朝からひとり生徒を教え、ドイツとアルゼンチンの試合を観た。
あんなふうに一方的に決着がつくなんて思いもしてなかったのでびっくり!
ドイツが最初っから最後までリラックスしてるふうに見えたのが印象的だった。
エアコンをかなりの予定時間を延長して取り付け、シャワーにも入らずに、暑いマンハッタンの街に出かけた。
旦那の両親が、用事でマンハッタンに出て来ていて、旦那が前々から観たいと言っていた『FELA』のショーを観に行こうと誘ってくれた。
やっぱりマンハッタンの方が2~3℃暑い。空は雲ひとつない豪快っ晴れ!ひとつぐらいわたし達の頭の上に浮かんでくれぇ~い!
丁度、パラグアイとスペインの試合が始まったところだった。見逃してなるものか!それぇ~い!
中はすっかり熱気ムンムン。スペインを応援する人がほとんど。わたしはもちろんパラグアイ。
朝からろくすっぽ食べてなかったので、とりあえずグァカモリとチップスをいただく。
またまた延長戦か?!と思ったけれど、惜しい~パラグアイ。あんな時間に点を入れられちゃったらどうにもならんよね~。
でも、どちらも互いに、とてもドラマティックなペナルティキックを一本ずつ打てたし、それが無くても素晴らしい試合だったと思う。
こんなクソ暑い日に、こういうバスが満員の観光客を乗せて、何台も走っていた。
旦那が鍼灸学校の学生時代の半分を、ここでバイトしてくれた。モーガンスタンリーの巨大ビルディング。
タイムズスクエアはやっぱり、夜に来る所です。
いつかきっと、終わるまでに観に来たい!デンゼル・ワシントンが主演しているブロードウェイ。
週末恒例の市。
ロックフェラー・センター前に現れた、レゴで作ったニューヨークシティのシンボル、赤いりんご。
セイント・パトリック聖堂もなんだか暑そうな感じ。
ビルに映ったビルが暑い空気に揺れてきれいだったので。
ぶらぶらと散歩しながら時間を過ごし、待ち合わせの日本レストランに到着。めちゃくちゃ真剣にお酒を選んでいる父と息子。
ミュージカル『FELA』!
FELAのことを少し。ある方のブログから抜粋させていただきました。無断でごめんなさい!
Fela Kuti (1938-1997)
ブラック・プレジデントと呼ばれたフェラ。
父は牧師であり、教師であり、ミュージシャン。
母は世界的に有名なフェミニスト・リーダー。
ナイジェリアで育ち、1963年ロンドンの音楽大学を卒業。
留学中の黒人差別が彼の音楽に大きな影響を及ぼす。
1968年、自身の音楽を「アフロビート」と定義。
しかしこの頃の音楽活動はあまり上手く行かず、
ここでも黒人差別に直面し、政治や差別について学び始める。
70年代から政治的メッセージを込めた彼の音楽は
凄まじい影響力を持つようになり、
何度となく警察の自演により逮捕されている。
自宅の周りを有刺鉄線で囲い
「カラクタ共和国」と名付けて国家と対立。
1000人の軍隊により最終的に破壊され、母親も殺害されてしまう。
"Music is a Weapon"のタイトル通り、
警察の不当な扱いを揶揄した実体験に基づく歌「Expensive Shit」「Zumbie」など、
世の中にメッセージを流し続けた。
97年、エイズの合併症で他界。
葬儀には100万人近い人が参列したという。
現在は息子のFemi Kutiが彼の音楽活動を受け継いでいる。
泣き笑いして、ダンスを一緒に踊ったり歌ったり、もうそれはそれは素晴らしいミュージカルだった。桁違いにパワフルなアフロビートに感動!
ほんの少しだけど、ユーチューブで見つけたので。
FELA! on Broadway: Revolution
もうひとつ。実はこの舞台のバンドメンバーの中に、ひとりだけ、日本人のパーカッショニストがいた!タケマサヨシヒロという名前だった。
彼はコンガを勉強したくて本場キューバで特訓したらしい。それから小さなギグをあちこちでやりつつこの晴れの舞台まで至ったそう。
素晴らしい!演奏も見た感じもとても地味なんだけど、同じ日本人としてなんだか嬉しい!1分38~9秒のあたりに瞬間映る彼をぜひ観て欲しい!
FELA! on Broadway Sneak Peek: "Yellow Fever"
あんなふうに一方的に決着がつくなんて思いもしてなかったのでびっくり!
ドイツが最初っから最後までリラックスしてるふうに見えたのが印象的だった。
エアコンをかなりの予定時間を延長して取り付け、シャワーにも入らずに、暑いマンハッタンの街に出かけた。
旦那の両親が、用事でマンハッタンに出て来ていて、旦那が前々から観たいと言っていた『FELA』のショーを観に行こうと誘ってくれた。
やっぱりマンハッタンの方が2~3℃暑い。空は雲ひとつない豪快っ晴れ!ひとつぐらいわたし達の頭の上に浮かんでくれぇ~い!
丁度、パラグアイとスペインの試合が始まったところだった。見逃してなるものか!それぇ~い!
中はすっかり熱気ムンムン。スペインを応援する人がほとんど。わたしはもちろんパラグアイ。
朝からろくすっぽ食べてなかったので、とりあえずグァカモリとチップスをいただく。
またまた延長戦か?!と思ったけれど、惜しい~パラグアイ。あんな時間に点を入れられちゃったらどうにもならんよね~。
でも、どちらも互いに、とてもドラマティックなペナルティキックを一本ずつ打てたし、それが無くても素晴らしい試合だったと思う。
こんなクソ暑い日に、こういうバスが満員の観光客を乗せて、何台も走っていた。
旦那が鍼灸学校の学生時代の半分を、ここでバイトしてくれた。モーガンスタンリーの巨大ビルディング。
タイムズスクエアはやっぱり、夜に来る所です。
いつかきっと、終わるまでに観に来たい!デンゼル・ワシントンが主演しているブロードウェイ。
週末恒例の市。
ロックフェラー・センター前に現れた、レゴで作ったニューヨークシティのシンボル、赤いりんご。
セイント・パトリック聖堂もなんだか暑そうな感じ。
ビルに映ったビルが暑い空気に揺れてきれいだったので。
ぶらぶらと散歩しながら時間を過ごし、待ち合わせの日本レストランに到着。めちゃくちゃ真剣にお酒を選んでいる父と息子。
ミュージカル『FELA』!
FELAのことを少し。ある方のブログから抜粋させていただきました。無断でごめんなさい!
Fela Kuti (1938-1997)
ブラック・プレジデントと呼ばれたフェラ。
父は牧師であり、教師であり、ミュージシャン。
母は世界的に有名なフェミニスト・リーダー。
ナイジェリアで育ち、1963年ロンドンの音楽大学を卒業。
留学中の黒人差別が彼の音楽に大きな影響を及ぼす。
1968年、自身の音楽を「アフロビート」と定義。
しかしこの頃の音楽活動はあまり上手く行かず、
ここでも黒人差別に直面し、政治や差別について学び始める。
70年代から政治的メッセージを込めた彼の音楽は
凄まじい影響力を持つようになり、
何度となく警察の自演により逮捕されている。
自宅の周りを有刺鉄線で囲い
「カラクタ共和国」と名付けて国家と対立。
1000人の軍隊により最終的に破壊され、母親も殺害されてしまう。
"Music is a Weapon"のタイトル通り、
警察の不当な扱いを揶揄した実体験に基づく歌「Expensive Shit」「Zumbie」など、
世の中にメッセージを流し続けた。
97年、エイズの合併症で他界。
葬儀には100万人近い人が参列したという。
現在は息子のFemi Kutiが彼の音楽活動を受け継いでいる。
泣き笑いして、ダンスを一緒に踊ったり歌ったり、もうそれはそれは素晴らしいミュージカルだった。桁違いにパワフルなアフロビートに感動!
ほんの少しだけど、ユーチューブで見つけたので。
FELA! on Broadway: Revolution
もうひとつ。実はこの舞台のバンドメンバーの中に、ひとりだけ、日本人のパーカッショニストがいた!タケマサヨシヒロという名前だった。
彼はコンガを勉強したくて本場キューバで特訓したらしい。それから小さなギグをあちこちでやりつつこの晴れの舞台まで至ったそう。
素晴らしい!演奏も見た感じもとても地味なんだけど、同じ日本人としてなんだか嬉しい!1分38~9秒のあたりに瞬間映る彼をぜひ観て欲しい!
FELA! on Broadway Sneak Peek: "Yellow Fever"