ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

FELAでナイト!

2010年07月03日 | 音楽とわたし
朝からひとり生徒を教え、ドイツとアルゼンチンの試合を観た。
あんなふうに一方的に決着がつくなんて思いもしてなかったのでびっくり!
ドイツが最初っから最後までリラックスしてるふうに見えたのが印象的だった。

エアコンをかなりの予定時間を延長して取り付け、シャワーにも入らずに、暑いマンハッタンの街に出かけた。
旦那の両親が、用事でマンハッタンに出て来ていて、旦那が前々から観たいと言っていた『FELA』のショーを観に行こうと誘ってくれた。

やっぱりマンハッタンの方が2~3℃暑い。空は雲ひとつない豪快っ晴れ!ひとつぐらいわたし達の頭の上に浮かんでくれぇ~い!


丁度、パラグアイとスペインの試合が始まったところだった。見逃してなるものか!それぇ~い!


中はすっかり熱気ムンムン。スペインを応援する人がほとんど。わたしはもちろんパラグアイ。
朝からろくすっぽ食べてなかったので、とりあえずグァカモリとチップスをいただく。


またまた延長戦か?!と思ったけれど、惜しい~パラグアイ。あんな時間に点を入れられちゃったらどうにもならんよね~。
でも、どちらも互いに、とてもドラマティックなペナルティキックを一本ずつ打てたし、それが無くても素晴らしい試合だったと思う。

こんなクソ暑い日に、こういうバスが満員の観光客を乗せて、何台も走っていた。


旦那が鍼灸学校の学生時代の半分を、ここでバイトしてくれた。モーガンスタンリーの巨大ビルディング。


タイムズスクエアはやっぱり、夜に来る所です。


いつかきっと、終わるまでに観に来たい!デンゼル・ワシントンが主演しているブロードウェイ。


週末恒例の市。


ロックフェラー・センター前に現れた、レゴで作ったニューヨークシティのシンボル、赤いりんご。


セイント・パトリック聖堂もなんだか暑そうな感じ。


ビルに映ったビルが暑い空気に揺れてきれいだったので。


ぶらぶらと散歩しながら時間を過ごし、待ち合わせの日本レストランに到着。めちゃくちゃ真剣にお酒を選んでいる父と息子。


ミュージカル『FELA』!


FELAのことを少し。ある方のブログから抜粋させていただきました。無断でごめんなさい!

Fela Kuti (1938-1997)
ブラック・プレジデントと呼ばれたフェラ。
父は牧師であり、教師であり、ミュージシャン。
母は世界的に有名なフェミニスト・リーダー。

ナイジェリアで育ち、1963年ロンドンの音楽大学を卒業。
留学中の黒人差別が彼の音楽に大きな影響を及ぼす。

1968年、自身の音楽を「アフロビート」と定義。
しかしこの頃の音楽活動はあまり上手く行かず、
ここでも黒人差別に直面し、政治や差別について学び始める。

70年代から政治的メッセージを込めた彼の音楽は
凄まじい影響力を持つようになり、
何度となく警察の自演により逮捕されている。

自宅の周りを有刺鉄線で囲い
「カラクタ共和国」と名付けて国家と対立。
1000人の軍隊により最終的に破壊され、母親も殺害されてしまう。

"Music is a Weapon"のタイトル通り、
警察の不当な扱いを揶揄した実体験に基づく歌「Expensive Shit」「Zumbie」など、
世の中にメッセージを流し続けた。

97年、エイズの合併症で他界。
葬儀には100万人近い人が参列したという。
現在は息子のFemi Kutiが彼の音楽活動を受け継いでいる。


泣き笑いして、ダンスを一緒に踊ったり歌ったり、もうそれはそれは素晴らしいミュージカルだった。桁違いにパワフルなアフロビートに感動!
ほんの少しだけど、ユーチューブで見つけたので。
FELA! on Broadway: Revolution


もうひとつ。実はこの舞台のバンドメンバーの中に、ひとりだけ、日本人のパーカッショニストがいた!タケマサヨシヒロという名前だった。
彼はコンガを勉強したくて本場キューバで特訓したらしい。それから小さなギグをあちこちでやりつつこの晴れの舞台まで至ったそう。
素晴らしい!演奏も見た感じもとても地味なんだけど、同じ日本人としてなんだか嬉しい!1分38~9秒のあたりに瞬間映る彼をぜひ観て欲しい!
FELA! on Broadway Sneak Peek: "Yellow Fever"



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McDonald's GOSPELFEST 2010

2010年06月19日 | 音楽とわたし
今日の会場、ニュージャージー州はニューアーク市内にあるスポーツ&コンサートアリーナ、プルデンシャルセンターに着きました。


なぁ~んて、なんの問題も無くスッと着いたように書きたいところだけど、そこはもう、なんというか、いろいろとございました、はい、今回も……。
まずはこれ。


今日の会場の名前が『Prudential Center』。ああ、アレか!と思ったこの建物。それを目当てに車を走らせるのだけど、ナビゲーションは「それは違う!」と言い張ります。暑くて機械が狂ってんじゃないの?と自分を信じて疑わないわたしは、ナビをプツンと消し、とにかくその建物に比較的近い路上に車を止めました。
ところが……やはりナビちゃんの方が正しかったのでした。
これは『Prudential』は『Prudential』でも銀行の『Prudential』の方。要は我々が行かんとしているセンターのスポンサー会社なのでした……ごめんナビ。

テクテク歩きながら、路上でセンターの在処を聞くと、「そらあんた、こっからやとずぅ~っとずぅ~と真っすぐ歩いて行かなあかんで~、2ブロック先までずぅ~っとな!」と強烈に念を押しながら説明してくれた黒人のおばちゃん組。けどさおばちゃん、2ブロック先っていうたらそこやん……と心の中では思いつつ、「ありがと~!」とお礼を言って再び歩く歩く歩く!
が、けれども着きません。それらしき建物が見えてきません。集合時間が近づいてくるし、もともと遅らせてもらっている立場上、それを遅れるわけにはいかず、かなり焦ってきました。
大きな通りに出て、路上で小売り商売をしている黒人のおっちゃんに尋ねようと近づいて行きました。
「あのぉ~、プルデンシャルセンターはどう行けばいいのでしょう?」
「あそこになんの用事?」
「え?あの、ゴスペルのフェスティバルがあるもんで」
「こんな時間から?」
「あ、いや、リハーサルに参加しに行くので」
「へ~」
なにやら俄然興味津々のおっちゃん。東洋人がゴスペル?みたいな顔してニタニタ。連れのふたりを顎で指し、「どっから来たん?」と逆に聞いてくる始末。
面倒なので「3人とも日本から」と答えると、「おぉ~日本かぁ~!」と言いながら近くにいるお仲間と一騒ぎ……。
あんまり盛り上がっているので、「知ってるの?」と聞くと「知らん!」と、明るく即答されてしまいました。疲れる……。
丁度近づいてきた市バスの運転手さんに、「このバス、プルデンシャルセンター前に停まりますか?」と聞くと、「次の通りを左に曲がったらあるから乗らなくてもいいよ」と笑顔で言われてしまいました。近くに来てたんやん!

ということで、また一騒ぎしてからようやく着いたセンター前。
今日も快晴。日差しがかなり強くなりそう。そんな中、なぜか1時間近くも会場入りを待たされた我々。
本格的なセキュリティチェックを受け、リストバンドを付けてもらい、これで会場の出入りが自由になりました。
やっと中に入り、まずは演奏会場を見学。


ライトや音響のリハーサルに必死のスタッフの皆さん。


会場は……絶句するほどに広い……。今日も2万人近くの人達が入るらしいと聞いて再び絶句……。


カメラを向けると……みなさん、とってもアメリカンな反応です。


舞台リハーサルが3時。なので、2時半までの間にお昼ご飯を食べておこうということで、まず外に出ました。

日差しが強い!今日はどっから見ても夏!という日です。


まずは遠くに停めてある車の所まで戻り、センターすぐ横にある巨大駐車場に車を入れ直してから、どこかレストランを探そうということに。
ところがところが、さすがニューアーク。評判通りのとってもお粗末なレストラン事情。あ~ぢぃ~……と言いながら町を彷徨うわたし達。
市役所の金色頭の輝きまでもが暑苦しい……。


結局見つかったけれど、これじゃ家に戻って食べても、時間的にはそんなに変わりがない、と思ったのでした。

会場に戻り、またまたいろんなことが延びていて、リハーサル開始を待たされたわたし達。
アメリカのノリと日本のノリの狭間に立ち、いろいろと気を遣う代表者のUさん。大変だなあ……。
やっと準備が整い、舞台に上がり、航志くんが弾き語るピアノの位置などの打ち合わせをして、いよいよバンドと一緒の演奏が始まりました。
う~ん……わたし的には、昨日の航志くんのピアノ演奏だけの方がよほど良かった……。
バンドの音量がすごくて、わたし達の声がモニターからほとんど聞けなかったので、めちゃくちゃ歌いにくいったらもう!
とりあえず、そのことをスタッフの人に切々と訴えたのだけど、さて、これが本番に反映するかどうか……かなり期待薄、ではあります。
でも、それは仕方が無い。それがショービジネスの常だから。

リハが終わり、我々のための控え室に案内してもらうのを待つ間、今日の総合司会者を務める、多分ゴスペル界ではかなりの重鎮の男性が、航志くんに挨拶にいらっしゃいました。


控え室でもらった『KOHSHI』と書かれたパス。我々はこれで今日一日、会場のどこにでも行けます。Thanks KOHSHI!


控え室でのインタビュー。


さて、今日のイベントの内容や予定を全く知らないまま、昨日一回ぽっきりの練習と今日の舞台リハーサルで歌ったわたし。Uさんに、とうとうのとうとう、きちんと教えてもらいました。
我々が歌うのは、3時から始まるコンテストの最終選考に選ばれた人達の演奏とゴスペルの牧師さんの講演の後。スターアーティストさん達の演奏前です。いわゆる前座と呼ばれる類いのものですね。
けれども航志くんは特別に招待されたゲストなので、わたし達は彼を盛り上げる応援隊として、とにかく楽しくやろうじゃないか!と心に誓いました。

コンテストにはいろんな部門がありました。ダンス、パントマイム、自作の詩の朗読、グループの歌、ソロの歌。NAOちゃんはソロの部門のファイナルに出ます。
わたし達の席は舞台の斜め後ろだったので、写真がこの角度からしか撮れませんでした。残念!


舞台の上で自分の出番を待つNAOちゃん。とにかく歌いたい。それだけできました!という彼女。おかあさんが今日のために用意してくれた梅の絵が一面に描かれたすてきなドレスを着て、見事に歌い切りました。


ホォ~ッと一安心のNAOちゃん。ずっと読売テレビのカメラクルーと一緒に行動しているので、少し疲れも出てきている様子。左奥は、彼女のヴォイストレーナーのステイシー。A子も師事しています。


でも、彼女の前向きさ、歌が好き!という気持ちにとても感動しました。ほんの短い時間だったけれど、同じパートとして彼女のすぐそばで歌えたことが嬉しい!

そして……またまた延々と待たされ……とうとうの本番!
会場に入ると……どっひゃ~ん!めちゃくちゃいるや~んお客さん!もう満員に近いのでした。
我々のすぐ前のグループは白人100%という、超~珍しいコーラス隊。へ~、などと思いながら見ている日本人100%のわたし達。
ところが、演奏が始まった途端会場は総立ちに。激しくも統制のとれたダンスに合わせての、なんとも超パワフルな歌声。
ぎょへ~!!ニワカ仕立ての合成コーラス隊のわたし達にはとてもじゃないけど太刀打ちできない!!
気分がかなり怯みましたが、もうここまで来た以上はやるっきゃない!!

航志くんはもう、会場すべての人達を大きな渦の中に巻き込みました。わたしもどう表現したらいいのかわからないぐらい胸がいっぱいになりました。
そんなすごい感動を共有させてくれた彼に感謝の気持ちを込め、身体中のエネルギーを使って精一杯歌いました。
ありがとう航志くん!ありがとうUさん(この企画の責任者)!ありがとうA子!ありがとう師匠!
本当は今でも信じられない気がします。あんな大きな会場で、あんな大勢の観客の前で、A子と師匠と一緒に舞台に立ち、ゴスペルを歌っただなんて……。

続々と登場する有名アーティストの演奏も聞きたかったのだけど、待ち時間の多さにもうヘトヘトに疲れてしまったのと、A子がどうしても、いつもうちに来た時にテイクアウトをするタイレストランの料理を食べたいということで、会場を後に。
このフェスティバルは毎年、夜中の12時を過ぎても終わらないそうな……ゴスペルパワー恐るべし!

市役所の金色頭にも夕暮れが訪れていました。もう実際には7時半を過ぎていたんですけどね。



この、昨日と今日のゴスペルフェスティバルの様子は、関西読売テレビが特集を組み、8月15日に放映されることになっています。放送時間はわかりませんが、もし興味がおありの方は、ぜひぜひご覧ください。






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音楽って素晴らしい!

2010年06月18日 | 音楽とわたし
昨日の窓拭きから始まったちょこちょこ掃除に拍車がかかり、あれもこれも、あそこもここも、なんだか止まらなくなってしまった。
今日は朝からひとり、生徒を教え、電車に飛び乗り、お昼の12時前に、マンハッタンのミドルタウンに行った。

木下航志(『きした こうし、1989年5月8日生まれ』は全盲の日本のミュージシャン。鹿児島県薩摩川内市出身。幼い頃に未熟児網膜症で視力を失った。“和製スティーヴィー・ワンダー”とも呼ばれる)くんのバックコーラスでゴスペルを歌う、という企画に参加する機会を得た。


http://kishitakohshi.laff.jp/blog/ ←航志くんのオフィシャルブログです。

航志くんはとても小柄な21才の青年。手だって小学生みたいにちっちゃい。
でも、彼の奏でるピアノの音には、人の魂をグッと掴んで離さない、力強さと繊細さと悲しさと強さと絶望と希望が入り交じっている。
彼は今回、ここ東海岸のゴスペルの祭典に招待されて、鹿児島からやってきた。
ダニエル・イーソンは、とても才能豊かなゴスペルの指導者。彼が関わったゴスペルの合唱団は、のきなみコンテストで優勝している。
今回、航志くんが歌う曲は、ダニエルが作詞作曲をしたもので、詳しいことは知らないけれど、わたしはきっとこの曲は航志くんのために書かれたものだと思う。
航志くんの左横に座っているのはNAOちゃん。彼女もすごい。京都から来てる子で、何千人もの中から日本人として初めてソロ部門のファイナルに残った子。
彼女と航志くんの取材のために、読売テレビ関西から来ているカメラクルーさん達が端っこに写っています。


自分の歌うパートを家で練習していた時、Don't give up! という歌詞を、ちょっとなんかキャッチーだな、などと思っていた自分を恥じた。
航志くんは、わたしの想像も及ばないほどの数の辛い運命を受け止め、受け入れ、それらと共に折り合いをつけて生きていかなくてはならなかった。
苦しいこと、辛いこと、どうしようもないほどの怒りを感じること。
『僕にはいろんなことがあった。運命は時に、僕を絶望の淵に押しやった。でも僕はあきらめない。やけにならない』


彼のピアノの音に乗せて、その言葉がメロディに乗ってわたしの耳に流れ込んできた時、わたしは心の底から彼に詫びた。
そして心の底の底から感動して、なんとか彼のステージを盛り上げようと、そこに居るすべてのコーラスメンバーが胸に誓ったに違いない。
コーラスメンバー25人のうちの15人が日本から組、10人がニューヨーク組。全員揃っての練習はこの日が最初で最後。
リハーサルはどんどん熱気がこもり、歌っている間に打つ手拍子で手はこんなに真っ赤っか。これは師匠の手。左上の方に打ち身でできるような青あざが見える。


明日の最終選考を前に、ダニエルと航志くんとともに最後の調整をするNAOちゃん。


ビルの外に出ると、それはそれは爽やかな夏日だった。


A子はこの夏最後のレッスンを受けに、わたしと師匠は、A子のアパートの近くにある、めっちゃ美味しいパンやスウィーツを売っている店でお昼ご飯を食べることにした。
師匠は中近東の前菜三種と超美味しそうな5種類の違うパンのスライス、わたしはレンズ豆のスープとカレーチキンサラダ。どれもこれも、期待を裏切らない嬉しいお店だった。
A子のアパートに彼女より先に戻り、少し休憩。そこにA子が戻り、そしてイーストヴィレッジのスポーツバーにイングランド出身の友人とサッカー観戦をしにやってきている旦那が合流し、これまた近くにある、とんでもなく美味しいベトナム料理を食べに行った。

そして今日の二個目の大きなイベントである、ニューヨークジャズフェスティバルにゴ~!


ジャズにはちょいとうるさい旦那も、今日のメンバーはみな凄かったと言った。


彼が今夜のバンドマスター的存在のトランぺッター、Roy Hargrove。すごい存在感。けれども、演奏中以外は、なんだか雲の上をふわふわ歩いているような雰囲気がある。


彼女の歌ったチリのフォークソングが、ソウル・フラワー・ユニオンのある歌のメロディにそっくり?!


コンガのソロではじける!


このそうそうたるメンバーで、アンコールも入れてたっぷり聞かせてもらった。それで$15。VIVA!New York Jazz Festival!



コンサートが終わり、A子のアパートに寄り、泊まりの荷造りをする二人を待って、ニュージャージーへ。
途中、変な渋滞があって、回り道をすると、余計に迷ってしまった旦那。後部座席には、意識不明っぽく眠るA子と師匠。
明日はゴスペルの本番。うまくいくといいなあ。

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My Brother! My Sister!

2010年06月16日 | 音楽とわたし
ひょんなことから、今週末の土曜日に、ゴスペルの合唱隊の一員として舞台に立つことになった。
Aちゃんと、今マンハッタンに来ている師匠と共に。
なにやら、当初の計画では、このゴスペルの祭典にこぞって集まるであろう、百名もの日本からの合唱隊を予定していたらしい。
なにしろ、ゴスペル界の巨匠やヒットメーカー、超有名人達と共演できるばかりか、直接指導も受けられるっていう企画なのだもの。
ところが……ふたを開けてみると、時期が悪かったのか、それとも不況の波のしぶきがこんな所にもかかっているのか、集まったのはたったの15名……。
あかんやろ、それは?!

そこで、急きょ、マンハッタンおよび、マンハッタン周辺に住む、とりあえず歌える人間にお誘いがきた。
楽譜は読めなくても全然オッケー。ゴスペルはもともと口伝承。楽譜なんてはじめっから、無い……らしい……。

歌詞が送られてきた。
続いて、パート別に音がとれる音源が送られてきた。
音符が無いまま、音を聞き、それを頭の中で楽譜化して覚える。新しい経験。

アルトパートを担当することにした。
最後にくり返し歌うメロディラインが、昔日本で流行ったようなポップス系の雰囲気があって、そこを歌うといつもなんだか少々照れる。
『木綿のハンカチーフ』を歌ってた、若かりし頃の太田裕美ちゃんの声が、耳の後ろの方でかぶる。

明後日は初の合同練習日。って……本番はその翌日なんだけど……。
仕事のスケジュールを少し動かして練習に参加することにした。
なんてったって、歌うだけでは済みそうにはないのがゴスペル。お揃いのローブを羽織って、踊りまくりぃ~の、奇声も発っしぃ~の、はじけにゃ~!
けど、そういうのってタイミングを外すとかなり浮く……しかもめちゃくちゃカッチョ悪い。なので、真面目に練習しようと思う。
お助けだけど、ほんでもって仕事もちょいちょいと変えなければならないけれど、参加費は払う。まけてもらったけどね。
ケチなこと言わんと。こんなすごい面々と一緒に舞台に立てるなんて、人生にそうあることちゃうねんから。
日本人はこういう状況に弱い。少なくともわたしはそう。
けれど、純血アメリカンの旦那には、いったいなにが悲しくてそんな大金(←我々にとっては)払ってまでそういうことに関わるのか、皆目理解できないそうだ。
ただし、十年の日本暮らしの経験から、そういうことでたくさんの人がいろんなことに関わっていくのを、特別な現象のひとつ、としては認めている。

今、マンハッタンにAちゃんが暮らしている。そこに師匠が遊びに来ている。
そんなすごく特別な時に、一緒に何か楽しめそうなことが目の前に現れたんだから、そりゃもう「やろやろ!」でしょ。
さて、これからもうちょっと練習練習!My brother & sister と一緒に楽しく歌えるようにしないとね!


Don’t give up, my brother
Don’t give up, my sister
Hold your head up high
Victory is nigh

Why don’t you just,
Hang on in there, hang on in there
Your joy will come after while
Your joy will come after while

No, I’m never gonna give up

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無罪放免

2010年05月14日 | 音楽とわたし
スプリングコンサートが無事に終わりました。
今年の6月で退職する校長先生のために、内緒で練習してきた歌を最後に会場の皆で合唱したら、もうオイオイと涙を流してうずくまってしまった先生。
わたしの目にも涙がこみ上げてきて、楽譜を読むのに苦労しました。
みんな、よく頑張ったね!いい声だった!いいハーモニーだった!ダンスも決まってた!チャイニーズオペラもすごく楽しかった!



演奏会の最後に、スペシャルサンクスの贈り物だと言って、可愛らしいチューリップの花をいただきました。
花瓶にさしてみると、あらら?根っこのところにこんな小さな赤ちゃんチューリップが?!



今回はリハーサルの量がとても多かったので、おかげさまで我ら3人の飛行機代とJRパス代が賄えそうです。
でも、来年度から、ニュージャージー州の公立学校の補助金が削られて、そのとばっちりを食うのが音楽などの芸術教育になるだろうという噂が流れています。
もしかしたら、こんなふうに、1分1ドルなんていう支払いをしていただけるのは、これが最後になるかもしれません……。


さて、なにはともあれ、これでわたしのオプショナルな仕事は終わり、あとは午後からの生徒達を教えるのみ。
別に悪いことをしたわけではないけれど、気分はなんとな~く無罪放免って感じがします。
それが終わったらもう、な~んも考えないで、練習もしないで、ただただ一心不乱にパッキングに集中できます。やっほ~!!

いつもここに遊びに来てくださっているみなさん、残念ながら(←と思っているのはわたしだけかも……たまに、どうしてあんなに毎日毎日書くのよぉ~!読むのが大変じゃないのぉ~!とお小言をいただくこともあるので……すみません、自分としては、なにか書くようなことがあった時にだけ書こうと思っているのですが……)旅行中はブログを書くことができません。
明日からの2週間、日本でのたくさんの写真と思い出とともに、ここに戻ってまいります。
留守番係の息子Tと家猫ショーティが、戻ってきたわたしをびっくりさせるようなことをしでかさないことを祈りつつ。

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『まうみ爆弾』落ちるの巻

2010年05月10日 | 音楽とわたし
毎回、コンサートが近づいた頃に必ず一回、キレてしまいます。
誰にって?
それは、伴奏を担当している高校の生徒達にです。

今週に入っていよいよ近づいてきたコンサート本番。
リハーサルも毎日、朝から昼の2時半頃までぎっしり。
コーラスのグループは4つあって、高校生はそれぞれのグループで歌っていればいいけど、
指導者&指揮者のダリルと伴奏者のわたしはそういうわけにはいきません。
わたしは計15曲、ダリルはコーラスの他にミュージカル、キーボードなど、他の舞台の指導もしなければなりません。

舞台慣れするために、本番と同じ照明をつけ、舞台の上で歌います。
そうなると、いつもはすぐにチョケる子達も、それなりに態度を整えます。
ところが、それでも普段と同じようにダレる子もいます。
そして、そういう子供は、すぐに座りたがります。
今日も1曲終わっては座り、他のパートをダリルが注意しているとまた座り、
とうとう、わたしがイントロを弾き始めているのに、3人のアルトパートの女の子達が当たり前のような顔をして座っていました。

イントロの途中で、ダリルの指揮も無視して、わたしはピアノを弾くのをやめました。

「そこの3人、立ちなさい!」

ピアノが急に止まっただけでなく、わたしが大きな声で怒鳴ったので、みんな凍りついたように止まってしまいました。
「ダリルが手を振り下ろして、わたしがピアノを弾き始めているんだよ!心を込めて、みんなが歌い易いように、音楽を楽しんでもらえるように弾いているんだよ!そしてそれはもう、あなた達も演奏に入っているってことなんだよ!それを無視して座ってるなんて……本番はもうすぐなのに……年相応の責任のある態度をとりなさい!ちょっとそこ、楽譜を下ろして!顔を隠さない!声が通らないじゃないの!」

「あ~あ、まうみを怒らしちゃったよ」とダリル。

わたしはアシスタントではないし、雇われて通っているだけのピアノ弾きなので、本来はこんなふうに生徒を嗜めたりする立場ではありません。
だから、できるだけ普段は言いたいことがあっても抑えています。
けれども、たま~に一発落とす爆弾は、生徒達だけでなく、ダリルの気分転換にもなるようです。

「今日の彼女達の態度、すまなかった」
別れ際にそう言われて、「ダリルが謝ることじゃないよ。立場を超えてしまってごめんなさい」とこちらも謝りました。
でも、ダリルもわたしも、彼らが本気で歌った時のすばらしい響きを知っている者として、たった一回しかない舞台のチャンスを逃がして欲しくないのです。
「あと3日、お互いしんどいけど、いい音楽会になるよう頑張るしかないね」と、励まし合いながら別れました。

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一本きりりと通っているなにか

2010年05月01日 | 音楽とわたし
今日はあさちゃんの伴奏者としてのデビューの日。
彼女の歌の邪魔にならないよう、できれば気持ち良く歌ってもらえるよう、そしてわたしの心も織り込ませつつ気持ちを合わせて演奏したいと思いました。

天気の良い日は、夜明けを待たずに、鳥たちの歌がにぎやかに始まります。
どちらかというとうるさいぐらい。
旦那いわく、中に一羽、旦那の名前を連呼するのがいるそうな……三回呼んで休み、また三回……ほんまかいな?
ちなみにわたしの好きな鳥は、「てっぺん禿げたか!」って鳴きます
今日は暑くなるよ~、夏だよ~。
気温は30℃を超え、案の定、チューリップの花は一気に開ききってしまいました。
昨日、あさちゃんと練習している間からワインを飲み始めた旦那、わたし達も合流してからもピッチが下がらずに飲み過ぎ……。
ちゃんと眠れずにごそごそごそごそ、わたしも疲れやら頭の付け根の痛みやらでやっぱり眠れず、朝は最低のさわやか度。
あさちゃんが熟睡できたのがせめてもの慰めです。

午前中、旦那は仕事、わたしもレッスンひとつ、あさちゃんはTの運転でIKEAに。あともうちょい足りない物を買いに出かけて行きました。

会場に着いてもあさちゃん、余裕のよっちゃん。発声練習とかしなくてもいいのか?
わたしが歌う時なんかはもう、喉を守ろうと必死で、それでも恐くて恐くて……なので、やっぱちゃうな~と思ってしまいました。当たり前か。
あさちゃんはよく、自分が歌う歌の歌詞の意味を、ていねいに説明してから歌います。
そうすることで、ドイツ語などの理解しにくい詩の意味を把握して、その場面を想像したり感じたりしながら聞けるので、
彼女の声のひびきそのものだけではなく、彼女が表現する事柄を具体的に感じ、楽しむことができます。
今日は『鱒』の歌詞の説明を英語でやったあさちゃん。
彼女の話し声はとても低くて、どちらかというとハスキーな方でもあるので、歌声とのギャップがすごくてこれも楽しいのです。
伴奏をしていて、とてもいい気持ちがしました。
彼女はわたしに背を向けて歌っているのだけれど、彼女の声の響きが会場中の空気の粒に溶けて、わたしは抱かれているように感じました。

彼女のブログに、こんなメッセージが書かれています。

『歌をうたうにあたって私がいつも考えている事も「空間」!これ以外にありません。
空間をいかに鳴らすかということが音を創造する上では本当に重要なのです。
音を出す前に空間を「感じ」、空間と「調和」して響きを「運ぶ」。
小さい空間は小さいなりに、今日のように1000人の大ホールは大ホールなりにその空間を響きで満たす事が出来たらといつも望んでいます。
とくに声は息に音を乗せて運ぶものですから、いかに遠くへ息を流し、空間を超えて遠く向こう側に届けるかのイメージを持つ事がポイント。
というわけで「大きな声」ではなくて、「響きの豊かな声」を求め、日々学んでいます。
(なんたってからだが小さいのでね~。鳴らさにゃ。)』


わたしはこの『響きの豊かな声』に優しく抱かれて至福の時を過ごすことができました。
ありがとう~あさちゃん!!

演奏会の後、旦那と彼女と三人で近くのイタリアンの店に行った時、
「アマチュアとプロの違いって、なんかこう、一本きりりと通っているなにかがあるかないか、なんだよね」とあさちゃん。
「例えば今日ショパン弾いたすっごくうまい人も、バッハをきれいに弾いた人も、テクニックもあるしうまいしいいんだけど、足りないんだよ、これが」と言って、胸の前でこぶしを作り、一本の棒をなぞるような仕草をするあさちゃん。
「自己陶酔してるってこと?」
「ううん違う。プロだって自己陶酔して演奏してる人いるもん。でも、そうしながらも、内面からほとばしり出る何かがあるんだよねえ」
いったいそれってなんなんだろう……。

あさちゃんのアパートに行き、彼女が今日買った荷物を運びついでに本棚を組み立て、家に戻る車の中でもずっと、このことを考えています。
いったいそれってなんなんだろう……。


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抗議のメール

2010年04月27日 | 音楽とわたし
ACMAの役員それぞれに、ある男性メンバーからの抗議文が届きました。
役員のひとりであるわたしの所に送られてきたのは、どうやら最後だったようです。

わたしの所に送られてきたメールは、簡単に言うとこんな感じでした。
『ハイ、まうみ。
今回のカーネギーでのコンサート出演をかけたオーディションで、どうして私が満足のいく演奏ができなかったか。
それはプレジデントでもあるアルベルトが、アンサンブルに私を誘ったにも関わらず、どこかの誰かさん(わたしを指している)がネガティブな意見を言い、それに従ったアルベルトが急に私をグループから追い出したからだ。
ACMAはアマチュア演奏者で構成されるクラシック音楽愛好家グループと定義されているにも関わらず、アルベルトのグループで演奏していたチェリストは、音大を出ていて、その後もプロ活動に近い演奏をしている。
こんな不公平極まりない状況で選ばれた人間が演奏することを、カーネギーは知っているのだろうか。もし知る事になったら喜ばないだろう』

他のメールには、その不公平メンバーとして、ジャ・イー(中国人のハーモニカ奏者。音楽学校で指導している)とわたしの名前が書かれていたそうです。

抗議者の男性は、わたしと同じくニュージャージー州の住人で、大学で化学を教えている教授です。
数年前に、わたしが所属していたコミュニティバンドに入ってきて、たまたまわたしの隣に座ってクラリネットを吹いたのがきっかけで知り合い、
わたしがピアノや歌を教えている教師だと知ると、「音楽のことをもっと学びたいので個人レッスンをして欲しい」と頼んできました。
彼は別に、マンハッタンの音楽学校で、クラリネットの個人レッスンを受けているということだったので、わたしとしては彼が選んできた曲の伴奏をしながら、彼に欠けている音楽的なことを教えていくことになりました。
半年ほど経って、リズムやテンポ、そして音楽を歌うこと、良い音色を求めることに彼がいかに無頓着で、自身の演奏を聞こうとしないかがわかり、
それでも習いに来てくれていて、わたしはそのことで報酬をいただいているのだから、重たい気分ながらもなんとかがんばっていました。

ところが、レッスン中や、玄関からの別れ際に、彼が挨拶代わりにギュッとわたしを抱きしめるようになり、それが嫌になって一度はっきりと言おうと思ってた頃、レッスンを始めようとしたわたしに彼が、「ねえまうみ、ずっと言いたかったんだけど、僕と浮気しないか?」と言ってきたのです。
わたしは仰天して、呆れて、腹が立って、「そんなことできません」と即断ると、「どうして?いいじゃないか」とさらに重ねて頼んでくる彼……。
この男、頭がどうかしてるんちゃうか?と思いながらも「わたしには夫がいるし、あなたにも奥さんがいらっしゃるでしょ?」と言うと、
「もちろん。けど、そんなことは僕たちには関係無いじゃないか」……あかん、こいつ、狂ってる……。
「とにかく、わたしは夫を愛していて、他の男性と付き合いたいなんてこれっぽっちも思ったことがありません。今回のことは聞かなかったことにします。でも、そういう感情を持ち続けるのなら、わたしはあなたをこの先教えたくありません」とはっきりと断りました。

その後も、何度となく気味の悪い接近はあったけれど、それなりに普通の教師と生徒のレッスンを続けていました。
でもやっぱり、誰も居ない家の中に彼を入れるのがいやになってきて、なにかチャンスを作って縁を切ろうと思うようになりました。
それが彼の、ACMAへの加入だったのでした。

このことと、今回の抗議メールとは、多分なんの関連も無いと思うけれど、そういう過程があって、わたしはどうしても彼のことが好きになれません。
公私混同しないように気をつけようと思うのだけど、そういう感情の下地はべったり心に貼り付いてしまって、なかなか冷静にはなれません。

今回のメールに、わたし個人で返事するのはどうかと思われたので、役員にそのメールを転送して、皆の意見を仰ぐことにしました。
すると、このメールはまうみだけが受け取ったのではないのだよ、という返事がきて、ジャ・イーとわたしが名指しで抗議されているのを隠してくれていたことがわかりました。

再び、プロフェッショナルとアマチュアの違い&アマチュアの定義が、メール上で議論され、それぞれの意見が次から次へと画面上に現れました。

数日かかりましたが、ACMAとしてのオリジナル定義がほぼ出来上がり、それをサイト上にも載せることになりました。

『プロフェッショナルという言葉は、それを生業としている人を指します。つまり、それで生計を立てている人です。
演奏をしたときにお礼などを頂くことは、アマチュアでもしばしばありますが、それで生活している人をプロの演奏家と呼びます。
演奏技術、音楽の理解度、指導力が未熟でも、それで生計を立てていれば、立派なプロミュージシャンです。
アマチュアでも素晴らしい演奏をしている人がいますが、本業が別にあって、そちらで生計を立てている場合には、プロとは言いません』

わたしは今回のことに限らず、わたしがメンバーとして居残ることでなにかとこういういざこざが発生する恐れがあるのなら、会を脱会すべきではないかと本気で思っているし、いつでもその心の準備はできていると、ディレクター達に伝えました。
この会はすばらしいエネルギーを持っています。
前向きで、音楽を本当に愛している会員の月例のコンサート演奏は、会を経て行くに連れて向上しています。

でも、それとは別に、こういう不満はどういう団体にも発生することであって、役員は、その意見のひとつひとつに耳をすませ、冷静に公正に受け取り、真摯な気持ちでていねいに話し合い、さらなるステップアップへの足がかりに昇華するべく応対していかなければなりません。
ACMAのディレクターは皆、ユニークで温かで冷静だったりちょっぴり脱線したり……けれども真剣に練られた文章が今夜、抗議者のもとに送られます。

『おい、みんな、ちょっと凹んでるまうみの両脇に立って、ピストルでも構えて守ってやろうぜ』

長文の英単語をいちいち調べながらのメール交換でしたが、感情に流されず、伝えるべきことを、強過ぎる表現にならないよう言葉を選びに選んで書くこと、攻撃的にならないこと、相手をきちんと尊重し、相手の気持ちを推し量りながら語りかけるように書くこと、などを教えてもらった5日間でした。


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ちびっ子達のための音楽会

2010年04月23日 | 音楽とわたし
ピアノ弾きになってから数十年、初めての、ちびっ子達のための音楽会を企画し、演奏とお話をしてきました。
場所はコネチカット州スタンフォード。ここから車で1時間半ほど北上した所にある、とてもかわいい学校です。
生徒数が少なく、こじんまりとしていますが、3才から7才までの子供達に、勉強だけでなく、芸術面でもきちんとした教育を与えています。



建物の中はこんな感じ。とても広々としていて、教室の中では子供達がのびのびと勉強したりお絵描きをしたりしていました。



音楽の授業にはこんな演奏もしているそうです。



この学校に通うふたりの姉妹の両親は、旦那とわたしの共通の友達、T子とT。ダブルTの夫婦です。
今年の芸術鑑賞に回せる予算が大幅に削られたため、急きょわたしがピンチヒッターとして?小一時間のピアノコンサートを引き受けることになりました。

初めての場所に車で行くということで、かなり早めに家を出て、車の中で、どんな話をしようかと、ブツブツ独り言を言いながら運転しました。
相手はなんといっても7才以下の子供達です。退屈させたら一巻の終わり。なんとか楽しく最後まで聞いてもらえるようにと、あれやこれやと知恵を絞ってプログラムを考えました。

*まずはリクエストのあったブラームスの『ハンガリア舞曲』
これはテレビの教育番組でいつも流れているので、子供達の耳に馴染んでいるそうです。この曲の、くるくると変化する雰囲気に合わせて、椅子の上で身体を揺らせてごらんと言ってみよう。

*次は『エリーゼのために』
テレーゼという名前の女性に求婚したベートーヴェン。敢えなくふられてしまい、未練たっぷりに、彼女に捧げる曲を作り、彼女の名前をタイトルにしたまでは良かったけれど、あまりの字のひどさに、後世見つけた人が名前を読み間違えて、エリーゼになっちゃった曲。意味が通じるかなあ……。

*そしてモーツァルトの『きらきら星変奏曲』
この曲に合わせて、ちびっ子達にABCの歌を歌ってもらおう。短調の変奏曲は静かに聞いてもらおう。

*その次は同じくモーツァルトの『トルコ行進曲』
行進しているつもりで足をバタバタしながら聞いてもらおう。

*そしてショパンの『子犬のワルツ』
子犬が自分のシッポを追いかけて、ぐるぐる回る様を見ていたショパンが、その様子をメロディにした、というお話をして、途中のなめらかな部分は、子犬の背中をやさしく撫でてあげているような気分で聞いてもらおう。

*同じくショパンの『雨だれ』
♯ソで延々と連打される雨だれの音を、目を閉じて、ショパンと同じように、窓際に立って窓の外の雨の様子を見ているような気持ちを想像してもらおう。そしてその時のショパンが、とても深刻な病気にかかっていたことに同情することができたらいいのだけれど……。

*最後にもう一曲、ショパンの『幻想即興曲』
8才でピアノを学び始めたわたしが、いつかこの曲が弾けたら死んでもいい!と夢見た曲(結局は13才の時に弾いたので、死ぬには早過ぎて、約束は撤回されたけれど)『幻想即興曲』を弾いて、これはただ、何も言わずに聞いてもらおう。

学校と併設されている教会の、きちんと調律されてあるグランドピアノを弾かせてもらうことができました。
ピアノの性質を知りたかったので、各曲の、音のバランスが気になる部分だけをチョイ弾きしていると、
「あぁ~、なんて素晴らしいピアニストが来てくれたんでしょ!これはもう、子供達には徹底的に静かにさせなきゃ!ちょっとでも動いたりしゃべったりする子がいたら、即座に外に連れ出しますからご心配なく!」と、いきなり興奮し始めた校長先生。
「いえいえ、そんなご心配には及びません。わたしは今日、子供達と一緒に音楽を楽しみながら、少しでもピアノの曲を知ってもらえるよう、と願いながらプログラムを組んできました。なので、そんなことは絶対にしないでください」と必死でお願いするわたし。

時々つっかえるわたしの英語の話も、みんなちゃ~んと聞いてくれて、ABCの歌も素晴らしく上手で、音楽を身体中で感じてくれたちびっ子達。
本当に素晴らしい聴衆でした!!

幸いなことにプログラムは成功して、先生方も涙ぐんだりしながらとても喜んでくださり、初めての体験にかなり神経質になっていたわたしもほぉ~っと一安心。
5才ぐらいの女の子がふたり、片付けているところにやってきて、「わたし、明日からピアノ弾く」と報告してくれたのもすご~く嬉しいことでした。
来年もぜひぜひ、必ずここに弾きに来てくださいね!と、予約依頼までいただいて、嬉しいやら恐縮するやら……。

最年長の子供達が、お礼の歌を歌ってくれました。今日は金曜日で制服を着なくてもいい日。みんなとってもリラックスしています。



嬉しい気持ちいっぱいに、ニュージャージーへと車を走らせました。

わたしの好きなTappan-Zee-Bridge。



季節は少し違うけれど、全景はこんな感じ。



すっかり春めいてきた高速道路脇の木々。おいおい、運転中になにしと~る?!



サービスエリアに車を止め、今日のお礼で一番嬉しかった、T子手作りのお弁当をいただきました。



目の前には満開の梨の木。やっぱり気温が5℃以上低いだけに、まだまだ花がいっぱい残っています。



子供達からもらったバラの花束と、今日のわたしの助っ人カーナビ君。




昨日の夜は、とうとう宿題の難問をクリアできなかったTが会社から戻って来ず、電車も一本乗り過ごしたために、無事に帰ってくるかどうか心配で、なんとも眠りにくい、旦那も同じように寝返りばかり打って明け方を迎えてしまった最悪の夜でした。

でも、今日のちびっ子達の楽し気な様子と、先生方、そしてT子が心から喜んでくれている顔を見て、いろんな疲れがいっぺんに吹っ飛んだ気がします。

みんなに感謝!!



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ピアノ弾きたない病

2010年04月18日 | 音楽とわたし
突然のことでびっくりしています。
楽譜を読んでも、指がちゃんと動かなかったり、音を外したりします。
なにより、胸の中にもやもやっとした灰色の煙がわいてきて、それが喉元のあたりでうう~っと固まってきて、ピアノから離れないと叫び出しそう。

これは疲れがたまっているんだろうな。
ここ最近、いくら良く眠れても、起きた瞬間から身体が岩のように重くて怠いのです。
二週間前に急にやってきた生理の出血も、量は少ないけれどまだ続いています。

まずはこの疲労感を取り去らないと。今夜は早寝をして、明日旦那に鍼を打ってもらい、しなければならない事だけをすることにします。

今週金曜日の小学校の音楽会、5月1日のあさちゃんとの舞台、5月14日の旅行前日の高校のコンサートと、練習しなければならない曲がたくさん!

とにかく気持ちのリセットができるよう、エネルギーを取り戻さないと。
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