瞬ビックリしたおもろいティッシュ😆、

相方のFちゃんが買ってきてくれた高級佃煮、

わたしが厚かましくリクエストしたアオサ、これで朝ご飯のなんちゃって味噌汁を美味しくいただくことができる。😭

それからわたしの大好きなATSUKO MATANOさんの猫タオル。



裏庭をいい感じに整えたい気持ちはずうっと抱えているんだけど、1年のうちの90%は手付かずのままの野原状態😅。
階段を直してもらった時に、古い石段を廃物利用しようと思って、けれども長いままだと重くて大人二人でも持ち運べないので三等分しておいてもらったのだけど、それをどんなふうに配置しようかとずっと迷っていた。

とりあえず並べてみた。
この小さな(といっても一辺が40センチ以上はある)石が、これまためちゃくちゃ重いのである。
とてもじゃないが両手で持ち上げることなんてできない。
なのでまず横に立たせて、それを転がして?行ったのだけど、いやあ、実に大変だった。

次に庭のあちこちに埋まっている石やボードの破片も集めて並べてみた。
てんでバラバラ😅。

ゴールはまだまだ先…。

去年まで一つか二つの、それもとても小さな花しか咲かなかった紫陽花さんが、今年はこんなに咲いてくれた。

先代猫のショーティの最期を一緒に過ごしてくれた紫陽花さん。
彼女は亡くなる前日まで、この紫陽花の花に抱かれるようにしてじっと座っていた。


土作りをしっかりとした菜園で、茄子、胡瓜、枝豆、トマト、シシトウなどを育てている。
苗はいつもと同じく、鈴木農場から購入したものなのだけど、やはり育ち方が違う。いつもより力強い。
みんなすくすく育ってくれているのは嬉しいのだが、胡瓜の茎が太くなるにつれて、ランタンフライの襲来をどのようにして防ぐかを考えなければならない。
奴らはウリ系と柑橘系の野菜や木が大好きで、どんなに追い払ってもすぐに戻ってきて、茎が見えなくなるほどに隙間なくしがみついて養分を吸う。
一昨年はそのことに気づくのが遅過ぎて、胡瓜は全滅。
去年はそれこそいろんな手を使って戦った結果、そこそこの収穫は得られたのだけど、シーズンが終わる頃には疲れ果ててしまった。

なので今年は蚊帳で中に入れないようにしようと思い、手製の胡瓜専用蚊帳を作ってみた。



奴らがどこからも入り込めないように、網をホッチキスで止めたり杭を打ち込んだり、汗水垂らして数時間もかけて作ってみたけど、なんだかとっても頼りがない。
我ながら不満足な出来なのだけど、如何せん、体力も気力も尽き果ててしまった。
まあこれでしばらく様子を見ようと思ってたら、その日の夜にいきなり雷を伴う暴風雨に見舞われて、翌朝に見に行くと、案の定柱のあちこちが折れたり外れたりしていた😭。
結局、高額だから(100ドル近くする)と買うのを迷ってたブツを購入するしかないと諦めて注文をした。
はっきり言って、これは全く採算が合わない。
苗が成長して実が成り始めると、一日2本ずつ食べたとしても追いつかないので、ご近所さんに配って歩くことになる。
1本が1ドルとして、100ドル分の元をとるには100本もの胡瓜を食べなくてはならない。
夏の暑い盛りには、もぎたての胡瓜に鯛味噌などをつけてポリポリ食べるのも乙なものだが、毎日だと食べ飽きてくる。
もちろん漬物にしたり、炒め物に入れたり、他の使い道を考えるわけだが、それでもやはり100本はキツい。
菜園は採算度外視の、ジリジリと照りつける太陽の下、土をいじり、雑草を抜き、水をやり、野菜を育てる楽しみを味わうための空間なのだなあと思う。

というわけで、まだまだ収穫には程遠いので、鈴木農場の野菜をネットで注文した。
胡瓜をいっぱい入れてくれてたのでピクルスを作った。


かぶらと大根の葉っぱはふりかけに。


パティオでの初めての食事。

メインはこれ。


やらかしました😅

2024年06月06日 | ひとりごと
近所のYMCAの、火曜日の正午から始まるアクアビクスクラスに間に合うように、隣町の大きな通りを車で走っていたら、白いSUVの車が一旦停止を守らずに左折しようと飛び出してきた。
追突を避けようとしてクラクションを鳴らしたり、ブレーキをかけたり、ああもうこれは間に合わないと思って逆に逃げるためにアクセルを踏み込んだりしたけど、結局当てられてしまった。
当たりはそれほど強く無かったので、車が少し右側にぶれたけれども、身体的な傷は無い。
けれども気が動転しているからか、体が小刻みに震えるのを止めることができなかった。
相手はすぐにわたしの方にやって来て、ごめんなさい、本当にごめんなさい、あなた大丈夫?どこも怪我していませんか?と尋ねてきた。
とりあえず車を側道に停め直し、お互いに外に出て、ぶつけたところを確認し合った。
彼女の車は頑強で、バンパーの角に固い金属の補強があったので、そこにかすり傷がついた程度だった。
わたしの方は夫の父からのお下がりで、しかもその車は父に認知の症状が出始めた頃に運転していたので、車体のあちこちにぶつけた跡があって、だから彼女がつけた傷や凹みがどれなのかが判断しにくくて、お互いに苦笑いした。
わたしはそこで彼女の車の傷とわたしの車の傷を写真に撮っておくべきだったのだが、頭の中がフワフワしていて、そういうことに気が回らなかった。
さらに、こういう時は警察にまず連絡をし、それから保険会社に事故の報告をするべきなのだが、相手の女性はどうしても彼女の娘を迎えに行かなければならないので、自分の情報(住所、氏名、電話番号と彼女の免許証と保険証)を教えるから、あとはあなたの好きなようにしてくれ、と言って去ってしまった。
わたしは彼女がスーパーのレシートに走り書きした彼女の名前と電話番号、そして免許証と保険証の写真を撮った携帯電話を手に、しばらくぼうっと立っていた。
車に戻り夫に連絡すると、家に戻っているところだからあと5分ぐらいでそこに行ける。だからそこで待っているようにと言われたのだが、現場は家から車で2分もかからないところだし、もうYMCAに行く気力も無くなったし、とりあえず家に戻ることにした。
家のドライブウェイに車を停めたのだけど、家の前の道路が長年の(少なくとも15年以上)住民の陳情を遂にとりあげてくれて、大体的に整備し直している最中だったので、この通りに住む人たちの車は、一筋向こうの通りに止めなければならなかったことを思い出し、駐車しに行ったのだった…。
当てられた事故から20分ぐらい経った時のことだ。
わたしはバックで空いているスポットに車を停めようとしていた。
数秒後に、ものすごく大きな破壊音がして、わたしの車がガタンと揺れて止まった。
何が何だかわからなかったけど、何かにぶつかったのは確かだった。
バックミラーを見ると、グレーのセダンが見えた。
え?ぶつけた?わたしが?誰かの車に?
呆然として車から降りて後ろに回ると、無惨に割れたテールランプの赤いプラスティックの破片が道に散らばっているのが見えた。
相手の車は後ろのバンパーが少し車体から外れている。
わたしの車はバンパーがグシャリとへこみ、たった15分前に当てられたところがどこなのかもわからないほどに破損している。
そう、全く同じところを当ててしまったわけで、わたしはそのことにショックを受け、しばらくちゃんと息を吸うこともできなかった。

散らばった破片を片付けることもせず、その場に居た堪れなくなってまた家のドライブウェイに戻ってしまった。
そこに夫が戻ってきて、その顔を見た途端、あまりの情けなさに涙が込み上げてきた。
夫は最初訳が分からなくて、泣きじゃくるわたしの肩を抱いてくれていた。
わたしは普段、そんじょそこらのことで泣いたりしない。
だから今度は夫の方が狼狽始めた。
ことの次第を話すと、とにかく警察に連絡しようと言って電話をかけてくれた。
やって来た警官に事故の説明を始めたのだけど、はっきり言ってこんな奇妙な連続事故は理解し難い様子だった。
最初の事故は近所とはいえ別の町なので、彼がリポートできるのはわたしがぶつけた事故の方だけだ。
最初の事故の相手の保険会社に、一体どう説明したらいいのだろうか。
あのですね、今日の正午近くに、◯◯さんに車をぶつけられて、ご本人は全て自分が悪かったのでちゃんと直してもらってくださいとおっしゃっていたのですが、その15分後に、今度はわたしがご近所さんの停めてあった車にぶつけまして、◯◯さんがつけた傷がどこなのかわからなくなってしまったんですよね、えへへ…。

自分の保険会社と相手の保険会社に、夫の助けを借りて電話をした。
わたしがぶつけた車の持ち主(この通りに最近引っ越してきたばかりのゲイカップル)に、お詫びを言いに行った。
とんだ"welcome to our neighborhood!"である。
彼らはとても穏やかに、もちろん苦笑いをしながら、仕方がないことだと言ってくれたけど、やっぱり車の破損や修理は面倒なことだから、胸の内は複雑だろうと思う。
車の持ち主ではない方の彼は音楽家で、教会でオルガンを演奏していると聞いていたのだけど、別れ際に、あ、ちょっと待って、まうみに渡したいものがあると言うので待ってくると、楽譜を手渡された。
君んちにはピアノが2台あるでしょ。これ、バッハの曲なんだけど、一緒に弾きたいと思って。あ、僕はセコンドパートね、ファーストを弾けるような技術は無いから。
曲は「Sheep may safely graze」。とても心休まる、美しいテーマだ。
もしかしたら彼は、今のわたしの心をなだめるためにこの曲を選んでくれたのかもしれない。
ありがたいなあ。

事故ってほんと、一瞬のことで起こる。
自分の不注意が原因の時もあるし、どんなに用心してもたまたまその場に居合わせただけの時もある。
わたしも中二階から地下の入り口に真っ逆さまに落下したり、車に轢き逃げされたり、急な階段を頭から落ちたり、何度か死にかけた。
事故の後、あの時〇〇していたらとか、〇〇していなかったらとか、考えても全く仕方がない、何の役にも立たないことをあれこれと考えた。
今回の最初の事故はともかく、2回目の事故については、〇〇していたら、〇〇していなかったら、という思いがドドっと押し寄せてきて溺れてしまいそうになった。
まずは夫の言うことを聞いて、事故現場に留まっていたらよかった。
次に、家に戻ってドライブウェイに停めておけばよかった。
通りに駐車するときに、いつも欠かさずやっているように、後ろの確認をするべきだった。
それにしても恨めしいのは、家の通りのノロノロ工事だ。
これがちゃっちゃと済まされていたら、そもそもわたしは…いやいや、もうやめよう。
気が動転している時には思いもよらないことが起こりがちなのだ。
それを肝に銘じておこう。

ようやく始まった家の前の通りの舗装のやり直し工事。

普段お目にかかれない車がどんどんやってくる。





味噌と納豆の食べ方について

2024年05月22日 | ひとりごと
もう知ってる人は知ってる(当たり前)だろう、味噌や納豆は、あっつ熱の出し汁やご飯と一緒にしちゃうと、肝心の良い菌が弱ったり死んでしまったりするっていう話。
巷で言われているのは摂氏60度から70度ぐらいまでならなんとか生きててくれるらしいのだが、そんなことをこれまで誰からも聞いてなかったし、味噌や納豆の会社もそういう注意書きとかを付けていなかった。
今はどうなのか知らないけど。


味噌も納豆も栄養価が高く、だからスーパーフードなどといわれている。
だけど、その栄養価が低くなったり、下手をするとゼロになったりする場合があるのなら、一応の説明をするべきなんじゃないのかな。

例えば、味噌の乳酸菌は50℃以上、酵母は70℃ほどで死滅してしまうので、味噌汁を作るときはまず具材をしっかりと煮てから火を止め、それから10分ほど置き、汁の温度を50℃ぐらいまで下げてから味噌を溶かしましょう、とか。
まあ、乳酸菌や酵母が消えてなくなっても、その他の栄養(たんぱく質、食物繊維、レシチン、ビタミンE、ビタミンB2、イソフラボン、大豆サポニン、鉄、リノール酸)は熱に耐え忍んでくれる(?)のかもしれないけど…。

納豆だってそう。
生ぬるいご飯の上に乗っけるか、別々に食べるかしないと、ナットウキナーゼが死んじゃう。
他の栄養素であるたんぱく質、カリウム、カルシウム、納豆菌、食物繊維、イソフラボンはどうなんだろう?大丈夫なんだろうか?


前にも書いたかもしれないけれど、わたしは1日に2回、中サイズのマグカップにお湯を注ぎ、それを手で持っても10秒ほど平気な温度になるまで待ち、そこに手前味噌を投入して溶き、ネギとアオサ海苔を加えて飲んでいる。
お湯を入れたカップに手のひらを当てて10秒は大丈夫っていうのが60℃なんだそうで、一度ほんとかどうか温度計で測ってみたらほぼ当たってたので、それからはずっとそうやって確認している。
50代までは猫舌だったわたしが好んで飲んでいた温度だ。
なぜか60代に突入した頃から、あっつ熱のお茶やお湯を飲むのが好きになってしまっていたので、今の60℃の飲みものはなんだか物足りないのだけど仕方がない。


納豆も味噌も、日本食の要なんだから、そういう知識や情報をちゃんと伝えるのは大事なことなんじゃないのかな。
でも、栄養のことにがんじがらめになって、食べる楽しみを失ってしまうっていうのもどうかと思う。
だからたまにはぐつぐつ煮たりする。
でも食べる時に、消えて無くなってしまった栄養素さんたちを、ついつい偲んじゃうんだけどね😅

久しぶりのひとりごちでした。

紫と緑の祭宴

2024年05月15日 | ひとりごと
先日、シアトル在住の次男くんが、びっくりするような写真を送ってきた。
なんと、この見事なオーロラは、自宅のバルコニーからの実写である。




いやはや、こんな見事な景色を部屋に居ながらにして観られるとは、なんたる幸運であろうか。
などと一人で盛り上がっていたら、ここでも今夜か明日の夜に観られるはずやでと、夫がさらりと言うではないか!
うっひゃ〜!
だがしかし…どちらの夜も思いっきり曇ってしまって、オーロラのオの字も観られなかったのであった😭

壮大な自然の風景の続きとしてはちょいと地味なのであるが、4年目にしてやっと花を咲かせてくれたあやめさんを紹介させてもらおう。
このあやめさんは、友人のA美ちゃんから分けてもらったもので、毎年春になるとニョキニョキと葉が生えてきて大きくなるのだけど、一度も花を咲かせてくれなかった。
それが今年はいきなりの満開!嬉しいったらもう。

つぼみからして妖艶そのもの。

よくよく見ると、黄色い花もあるようだ。

その横で素朴に咲いている雑草の花。

そして、あやめさんたちからちょっと離れたところにぼんやり立ち止まっているのはうさぎさんである。


なぜか近寄って行っても逃げようとしない。

紫といえば、うちにはジャイアン藤がいらっしゃる。


伸びた根っこが庭中に蔓延っていて、気をつけていないと引っかかって転けそうになるので、いつかはちゃんと手入れをして規模を小さくしないといけないと思っているのだが、やらなければならないことが多過ぎて、それがいつになるのかはわからない。
家を持ったら最後、エンドレスだよ〜といろんな人たちから言われたのだけど、全くその通りだと思う今日この頃である😅

アメリカンな『母の日』とジャパニーズな『土作り』

2024年05月14日 | 家族とわたし
保育園児だった頃の息子たちから、母の日を祝ってもらえるようになったのは、今から34年前のことだ。
まあ、保育園時代の彼らは、『母の日』の意味などわからないまま、先生に言われた通りに鍋敷きを作ったり絵を描いたりして、それらの裏側に先生が「おかあさんありがとう」という言葉と一緒に彼らの名前を書き込んでくれた。
今やコンピューターエンジニアとして中堅の働き手となった彼らから、今年はお小遣いをもらった。
ありがたや〜。

どこもかしこも母の日を祝う家族でいっぱいだったが、エチオピア料理のレストランで予約が取れたので、ランチを食べに行った。


タイトルの写真は、帰り際にいただいた一輪のバラ。
レストランに来た女性は全員、このバラを渡されるみたい。

こちらでは『母の日』はめちゃくちゃ大騒ぎになる。
1週間前にもなると、出かける先々で、ちょっとした知り合いからでも「Happy Mother's Day!!」と声をかけられる。
楽しい母の日になりますように、という感じなんだけど、それはそれでいいことなんだけど、たまにう〜ん…と考えてしまうことがある。
だって、この世はほんと、人それぞれだから。
わたしはたまたま、ありがたいことにこの歳になって、理不尽なことや不幸なことから遠ざかることができて、これまでもずっとなんのこともなく普通に生きてきたみたいな顔をして暮らしている。
そして息子たちはどちらも、はちゃめちゃな親の行為に巻き込まれ、それはそれは大変な人生を送らざるを得なくなったのにも関わらず、グレもせず立派な大人になってくれた。
だから、誰から「Happy Mother's Day!!」と声をかけられても、自然に笑みがわいてきて、「Happy Mather's Day to you, too!!」と返事する。

でもね、例えばわたしは、母親になってからでもとてつもなく大変で辛かった時があって、そんな時の無邪気な「Happy Mothar's Day!!」には落ち込んだなあ。
それに、こんなふうに誰彼なく挨拶がわりに言っちゃってたら、中には母親になることを選択しなかった、あるいはなりたくてもなれなかった、もっと言えば、母親だったけど、いろんな事情で別れたり死別するというような、とんでもなく悲しいことが起こった人には辛い挨拶になるんじゃないかな。
でもまあ、お国柄というのか、成人したと見受けられる女性には、その人に子どもがいようがいまいが、言っちゃってる。
冒頭に言ったように、レストランなんかだと、成人女性全員に一輪の花がプレゼントされる。
あんまり難しく考えない方がいいのかなあ…。


母の日は家事をしない。
そういう決まりになっているんだけど、菜園の土作りだけはどうしても終わらせておきたかったので、渋る夫にお願いして手伝ってもらった。
師匠は日本野菜専門の農場主、鈴木さんである。
彼は毎年4月末から3週間、週末の土曜日に、デラウェア州からフェリーに乗って野菜の苗を売りに来てくれるのだが、わたしは毎年その苗を買うのが楽しみで、買いに行くと必ず鈴木さんにあれやこれやの質問をする。
鈴木さんはそのいちいちに丁寧に答えてくれる。
一昨年から発生したランタンフライの被害について話すと、どうやら鈴木さんの農場にはまだ現れていないらしい。
あれがひとたび発生してしまうと、胡瓜に大きい被害が出ると思うので、デラウェアまで広がらないことを祈っている。
そんなことを話していると、じゃあ今回は思い切って、土を一から作り直しませんか?と言ってくれた。
教えてもらったことを実行してみた。

まずは土起こしをしたところに、おからの粉、窒素とマグネシウムとカルシウムの粉、そして自家製の枯葉をよく混ぜ、



そこに水をこれでもか!というほど大量にまき、黒いビニールですっぽり覆って2週間待つ。


この間に土の中はかなり高温になるので、害虫の卵は死滅する。
その後、土の中にどんどん良い菌が繁殖し、野菜がよく育つ環境が整うのだそうだ。
さて、うまくいきますかどうか、ワクワクドキドキの2週間なのである。

誕生日と牡丹桜と裏庭つくりと

2024年04月27日 | ひとりごと
なんだかもう月日が経つのが早くて、うかうかしていると月が変わっている。
1月から3月はいろいろとあったから仕方がないと思っていたけど、もう4月が終わって5月になるっていうのが…それをまた、昨日レッスンにやってきた小学生の生徒が言ってて、世界観というか時勢感というか、インターネットが世の中に根づいてからの時間の経ち方が、ガラリと変わったと思うのはわたしだけではないだろう。

今月のど真ん中に67回目の誕生日があって、長男くん夫婦と夫の母とわたしたちとの5人で、お祝いディナーを食べに行った。
前に住んでいた隣町の、美味しいと評判のイタリアンレストランで、グルテンフリーの魚介パスタをご馳走してもらった。

義母はバースデーケーキ(パイナップルのアップサイドダウンケーキ・黒っぽい部分はブルーベリー)を焼いてくれた。

次男くんは、自分たちが超気に入って使っている枕をプレゼントしてくれた。
The Purpleという会社の製品で、蜂の巣状の突起加工が施された表面部分は、ひんやりと心地良い肌触りだ。
わたしは普段、タオルを折りたたんで枕がわりにしているので、この分厚さは大丈夫だろうかとちょっと心配したけど、不思議な柔らかさと安定感が良い眠りをもたらせてくれる。
長男くんのおまけプレゼントのクッションといい、今年は二人ともにわたしの睡眠について考えてくれたようだ。
ありがたやありがたや😭


さて、ポンちゃんとヨシノ姉妹が咲かせてくれた花にさよならを言って1週間が経った頃から、牡丹桜の最盛期に入った。
通りのあちらこちらで盛大に賑わっている牡丹桜は、いつ見ても笑顔にしてくれる。




そしてお隣さんの歩道のチューリップ花壇は、年々面白くなっている。




うちの前庭の、毎年蘇ってきてくれる草花たち。








茗荷もぼちぼちと。


これは、1時間ばかり車を運転して通ってきてくれている生徒さんが、わたしが知らないうちに植えてくれていた花。


先週末から、裏庭に通じる階段の改造作業が始まった。





ついでにといってはなんだが、ここに越してから15年が経ち、その間ずっと放ったらかしていた(見て見ぬ振りをしてきた)庭の整備を、ぼちぼち始めようではないかということになり、小さなパティオを造ってもらうことにした。
台所からスッと外に出られるウッドデッキを造るというのがわたしの夢だったんだけど、費用を考えるとそれは叶わぬ夢で、だからこれから歳をとっても階段の上り下りができるよう、足腰を鍛えていかなければならない。
その小さなパティオにしても、ほんの数段の小さな階段にしても、50年100年越しのセメントやレンガを打ち砕き、土台を一からやり直すのがどれほど大変なことか、毎日作業に来てくれる人たちの様子を見て思い知らされる。
どの作業の過程も興味深く、写真を撮りたくてうずうずしてしまうのだけど、邪魔になりたくないし、誤解されたくもない(自分たちの作業を疑っているのかとか)ので、じっと我慢している。

夫のオフィスも引っ越しが決まり、今週末はその作業を終えなければならない。
夫にとってこれが三回目の引っ越しになる。
今まではどちらも車で5分強のところにあったので、よくギリギリまで家にいて慌てて出かけることが多かったけど、今度のは15分強かかるので、出勤の準備パターンを変える必要がある。
まあそれはそれとして、自営の仕事場を変えるというのは大変なことである。
名刺はもちろんのこと、パンフレットやネット上の記載を変更しなければならないし、患者さんたちにも伝えなければならない。
今回は距離的にもちょっと離れるので、これまでの場所に馴染んでいる患者さんたちの中には、不便さを感じる人が出てくるかもしれない。
そんなあれやこれやを、それでなくても年がら年中何かしらについて考える癖のある夫は、今まで以上に考えているんだろうと思う。
わたしにできることは高が知れているけど、引っ越し作業はもちろん、できることを見つけて手伝っていこうと思う。
たとえば、患者さん用のガウンの洗濯してきれいにたたむとか…😅。
え?それはショボ過ぎる?
ケンチャナケンチャナ〜😁

米国「2024年版・桜公園での皆既日食」事情

2024年04月09日 | 米国○○事情
今回の皆既日食は、北アメリカ本土を横断するというので、かなり盛り上がっていた。
夫の母は夫の姉と一緒に、その皆既日食のスポット巡りに出かけて行った。
そういう騒ぎには常に出遅れる我々は、いつもの如く、観察用のメガネも買い求めないまま一日前となり、慌ててあちこち探し回っても、結局どこもかしこも売り切れてしまっていた。
ここニュージャージー州は、完全な皆既日食を見ることはできないらしく、それでも90%ぐらいまで隠れるということなので、薄暗くなるのを肉眼で楽しもうということになった。
たまたま春休みでレッスンを休む生徒も多く、夫も患者が少なかったので、お互いに午前中の仕事を済ませてから、近くの桜公園に行くことにした。

公園近くの有名な教会。名前は全く覚えていない😅

今年は満開になるのが例年より早い。




そろそろ始まったみたいだ。


こんな立札は前には無かったな。


皆既日食はすでに始まっているので、肉眼で太陽を見てはいけないのだけど、ついつい…。




カメラではなかなか、わたしたちが肌で感じた薄暗さっていうのが写せないのだけど、ちゃんと普通に見えているようで見えていない、なんだか別の世界にワープしたような気がした。












太陽って9割が隠されてもあんなに世の中を明るく保てるんだな。
そのことにすごくびっくりした。
思ってたより暗くならなかったし、景色もそれほど変わらなかったように思われたけど、家に戻ったら二人ともふらふらに。
え?なんでこんなに疲れてるんだ?って思うほどぐったりして、それは寝る直前までずっと続いた。
きっと、あの公園で、肉眼では見えなかったけど太陽がスッポリと隠れていた数分間に、わたしたちは吸い取られたんだと思う。
何を?
何かを。