杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

仏教と量子力学-世界を正しく見ることができるか

2014-11-13 13:09:00 | 仏教

 ブログやFBを見てくれる人たちから、時たま、「いつもあちこち飛び回っていろんな体験ができていいねえ~」と言われることがありますが、ふだんの私はほとんどの時間を自宅のPCの前で過ごしています。外部とのやり取りもメールで済ませ、一日誰ともひと言もしゃべらない、なんて日のほうが多く、たまに外で活動することだけをブログに上げるので、いつも出歩いているみたいに思われているだけ。家でネットやテレビの情報をながら見し、深く考えもせず一喜一憂するリビングおばさん化しちゃって、目に見える運動不足と脳の退化を痛感する毎日です。

 

 そんなわけで自分の誕生日には、いつも脳トレになる小難しい本を必ず買うようにしているのですが、今年の誕生日(10月11日)には自分史上過去最高の難易度と思しき勉強会に行ってきました。場所は東京大学数理科学研究科棟ホール。タイトルは【科学と仏教の接点~宇宙を満たす不可思議な世界 私たちは世界を正しく見ることができるのか】。講師は大阪大学大学院教授の井元信之氏と花園大学仏教学科教授の佐々木閑氏です。

 

 

主催する臨済宗妙心寺派東京禅センターの案内告知にはこう書いてあって、興味をそそられ、申し込みました。

 

 『仏教は、「私たちは皆、勝手な思い込みの世界で生きている。それが苦しみのもとだ」と言いますがでは私たちは一体どれくらい「勝手な思い込み」を抱えて生きているのでしょうか。いかに私たちが思い込みに洗脳されているのかを明確に教えてくれるのが量子論です。
 量子論が語る、この世の本当の姿は、私たちが普段「あたりまえだ」と思っている事実をことごとくひっくり返していきます。「いくらなんでもそんなことはあり得ないだろう」と思うようなことが量子論では山ほど起こるのです。思い込みを捨てて、世の中の真の姿を知るということがどれほど衝撃的なことか、それを井元先生の分かりやすいお話で体験していきます。』

 

 量子論と接する機会は自分史上皆無で、「量子」の意味すら解らない自分でも、かなりそそられた告知でしたが、結果的には、そそられた、だけ。初めて踏み込む東大キャンパスで賢くなったフリをして大学ノートに8ページほどメモしたんですが、後で読み返しても自分でもチンプンカンプン。理解とは程遠い、脳が混乱しただけの勉強会でした(苦笑)。

 

 それでも背伸びして混乱して終わり・・・じゃ後味が悪いと、帰りのバスの中で井元教授の推薦本『SF小説がリアルになる 量子の新時代』と、佐々木教授の『科学するブッダ 犀の角たち』をAmazon Kindle で購入し、ひと月がかりで読み終えました。・・・専門書ではなく一般向けに書かれた分かりやすいガイド本というフレコミでしたが、やっぱりハードルは高かった(苦笑)。結局、量子力学については、ネットで見つけたこちらの解説で、かろうじてぼんやりだけど輪郭が見えてきたかな・・・というところです。確かに、世の中の真の姿を知るのは「衝撃的」とまでは言わずとも、「凄く面白い!」。

 

 

 勉強会の10日後、知人に誘われて兵庫県加東市にある念仏宗無量寿寺というところに行きました。「ブッダが本当に語ったことだけを学べる寺」「黄檗宗萬福寺の創建(1661)以来、近年では初めて誕生した大伽藍様式。建物を観るだけでも貴重な体験」と言われ、「加東市って(酒米最高峰の)山田錦東条特A地区じゃん!」という軽いノリも加わって(苦笑)、日帰りで連れて行ってもらったのですが、ふだん、京都の禅寺や奈良の古寺に親しんでいる自分にとっては「衝撃」なほど圧倒的な規模(総面積55万坪)。拝観は完全予約制で案内役の僧侶が4時間かけて大伽藍を一回り案内してくれました。ギネスサイズの瓦が乗っている本堂、奈良の法隆寺夢殿も創建時にはこうあったであろう八角堂や五重塔の美しさ、リアルな等身大羅漢5百体・・・的確な表現ではないかもしれないけど、まさに“仏教テーマパーク”。現代に、これほどのものを造れるパワーが仏教にあったのかと、ただただオドロキでした。

 「この寺こそホンモノの仏教」「一度ちゃんと法話を聞けばマユミさんも理解するよ」と熱く語る知人。そこまで心酔し切れる対象に出合えた彼は、ある意味、幸せなのかもしれません。

 

 私には、10日前に東大で聞いた佐々木教授の言葉がどうにも頭にこびりついています。

「量子力学は仏教と同じくらいインパクトがある。すなわち、この世界を我々はおのれの勝手なフィルター(我)を通して見ており、正しく認識せず、勝手にもがいている。世界を正しく見るために視点を合わせ、調整していく必要がある。それが修行だ。そのことに気がつけば、フィルターで見ていた世界に苦しんでいたことがわかるだろう。心の世界ではそうだが、では、物質の世界はどうだろうか。物理学は仏教の対極にあるとされるが、突き詰めていくと、今の認識とは違う世界があることに気づく。本来の姿を誤って認識しているのではないかと」。

 

 冒頭の佐々木教授のこの言葉から始まり、「理論は奇妙奇天烈。アインシュタインも証明に失敗した」という量子力学について、井元教授が一生懸命分かりやすく小物やギターを使って解説してくださったのですが、物理学の歴史やいろんな学者の紹介から、井元教授ご専門の量子力学と情報理論を融合させた量子情報(セキュリティ暗号を解読する最先端研究らしい)、量子光学の話が次から次へと登場し、初心者の脳では処理しきれないスピードで詰め込まれ、詰め切れずに途中からため息ばかりついてました。

 この講座を企画した佐々木教授ご自身が、以前、花園大学で「禅と生命科学」という講演会を企画したとき、講師を依頼した科学者に「仏教のことなど全く考慮せず、専門の科学の話をそのままズバリと語ってほしい。聴衆のレベルなど気にせず、難しい内容はそのままでいいから、ただ分かりやすく話してほしい」とおっしゃっていたようですから、井元教授も、仏教に変に擦り寄ることもなく、平易な言葉ながら専門性の高い話を真正面からしてくださったのでしょう。科学と宗教が安易に擦り寄ったら第二のオウムみたいになるという危険性もありますし・・・。

 

 私は私で、「自分のような素人が2~3時間の講座を1回聴いただけで理解できるレベルじゃおかしいだろう」という思いがどこかにあって、脳が混乱したままで終わったことを、ある意味、正しい状態だと思いました。そして、若い頃ならすぐに嫌気がさしたでしょうが、年齢を重ねて図太くシツコクなったのか、「このまま降参したくない」「この先に凄く面白い世界があるかもしれないのに、それを知らずに死ぬのはモッタイナイ」という感情が湧いてきた。

 

 仏教も同じだと思います。見る者を圧倒させる大伽藍や、解りやすい教え。これを素直に受け入れる人々と違い、自分はどこかヒネくれているのかもしれませんが、釈迦本人が実践したこと、ブッダの言葉とされる教え、さまざまな宗派に枝分かれしてからの教えがたくさんあって、どこをつまみ食いしても仏教には違いないけど、それがすべてではないし、そんな単純なものではないと感じる。

 

 私が東大で垣間見たのは、途方もない智識の世界のほんの入口に過ぎません。知らずに通り過ぎても何の不便もなく、自分に実利になることは何一つありません。こうして時間をかけて本を読んだりブログを書いたりしても、実際、何の糧にもならないけれど、テレビを消し、ネットを閉じて、ただひたすら、脳をフル回転させて自分が見聞きしたことを理解しようとし、とりあえず記録する。気がつけばご飯を食べるのも忘れている。それでもなぜか、得難い充足感を感じるのです。「ああ、これはひたすら読経したり坐禅を組んでいるときと同じ感覚だな」と。こういう脳の感覚も、ひょっとしたら計算数値化できるかもしれないというのが量子力学のようです。

 

 佐々木教授によると、科学者を禅の講座に招聘すると、ほとんどの人が喜んで来てくれるそうです。科学の講座に禅僧が招聘されるケースもあるのかな・・・。そうだとしたら仏教と科学は、接点どころではなく、いずれ、融合するものかもしれませんね。

 

 



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