ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『基地権密約』『地位協定』の廃棄&『外国軍基地を置かない』と憲法明記の運動を起こし沖縄と共に闘おう!

2016年07月22日 | 日本とわたし
標的の村・高江。
沖縄。やんばるの東村は、米軍のジャングル演習地に囲まれています。
演習場の中に、住民の方々が生活しているといっても過言ではないという、ひどい環境に置かれています。
しかも、通常は当然設置されるフェンスもなく、だから住民の自宅の庭や畑と演習場がつながっているという、異常な状況を強いられてきました。

高江の住民の方々は、ベトナム戦争の最中、老若男女違わずベトナム人の格好をさせられ、米軍の戦闘訓練の標的にされました。
そして、生活環境はもちろん、稀に見る豊かな自然の宝庫であるやんばるの森を守るため、さらなる米軍施設の建設に抗議する住民が、言いがかりのような理由で国に訴えられました。
その、長年にわたる沖縄での抗議活動の様子は、全国ニュースではほとんど取り上げられません。
だから、沖縄以外の地域で暮らす人たちの中には、沖縄の苦しみ、悲しみ、怒りが染み込んだ、いまだに戦争の島として生きていかなければならない理不尽さを、知らない人が多いのです。
ほんの小さな集落なんだから、騒音と危険を押し付けてもどうってことはない。
人を人とも思わない人間たちによって、権力側の常套手段である仲間内の分断『沖縄県民同士の争いに仕立て上げる(抗議する沖縄県民とそれを排除する沖縄県警)』が成り立ってしまいました。

何度も言いますが、わたしは、福島の原発事故が起こるまで、原発問題も核問題も基地問題も、気にはなるけれど、その場に住んでいるわけでもないし、
どれもこれも問題が大き過ぎて考えても仕方が無いし、だから申し訳ないけれども自分には手に負えないから、みなさん、頑張ってください、などと考えていました。
そのような考え方や生き方が、正しくないと分かっていたけれども、だからといって一度身を置いてしまったら、生活のリズムが無茶苦茶になると思い込んでいました。
わたしは本当にバカでした。
ひどく間違っていました。
わたしは日本に生まれ、43年間日本に暮らしました。
こちらに移り住んで16年が経ちましたが、いろんな場面で褒められたり、尊敬してもらったりするたびに、わたしの中に脈々と流れている日本というものを強く感じてきました。
でも、わたしは本当に知らないことが多すぎました。

『日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか』
『日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか』


矢部宏治さんが書かれたこれら2冊の本を読めば、日本がいかに占領されたままの状態にあるかを理解できます。
ほんの一部ですが、引用します。

「アメリカとの条約が、日本国憲法よりも上位に位置する。
これは占領期の違法な権力構造ですが、これを法的に確定してしまったのが砂川裁判だったのです。
そして、日米安保条約などの条約は、日本の航空法など、一般の国内法よりも強く、上位にあるので、
一旦条約が結ばれると、必要に応じて、日本の法律が書き換えられたり、「特別法」や「特例法」がつくられることになります。
米軍機がなぜ、日本の住宅地上空で、めちゃくちゃな低空飛行ができるのかという問題も、
「日米安全保障条約」と、それにもとづく「日米地位協定」(在日米軍がもつ特権について定めた協定)を結んだ結果、
日本の国内法として「航空特例法」という法律がつくられているからなのです。
米軍機は、高度も安全も、なにも守らずに、日本全国の空を飛んでよいことが、法的に決まっているということなのです」


沖縄の人たちは、戦後ずっと、基地問題で闘ってきました。
ただ普通に、爆音や事故に悩まされない、静かな暮らしがしたい。
子どもたちに、普通の暮らしを受け継がせてあげたい。
豊かな、壊されたら二度と戻ってはこない自然を守りたい。

わたしたちには何ができるのでしょう。
わたしたちは何をしなければならないのでしょう。

この『日米安保条約』と『地位協定』を、そして『基地権密約』を廃棄させるべく、憲法にこのふたつのことを明記するよう呼び掛けましょう。
これは、以上で紹介した『日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか』の276ページに書かれているものです。

『唯一、状況を反転させる方法は、憲法にきちんと、『日本は最低限の防衛力をもつこと」と書き、
同時に、『今後、国内に外国軍基地をおかないこと」を明記すること。つまり「フィリピンモデル」です。
そして、米軍を撤退させ、米軍駐留の結果として機能停止状態におちいった日本国憲法の機能を回復させる。
日本がふたたび侵略的な戦争をする国になることを防ぎ、加えて「大地震の活動期を目前にした原発再稼働」という狂気の政策を止めるには、この方法しかありません』


沖縄の現地に駆けつけることができないわたしたちは、この呼び掛けを強くしっかりとやり、全国に広めていかなければなりません。
時間があまりありません。
がんばりましょう!

前回の記事でも紹介させていただいた写真家・森住卓氏が、フェイスブックで伝えてくださった高江の様子を、ふたたび紹介させていただきます。

https://www.facebook.com/takashi.morizumi/media_set?set=a.10207489360971383.1073741924.1209393433&type=3&hc_location=ufi

国は予告通り早朝から、警視庁、神奈川、愛知、大阪、福岡などから、機動隊500人以上を動員し、沖縄県警とあわせ1000人近くの戦力で、高江に襲いかかってきた。
早朝、県道70号線を、北と南から封鎖し、外部の出入りが出来なくした後、5時には、北と南から、高江のN1ゲート前に押し寄せてきた。
前夜から、住民は、車両百数十台を駐車し、機動隊の侵入を阻止していたが、レッカー車で次々排除し、数民の座り込むテントに押し寄せていった。

1879年、明治政府が、500人の軍隊を動員し、首里の琉球王朝を倒し併合した。
いわゆる、琉球処分を思い起こさせる。
まさに力尽く。
問答無用。
安部政権の最後の断末魔は、歯止めがきかない。
オスプレイの騒音や低周波に悩まされないで生きたい、自然豊かな環境で静かに暮らしたいという、当たり前の願いさえ、安部政権には通じない。
こんな人権と民主主義破壊の暴挙を、許しておいて良いのか?
全国の世論を、急速に盛り上げなければならない。

圧倒的な暴力の前に、いったん撤退ですが、闘いはさらに大きく広がっていくでしょう。
こんな問答無用のやり方がありますか?
絶対許してはなりません。
この局面は負けかもしれない。
しかし、高江は全国区になり、住民の声は全国に届いた。
この安部政権の暴挙を許しているのは、本土の世論です。
問われているのは本土です。


昨夜から機動隊が動き出していた。




































































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3年前の8月16日に放映された『標的の村・国に訴えられた沖縄の住民たち』を文字起こしをしました。(話し言葉を省略しています)

『標的の村』 国に訴えられた沖縄の住民たち
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/gendaisekai/2013/09/post-0c0d.html

映画で戦争を考える~標的の村~
2013.08.


ゲスト:藤井 誠二(ノンフィクションライター)
VTR出演:三上 智恵(琉球朝日放送報道部)
8月10日(2013年)から順次全国で公開される「標的の村」は、琉球朝日放送が追い続けた、"沖縄の戦い"のドキュメントだ。
沖縄、山原の東村は、米軍のジャングル演習地に囲まれた村。
この演習地に、新たにヘリパッドが建設されることを知った住民は、反対運動に乗り出す。
このヘリパッドは、いずれ、「オスプレイ」の訓練施設となるからだ。
しかし、立ち上がった住民の前には、国からの、考えられないような障壁が立ちふさがる。
そして、やがて彼らの反対運動は、「オスプレイ配備反対」の戦いとなり、運命の日を迎える...。
内地では、ほとんど報道されることのない沖縄の真実を、この映画は伝える。

↓以下、文字起こしはじめ

『標的の村』

沖縄県の北東部に位置する東村。



自然豊かな地域。
高江という集落。



米軍演習場のど真ん中にあって、普段から住民は危険に晒された生活をしている

2007年に、高江集落を取り囲むように、米軍ヘリの発着場であるヘリパッドを、6つも建設することになった





ここにはオスプレイも発着する
東村はすごく広い。
高江はその少し奥まったところにある、やんばると言われる自然豊かな所の一角
非常に狭い小さな集落。
普通は設置されるはずの集落と演習場の間にフェンスが無い
住民の自宅の庭と練習場がつながっている
演習場の中に住民の方々が生活しているといっても過言ではない地域

『標的の村』は高江が舞台。

予告編の映画の中に4つのポイントが集約されている。



1. 高江の住民は米軍の戦闘訓練の標的にされた。
2. 抗議行動をとる住民が国に訴えられた。
3. 沖縄での抗議活動の様子は全国ニュースでほとんど取り上げられなかった。
4. 沖縄県民同士の争い(抗議する沖縄県民とそれを排除する沖縄県警)


大きなポイントというのは、1.と2.にある。
ベトナム戦争時代に、米軍の訓練する場所として設定し、高江の女性も子供も含めた住民を参加させ、銃を向けられる。
標的にされていた沖縄に対する、占領国米軍からの、人を人とも思わない、ある種実験台にするような視線を感じる。
このドキュメンタリー映画を作った地元の琉球朝日放送は、枯葉剤の問題をずっと追求している。
(高江に作られた)ベトナム村にも、枯葉剤が持ち込まれていた
ベトナム村を作るときに、広場の草を狩るために用いている。
実際に、那覇港から、大量の枯葉剤が持ち込まれた
それを運んだ米兵が、健康被害を受けたとして、アメリカで訴えを起こし認められている。

そういった意味でも、非常に危険なものが、沖縄で米軍が使っていたという事実に、ショックを受ける。

抗議行動している住民の人たちが、国から訴えられた。
15名が、通行妨害をしたということで訴えられた。







権力を持つ国側が、そういう裁判をして、抗議運動を冷やしてしまう。
権力にとって1番有効な方法論は、身内を分断させるという事。
仲間内で、対立を招くような方向にもっていく。
今回の裁判は、狙い撃ちのように、そこにいなかった子供まで訴えられている、非常に悪辣なやり方。

標的の村は91分の映画だが、8分37秒にまとめたので、観てもらいたい。

































































高江という集落だけではなく、住民の一人一人の命が、標的にされている。
私たちが、普段味わっている平和というものは、こういった人々の犠牲と、苦しみの上に成り立っている。
福島のような、原発がある地域もそうだが、地域の中の仲間や共同体が、分断される中で、人々がそこで苦しんでいる。
その上に立って、私たちが生活をしている。

学校の教室の中でも、分断が存在している。
一体、何年こんなことをやっているんだ、という思いがある。

沖縄に、戦後、ものすごい莫大な、天文学的な数字の補助金が、吸い込まれた。
内地には、それだけもらっているならいいではないか、という意見もあって、だから文句を言うんじゃないと言う人たちもいる。
けれども、この映画に現れているのは、基本的な人権そのものが、あまりにも侵されているという次元の話で、許されるべきことではない

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標的の村の監督、三上智恵さん。
三上さんは、琉球朝日放送のキャスター兼ディレクターで、長年にわたり、米軍基地問題に苦しむ沖縄の人たちの姿を取材している。

三上智恵監督:
私が、これを映画にするきっかけになったのは、去年の12月に、標的の村の1時間バージョンを放映したときに、
いろいろ努力はしたが、ローカルでしか放送できなかった。
沖縄の局がちゃんと伝えてくれないと、私たちは加害者になりたくないのに、知らなくて加害者になるのはもう嫌だ、と言う意見がけっこう着た。
知らないことで誰かを痛めつけて、その上で生きていたくないと思う、まともな日本人は、まだまだたくさんいると思う。
どっちかって言うと、逃げているのはメディアではなかったのかと。
何か過激なことをしている人たちを取り上げると、自分が責任を取らないければいけなくなる。
たくさん責任をとらなければいけない立場の人たちが、それぞれ少しずつ逃げていくので、大事な問題が伝わらなくなった、と私は思っている。
多分、望む答ではないと思うが、一人一人がズルをしているから、伝わらないんだと思う。


Q. 高江が、オスプレイの訓練地になるという認識は、前からあったのか?

三上智恵監督:
2007年には、あそこがオスプレイの訓練地になると確信してたから、報道はしていた。
ただ、本当に、この村を標的にして訓練をする、可能性があるのかないのかについては、まだ最初は懐疑的だった。
でも、何度も何度も高江に通うと、観光バスぐらいの大きなヘリが、自分の頭上をぐるぐるぐるぐる、(ヘリの)窓を開けて(地上にいる)自分のことを見ながら回る。
それを実際に見ると、何らかの目印になっていることを実感できる。
でも、それでもやはり、訓練の中に組み込まれているかどうか、確信は持てなかった。
でも、そこで、ベトナム村と言う話が出てくるのだが、そこに気付いてからは、高江をやらないとダメだし、
追い込まれていく高江、戦争の訓練に、これからもさらに巻き込まれて、標的にすらされていくかもしれない高江という地域は、沖縄の縮図だから、
ここから、沖縄が今も抱えている状況を、全国に伝えていけると確信して、高江を取材していた。

Q. 県民同士が争っている姿を移すことについて

三上智恵監督:
今回の、私たちの標的の村は、ある意味で、自分たちの裸踊りみたいな、客観的に自分たちを演出しきって出しているものではなく、
今すぐ、全国の人に知ってもらわなければいけないものを、慌てて持っていって、
そこには、私たち報道の敗北そのものが、映し込まれていて、こんなふうに、県民同士が戦うシーンにすり替えられていく。
それを泣きながら報道する報道機関。
それでいいのか?などと、いろいろ考えてもらうこと自体をよしとして、あれを出している。
もちろん、批判していただいて結構。
もっとまともな報道するべきだと思われても、全然構わない。
ただ、実態はああいうことで、県民があんなに衝突し合っているところで、冷静にカメラを回し、冷静に編集することが尊いなどとは、ひとつも思っていない。
怒りの主体であり、涙を流す主体は、やはり私たち沖縄県民だから一緒なのだ。
そこをこう、距離間があるように、あたかも冷静に、芸術点も最後上げながら、きちんと編集しましたっていうものをもっていく方が、潔が悪い感じが自分はしている。

反対運動をしている人たちだけが戦っている、と思っていない。
戦争からの沖縄の歴史の中で、私はいつも、起点を1945年(1月に米軍が沖縄に上陸)に置いて、ものを見る癖がついている。
1945年にどうだったのか、そこから考えると、沖縄はそんな戦争の島として、永遠に生きていかなければならないわけがない。
だから、日米の、いろんな戦争のものをずっと置かれている事は、やっぱり異常なことだ。
利益を受けている人がいるだろうとよく言われるが、利益を受けている人が、同時に被害も受けているんだったら、話は分かるが、
利益を受ける人と被害を受ける人が違っているのであれば、両方沖縄の人だからいいでしょ、と言われる筋合いは全くない。
被害だけ受けている女性や子ども、そういう被害を受け続けている人がいるのに、基地があった方が経済的にいいでしょうという、違う次元の話をされても、それはもう、違うとしか言いようがない。
沖縄側に立ちすぎると言われても、東京を中心とした日本の利益と、沖縄の利益が一致しない間に立つなど、何の意味もない。

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なぜ米軍が、勝手に、あんなめちゃくちゃなことできるのか。
日本は、戦争に負けて、条約ができたらすぐに、戦勝国は出て行かなければならなかった。
だけれども、その中に、特別な条項が残され、アメリカが残るようにできてしまった。
その残ったアメリカが、日本のどこにでも基地を作れて、どこでも活動が自由にできるというのが、残されてしまった(密約なども含めて)。
それをサポートするのが、日米地位協定。
それによって、日本中にある米軍基地の中で、米軍が、ものすごい特権を許されている。
そういった日米地位協定というものは、明らかに、占領国のままの内容である。
犯罪を犯しても、米軍基地に逃げ込んでしまえば、そのまま向こうの法律で裁かれる。
女性がレイプされたり、性犯罪が起きても、軽い罪で終わってしまう。
拘束できないっていうことが、よく報道される。
そういった、我々がまだ、いまだに植民地状態、占領状態にされてるままで、それでいいのかということを、考えなければいけない。
今、憲法改正を言われているが、それは押し付け憲法だから変えると、安倍さんたちは言っているが、
その押し付け憲法より以前に、この地位協定、我々がまだ、アメリカの従属国状態に、占領状態に置かれていることを担保している日米協定から、まず変えるべきであって、その後に、憲法改正に行ったほうが、論理的に正しい。

歴代の総理は、沖縄の負担を軽減する、誠意を持って取り組みたい、と口では言うが、
反対運動する住民を、分断させるような意味合いを持った、民事提訴をする。
地位協定も、運用で米軍と交渉すれば、もう少しやりようはあるはずである。
この努力を放棄している、としか言いようがない。

今、沖縄では、以前にも増して、沖縄差別という言葉が使われるようになってきている。
日本の基地の75%があり、オスプレイも事前告知がほとんどなしで、いきなり飛んでくる。
それに対して、日本政府が、満足に手を打てない。
基地を代わりに受け入れてくれる自治体もない。
日本の中で、沖縄が、かなり差別をされているという認識が広がっている。
独立論というものが、大真面目に語られているという状態。
差別をしている人間というような視線で見られている、ということを、私たちはもっと自覚をしなければならない。

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