ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ダークナイト

2010年07月23日 | 音楽とわたし
これは昨日の夜の空。


そしてこれは今夜。


もうすぐ雷がやってくる、というので、旦那がいそいそと後ろの庭の椅子に座り眺めておりました。
稲光を普通のカメラで撮ろうというのは多分、百年早いのでしょうね。ははは。全く撮れずにスゴスゴと部屋に戻りました。


とうとうわたし、意地を張るのはやめようと決心しました。
去年の晩秋にうちにやってきてくれた『カルロス氏のピアノ』。
彼のアパートで弾いた時は全く感じなかった違和感がずっとありました。
それはきっと、
*長く弾かれていなかったからだ。
*環境が変わって鍵盤の状態が落ち着いていないからだ。
*病気で長い間臥せっていたので、問題があったにせよ、そこまでにいろんなことが至らなかったからだ。
*なによりも、運搬中に破損していたのだから、それが全体に影響しているかもしれない。
などと、ずっとモヤモヤしながらも、自分に言い聞かせながら練習をしてきました。

とにかく、どれだけ押し込んでも、くぐもった音しか出てきません。
スカーンと気持ちのいいフォルテ(強い音)を出したくても出せません。
そのかわり、ピアニッシモ(ごく弱い音)の響きにはそれなりに満足を得ることができます。
でも、弾いている間中感じる、きめ細かい綿でできた壁に囲まれたとても小さな部屋の中で弾いているような、なんとも言えない閉塞感、これにはほとほと疲れてしまいました。

これまでなにもして来なかったのではありません。
まずはとにかく、破損した部分を直してもらいました。そのついでに、ハンマーの部分だけを新しい物に総替えしました。
弦に直接当たるフェルト部分を新しくすると、最初のうちは音が少しこもるのはよくあることなので、きっと時間とともに音が鳴るだろうと思っていました。でも、なにも変わらないまま今に至っています。
調律をしてもらい、キーボード全体の調整もしてもらい(これは1日がかりでした)、そのたびに料金を払ってきましたが、やっぱり変わりません。
その後、アルベルトが練習にやって来て、彼の馬鹿力でガンガン弾かれてしまい、すっかり元の木阿弥に、というより、さらに悪い状態に……。
調律は一気に狂い、高音部の鍵盤のいくつかは叩いても音が鳴らなくなってしまったりしました。
そしてその後、いつも調律をしてもらっているアルバートに来てもらい、これまでのことを話して指導を仰ぎました。

「ボクに言えることは、この鍵盤は多分、覚悟を決めて徹底的に直した方がいいということ。それにはボクは充分ではないので、ある人を紹介したい」

そのある人はマサチューセッツ州に住んでいる男性で、ピアノのキーのことならなんでもござれの技術屋さんなのでした。
これまでどんな悲惨な状態のキーでも、素晴らしい仕事をして直してくれたんだそうな。
でもなあ、これまでもすでに、あれやこれやとお金を費やしてしまっているし、今は夏で仕事が減っていて、それでなくてもタイトな経済……。
どうしよう……。

とりあえず相談だけでもしてみたら?ということで、モーヴァン氏にメールを送ってみました。
すると、『君の用件はわかった。けれども予算を組むにはまず、君の調律師と直に話をしたいので、彼の連絡先を教えてくれ』という返事が返ってきました。
予算が送られてきて、その安さにビックリ?!鍵盤をすべてミネラル・プラスティックという最新のものに張り替え、キーボード全体の調整をしてもらうのですが、そのためにはあの大きな鍵盤を配送するための特別仕様の箱をこちらに送ってもらい、鍵盤を向こうに送らなければなりません。そして修理後またこちらに送ってもらう送料すべて込みで8万円以下なのでした。
鍵盤を外し箱に詰め込む作業は、もちろんアルバートに手伝ってもらわないとできません。彼には時間給で払います。
きっと、最初の段階で、モーヴァン氏にお願いするべきだったんでしょうね。
でも、なんとか安く済ませたい一心だったわたしは、結局回り道をして、その間に無駄なお金を使ってしまったようです。

さて、これでこのカルロス氏のピアノがどう変わるのか、わたしにはもうわかりません。というか、これできっと大丈夫だと思う自信が無いのです。
けれども、カルロス氏のアパートで弾いた、あの時のピアノの音色は、きっといつか必ず戻ってくるはずです。
彼のおかあさんが、目に涙をいっぱいためてわたしの手を握り、「あなたにこのピアノを弾いてもらいたい」とスペイン語で言ってくれた彼女の声を、今でもはっきりと覚えています。
あの部屋の空気の匂い、哀しみの重さ、わたしはいろんなものを引き継いで未来につなげていかなければなりません。

心の中は少しだけダークだけど、全く光のない暗闇ではありません。
雲の合間から見える月や稲光のように、時には淡く、時には鮮やかに輝く光がそこには存在しています。
それは希望だったり楽しみだったり、
とにかくあきらめないで、前に一歩ずつ、たまには後ろに下がってもまた、一歩ずつ進んでいきたいと思います。

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被爆ピアノコンサート in ニューヨーク

2010年07月22日 | 音楽とわたし
広島に住むchi-koちゃんの、22日付けのブログ( http://chi-ko-chi-ko.seesaa.net/ )に、『被爆ピアノ』のコンサートの記事が載っていた。



このピアノのことは前にも何度か新聞の記事などで読んだことがあった。
三年前に日本に行った時、とうとう念願叶って広島まで行き、平和公園を訪れた時にも、このピアノの話が書かれてあった。
小さな頃から、この恐ろしい原爆というものが気になって気になって、図書館に行って調べたり、映画や写真集を見たり漫画(はだしのゲン)を読んだりした。

いつも心の中に引っかかっていた原爆。それを落とした国の人と人生を共にすることになって、落とした国に移り住んでいる。
落とされた側だけに存在していたわたしは今、落とした側にも存在していて、その両側からあのキノコ雲を見ているのだけど、わたしがどちらの側にいようといまいと、キノコ雲の下で繰り広げられた惨状と犠牲になった人達の無念と苦しみは永遠に変わらない。
戦争はなにも解決しないだけでなく、人を狂わせ、死を量産する最も愚かな行為だ。
戦争をしようとする人が憎い。そんな人間など、この被爆ピアノの下敷きにでもなって死んでしまえ!


chi-koちゃんのブログに遊びに行って、彼女の記事を読んだのが昨日の夜遅く。
そこにニューヨークコンサートの件が載っていて、それをもう少し詳しく調べてみると、なんと、9/9~9/13までの5日間、マンハッタンのいろんな場所でコンサートを開くことになっていて、その演奏者を募集していた!
そして……その募集が20日で締め切られていて、弾きたい者はそれまでに、演奏のデモテープと履歴を送っておかなければならなかった……。
うぅ~……。

5分ぐらい唸りながら考えた。あきらめるべきかどうか。う~ん……う~ん……。
いや、あきらめたらあかん!ダメでもともとやんか!事務局にメールを送ってみよう!

たった今記事を読んだところであること。
〆切日をちゃんと理解している上で、このメールを書いていること。
幼い頃から原爆のことを自分なりに考え続けてきた者であること。
原爆のような破壊的な障害ではないにしろ、わたしのピアノ人生にもたくさんの障害があり、それをひとつひとつ乗り越えながらピアノを続けていること。
同時テロを間近に目撃し、テロ直後の街の、なんともいえない喧噪と静けさと憤りと、そしてなによりも、あそこに居たすべての人達が皆、同じようにつぶやいていた「何故?」「どうしてこんなことができるの?」という言葉を、今も鮮明に覚えていること。
わたしが自分を癒したい時に弾く曲が2つあり、できればその両方を弾かせてもらいたいということ。
けれども、決まりは決まりなので、もし無理ならば、当日会場に行き、そのピアノの音色を心にしみ込ませていただきます、などと書いて送った。

翌朝の今朝、メールを開くと、実行委員プロデューサーの方から返事が送られてきていた。
結果はオッケーだった!
11日の『ピア40』、12日の『ニューヨーク本願寺』でのコンサートで弾かせていただくことになりそう!ああ嬉しい!
近くに住んでいる者として、他のコンサート日にも、ボランティアのお手伝いをさせてもらいに行くつもり。

なんとわたしにとって意味深いコンサートになることよ。今からすごく楽しみ。
ほんとなら知らずに過ごしていたことを、こんなふうに気づかせてくれたchi-koちゃんに心から感謝!!


ただひとつだけ、とても申し訳のないことをしてしまうことになった。
実は9/11のコンサートと同じ日にACMAの演奏ミーティングがあり、その日にわたしはアルベルトとふたりで、ガーシュインのピアノコンチェルトを2台ピアノで弾くことになっていた。ガーシュインオタクのアルベルトから頼まれたのだった。
頼まれたのはもうかなり前のことで、今月末あたりから合わせの練習をしよう、というところまできていた。
彼はとても楽しみにしていて、わたしももちろん楽しみではあったけれど、わたしのこの突然の我がままのせいで、9月には演奏できなくなってしまった。
ついさっき、メールで事情を話した。広島のこと、原爆のこと、それから被爆ピアノのこと。
送って数分も経たないうちに、アルベルトから電話がかかってきた。
「まうみぃ~!!」第一声が叫び声だった……。
どこまで理解してもらえたかはわからないけれど、彼は11月の演奏ミーティングまで待つ、と言ってくれた。
我がまま言ってごめんっ!アルベルト!


*ニューヨーク公演の詳細はこちらです→ http://www.peace-hiroshima.org/ny.html

*そしてもうひとつ。被爆ピアノをマンハッタンまで郵送する費用の募金のお願いです→ http://www.peace-hiroshima.org/application2.html

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ふたりの師匠

2010年07月15日 | 音楽とわたし
わたしには、ふたりの師匠がいます。
ひとりは、8才からティーン過ぎまでの間、飽くなき探究心と忍耐力と情熱でもって、わたしのピアノの基礎を築き上げてくれた人。女性です。
もうひとりは、いろいろとあって大人になって、夢とピアノをスッパリあきらめたわたしがズブズブと入っていった川に、信じられないほどの忍耐力でもって橋をかけ、わたしをすくいあげてくれた人。男性です。

子供の頃の師匠T先生は、ついこの間、マンハッタン留学しているA子を訪問がてら、こちらにも訪ねてきてくれました。
巨大な会場で一緒にゴスペルを歌ったり、A子のアパートメント近くのリバーサイドパークを散歩したりしながら、いろんな話をしました。
彼女は、それはそれは素晴らしいピアノ教師であり、物事を明るい方向に捉えたり、人のいい所を見つけることの天才です。
彼女の家に電話をかけると、その時彼女がどんな気持ちでいようが、どんな体調であろうが、『本日は晴天なり!そして気分は爽快なり!』的な、それはもう気持ちのいい声が返ってきます。真似しようったってできないすごい明るさです。

「わたしね、自分で言うのもなんだけど、教え子の持つ潜在的な能力、性格や知能なんかを総合的に見抜いて、家庭環境などとも照らし合わせながら、その子供のどういう部分を伸ばしてあげられるか、それにはどうしたらいいか、そういうことが最近はおもしろいように、手に取るように見えてくるのよ」と、静かに、けれども熱く語ってくれた師匠。
彼女が、自分の経験のひとつひとつを無駄にせず、大事に保存したり、引き出しから出して再考したり研究したりしてきたことのご褒美だと思います。
「まうみちゃん、例えばさ、音の長さをどうやったらうまく教えることができると思う?」
「う~ん、いろいろやってみたけど、今は音符を木に例えて、木の本数を数えるのは木を見た時やけど、長さはその木と木の間で、だから、ふたつ伸ばしたい時は3本目の木まで数えた時に、指を鍵盤から離してごらんって感じかなあ」
「それだとややっこしくない?わかりにくいって思ってる子いない?」
「いるいる!」
「音符の長さはすごく抽象的だから、いっそのこと、定規とかを使って、本当の、目に見える長さで説明してあげてごらん?それで、その長さを指で辿っている間、お腹を使って息をふうーっと吐かせたりするといいよ。ほら、実感しやすいでしょ?」
目からウロコ……パラパラパラァ~!

「M子さん(←生意気にもわたしは、最近先生と呼ばずに名前で呼ばせていただいております)、お願いだから、そういういろんなノウハウを公開レッスンとか講演とかで、世の中にどんどん伝えていって欲しい!!真剣にそうして欲しい!!お願い!!」
「いや、でも、それがわたしにはできそうもないのよ」
「そこをなんとか!!」
「う~ん、多分だめ。しないと思う」
ううぅ~……わたしが彼女の近くに住んでたらなあ……もうガンガン長時間インタビューなり突撃レッスン見学なりを重ねて、一冊の本にしちゃうのにぃ~!きぃ~!


そうしてもうひと方、大人になってからの師匠から昨日、突如、「スカイプしよぉ~?」というお誘いがありました。
へ??スカイプとな??
彼のスカイプ名を聞き、急いで登録を済ませ、一日の疲れがドドッと出たまんまの顔でしたが、エイッとばかりにカメラの前に座りました。
おお懐かしやぁ~!Kちゃん!(さらに生意気さが増したわたし、ずいぶん前からH先生のことをKちゃんと呼ばせていただいております。おいおい)

「いやあ、全然お変わりなくて~(もう妖怪の域に達してるのではないかと……)お元気そうでなによりです!」
「まうみちゃん、ちょっと痩せた?」(うっふっふっ……これ、前に母とのスカイプでゲットした、暗めの照明でナニゲにちょっと痩せて見せる手を使いました)

いろいろと、彼のコンサートのこと、仕事のことなどを話しているうちに、彼がなんと67才であることがわかりました!見えねぇ~!!
「ぼくね、これからうんとピアノを弾いて、もっともっと成長していくよ。それが自分に与えられた使命だってわかったから」
67才というと、わたしの父が亡くなった年です。
父は亡くなる少し前に、試せることならなんでも試したいと、当時アメリカで開発された、癌に対する新しい細胞治療を受けられないものかと、わたしに聞いてきたことがありました。
父はその時すでにいろんな方法を試した後で、すでに身体が衰弱しきっていて、今さらこんな体調で長時間の飛行機など耐えられるわけがないと、したり顔で父を言い負かしてしまいました。
「もういい意味であきらめよう。もうあれこれと足掻くのはよそう。それより、どうしたら穏やかに、いい形で、残された日を過ごせるかを考えようよ」
父はそれっきり、二度と、新しい治療について懇願したり質問したりしなくなり、わたしはそれを勝手に、ああ、やっといい意味で踏ん切りをつけてくれた、などと思っていました。
父はその後、二週間ばかり経った寒い冬の、とても晴れた日の午後に、静かに、けれども最後まで生きたい気持ちを持ち続けたまま亡くなりました。
パソコンのモニターに映るH先生の若々しい顔を眺めているうちに、同い年でこの世から去らなければならなかった父の無念と執着心を、やっと理解できたような気がしました。
なんて酷い言葉を投げかけてしまったのでしょう。惨いことをする娘もいたもんです。
H先生と父は、同じ誕生日の同じ干支。丁度ひとまわり父より若いのです。
父は、生きている時から、自分のために翻弄された娘をなんとか救おうと、生き仏になってH先生にわたしを救って欲しいと念じたのでしょうか……。

もしかしたら、8月の上旬に、今度はH先生がアメリカに来てくださるかも、という話があがりました。
今年は師匠の年!
「いやあ、世界はほんと、すごいね。こんなふうにまうみちゃんとライブで、しかも顔を見ながら話せるようになるなんて思ってもいなかった。ああ楽しい!」
「ほんと、ありがたいです!ほんの10年前には考えてもみなかったことがどんどんできるようになって」
「ねえ、スカイプでレッスンしよっか?」
「げげっ!!」
いきなり脇の下にジワリと汗をかくようなことを最後に言って、師匠はニヤニヤしながら画面から消えていきました。

練習が全然できてないのにレッスンだとか、演奏会の本番だとかが迫っている夢を見そうだと心配でしたが、とりあえず無事に朝まで眠れたようです。やれやれ。


今日から晴れの日が続くという予報が出ました。久しぶりに追いかけっこして遊ぶちびっ子リスちゃん達。
穴を掘ってはカリカリ、また掘ってはカリカリ、追いかけっこの合間にカリカリ。かわいいけれどせわしぃ~!せわしいけどかわいぃ~!







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FELAでナイト!

2010年07月03日 | 音楽とわたし
朝からひとり生徒を教え、ドイツとアルゼンチンの試合を観た。
あんなふうに一方的に決着がつくなんて思いもしてなかったのでびっくり!
ドイツが最初っから最後までリラックスしてるふうに見えたのが印象的だった。

エアコンをかなりの予定時間を延長して取り付け、シャワーにも入らずに、暑いマンハッタンの街に出かけた。
旦那の両親が、用事でマンハッタンに出て来ていて、旦那が前々から観たいと言っていた『FELA』のショーを観に行こうと誘ってくれた。

やっぱりマンハッタンの方が2~3℃暑い。空は雲ひとつない豪快っ晴れ!ひとつぐらいわたし達の頭の上に浮かんでくれぇ~い!


丁度、パラグアイとスペインの試合が始まったところだった。見逃してなるものか!それぇ~い!


中はすっかり熱気ムンムン。スペインを応援する人がほとんど。わたしはもちろんパラグアイ。
朝からろくすっぽ食べてなかったので、とりあえずグァカモリとチップスをいただく。


またまた延長戦か?!と思ったけれど、惜しい~パラグアイ。あんな時間に点を入れられちゃったらどうにもならんよね~。
でも、どちらも互いに、とてもドラマティックなペナルティキックを一本ずつ打てたし、それが無くても素晴らしい試合だったと思う。

こんなクソ暑い日に、こういうバスが満員の観光客を乗せて、何台も走っていた。


旦那が鍼灸学校の学生時代の半分を、ここでバイトしてくれた。モーガンスタンリーの巨大ビルディング。


タイムズスクエアはやっぱり、夜に来る所です。


いつかきっと、終わるまでに観に来たい!デンゼル・ワシントンが主演しているブロードウェイ。


週末恒例の市。


ロックフェラー・センター前に現れた、レゴで作ったニューヨークシティのシンボル、赤いりんご。


セイント・パトリック聖堂もなんだか暑そうな感じ。


ビルに映ったビルが暑い空気に揺れてきれいだったので。


ぶらぶらと散歩しながら時間を過ごし、待ち合わせの日本レストランに到着。めちゃくちゃ真剣にお酒を選んでいる父と息子。


ミュージカル『FELA』!


FELAのことを少し。ある方のブログから抜粋させていただきました。無断でごめんなさい!

Fela Kuti (1938-1997)
ブラック・プレジデントと呼ばれたフェラ。
父は牧師であり、教師であり、ミュージシャン。
母は世界的に有名なフェミニスト・リーダー。

ナイジェリアで育ち、1963年ロンドンの音楽大学を卒業。
留学中の黒人差別が彼の音楽に大きな影響を及ぼす。

1968年、自身の音楽を「アフロビート」と定義。
しかしこの頃の音楽活動はあまり上手く行かず、
ここでも黒人差別に直面し、政治や差別について学び始める。

70年代から政治的メッセージを込めた彼の音楽は
凄まじい影響力を持つようになり、
何度となく警察の自演により逮捕されている。

自宅の周りを有刺鉄線で囲い
「カラクタ共和国」と名付けて国家と対立。
1000人の軍隊により最終的に破壊され、母親も殺害されてしまう。

"Music is a Weapon"のタイトル通り、
警察の不当な扱いを揶揄した実体験に基づく歌「Expensive Shit」「Zumbie」など、
世の中にメッセージを流し続けた。

97年、エイズの合併症で他界。
葬儀には100万人近い人が参列したという。
現在は息子のFemi Kutiが彼の音楽活動を受け継いでいる。


泣き笑いして、ダンスを一緒に踊ったり歌ったり、もうそれはそれは素晴らしいミュージカルだった。桁違いにパワフルなアフロビートに感動!
ほんの少しだけど、ユーチューブで見つけたので。
FELA! on Broadway: Revolution


もうひとつ。実はこの舞台のバンドメンバーの中に、ひとりだけ、日本人のパーカッショニストがいた!タケマサヨシヒロという名前だった。
彼はコンガを勉強したくて本場キューバで特訓したらしい。それから小さなギグをあちこちでやりつつこの晴れの舞台まで至ったそう。
素晴らしい!演奏も見た感じもとても地味なんだけど、同じ日本人としてなんだか嬉しい!1分38~9秒のあたりに瞬間映る彼をぜひ観て欲しい!
FELA! on Broadway Sneak Peek: "Yellow Fever"



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McDonald's GOSPELFEST 2010

2010年06月19日 | 音楽とわたし
今日の会場、ニュージャージー州はニューアーク市内にあるスポーツ&コンサートアリーナ、プルデンシャルセンターに着きました。


なぁ~んて、なんの問題も無くスッと着いたように書きたいところだけど、そこはもう、なんというか、いろいろとございました、はい、今回も……。
まずはこれ。


今日の会場の名前が『Prudential Center』。ああ、アレか!と思ったこの建物。それを目当てに車を走らせるのだけど、ナビゲーションは「それは違う!」と言い張ります。暑くて機械が狂ってんじゃないの?と自分を信じて疑わないわたしは、ナビをプツンと消し、とにかくその建物に比較的近い路上に車を止めました。
ところが……やはりナビちゃんの方が正しかったのでした。
これは『Prudential』は『Prudential』でも銀行の『Prudential』の方。要は我々が行かんとしているセンターのスポンサー会社なのでした……ごめんナビ。

テクテク歩きながら、路上でセンターの在処を聞くと、「そらあんた、こっからやとずぅ~っとずぅ~と真っすぐ歩いて行かなあかんで~、2ブロック先までずぅ~っとな!」と強烈に念を押しながら説明してくれた黒人のおばちゃん組。けどさおばちゃん、2ブロック先っていうたらそこやん……と心の中では思いつつ、「ありがと~!」とお礼を言って再び歩く歩く歩く!
が、けれども着きません。それらしき建物が見えてきません。集合時間が近づいてくるし、もともと遅らせてもらっている立場上、それを遅れるわけにはいかず、かなり焦ってきました。
大きな通りに出て、路上で小売り商売をしている黒人のおっちゃんに尋ねようと近づいて行きました。
「あのぉ~、プルデンシャルセンターはどう行けばいいのでしょう?」
「あそこになんの用事?」
「え?あの、ゴスペルのフェスティバルがあるもんで」
「こんな時間から?」
「あ、いや、リハーサルに参加しに行くので」
「へ~」
なにやら俄然興味津々のおっちゃん。東洋人がゴスペル?みたいな顔してニタニタ。連れのふたりを顎で指し、「どっから来たん?」と逆に聞いてくる始末。
面倒なので「3人とも日本から」と答えると、「おぉ~日本かぁ~!」と言いながら近くにいるお仲間と一騒ぎ……。
あんまり盛り上がっているので、「知ってるの?」と聞くと「知らん!」と、明るく即答されてしまいました。疲れる……。
丁度近づいてきた市バスの運転手さんに、「このバス、プルデンシャルセンター前に停まりますか?」と聞くと、「次の通りを左に曲がったらあるから乗らなくてもいいよ」と笑顔で言われてしまいました。近くに来てたんやん!

ということで、また一騒ぎしてからようやく着いたセンター前。
今日も快晴。日差しがかなり強くなりそう。そんな中、なぜか1時間近くも会場入りを待たされた我々。
本格的なセキュリティチェックを受け、リストバンドを付けてもらい、これで会場の出入りが自由になりました。
やっと中に入り、まずは演奏会場を見学。


ライトや音響のリハーサルに必死のスタッフの皆さん。


会場は……絶句するほどに広い……。今日も2万人近くの人達が入るらしいと聞いて再び絶句……。


カメラを向けると……みなさん、とってもアメリカンな反応です。


舞台リハーサルが3時。なので、2時半までの間にお昼ご飯を食べておこうということで、まず外に出ました。

日差しが強い!今日はどっから見ても夏!という日です。


まずは遠くに停めてある車の所まで戻り、センターすぐ横にある巨大駐車場に車を入れ直してから、どこかレストランを探そうということに。
ところがところが、さすがニューアーク。評判通りのとってもお粗末なレストラン事情。あ~ぢぃ~……と言いながら町を彷徨うわたし達。
市役所の金色頭の輝きまでもが暑苦しい……。


結局見つかったけれど、これじゃ家に戻って食べても、時間的にはそんなに変わりがない、と思ったのでした。

会場に戻り、またまたいろんなことが延びていて、リハーサル開始を待たされたわたし達。
アメリカのノリと日本のノリの狭間に立ち、いろいろと気を遣う代表者のUさん。大変だなあ……。
やっと準備が整い、舞台に上がり、航志くんが弾き語るピアノの位置などの打ち合わせをして、いよいよバンドと一緒の演奏が始まりました。
う~ん……わたし的には、昨日の航志くんのピアノ演奏だけの方がよほど良かった……。
バンドの音量がすごくて、わたし達の声がモニターからほとんど聞けなかったので、めちゃくちゃ歌いにくいったらもう!
とりあえず、そのことをスタッフの人に切々と訴えたのだけど、さて、これが本番に反映するかどうか……かなり期待薄、ではあります。
でも、それは仕方が無い。それがショービジネスの常だから。

リハが終わり、我々のための控え室に案内してもらうのを待つ間、今日の総合司会者を務める、多分ゴスペル界ではかなりの重鎮の男性が、航志くんに挨拶にいらっしゃいました。


控え室でもらった『KOHSHI』と書かれたパス。我々はこれで今日一日、会場のどこにでも行けます。Thanks KOHSHI!


控え室でのインタビュー。


さて、今日のイベントの内容や予定を全く知らないまま、昨日一回ぽっきりの練習と今日の舞台リハーサルで歌ったわたし。Uさんに、とうとうのとうとう、きちんと教えてもらいました。
我々が歌うのは、3時から始まるコンテストの最終選考に選ばれた人達の演奏とゴスペルの牧師さんの講演の後。スターアーティストさん達の演奏前です。いわゆる前座と呼ばれる類いのものですね。
けれども航志くんは特別に招待されたゲストなので、わたし達は彼を盛り上げる応援隊として、とにかく楽しくやろうじゃないか!と心に誓いました。

コンテストにはいろんな部門がありました。ダンス、パントマイム、自作の詩の朗読、グループの歌、ソロの歌。NAOちゃんはソロの部門のファイナルに出ます。
わたし達の席は舞台の斜め後ろだったので、写真がこの角度からしか撮れませんでした。残念!


舞台の上で自分の出番を待つNAOちゃん。とにかく歌いたい。それだけできました!という彼女。おかあさんが今日のために用意してくれた梅の絵が一面に描かれたすてきなドレスを着て、見事に歌い切りました。


ホォ~ッと一安心のNAOちゃん。ずっと読売テレビのカメラクルーと一緒に行動しているので、少し疲れも出てきている様子。左奥は、彼女のヴォイストレーナーのステイシー。A子も師事しています。


でも、彼女の前向きさ、歌が好き!という気持ちにとても感動しました。ほんの短い時間だったけれど、同じパートとして彼女のすぐそばで歌えたことが嬉しい!

そして……またまた延々と待たされ……とうとうの本番!
会場に入ると……どっひゃ~ん!めちゃくちゃいるや~んお客さん!もう満員に近いのでした。
我々のすぐ前のグループは白人100%という、超~珍しいコーラス隊。へ~、などと思いながら見ている日本人100%のわたし達。
ところが、演奏が始まった途端会場は総立ちに。激しくも統制のとれたダンスに合わせての、なんとも超パワフルな歌声。
ぎょへ~!!ニワカ仕立ての合成コーラス隊のわたし達にはとてもじゃないけど太刀打ちできない!!
気分がかなり怯みましたが、もうここまで来た以上はやるっきゃない!!

航志くんはもう、会場すべての人達を大きな渦の中に巻き込みました。わたしもどう表現したらいいのかわからないぐらい胸がいっぱいになりました。
そんなすごい感動を共有させてくれた彼に感謝の気持ちを込め、身体中のエネルギーを使って精一杯歌いました。
ありがとう航志くん!ありがとうUさん(この企画の責任者)!ありがとうA子!ありがとう師匠!
本当は今でも信じられない気がします。あんな大きな会場で、あんな大勢の観客の前で、A子と師匠と一緒に舞台に立ち、ゴスペルを歌っただなんて……。

続々と登場する有名アーティストの演奏も聞きたかったのだけど、待ち時間の多さにもうヘトヘトに疲れてしまったのと、A子がどうしても、いつもうちに来た時にテイクアウトをするタイレストランの料理を食べたいということで、会場を後に。
このフェスティバルは毎年、夜中の12時を過ぎても終わらないそうな……ゴスペルパワー恐るべし!

市役所の金色頭にも夕暮れが訪れていました。もう実際には7時半を過ぎていたんですけどね。



この、昨日と今日のゴスペルフェスティバルの様子は、関西読売テレビが特集を組み、8月15日に放映されることになっています。放送時間はわかりませんが、もし興味がおありの方は、ぜひぜひご覧ください。






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音楽って素晴らしい!

2010年06月18日 | 音楽とわたし
昨日の窓拭きから始まったちょこちょこ掃除に拍車がかかり、あれもこれも、あそこもここも、なんだか止まらなくなってしまった。
今日は朝からひとり、生徒を教え、電車に飛び乗り、お昼の12時前に、マンハッタンのミドルタウンに行った。

木下航志(『きした こうし、1989年5月8日生まれ』は全盲の日本のミュージシャン。鹿児島県薩摩川内市出身。幼い頃に未熟児網膜症で視力を失った。“和製スティーヴィー・ワンダー”とも呼ばれる)くんのバックコーラスでゴスペルを歌う、という企画に参加する機会を得た。


http://kishitakohshi.laff.jp/blog/ ←航志くんのオフィシャルブログです。

航志くんはとても小柄な21才の青年。手だって小学生みたいにちっちゃい。
でも、彼の奏でるピアノの音には、人の魂をグッと掴んで離さない、力強さと繊細さと悲しさと強さと絶望と希望が入り交じっている。
彼は今回、ここ東海岸のゴスペルの祭典に招待されて、鹿児島からやってきた。
ダニエル・イーソンは、とても才能豊かなゴスペルの指導者。彼が関わったゴスペルの合唱団は、のきなみコンテストで優勝している。
今回、航志くんが歌う曲は、ダニエルが作詞作曲をしたもので、詳しいことは知らないけれど、わたしはきっとこの曲は航志くんのために書かれたものだと思う。
航志くんの左横に座っているのはNAOちゃん。彼女もすごい。京都から来てる子で、何千人もの中から日本人として初めてソロ部門のファイナルに残った子。
彼女と航志くんの取材のために、読売テレビ関西から来ているカメラクルーさん達が端っこに写っています。


自分の歌うパートを家で練習していた時、Don't give up! という歌詞を、ちょっとなんかキャッチーだな、などと思っていた自分を恥じた。
航志くんは、わたしの想像も及ばないほどの数の辛い運命を受け止め、受け入れ、それらと共に折り合いをつけて生きていかなくてはならなかった。
苦しいこと、辛いこと、どうしようもないほどの怒りを感じること。
『僕にはいろんなことがあった。運命は時に、僕を絶望の淵に押しやった。でも僕はあきらめない。やけにならない』


彼のピアノの音に乗せて、その言葉がメロディに乗ってわたしの耳に流れ込んできた時、わたしは心の底から彼に詫びた。
そして心の底の底から感動して、なんとか彼のステージを盛り上げようと、そこに居るすべてのコーラスメンバーが胸に誓ったに違いない。
コーラスメンバー25人のうちの15人が日本から組、10人がニューヨーク組。全員揃っての練習はこの日が最初で最後。
リハーサルはどんどん熱気がこもり、歌っている間に打つ手拍子で手はこんなに真っ赤っか。これは師匠の手。左上の方に打ち身でできるような青あざが見える。


明日の最終選考を前に、ダニエルと航志くんとともに最後の調整をするNAOちゃん。


ビルの外に出ると、それはそれは爽やかな夏日だった。


A子はこの夏最後のレッスンを受けに、わたしと師匠は、A子のアパートの近くにある、めっちゃ美味しいパンやスウィーツを売っている店でお昼ご飯を食べることにした。
師匠は中近東の前菜三種と超美味しそうな5種類の違うパンのスライス、わたしはレンズ豆のスープとカレーチキンサラダ。どれもこれも、期待を裏切らない嬉しいお店だった。
A子のアパートに彼女より先に戻り、少し休憩。そこにA子が戻り、そしてイーストヴィレッジのスポーツバーにイングランド出身の友人とサッカー観戦をしにやってきている旦那が合流し、これまた近くにある、とんでもなく美味しいベトナム料理を食べに行った。

そして今日の二個目の大きなイベントである、ニューヨークジャズフェスティバルにゴ~!


ジャズにはちょいとうるさい旦那も、今日のメンバーはみな凄かったと言った。


彼が今夜のバンドマスター的存在のトランぺッター、Roy Hargrove。すごい存在感。けれども、演奏中以外は、なんだか雲の上をふわふわ歩いているような雰囲気がある。


彼女の歌ったチリのフォークソングが、ソウル・フラワー・ユニオンのある歌のメロディにそっくり?!


コンガのソロではじける!


このそうそうたるメンバーで、アンコールも入れてたっぷり聞かせてもらった。それで$15。VIVA!New York Jazz Festival!



コンサートが終わり、A子のアパートに寄り、泊まりの荷造りをする二人を待って、ニュージャージーへ。
途中、変な渋滞があって、回り道をすると、余計に迷ってしまった旦那。後部座席には、意識不明っぽく眠るA子と師匠。
明日はゴスペルの本番。うまくいくといいなあ。

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My Brother! My Sister!

2010年06月16日 | 音楽とわたし
ひょんなことから、今週末の土曜日に、ゴスペルの合唱隊の一員として舞台に立つことになった。
Aちゃんと、今マンハッタンに来ている師匠と共に。
なにやら、当初の計画では、このゴスペルの祭典にこぞって集まるであろう、百名もの日本からの合唱隊を予定していたらしい。
なにしろ、ゴスペル界の巨匠やヒットメーカー、超有名人達と共演できるばかりか、直接指導も受けられるっていう企画なのだもの。
ところが……ふたを開けてみると、時期が悪かったのか、それとも不況の波のしぶきがこんな所にもかかっているのか、集まったのはたったの15名……。
あかんやろ、それは?!

そこで、急きょ、マンハッタンおよび、マンハッタン周辺に住む、とりあえず歌える人間にお誘いがきた。
楽譜は読めなくても全然オッケー。ゴスペルはもともと口伝承。楽譜なんてはじめっから、無い……らしい……。

歌詞が送られてきた。
続いて、パート別に音がとれる音源が送られてきた。
音符が無いまま、音を聞き、それを頭の中で楽譜化して覚える。新しい経験。

アルトパートを担当することにした。
最後にくり返し歌うメロディラインが、昔日本で流行ったようなポップス系の雰囲気があって、そこを歌うといつもなんだか少々照れる。
『木綿のハンカチーフ』を歌ってた、若かりし頃の太田裕美ちゃんの声が、耳の後ろの方でかぶる。

明後日は初の合同練習日。って……本番はその翌日なんだけど……。
仕事のスケジュールを少し動かして練習に参加することにした。
なんてったって、歌うだけでは済みそうにはないのがゴスペル。お揃いのローブを羽織って、踊りまくりぃ~の、奇声も発っしぃ~の、はじけにゃ~!
けど、そういうのってタイミングを外すとかなり浮く……しかもめちゃくちゃカッチョ悪い。なので、真面目に練習しようと思う。
お助けだけど、ほんでもって仕事もちょいちょいと変えなければならないけれど、参加費は払う。まけてもらったけどね。
ケチなこと言わんと。こんなすごい面々と一緒に舞台に立てるなんて、人生にそうあることちゃうねんから。
日本人はこういう状況に弱い。少なくともわたしはそう。
けれど、純血アメリカンの旦那には、いったいなにが悲しくてそんな大金(←我々にとっては)払ってまでそういうことに関わるのか、皆目理解できないそうだ。
ただし、十年の日本暮らしの経験から、そういうことでたくさんの人がいろんなことに関わっていくのを、特別な現象のひとつ、としては認めている。

今、マンハッタンにAちゃんが暮らしている。そこに師匠が遊びに来ている。
そんなすごく特別な時に、一緒に何か楽しめそうなことが目の前に現れたんだから、そりゃもう「やろやろ!」でしょ。
さて、これからもうちょっと練習練習!My brother & sister と一緒に楽しく歌えるようにしないとね!


Don’t give up, my brother
Don’t give up, my sister
Hold your head up high
Victory is nigh

Why don’t you just,
Hang on in there, hang on in there
Your joy will come after while
Your joy will come after while

No, I’m never gonna give up

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無罪放免

2010年05月14日 | 音楽とわたし
スプリングコンサートが無事に終わりました。
今年の6月で退職する校長先生のために、内緒で練習してきた歌を最後に会場の皆で合唱したら、もうオイオイと涙を流してうずくまってしまった先生。
わたしの目にも涙がこみ上げてきて、楽譜を読むのに苦労しました。
みんな、よく頑張ったね!いい声だった!いいハーモニーだった!ダンスも決まってた!チャイニーズオペラもすごく楽しかった!



演奏会の最後に、スペシャルサンクスの贈り物だと言って、可愛らしいチューリップの花をいただきました。
花瓶にさしてみると、あらら?根っこのところにこんな小さな赤ちゃんチューリップが?!



今回はリハーサルの量がとても多かったので、おかげさまで我ら3人の飛行機代とJRパス代が賄えそうです。
でも、来年度から、ニュージャージー州の公立学校の補助金が削られて、そのとばっちりを食うのが音楽などの芸術教育になるだろうという噂が流れています。
もしかしたら、こんなふうに、1分1ドルなんていう支払いをしていただけるのは、これが最後になるかもしれません……。


さて、なにはともあれ、これでわたしのオプショナルな仕事は終わり、あとは午後からの生徒達を教えるのみ。
別に悪いことをしたわけではないけれど、気分はなんとな~く無罪放免って感じがします。
それが終わったらもう、な~んも考えないで、練習もしないで、ただただ一心不乱にパッキングに集中できます。やっほ~!!

いつもここに遊びに来てくださっているみなさん、残念ながら(←と思っているのはわたしだけかも……たまに、どうしてあんなに毎日毎日書くのよぉ~!読むのが大変じゃないのぉ~!とお小言をいただくこともあるので……すみません、自分としては、なにか書くようなことがあった時にだけ書こうと思っているのですが……)旅行中はブログを書くことができません。
明日からの2週間、日本でのたくさんの写真と思い出とともに、ここに戻ってまいります。
留守番係の息子Tと家猫ショーティが、戻ってきたわたしをびっくりさせるようなことをしでかさないことを祈りつつ。

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『まうみ爆弾』落ちるの巻

2010年05月10日 | 音楽とわたし
毎回、コンサートが近づいた頃に必ず一回、キレてしまいます。
誰にって?
それは、伴奏を担当している高校の生徒達にです。

今週に入っていよいよ近づいてきたコンサート本番。
リハーサルも毎日、朝から昼の2時半頃までぎっしり。
コーラスのグループは4つあって、高校生はそれぞれのグループで歌っていればいいけど、
指導者&指揮者のダリルと伴奏者のわたしはそういうわけにはいきません。
わたしは計15曲、ダリルはコーラスの他にミュージカル、キーボードなど、他の舞台の指導もしなければなりません。

舞台慣れするために、本番と同じ照明をつけ、舞台の上で歌います。
そうなると、いつもはすぐにチョケる子達も、それなりに態度を整えます。
ところが、それでも普段と同じようにダレる子もいます。
そして、そういう子供は、すぐに座りたがります。
今日も1曲終わっては座り、他のパートをダリルが注意しているとまた座り、
とうとう、わたしがイントロを弾き始めているのに、3人のアルトパートの女の子達が当たり前のような顔をして座っていました。

イントロの途中で、ダリルの指揮も無視して、わたしはピアノを弾くのをやめました。

「そこの3人、立ちなさい!」

ピアノが急に止まっただけでなく、わたしが大きな声で怒鳴ったので、みんな凍りついたように止まってしまいました。
「ダリルが手を振り下ろして、わたしがピアノを弾き始めているんだよ!心を込めて、みんなが歌い易いように、音楽を楽しんでもらえるように弾いているんだよ!そしてそれはもう、あなた達も演奏に入っているってことなんだよ!それを無視して座ってるなんて……本番はもうすぐなのに……年相応の責任のある態度をとりなさい!ちょっとそこ、楽譜を下ろして!顔を隠さない!声が通らないじゃないの!」

「あ~あ、まうみを怒らしちゃったよ」とダリル。

わたしはアシスタントではないし、雇われて通っているだけのピアノ弾きなので、本来はこんなふうに生徒を嗜めたりする立場ではありません。
だから、できるだけ普段は言いたいことがあっても抑えています。
けれども、たま~に一発落とす爆弾は、生徒達だけでなく、ダリルの気分転換にもなるようです。

「今日の彼女達の態度、すまなかった」
別れ際にそう言われて、「ダリルが謝ることじゃないよ。立場を超えてしまってごめんなさい」とこちらも謝りました。
でも、ダリルもわたしも、彼らが本気で歌った時のすばらしい響きを知っている者として、たった一回しかない舞台のチャンスを逃がして欲しくないのです。
「あと3日、お互いしんどいけど、いい音楽会になるよう頑張るしかないね」と、励まし合いながら別れました。

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一本きりりと通っているなにか

2010年05月01日 | 音楽とわたし
今日はあさちゃんの伴奏者としてのデビューの日。
彼女の歌の邪魔にならないよう、できれば気持ち良く歌ってもらえるよう、そしてわたしの心も織り込ませつつ気持ちを合わせて演奏したいと思いました。

天気の良い日は、夜明けを待たずに、鳥たちの歌がにぎやかに始まります。
どちらかというとうるさいぐらい。
旦那いわく、中に一羽、旦那の名前を連呼するのがいるそうな……三回呼んで休み、また三回……ほんまかいな?
ちなみにわたしの好きな鳥は、「てっぺん禿げたか!」って鳴きます
今日は暑くなるよ~、夏だよ~。
気温は30℃を超え、案の定、チューリップの花は一気に開ききってしまいました。
昨日、あさちゃんと練習している間からワインを飲み始めた旦那、わたし達も合流してからもピッチが下がらずに飲み過ぎ……。
ちゃんと眠れずにごそごそごそごそ、わたしも疲れやら頭の付け根の痛みやらでやっぱり眠れず、朝は最低のさわやか度。
あさちゃんが熟睡できたのがせめてもの慰めです。

午前中、旦那は仕事、わたしもレッスンひとつ、あさちゃんはTの運転でIKEAに。あともうちょい足りない物を買いに出かけて行きました。

会場に着いてもあさちゃん、余裕のよっちゃん。発声練習とかしなくてもいいのか?
わたしが歌う時なんかはもう、喉を守ろうと必死で、それでも恐くて恐くて……なので、やっぱちゃうな~と思ってしまいました。当たり前か。
あさちゃんはよく、自分が歌う歌の歌詞の意味を、ていねいに説明してから歌います。
そうすることで、ドイツ語などの理解しにくい詩の意味を把握して、その場面を想像したり感じたりしながら聞けるので、
彼女の声のひびきそのものだけではなく、彼女が表現する事柄を具体的に感じ、楽しむことができます。
今日は『鱒』の歌詞の説明を英語でやったあさちゃん。
彼女の話し声はとても低くて、どちらかというとハスキーな方でもあるので、歌声とのギャップがすごくてこれも楽しいのです。
伴奏をしていて、とてもいい気持ちがしました。
彼女はわたしに背を向けて歌っているのだけれど、彼女の声の響きが会場中の空気の粒に溶けて、わたしは抱かれているように感じました。

彼女のブログに、こんなメッセージが書かれています。

『歌をうたうにあたって私がいつも考えている事も「空間」!これ以外にありません。
空間をいかに鳴らすかということが音を創造する上では本当に重要なのです。
音を出す前に空間を「感じ」、空間と「調和」して響きを「運ぶ」。
小さい空間は小さいなりに、今日のように1000人の大ホールは大ホールなりにその空間を響きで満たす事が出来たらといつも望んでいます。
とくに声は息に音を乗せて運ぶものですから、いかに遠くへ息を流し、空間を超えて遠く向こう側に届けるかのイメージを持つ事がポイント。
というわけで「大きな声」ではなくて、「響きの豊かな声」を求め、日々学んでいます。
(なんたってからだが小さいのでね~。鳴らさにゃ。)』


わたしはこの『響きの豊かな声』に優しく抱かれて至福の時を過ごすことができました。
ありがとう~あさちゃん!!

演奏会の後、旦那と彼女と三人で近くのイタリアンの店に行った時、
「アマチュアとプロの違いって、なんかこう、一本きりりと通っているなにかがあるかないか、なんだよね」とあさちゃん。
「例えば今日ショパン弾いたすっごくうまい人も、バッハをきれいに弾いた人も、テクニックもあるしうまいしいいんだけど、足りないんだよ、これが」と言って、胸の前でこぶしを作り、一本の棒をなぞるような仕草をするあさちゃん。
「自己陶酔してるってこと?」
「ううん違う。プロだって自己陶酔して演奏してる人いるもん。でも、そうしながらも、内面からほとばしり出る何かがあるんだよねえ」
いったいそれってなんなんだろう……。

あさちゃんのアパートに行き、彼女が今日買った荷物を運びついでに本棚を組み立て、家に戻る車の中でもずっと、このことを考えています。
いったいそれってなんなんだろう……。


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