おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

TV業界にもの申す!!

2012年09月01日 07時23分14秒 | 日記
ロンドンオリンピックの日本の活躍に興奮した。

まだその余韻は消えない。

いつもながら国際的なスポーツでの日本人の活躍がわが民族の何千年にもわたって連綿と伝えてきた「血」と国民文化というものを喚起させる。文部科学大臣が、あるいは総理大臣や外務大臣がシャカリキになっても無理なことが、北島の泳ぎ、入江の「僕は27人(水泳代表全員)のことを思いながら泳いで掴んだメダル」、愛ちゃんや室伏、女子バレーの活躍は皆繋がっているんだということを想起させた。

あれからまだひと月も経っていない。そして、今一度日本人としてTVの前で国旗を振って応援できるぞと期待していた「パラリンピック」が静かに、いや知らないところで始まった

実際には国旗の小旗も持っていないのだが、気持ちは応援団長が自分の背丈以上もある校旗と同じくらいの国旗を振って応援してた。日本人みな一緒の気持ちだったと思う。

開会式も閉会式も生で観た。競技もこれまでの人生ではもっとも多くの時間をオリンピック放送観戦にあてた。

その期待をパラリンピックにもー

ところがどうだ!いつ開会したかも知らなかった。実況中継はあった?なかったよな

教育で掻い摘んだ録画の番組があったようだが、見なかった。

今競技が続いている。200名の日本人選手が4年間の練習の集大成として日本代表として行けなかった選手の思いを背中に背負って競技に出ている。

先のオリンピックの陸上400mリレーに出場した南アフリカ代表のアンカーは両足が義足で走った。素晴らしいことだと思う。
しかし、客観的にみて余り注目はされなかったように思う。画面からも最後まで外れていた(先頭のボルトからは遠く離れていたからかもしれないが・・・)。なぜ彼はパラリンピックではなくて、オリンピックに出ようとしたのかー

そこに大きな厚い壁を感じるのだ。パラリンピックでは優勝したとしても注目度からすると低い、やっぱり多くの観衆の前で障害に負けず頑張っている姿を見てもらいたいーそう思ったのではないか。

ここに意味があると思うのだ。パラリンピックはいろんな障害を持っている選手が画面に出てくる。だからマスコミはその動画、静止画像を映すのを躊躇っているのではないかー

ここを越えなければ同じ人間同士、仲良く共生していくということは難しいのでは。彼らと共に生きる。日常性の中で、同じ人間、障害という言う一つの個性を持った日本の血をもった仲間として見ることができないのではないか。その頑張っている姿を見たいし、心底から応援したい。マスコミもメダルを取った選手を彼方此方の局が追い掛け回しているように、パラリンピックで活躍した選手をTVに引っ張り出したらいいのにー

はじめ若干その違う容姿に驚くかもしれないが、当たり前のこととしてその人のオリジナリティーの大切で重要なひとつとして認知してゆくべきだと思うのだ。
マスコミの「自主規制」、「放送倫理コード?」もう一度見直すべきではないのか

頑張れニッポン


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