杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

観音とお水取りの旅 その1

2008-03-05 19:31:42 | 歴史

 奈良に『あかい奈良』という季刊の地域文化情報誌があります。奈良の歴史文化、自然、伝統食などの紹介や、ゆかりの人物インタビューなどで構成されたカラー50ページほどのグラビア雑誌で、1476円(+税)。今年で創刊10周年になります。

 

  この雑誌の素晴らしいところは、自治体や公共団体の発行物ではない、まったくの民間雑誌でありながら、広告スポンサーを持たず、取材、編集、印刷、製本まですべてボランティアで制作していること。しかもスタッフは素人集団ではなく、第一線で活躍している新聞記者やそのOB、フリーのライター、カメラマン、デザイナーたちで、全員、「自分の作品の発表の場」としてノーギャラ参加しているのです。テーマによっては著名な学者、評論家、エッセイストや、国立博物館の学芸員や文化財研究所の研究員などの専門家が寄稿することも。印刷・製本は地元の実業印刷さんが、やはり儲けナシで担当しています。社長の沢井啓祐さんは「うちも印刷技術のPRになるから」と謙遜していますが、「奈良で商売させてもろてるモンの使命や」という心意気を持っている方。雑誌は奈良県内の主要書店はじめ、東京、京都、奈良、大宰府の国立博物館ミュージアムショップで販売しています。

奈良という観光文化都市だからこそ成り立つ事業なのかもしれませんが、情報誌といえば広告のパッチワークのごときフリーペーパーが全盛の昨今、作り手の意志だけでこれだけクオリティの高い雑誌が作れること自体、ある意味、奇跡であり、理想かもしれません。

  

  

  私は数年前からこの雑誌のファンで、定期購読をしており、一昨年、ボランティアスタッフ募集の記事を見て立候補し、時々記事をかかせてもらうようになりました。

 昨年、東大寺二月堂のお水取りに関する記事を担当させてもらったのを機に、お水取りという行事を初めてじっくり見学し、今年は34日に、奈良国立博物館の市民サポート団体『結(ゆい)の会』が、同博物館の西山厚教育部長と、東大寺219世別当上野道善管主のお話をうかがってお松明入場を見学するというアカデミックな講座を企画したことから、昨年取材でお世話になった西山先生にもう一度教えを乞いたいとの一念で、参加することにしました。

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 奈良へはいつも、経費節約のため、新幹線往復代の半額で済む夜行の高速バスを利用しています。今回も、3日夜22時静岡駅発の夜行バスに乗って、京都に着いたのは4日朝5時。いつもなら近鉄の始発に乗って奈良まで行き、730分に開門となる東大寺の、中でも私が一番好きな法華堂(三月堂)までゆっくり早朝散歩を楽しみますが、結の会は午後から。午前中、たっぷり時間があるので、今回は室生寺あたりまで足を伸ばそうと、近鉄のホームに向かったところ、JRの時刻掲示板に、米原行きの電車があるのを見つけ、米原の先の、高月の渡岸寺(写真)十一面観音のことが思い出され、フラフラッとJRの切符を買ってしまいました。

  

  米原で敦賀行きの北陸線に乗り換え、高月で下車するつもりが、時計を見るとまだ7時10分過ぎ。1年前の『朝鮮通信使』のシナリオハンティング&撮影で、高月の駅周辺には何もないことを知っていましたから、今、降りても寺の開門9時まで時間のつぶしようがないと思い、結局、敦賀まで乗ってしまいました。

  

  敦賀に着いたのは8時前。外は晴れているものの、雪が残り、静岡から来た人間にしてみたら、季節が完全に逆戻りしたような寒さです。港町らしく朝飯が食べられる食堂はないかと海の方角へ歩き出しましたが、街中はシーンと静まり返り、コンビニもなし。30分歩いても港らしいエリアにたどり着かず、タクシーをつかまえたくても、いっこうに見かけません。高月方面へ戻る電車は95分。これを逃したら高月に停まる電車はしばらくありません。・・・やっぱり思いつきで行動するもんじゃないと後悔し始めたところ、『越前ガニ卸・販売』の看板が。その方角へ行くと、魚の業者さんらしい人たちがカニを詰めたスチロール箱を積んだり運んだりしています。近くに朝飯を食べられる店はないか聞いたところ、すぐ隣りの看板のないスナックを紹介してくれました。

  

  スナックにいたママさんは、派手なカーディガンを着て、この時間なのに完璧な夜メーク。ところがおもむろにカレイとイカを取り出してササっと包丁を入れ、自家製と思われるだし汁を鍋にかけて、イカは軽~く、カレイはやや強火で煮込み、炊きたてのご飯、味噌汁、ポテトサラダを用意してくれました。その手際のよさと、薄味で上品に煮込んだイカとカレイのやわらかいこと!さすが魚の卸問屋のお隣りさんだけのことはある、と感激しました。こういう店、グルメガイドを頼っていたら出会わなかったでしょうね(・・・ふだんグルメ情報を書くライターがこんなこと言っちゃまずいでしょうが)。

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 店でタクシーを呼んでもらい、ギリギリ電車に飛び乗り、途中、真っ白な田んぼの中にぽつんと立つ余呉駅の絵になる姿と、白銀の向こうに広がる余呉湖の美しさに思わずカメラを向け、940分頃、高月に到着。歩いて渡月寺へ向かい、1年ぶりに十一面観音の前に座りました。堂内には団体客がいて、静かに手を合わせる雰囲気ではありませんでしたが、それでもお姿が目に入ってきたときには、自然に目頭が熱くなりました。

  初めての脚本執筆へのプレッシャーや、初対面の山本起也監督とうまくやっていけるかどうかの不安から、「とにかく助けてください」とすがるようにお祈りした1年前は、どことなく厳しいお顔に見えたのですが、今日は、柔和なお顔で「お帰り」とおっしゃってくれているように見えます。仏の顔は、観る者の心を現すといいますが、改めてそのことを実感しました。

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  この観音さまは、日本に7体だけある国宝の十一面観音の一つで、寺伝では、天然痘が大流行し多くの死者が出た天平8年(736)、越前出身の泰澄大師が聖武天皇に呼ばれて奈良へ上る途中、この地で作られたものだそうです。密教的な容貌から推察すると平安期の作ではないかともいわれますが、1200年間、病い除けの霊験あらたかな観音さまとして信仰され続け、織田信長の浅井攻めで寺が焼かれたときは、村の人々が土の中に埋めて難を免れたとか。先人に、そうまでしてお守りしなければ、と思わせたお姿は、現代の美意識にも通じて余りある美しさです。

 「先日も、団体で観に来た大学生が、最初は騒いでいたのに、しばらくすると静まり返り、大人しくなった。じっと見つめて自然に手を合わせる子もいたんですよ」と寺のボランティアさん。私も、大学生のときに初めてお目文字した日のことを思い出しました。

 

 『朝鮮通信使』でお世話になった高月町立観音の里歴史民俗資料館の佐々木さんにご挨拶をしようと、寺に隣接する資料館を訪ねたら、あいにく休館日。・・・やっぱりちゃんと下調べをして来るべきだった、と舌打ちしました。それでも、京都へ戻る電車の中、敦賀のスナックの朝定食、余呉湖の雪景色、そして観音さまの1200年朽ちることのない美しさに再会できたこの半日は、悪くない過ごし方だったな、とニンマリしたのでした。

 

コメント (1)
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