MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

天使が歌う幻想

2011-08-27 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

08/27 私の音楽仲間 (302) ~ 私の室内楽仲間たち (275)



        「夢」 三態 ~ 天使が歌う幻想



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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 シューマンの作品の中で、もっとも有名な曲と言っても
いいのが、『トロイメライ』。 元々ピアノのための独奏曲
ですが、幾多の編曲でも親しまれています。

 原曲は子供の情景 (1838年) という、13の小曲集に
あり、ちょうど真ん中の、第7番目に置かれています。




 『トロイメライ』 と似た単語に、"Traum" がありますね。
意味は ""。 英語の "dream" です。

 ところが "Träumerei" (トロイメライ) の方は、同じ "夢"
でも、睡眠中に見る、単純な夢ではありません。



 ベルリオズに『幻想交響曲』という作品がありますが、
その第Ⅰ楽章の副題は、『、情熱』と訳されています。
原語では "Rêveries, Passions" となっているのですが、
"トロイメライ" は、この "rêverie"に当ります。

こちらの意味は "夢" と言うより、むしろ "空想、夢想
"幻想" と言ってもいいほどです。



 ちなみに幻想交響曲 (Symphonie fantastique) の方は、
これに先立って1830年に作曲、初演されています。

 シューマンがこの曲にどの程度精通し、また問題視
していたのかは、まったく調べていませんが。
 




 この『子供の情景』ですが、"トロイメライ" 以外の曲
の題名には、"見知らぬ国々と人々"、"珍しいお話"、
"鬼ごっこ"、"炉端で"、"子供は眠る"…などの字句
が見られます。

 見るからに平和な "家庭の情景" を思わせますね。



 では彼が、すでに愛妻クララと、めでたくゴールイン
していたのかと言うと、そうではありません。 むしろ、
深刻な苦闘の真っ最中。 相手はピアノの恩師、また
クララの父でもある、フリートリヒ・ヴィークでした。




 1830年、ライプツィヒにヴィークを訪ねて入門した20歳の
シューマンは、最初の1年間はヴィーク家に下宿していた
ほど。 天才少女クララは9歳年下でしたが、やがて共同
の音楽会を開いてもらったり、作曲作品や自作のテーマを
交わしたりするようになります。

 紆余曲折のあった後、二人が婚約したのが、1837年8月。
シューマンは27歳になり、クララは間もなく18歳を迎えようと
していました。



 ところが、クララの母を通じて結婚の許可を願い出たところ、
父親が猛反対。 若い二人は、止むなく結婚を求めて提訴
します。 1839年4月のことでした。



 この『子供の情景』が作曲されたのは1838年、出版は翌年
のことでしたから、ちょうどこのゴタゴタの時期に当ります。

 婚姻が法的に認められたのは、1840年も8月になってから。
9月にはめでたく結婚式を挙げます。

 しかし参列者は二人だけ。 うち一人はバルギール夫人
で、クララの実母でした。 ヴィーク氏は、一度離婚していた
のです。 この頃クララが身を寄せていたのも、ベルリンに
住む、この実母の下でした。




 二人の間に長女マリエが誕生したのが、翌年の9月。 以来
4男4女に恵まれましたが、第4子として生まれた長男エミール
は、1歳2ヶ月で亡くなっています。

 クララは妊娠、出産、子育てと、ひっきりなしに続く中で、自分
の演奏活動を行っていました。




 シューマン自身も、多忙な作曲、執筆、演奏活動、交友
関係がしばらく続きますが、やがて悲劇が訪れます。

 1854年の2月下旬、梅毒性の精神障害で幻覚や幻聴
を起し、「天使が歌っている…」などと口走り始めます。
そして自ら「精神病院へ入院する」と宣言し、夕食後に
突然支度を始めたかと思うと、翌日にはライン河へ投身
自殺を図ります。



 一命は取り留めたものの、翌3月に、精神病院へ向かって
旅立って以来、デュッセルドルフの自宅に再び戻ることはあり
ませんでした。

 クララはこのときも妊娠中で、留守宅を守り続けていました。



 シューマンは、病院でも作曲活動を続けていたほどですが、
2年後の7月には、「衰弱、危篤」の連絡がクララに届きます。

 ほぼ2年ぶりに再会したのも束の間、翌々日の7月29日に、
彼は46歳で亡くなりました。 ボンでの葬儀には、ブラームス、
ヨアヒムも参列したと言われます。




 ところで、ドイツ語の "Traum" と似た言葉に、"トラウマ"
がありますね。

 このギリシャ語の "trauma"、本来は "外傷、損傷" の
意味で、語源的な関連は無いようです。



 これを自著、『精神分析入門』で使ったのがフロイトでした。

 「物理的な外傷同様、過去の強い心理的な傷が、その後も
精神的後遺症をもたらす」として、"精神的外傷" の意味で、
1917年に用いました。

 以来、ドイツ語の "Trauma" としてはもちろんのこと、英語
などでも "trauma" として、定着してしまいました。

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 「じゃ、トラウム (夢) の研究は? フロイトさん…。」

 そう思うと、ちゃんとやっていました。 "Die Traumdeutung"
(判断、1900年)
なる著書もあります。



 夢の心理学的な研究は、他でもすでに行われていました
が、まだ初歩的な段階。 「深層心理の顕われである」と
いう考えは、当時の先端を行くものでした。




 そこまでやったのなら、ついでに、"トロイメライ (空想、
夢想、夢見心地)
" の研究もしてくれたらよかったのに。



 それに、もう50年早く生まれて、シューマンを治療して
くれたら、もっとよかったのに。

 これは無理ですね…。




 この "トロイメライ" という言葉ですが、"Träumerei" の
"Träumer" (トロイマー) は、"夢を見る人" です。

 では、後ろの "ei" は?



 よく似た例に、"Kind" (子供) + "erei" があります。 全体
では "子供っぽい振舞い" という意味になり、どこか蔑んだ、
否定的な行為を表わす "-erei" です。

 ところが、Träumer + erei = Träumererei …ではくどいの
で、真ん中の "re" が落ちたのではないでしょうか。

 ちなみに英語では "childish" の "子供じみた" が、これ
に当るでしょう。 "Childlike" なら、こちらは "子供らしい"
です。



 あるいは、単独ではあまり用いられない動詞、"träumen"
の語幹に、繰り返される行為を表す "-erei" が付いた…
と考えることも出来ます。 意味合いは、やはり否定的で、
"空想、夢想、幻想に耽る" 性癖を指します。



 いずれにせよ、全体の響きは "たかが夢"、"現実離れ"。
作曲者は、「どうせ価値の無い夢気分に過ぎないがね」…
というニュアンスを、敢えて込めたことになります。




         [『子供の情景』 音源サイト]

         [『トロイメライ』 音源サイト]



       [『トロイメライ』 曲の後半の演奏例]

          Viola が私、ピアノは O.さんです。



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