うたことば歳時記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

オランダ国旗

2016-12-20 13:07:17 | 歴史
オランダ国旗   世界最初のトリコロール(三色旗)

 三色によって三等分構成される国旗は、フランス・イタリア・オランダ・ロシアなどがよく知られていますが、他にもたくさんあります。このような旗を一般にフランス語で「トリコロール」(tricolore)といい、オランダでもフランスでもイタリアでも、それぞれの国語で「三色旗」といえば、みなそれぞれの国旗を表します。中でも世界最初の三色旗となったのはオランダの国旗で、世界各国の国旗の意匠に大きな影響を与えました。

 オランダ国旗は上から水平に赤・白・青の三色に分割されています。赤は勇気を、白は信仰心を、青は祖国への忠誠心を表わすものとされています。

 この三色旗には、オランダ独立の歴史が隠されています。現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルクの3か国にあたる地域はもともと「ネーデルラント」と呼ばれ、15世紀にはハプスブルク家の領土となっていました。その後、ハプスブルク家は婚姻政策によりスペイン国王も兼務するのですが、侵略戦争ではなく、婚姻政策により領土を拡大するのは、ハプスブルク家の御家芸でした。その結果、ネーデルラントはスペインの支配下に置かれることになりました。

 スペイン支配下においてネーデルラントの総督に任命されたのが、もともとは南フランスのオランジュ地方の領主であったオラニエ・ナッサウ家のオラニエ公ウィレム(英語読みではウィリアム)でした。オランダ語の「オラニエ」「Oranje」は、英語では「オレンジ」「Orange」となります。彼はスペインの圧政に抵抗する市民と共にスペインに対して独立戦争を起こし、1581年にはスペイン王フェリペ2世の統治権を否定しました。これは事実上ネーデルラント連邦共和国の独立を宣言したことになります。そしてこの頃から、北部の有力州であったホラント州によって、外国からは「オランダ」と呼ばれるようになりました

 彼は1584年にカトリック教徒によって暗殺されますが、ネーデルラントの人々はウィレムの子孫を後継者として独立戦争を戦い抜き、1648年のウエストファリア条約によってスペインからの独立が国際的にも承認されました。そしてこの独立戦争の頃から、オラニエ家を象徴するオレンジ色が、広く国民のシンボルカラーとして使われるようになったのです。

 オラニエ公ウィレムの後継者は、ネーデルラント連邦共和国各州の議会によって代々総督職世襲を認められ、事実上君主のような存在となっていました。フランス革命やナポレオンの時代には、一時的に総督が追放されたこともあったのですが、1815年のウィーン会議によってオランダ王国(ネーデルラント連合王国)が成立すると、かつての総督の子孫は立憲君主国の国王として迎えられ、現在のオランダ国王家に至ることになるのです。

 三色旗はオレンジ公ウィレム1世の頃から使われていましたが、初めは赤ではなく、オラニエ家のシンボルカラーであるオレンジ色と、白と青でした。オレンジ色は、もちろんオラニエがオランダ語でオレンジを意味することに因っています。ただオレンジ色は褪色しやすく、海上での識別に適していないなどの問題点があり、赤に近い色も併用されていました。江戸時代の出島を描いた図画たくさん残されていますが、赤色のものが多いようです。そして1937年、ヴィルヘルミナ女王の勅令によって、赤・白・青の現在の国旗が制定されたのでした。

 しかし長年にわたりオレンジ色がナショナル・カラーであったことから、オランダのサッカーチームのユニフォームがオレンジ色であることからもわかるように、オランダではオレンジ色は現在でも特別な色として理解されています。

 オレンジ色を用いたかつてのオランダ国旗の意匠は、世界各地の旗に影響を及ぼしていて、アイルランドの国旗はそのよい例です。アイルランド国旗は縦に三分割され、棹に近い方から緑・白・オレンジ色に配色されています。緑色はアイルランドの伝統やケルト人・カトリックを象徴しています。オレンジ色は、名誉革命でイングランド王となったオレンジ公ウィリアム3世(オラニエ公ウィレム3世)が、亡命先のフランスからアイルランドに渡ったジェームズ2世を破ったことによって定着したプロテスタントを象徴しています。そして中央の白は、両者の融和と協調を象徴しているのです。

 ただこの配色と構成は、イタリア国旗と大変によく似ているため、トラブルになったことがありました。イタリア国旗は縦に三分割され、緑・白・赤の三色旗となっています。平成28年の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)に先立ち、広島市で開催される外相会合のPR用ポスターとチラシのイタリア国旗が、本来は赤のはずの部分がオレンジ色に近かったため、アイルランド国旗と紛らわしくなってしまったのです。一般に日本人は国旗というものに神経質ではありませんが、これは外交問題に発展しかねません。広島市はあわててポスターとチラシを刷り直したということです。

 オランダ国旗はニューヨーク市旗にもその痕跡を残しています。そもそもニューヨークを含むハドソン川一帯は、オランダ東印度会社によって開発が進められ、ニューアムステルダムと命名されていました。アムステルダムはもちろんオランダの首都のことです。しかし第二次英蘭戦争(1666~67)の結果、ニューアムステルダムはイングランドに割譲され、イギリス国王チャールズ2世はこれを弟のヨーク公(後のジェームズ2世)に与えたたため、ニューヨークと改称されたのでした。現在のニューヨーク市旗は、青・白・オレンジ色に縦に三分割され、中央の白い部分に市章がデザインされたものです。

ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 仏様の手話 | トップ | 「ダビデの星」の誤解 »

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。