以下は、2011年8月11日付の毎日新聞夕刊5面の文化欄に掲載された、
文芸評論家・加藤典洋氏の『疑問だらけの菅おろし 反対派の"凸"が見えない』です。
『このところの菅直人首相をめぐる政官財のやりとり、政局と、それにまつわるメディアの報道にはあきれる。
長年永田町を取材している記者、政界事情通が、これまでいかに、首相のやり方が陋劣(ろうれつ)で、政官財の有能なスタッフが首相を見放しているかを指摘し、
人徳のなさを罵り、その居座りに業を煮やしているが、それらはすべて「床屋論議」である。
産経新聞のあるコラムは、これまで「心がない」「誠がない」「信がない」と指摘されてきた首相が、退陣をめぐる騒ぎでこのことを証明した、と書く(阿比留比氏、『政論』6月4日)。
これと、政治的立場を異とする本誌コラムも、首相の政治手法に疑問を呈しつつ、「とにかく、菅の言葉には、心がない」と、同様の指摘を行っている(岩見隆夫氏『近間遠見』4月23日)。
右の産経新聞コラムは、「首相の恐ろしさは、特にやりたいことがない空疎さにある」とも言うのだが、
現今の菅政局の問題点は、逆に、反対派の退陣要求から、何を「やりたい」のかが見えてこない点である。
政治家も、官僚も、新聞人も、いまは政治は何を「やるべきか」にふれないまま、首相の人品、居座りをめぐる事情通的な裏話に終始する。
だが我々は、いま未曾有の困難にある。政治の話をしようではないか。
現今、最大の政治課題が原発問題、再生エネルギー法案、発送電分離にあることは、はっきりしている。
電力をどうするか、この夏をどう乗り切るか、など「凹みを埋める」課題は、政治ではなく、経済の問題である。
政治とは何か。
ハンナ・アレントによれば、経済が凹みを埋めるのに対し、政治とは「新しい価値「凸」を創出する」活動をさす。
菅首相は、「やりたいこと」=新しい凸として、脱原発、再生エネルギー法案の上程、発想原分離への意欲をあきらかにした。
しかし、これに誰一人、自らの対抗価値(凸)を明示することなく、人格等の問題にことよせて首相の凸を取り下げさせようとしている。
これが菅降ろし政局の本質であろう。
なぜ、反対派は、彼らの価値(凸)を対置しないのであろうか。
このことは、彼らが要するに、隠れ守旧派であって、自らの提案(凸)としては、現状維持(原発推進)以外にないことを語っている。
表だって反対すれば、自らの価値=凸(原発推進)が明らかになる。
すると国民の信を失う。
そのため、「人心」、手続き等の問題を持ちだし、復旧・電力問題(凹)で国民を脅かし、首相の政治的主張を葬り去ろうとしているのである。
そのいう構造が明白なとき、この構造を指摘する代わりに、首相の「心のなさ」、手法陋劣をあげつらうのは、
産経コラムの如く、ためにする議論でなければ、ジャーナリズムの自殺であろう。
私の目に、東京電力と一体になった、経産省に代表される政官財の勢力がサボタージュを続け、
国民の代表である、首相の政治努力を空洞化させようとしているさまは、戦前の軍部のあり方と瓜二つと見える。
戦前、軍部は、自らの政治的主張(凸)を掲げず、もっぱら凹を押し出し、身分の考えが通らなければ閣僚を引き揚げることで、内閣を総辞職に追い込んだ。
8月4日の、海江田万理経産相による原発関連首脳三名の更迭でも、
更迭理由が「語られ」なかったのは、語れば累が全く同罪の大臣自身に及ぶからだ。
この人は、国会の質疑で泣いたが、その政治家失格、電力共同体の傀儡ぶりが、涙、「言葉の不在」によく表れている。
いま、文民統制が求められるとしたら、自衛隊に対してということよりも、これら政官財の、既得権益共同体に対してであろう。
いま首相がやるべきは、経産相の更迭である。
首相ができなければ、新聞がそれを主張すべきだ。
いま起こっているのは、これら政官財の一勢力による文民の意思の押し込め、戦後の価値の全否定だからである。
現在のメディアに、この種の独立した、思考する力がないのだとは思いたくない。
しかし、このまま行けば「菅降ろし」政局の報道は、メディアの自殺である。』
ふぅ~……加藤さん、よう言うてくれました。
やっとこれで思い残すことなく、今日一日を終えて眠れます。
菅さん、やめなはんな!
一日も早う、経産相、誰やったかいな、あ、そやそや、メソメソ男の海江田の万理ちゃんや、あれを更迭しなはれ!
ほんで、新聞社の社長集めて怒鳴ったり。
台詞はわたしが考えたったから。
「おいこら新聞社、おまえらええ加減にせえよ。
黙って聞いてたったらええ気になりやがって、耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわすどアホんだら!
まじめに仕事せんかい!俺のことより、今困ってるあっちゃこっちゃの人らの取材して回れ!ボケなす!」
ほんでほんで、これは官僚用。
「おいこらおまえら!
俺のことでごちゃごちゃ、腐ったジャガイモの汁みたいなクッサイ文句ばっかり並べやがって。
日本語忘れたんか!俺が首相やってたらなにが困るんか、はっきり言えはっきり、日本語で!」
やめなや!日本っちゅう船はまだ、正しい方角に舵取ってないねんで!
途中で投げ出しなさんなや!そんなことしたら、一生後悔すんで!
日本は今、世界のカスになるか、光明になるかの瀬戸際やねん。
せっかく自分の手で灯しかけた光、消したらあかん!
みんな、吹き消そ思て必死なアホばっかやねんから!
文芸評論家・加藤典洋氏の『疑問だらけの菅おろし 反対派の"凸"が見えない』です。
『このところの菅直人首相をめぐる政官財のやりとり、政局と、それにまつわるメディアの報道にはあきれる。
長年永田町を取材している記者、政界事情通が、これまでいかに、首相のやり方が陋劣(ろうれつ)で、政官財の有能なスタッフが首相を見放しているかを指摘し、
人徳のなさを罵り、その居座りに業を煮やしているが、それらはすべて「床屋論議」である。
産経新聞のあるコラムは、これまで「心がない」「誠がない」「信がない」と指摘されてきた首相が、退陣をめぐる騒ぎでこのことを証明した、と書く(阿比留比氏、『政論』6月4日)。
これと、政治的立場を異とする本誌コラムも、首相の政治手法に疑問を呈しつつ、「とにかく、菅の言葉には、心がない」と、同様の指摘を行っている(岩見隆夫氏『近間遠見』4月23日)。
右の産経新聞コラムは、「首相の恐ろしさは、特にやりたいことがない空疎さにある」とも言うのだが、
現今の菅政局の問題点は、逆に、反対派の退陣要求から、何を「やりたい」のかが見えてこない点である。
政治家も、官僚も、新聞人も、いまは政治は何を「やるべきか」にふれないまま、首相の人品、居座りをめぐる事情通的な裏話に終始する。
だが我々は、いま未曾有の困難にある。政治の話をしようではないか。
現今、最大の政治課題が原発問題、再生エネルギー法案、発送電分離にあることは、はっきりしている。
電力をどうするか、この夏をどう乗り切るか、など「凹みを埋める」課題は、政治ではなく、経済の問題である。
政治とは何か。
ハンナ・アレントによれば、経済が凹みを埋めるのに対し、政治とは「新しい価値「凸」を創出する」活動をさす。
菅首相は、「やりたいこと」=新しい凸として、脱原発、再生エネルギー法案の上程、発想原分離への意欲をあきらかにした。
しかし、これに誰一人、自らの対抗価値(凸)を明示することなく、人格等の問題にことよせて首相の凸を取り下げさせようとしている。
これが菅降ろし政局の本質であろう。
なぜ、反対派は、彼らの価値(凸)を対置しないのであろうか。
このことは、彼らが要するに、隠れ守旧派であって、自らの提案(凸)としては、現状維持(原発推進)以外にないことを語っている。
表だって反対すれば、自らの価値=凸(原発推進)が明らかになる。
すると国民の信を失う。
そのため、「人心」、手続き等の問題を持ちだし、復旧・電力問題(凹)で国民を脅かし、首相の政治的主張を葬り去ろうとしているのである。
そのいう構造が明白なとき、この構造を指摘する代わりに、首相の「心のなさ」、手法陋劣をあげつらうのは、
産経コラムの如く、ためにする議論でなければ、ジャーナリズムの自殺であろう。
私の目に、東京電力と一体になった、経産省に代表される政官財の勢力がサボタージュを続け、
国民の代表である、首相の政治努力を空洞化させようとしているさまは、戦前の軍部のあり方と瓜二つと見える。
戦前、軍部は、自らの政治的主張(凸)を掲げず、もっぱら凹を押し出し、身分の考えが通らなければ閣僚を引き揚げることで、内閣を総辞職に追い込んだ。
8月4日の、海江田万理経産相による原発関連首脳三名の更迭でも、
更迭理由が「語られ」なかったのは、語れば累が全く同罪の大臣自身に及ぶからだ。
この人は、国会の質疑で泣いたが、その政治家失格、電力共同体の傀儡ぶりが、涙、「言葉の不在」によく表れている。
いま、文民統制が求められるとしたら、自衛隊に対してということよりも、これら政官財の、既得権益共同体に対してであろう。
いま首相がやるべきは、経産相の更迭である。
首相ができなければ、新聞がそれを主張すべきだ。
いま起こっているのは、これら政官財の一勢力による文民の意思の押し込め、戦後の価値の全否定だからである。
現在のメディアに、この種の独立した、思考する力がないのだとは思いたくない。
しかし、このまま行けば「菅降ろし」政局の報道は、メディアの自殺である。』
ふぅ~……加藤さん、よう言うてくれました。
やっとこれで思い残すことなく、今日一日を終えて眠れます。
菅さん、やめなはんな!
一日も早う、経産相、誰やったかいな、あ、そやそや、メソメソ男の海江田の万理ちゃんや、あれを更迭しなはれ!
ほんで、新聞社の社長集めて怒鳴ったり。
台詞はわたしが考えたったから。
「おいこら新聞社、おまえらええ加減にせえよ。
黙って聞いてたったらええ気になりやがって、耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわすどアホんだら!
まじめに仕事せんかい!俺のことより、今困ってるあっちゃこっちゃの人らの取材して回れ!ボケなす!」
ほんでほんで、これは官僚用。
「おいこらおまえら!
俺のことでごちゃごちゃ、腐ったジャガイモの汁みたいなクッサイ文句ばっかり並べやがって。
日本語忘れたんか!俺が首相やってたらなにが困るんか、はっきり言えはっきり、日本語で!」
やめなや!日本っちゅう船はまだ、正しい方角に舵取ってないねんで!
途中で投げ出しなさんなや!そんなことしたら、一生後悔すんで!
日本は今、世界のカスになるか、光明になるかの瀬戸際やねん。
せっかく自分の手で灯しかけた光、消したらあかん!
みんな、吹き消そ思て必死なアホばっかやねんから!
功績は自分で独占し、失敗の責任は他人に擦り付ける人ですからね。エイズ騒動の時代から、手柄の横取りと、他人の嫌がることしかしてきませんでした。
最近でも、尖閣諸島対応の失敗を仙谷に全て押し付けたり、被災地への対応を松本に全て丸投げしたり、海江田の経産省更迭人事を自分で指示したと言ってみたり。外国人献金は受け取って返したと言うものの領収書は開示しないは、虚偽の政治資金報告書を提出するは、と大活躍です。
市民運動家の菅は所詮、自分で喩えている通り「野良犬」でしかないようです。やっぱり「犬」が「人間」の言葉をしゃべるのがおかしいんですね。
ようこそお越しくださいました。
これまでにもよく、lenyさんがおっしゃるような菅直人像を目にしているので、
lenyさんと同じような思いを持っていらっしゃる方々が他にもおられるのだろうなあ、と想像することぐらいはできます。
ただわたしは、政治家の人となりや、あの連中の頭の中身や、実際にやっている物事を、
彼らのすぐ近くでじっくり観察できる立場に無いし、
情報は、もともとクソな報道しかしない新聞やネットやラジオでしか得られないので、
lenyさん達のように、◯◯であるとか、◯◯をしたとか、まるで自分の目で見たようなことは言えません。
さらに、正直言ってわたしは、政治家に、人となりの良さや、人としての価値なんて求めていません。
特に国の首長である首相なんて、国が正しい方向に歩めるようにできるのならば、
腹の中がどす黒かろうが、嘘つきであろうが、野良犬であろうが、
民意を察した上で、地球規模の良い判断をし、それを決定にまで持っていける者ならばオッケーやん、と思っています。
なので、この記事でも、菅さんの人となりなんてどうでもよくて、
正しいことをしようとしている者(今の場合は菅さん)を、正しいことをしたくない連中が寄ってたかって引きずり降ろそうとしているバカバカしさを、
もっとバカバカしいマスコミがアホなことをし続けていることに対する怒りを書いたつもりです。
理解していただけると嬉しいのですが。
「力」入れんと 優しく削りや…
って 小さい頃 母に言われたことを想いだしました。
…で、「おろす」のは「大根」だけにしとけmiddle age(?)違った ちゅうねん!
そうか 管さんは市民活動家か… 結構なことやん
いままでの政治は 余りにも 国民不在
麻生さんのように カップラーメン400円の金銭感覚で政治をやってもろては困る!
唐突な浜岡停止を手始めに、ここまできた管さんの脱原発
本来 政治家としてはタブーやろな
いままでのエネルギー政策を全否定して、
将来に経済的な負の要因を抱える
普通に考えれば 脱原発なんかありえん 良くて折衷案。
そこを 敢えて言う管首相に 僕は敬意をはらうで
少なくとも 首相は 国民の「不安」に対し
自身の政治生命をかけて真剣に答えを出そうとしてくれてる(と思ふ)
マスコミも揃いも揃って「管おろし」の大合唱
… イメージ悪いだけやで!
そんなに言いたいなら 代わりに甲子園行って
六甲「おろし」で応援してこいちゅうねん 関西人の心つかめるで。
そうそう関西と言えば…
きょう明日で 実家に蛙ねん(ケロけろ♪)
新幹線で京都まで行って、湖西線に乗り換えて のんびり帰るねん
京都駅の階段 しっかり見比べてくるで…姫の写真を持って。
でも 月曜は仕事やから一泊しかできひん
そやから 大文字の送り火も見れへん(悲)
といっても30年くらいは見てないなぁ~
とりあえず母親の墓参りだけすませてこなあかんねん^^;
では そろそろ支度して いってきま~す^o^/
お盆大サービスの3枚や!
そやそや!そんねんオロシたいんやったら、大根おろしとけ!っちゅう話やな。
けど……、
hidetan、おかあさん、若うして亡くならはったんやね。
寂しいね。
きっと、優しゅうて、懐の深い、ええおかあさんやろなあ。
お墓参り、おかあさん喜ばはるわ。
忙しいのに、合間を縫うてよう来てくれたなって。
京都駅の階段!きゃ~!見て来て見て来て!
あ、でも、回り道にならへんか?新幹線の改札口から一旦外に出んとあかんのちゃうん?
時間無かったらええしな。
けど、あそこって、なんか好っきゃねん。
空間の感じが他とちょっとちゃうような気がする。
湖西線、またまた超~懐かし言葉!
せっかくの里帰りなんやから、ここはひとつ、無理にでもゆったりと、電車に揺られてカエルねんで~!
大文字……わたしには切なくも腹立つ思い出があるねん……よよよ。話が長なるからまた今度。
彼が首相就任以来しなかった事とやってしまった事を丁寧に拾っていくと、結局はその目の中に国民は無く、賞賛される自分の姿と、それに向けた自己保身とパフォーマンスだけしか見当たりません。実際に、目的に向けて人を動かす事をしていない事が分かります。
例えば、太陽光パネル発電って各家庭に販売・取り付けしている企業は補助金が収益と≒なんですが、現場でのクレームのほとんどが電力が安定しない、思ったよりも発電しない、発電力がどんどん落ちて行く、です。黄砂や酸性雨などのパネル表面の問題ですが、コストパフォーマンスの良い解決方法は実現していません。
再生エネルギーでは産業を維持できませんので、脱原発を進めるのなら、CO2削減の為の国内法規と制度、それに国際的な25%削減のコミットメントをいずれもモラトリアムし、火力発電所の稼働率を引き上げる必要があります。それも馬鹿高い発電所の建設費(ファミリー企業に分配した)を強制的に償却させて電力を安くする必要もあります。既に日本は絶対値として低炭素社会であり、循環型社会としても先進を走っていますから震災復興期間に文句の言われようはありませんでしょ?。
政治家は結果で判断される存在です。当然、組織を動かせなければ結果は出ません。彼には資質は無いのですから、むしろ菅を補うような意見を書かれた方が説得力が出ると思いますよ。
いい加減に菅を批判しているつもりはありませんので、宜しければご参照下さい。
http://leny.iza.ne.jp/blog/entry/2349009/
http://leny.iza.ne.jp/blog/entry/2364283/
http://leny.iza.ne.jp/blog/entry/2379593/
わたしは、lenyさんが考えておられることを、どういう風にも評論する立場にいませんし、するつもりもありません。
それと同時に、菅氏についても、彼の政治家としての資質などを語り合えるほどに興味も持っていません。
なので、lenyさんの、菅氏に対する考えは、lenyさんご自身のものであって、それを尊重したいと思っています。
そしてもう一度、あらためて申し上げたいのは、
わたしのこの記事に対する思いの中心は、菅氏のことではなく、そして原発推進や反対、再生エネルギーやCO2削減などについてではなく、
ジャーナリズムの在り方を問いたいというものです。
今年3.11と3.12まで、このような事柄に、わたしは全く無頓着でいました。
なんとなく腑に落ちなかったり、イヤな気持ちになったりはしていましたが、
それをしっかり考えることなく、とりあえず自分の楽なように無視し続けてきました。
今回のことで、いろいろと読んだり調べたりして、ある程度の知識は得たつもりではいますが、
ずっと取り組んでこられた方々とは比べ物にならず、また、知恵比べや討論をしようとも思っていません。
そんな知恵はともかく、わたしはひとりの母親として、女として、大人として、
今までずっと、頭のどこかでひっかかっていたのに、
それを知らないふりをして、なにも声に出さなかったことを恥じているだけです。
そのために、こんな汚れた水や空気にまみれた国に生きていかなければならなくなった子ども達に、本当に申し訳なく思っているだけです。
なので、なにかがしたい。なにかを訴えていきたい。
そう思いながら毎日を過ごしています。
なので、怒りの矛先の一番先頭にいるのは、この自分自身なのです。
メディアと云うことでいうと、単純に商業ベースでは、メディアの報道部分、特に"Watchdog"としての役割は維持でき難くなっている、って事だと思います。日本に限らずですけど。
速報性はツィッターやNETに及ばず、さりとて正確か?と云うとむしろ恣意的で注目を集める事かプロパガンダの片棒を担いでいるだけ。これはアメリカでも一緒ではないでしょうか?
ただ、アメリカは保守vsリベラルが鮮明でそれぞれの立場からの報道があるので、比較検討しやすいのだと思います。
blog誘導だと思われるとアレなんですがw、ひとつの方向性として日本にも下記のような非商業的な仕組みを持った報道機関があっても良いと思いますし、存在できるのじゃないか?と思っています。
http://leny.iza.ne.jp/blog/entry/2250908/
そうですね。アメリカも、おんなじような部分が見られます。
ただ、州や地域によってみんな違うので、わたしはただただ、自分の暮らす周辺の様式しか知らないのですが……。
ProPublicaは、うちの旦那がニュースソースとして読んでいます。
ここはニューヨーク・タイムズ・マガジンが出版元になっていますね。
日本でも、今回の件で、大手の新聞社の傘下で、自分達が報道できないようなことをガンガン文字にできる機関が生まれるかもしれないと思っています。
自由報道協会というのも、今回の福島の震災以降に動きを活発にした機関ですものね。
今のアメリカは、比較しやすいというより、比較する気も無い、すっぱりと分かれ過ぎた人達が多いような気がします。
なので、どちらも互いに過激になってきてしまって、
平静に、論理的に話し合うということが、なかなか難しくなってきました。
わたしはここの、多様性と柔軟性を含んだ、自分と違う意見や風習や文化を受け入れる姿勢が好きなのですが……。
孫正義氏の「エネルギー政策の転換」論文
http://minnade-ganbaro.jp/res/presentation/2011/0422.pdf
を検証してみました。
<孫論文の概要>
・ 全量買取制度 40円/kWh 20年間
・ 1世帯あたり、500円程度で(脱原発ができて)安心・安全!
<検証内容>
全量を事業者(孫正義氏の企業など)から買い取るのですから、全て国民負担(増税または電気代値上げ)です。
本当に、500円程度で、(脱原発ができて)安心・安全になるのでしょうか?
算数で計算してみました。
原子力を止めて、代わりに火力ではなく太陽光にした場合の計算です。
■一世帯当たりの年間負担増額
原子力の総発電量271,270,983,000kw ×(40円-火力発電コスト8円)÷ 人口128,056,026人 × 世帯2.65人
=179,638円
■一世帯当たりの月間負担増額
179,638 ÷ 12ヶ月
=14,969円
<結論>
一世帯当たりの負担増は500円ではなく、月1万5千円にもなる。年額だと18万円の負担増。
仮に電気代の値上げを500円に抑えたとしても、残りは全て税負担です。
この点を完全に隠しています。
<補足>
火力は資源高騰のおそれがあるとか、地球温暖化が進むという意見もあると思いますが、たとえば、日本近海に大量に存在するメタンハイドレート(天然ガス)を利用すれば、世界の資源高騰とは無縁ですし、温暖化ガスの排出も石油の2分の1と言われています。
メタハイの発電コストは現行の火力発電コストの約10分の1になるとする意見もあります。
<参考データ>
■2010年度の原子力の発電実績
2,712.7億kW (271,270,983,000kw)
(2011年 電気事業連合会 2010年度の発受電速報)
http://www.fepc.or.jp/library/data/hatsujuden/__icsFiles/...
■日本の人口
128,056,026 人
(2010年国勢調査)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%...
■世帯人数平均 2.65人
(平成18年 厚生労働省 国民生活基礎調査)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa06/...
■火力発電の発電コスト
7~8円
(2010年版 経済産業省 エネルギー白書)
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2010/gaiyou_2...
この記事において、その類いの試算について全く記述していませんし、
わたし自身、きちんと正しく試算できるほどの知識も調べも持ち合わせていません。
ただ、原子力に限っては、今はもう、ただ単純に、総発電量などという事柄だけで計算できないと強く感じています。
廃棄された核のゴミの管理や処理、原発を設置している地域へ湯水のように流れる金、途方もなく続く核物質の管理などなど、今まで全く認識していなかった闇の世界に、桁違いの金が使われ、それがいったいどのような形で我々の負担になっていたのか、あまりにも巧みに仕組みが入り組んでいて、きちんと説明してもらっても理解に苦しむほどです。
エネルギーを得るために、人間がすることは自然破壊。
それがどんな手段であれ、破壊をし、汚染をし、大なり小なり人間自身をも傷つけます。
天然ガスも、その燃料となるガスを電気に変換する際に、とても危険な薬剤を使うことから、ここアメリカでは今、フレッキングという名の元に、大問題になっていて、地元住民は必死で反対運動をしています。
そういうことを考えるに、ならばどうしたら人間が人間として生きていけるのか。
極端な話、人口を増えないように規制し、生活スタイルを今のような便利さから、少々不便でも我慢するように無理矢理にでも変えるぐらいのムチャクチャさを実現する以外に無いのではないか。
でも、typeXRさんが書いてくださった<補足>が、こちらで騒がれているような汚染を伴わないものであれば、それは日本の未来にとってすばらしい物になるでしょうね。
なにはともあれ、まず政府には、今そこにある問題(事故処理、避難や除染)に、のろのろしていないでさっさと、きちんと取り組んで欲しいのですが……。