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ランボー 最後の戦場◆ミャンマー軍事政権に放つスタローンの一矢

2008-05-27 20:29:52 | <ラ行>
  

  「ランボー 最後の戦場」 (2008年・アメリカ)

還暦を過ぎてなお意気盛んなシルベスター・スタローン。シリーズ4作目にして監督・脚本・主演の3役をこなした彼の情熱が、90分という短くも潔い尺の全編にみなぎっている。あっけないくらいシンプルなストーリーと限界まで削り取られたせりふ、そしてその寡黙さを補うように投じられた過激なアクションシーンは、(R指定の凄惨な描写と相まって)野蛮な暴力映画の要素を多分に含んでいるようにみえる。けれども私はこの映画を、勧善懲悪のアクション映画や暴力礼賛の娯楽作品として一蹴する気にはなれない。それは「ランボー」という人物像が発散するストイシズムのせいなのか、戦闘シーンに時おり挟まれる暗示的メッセージのせいなのかわからないが、少なくとも本作の描写の凄惨さのみを挙げて否定的な意見を吐くことはあえて避けたいと思っている。

パンフレットの中で、かつてミャンマー・カレン民族解放軍で戦った元傭兵の高部正樹氏は、この作品の戦闘シーンについて次のように語っている――「これが映画にもかかわらず、私はジャングルに漂っていたミャンマーの戦場独特の空気に包まれてしまった。そして確かに、あの日、あの時、あの戦場を支配していた『臭い』が、スクリーンから漂ってきたのをはっきりと感じたのだ」。現地を知る高部氏が本物の「臭い」を感じとったように、ミャンマー軍によるカレン族襲撃のシーンは、戦場を知らない多くの観客にも恐ろしいリアリティをもって迫ってくる。それは映画の冒頭に挿入された村人虐殺のニュース映像そのものだ。この作品が追求している映像的リアリズムは、軍事政権下のミャンマーの現実を活写している点に私たちは思いを馳せる必要があると思う。作品の舞台は、ノーベル平和賞受賞者で民主化運動の指導者アウンサン・スーチー氏が12年近く軟禁されている国であり、カレン族をはじめとする少数民族がミャンマー政府の弾圧を受け、いまも内戦ともいうべき状況が続いている国なのである。また昨年9月、反政府デモを取材中の日本人ジャーナリスト長井健司さんが、治安部隊の銃弾を受けて命を落としたことも、ミャンマーの国情を知る上でひとつの手がかりとなるはずだ。こうした背景を念頭に置けば、スタローン監督がこだわった「戦場のリアリズム」に対して多少とも理解が及ぶのではないだろうか。

戦闘マシンの悲哀

ジョン・ランボーはシリーズ1作目からもどかしいくらい寡黙だが、この寡黙な男の言葉は戦場シーンでこそいっそうの重みを帯びるように感じられる。宣伝で何度も耳にする例のコピー「Live for nothing, or die for something.」は、アメリカの支援団体のメンバーを救出に向かった傭兵のひとりが、ミャンマー軍の蛮行を前に撤退を提案したときにランボーが放つ言葉だ。「こんな場所にいたいやつがいるものか。だが、おれたちのような男の仕事はここにある。無駄に生きるか、何かのために死ぬか、お前が決めろ」。元グリーンベレーの精鋭でベトナム戦争の英雄でありながら、帰還兵としての苦渋を味わい尽くした男は、20年に及ぶ魂の放浪の末に自身の本質に目覚めるのだ。それはトラウトマン大佐が予見していた「戦うマシン」としての本質であり、この瞬間を境に吹っ切れたように突き進むランボーの姿に、私たちは痛々しい戦士の悲哀を重ねざるをえない。

民主化運動を進める上であくまでも非暴力を貫こうとするスーチー氏のような指導者がいる一方、限定的にではあっても暴力を肯定せざるを得ない現実があることを映画は物語る。支援団体を乗せた船が海賊に襲われたとき、賊を皆殺しにしたランボーを非難したキリスト者であるメンバーは、終盤のすさまじい戦闘シーンで敵兵を石で殴り殺す。非暴力では生き延びることすらむずかしい状況の中で、人はどこまで理想を貫くことができるのだろう。けっして答えにはなり得ないが、カレン族の村に医療物資を届けたいと訴え続けた支援団体のメンバー、サラ(ジュリー・ベイツ)の中に、不屈の善意ともいうべき美点を見出すことができるかもしれない。もちろん、理想を貫いた彼女に突きつけられた代価は、善意であがなえる度をはるかに越えていたけれども・・・・・・。  

         (記事中の国名「ミャンマー」の表記は、日本の報道機関のそれに従いました)


満足度:★★★★★★★★☆☆




<作品情報>
   監督・脚本:シルベスター・スタローン
   出演:シルベスター・スタローン/ジュリー・ベンツ/ポール・シュルツ
       マシュー・マーズデン/グレアム・マクダビッシュ/ケン・ハワード

         

<参考URL>
   ■映画公式サイト 「ランボー 最後の戦場」    




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4 コメント

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どうもこすもさんこんばんは⌒ー⌒ノ (黒猫館)
2008-05-29 01:57:37
どうもこすもさんこんばんは。⌒ー⌒ノ

「ランボー」評非常に興味深く読ませていただきました。

「ランボー」シリーズは第一作目は好評?らしいのですがシリーズが進むにつれて「荒唐無稽」と決め付けるヒトが多いらしいのです。しかしそういう世間の風潮に反して「ランボー」を真面目に論じようとするこすもさんの姿勢にまずわたし的に感服させられました。

■私はこの映画を、勧善懲悪のアクション映画や暴力礼賛の娯楽作品として一蹴する気にはなれない。■

その点はわたしも同感です。第二作ではベトナム、第三作ではアフガン、と「ランボー」シリーズは必ず現実とリンクしています。この点にスタローンなりの映画作りにかける「真剣さ」を感じてしまいます。

■限定的にではあっても暴力を肯定せざるを得ない現実があることを映画は物語る。■

わたし的には「ランボー」は暴力礼賛の映画ではないと思います。「我慢に我慢を重ねたランボーが、最後に止むに止まれず暴力を振るう」のが「ランボー」のテーマだと思います。

もちろんそのテーマは人間は永遠に暴力から解放されないというぺシミスティックな結論にたどり着いてしまい、なんともやりきれないのですが、、、

それではまた~♪
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くろねこさん、こんにちは~ (masktopia)
2008-05-30 14:20:02
コメントをどうもありがとうございます♪

「ランボー」はシリーズ第一作目が傑作でしたね^^
帰還兵の悲哀がやるせなくて、何度も鑑賞してしまいました。
第二作と第三作はそれぞれ一度ずつしかみたことがなく
内容的にはドンパチやってるなぁという印象が残ったくらいでした。
第四作目の今回はラストの帰郷シーンに象徴されるように
長い放浪の人生を送ったランボーが第一作目へと回帰する話として
とても意味深い作品になっていると思います。
これで戦いを完結させるんだというスタローンの強い思いを感じました。

「ランボー」シリーズの魅力はくろねこさんのおっしゃるように
ぎりぎりまで「我慢を重ね」た男が「止むに止まれず」反撃する、
その抑制と解放のコントラストにあると私も思います。
もちろん限定的ではあれ、暴力を肯定してしまうことをどうとらえればいいのか
最後まで迷う部分ではあるのですけど・・・・・・
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はじめまして (hash)
2008-06-08 00:41:57
こんばんは。
ブログへのご訪問&コメントありがとうございました。
他の記事も拝見させて頂きましたが、豊富な知識に裏付けられた奥の深いレビューばかりで感動しています。
今後の記事も楽しみにさせて頂きます。
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hashさん、こんばんは (masktopia)
2008-06-08 22:48:56
こちらこそご訪問とTBをありがとうございました。
過分なお褒めにあずかりまして恐縮です。
的外れを承知?で書いているふしもあるので
外れ過ぎましたらご指摘いただけるとうれしいです。
今後ともよろしくお願いします。
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