MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

絶望感の表現

2010-11-23 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/23 私の音楽仲間 (238) ~ 私の室内楽仲間たち (212)

             絶望感の表現




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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                 三連符の見え隠れ
                移ろいの背後の混沌
                 苦悶の果ての長調
                   揺れ動く転調
                   切ない半音階
               叫ぶ乙女、棒読みの骸骨
              死神だけが生まれ変わる?
                 束の間の小春日和
                   死神と踊る?
                  絶望感の表現
                   死神の訓示
                 彼方なるタランテラ
                  切実になった死
                  乙女の苦しみ




 『ハイリゲンシュタットの遺書』というのがあります。 あの
Beethoven が 32歳を前にハイリゲンシュタットで書いていた
とされるもので、発見されたのは死の翌日になってからです。



 彼は30歳前から、すでに聴力の衰えを感じており、ここで
もそれを中心とした絶望感が記されています。 しかしまた、
「死を思いとどまらせたのは、芸術への自分の責務である」
とも書かれています。 結果的には自殺することなく、56歳
まで生きたわけです。

 1802年10月の6日、10日に書かれた二通の遺書は、実弟
たちに宛てられたり、宛先が不明だったりしています。 届け
られることは結局なかったわけですが、憶測は尽きません。




 「なぜ書いたのか?」 また、「なぜ届けようとしなかったのか?」
理由としては、「書いた時点では死を決意していたが、創作活動が
自殺を思いとどまらせた」という説が一般的です。

 実際にも、この時期の後には『英雄交響曲』を始めとする名作が
生まれており、以後の作品がもし無かったら、彼の名声が果して
今日まで残っていたかどうか。



 しかし、「遺書を書いているうちに、死ぬ気が無くなった」、また
「書き終わってから自己の弱さに気付き、公表したくなくなった」、
さらには、「最初から空想的、狂言的で、自己演出の "創作" に
過ぎなかった」という推測さえ、可能なように思われます。

 真相のほどは分りませんが…。




 32歳と言えば、Schubert が亡くなったのが32歳になる直前
のこと。 こちらは、21歳頃から体の不調を感じ、死、死神、
死の世界、死のイメージの色濃い作品を数多く残しています。

 彼が歌曲『死と乙女』 (Der Tod und das Mädchen、D531,
Op.7-3) を下地にして 弦楽四重奏曲『死と乙女』を書いた
ことは、これまでにも触れてきました。



 "死の甘い安息" を描いた、全曲の中心とも言える第楽章。
儚い希望と魂の飛翔を思わせる、第楽章のトリオ。 死神
との、めくるめく踊りの第楽章。 "死" のイメージはここでも
健在です。

 第楽章は絶望感で終わります。 これ以上ないほどの。




 では、この "Schubert の表現した絶望感" は、本物なので
しょうか?

 先ほどの『ハイリゲンシュタットの遺書』を記した Beethoven
の心境のように、憶測が介在する余地はないのでしょうか?
Schubert の "絶望感" には。



 この第Ⅰ楽章の終わりの部分は、彼が味わっていた絶望感
そのもののように思われます。 余りにも単刀直入な "生の形"
なので、「出来過ぎている」と言えなくもありませんが。

 しかしその表現は、Beethoven と比べても、はるかに直截的。
彼の作品には、この部分とは逆に、「"静寂" によって "死の
雰囲気" を漂わす」名作が多いことからも、逆に明らかなの
ではないでしょうか。

 空想や狂言ではなく。 「創作活動と生まれた作品とが、
作曲家に力を与える」側面は確かにあるとしても。




 そう思いながらこの第Ⅰ楽章を聴くと、その表現は如何に
見事なことでしょうか。 27歳の Schubert による。




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    第Ⅰ楽章終わりの部分の演奏例