まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

毎日五輪の入場式をやればいい!

2012-07-28 | 発言
「尖閣は日本の島、中国が狙って、そのままにしておけばアメリカは太平洋を無くすことになる」、こんな意見広告をアメリカに東京都が出すという。なかなかなあ。一方でロンドン五輪が始まった。各国の入場式を観ていると、世界はひとつ、そういう気持ちになってくる。ホント、世界はひとつでいいではないか。宗教戦争も、隣近所との領地戦争もない、世界がお互い助け合っていけばいい。毎日五輪の開催式をやれば、だんだん人類は優しくなれるかもね。

草花、たくさん咲いてくれて、ありがとう!

2012-07-26 | 随筆
今年は小さな庭で好きな花がたくさん咲いてくれました。春の菜の花、ヤマブキに始まり、ショウブ、アイリス、黄ショウブと続き、タチアオイ、ゆりの黄色コンカドール、やまゆり、カサブランカと咲いてくれました。ゆりは、6月の台風でみんな折れて、なんとか補強しました。そしたら花は少し小さめですが咲いてくれました。やまゆりは、5年も前に植えた奴が、今年は突然花を咲かせてくれましたし、カサブランカも久しぶりに咲かせ、驚かせてくれました。今はアサガオ、ユウガオが葉をいっぱいに茂らせています。西洋アサガオは日中も咲き続け、12月まで咲くので楽しみです。ぼくは、どんな草花でもできるだけ種を採ります。そんで丁寧に蒔くかというと、これはもういいかげんで、咲く奴は咲けと実にアトランダムに蒔くだけです。種は寝かせることはせず、いいかげんな蒔き方でも、生きるチャンスだけはどの種にも与えるというのが、ワタクシの主義です(笑い)。ところがベランダのプランターでやっているサラダ菜は、種から蒔いていっぱい苗が出てきたのですが、いつしか、同時に出てきた幼虫に葉を食われて、ほぼ全滅状態。どこに虫がいるのか分からなく、緑色の丸いウンコだけがついている。虫にもチャンスをやった覚えはないんだけど・・。

ついに朝日新聞の購読を東京新聞に切り替えた!

2012-07-23 | 発言
フランスの権威ある新聞ルモンド紙は、日本で毎週金曜日に行われる原発反対の官邸を取り巻く15万人デモを「日本のマスコミはおかしい。このデモをNHKはまったく無視し、大手新聞も小さな記事にとどめている」と痛烈に批判している。フランスに言われるまでもなく、本当に日本のマスコミはおかしくなっている。ところで、「赤い、赤い、朝日は赤い」、一昔前、朝日新聞はそう右翼から揶揄され、右翼から襲撃事件も起こされた。ある意味、少し左翼がかった論評の多い新聞だったからだ。それは権力に対してそれなりのジャーナリストとしての反骨精神があったように思われた。ところがこの五、六年の朝日新聞の社説などは、政府・財界・官僚・検察べったりの、読むに堪えない記事ばかりだ。世論を既得権益者に有利に誘導操作する、まるで官報のような記事に終始している。ジャーナリストのカケラもないようだ。だからこの頃は「今日はどんなベッタリな視点で社説を書いてるかな」という見方で朝日新聞を読んでいる。そうすると一昨日は検察トップの交代を取りあげ「新検事総長、後戻りさせぬ覚悟を」とまたもや、検察を持ち上げ、エールを送っている。笠間治雄前検事総長は証拠改ざん事件などの責任をとって辞職した大林宏氏を引き継ぎ総長になり「検察改革の旗を改めて高く掲げた」というのだ。バカ言え!東京地検の検事がウソの捜査報告書を書き、冤罪を生んだくせに、関係者すべてを不起訴にし、改革するどころか問題をうやむやにしたではないか。それを朝日は「検察改革の旗を高く掲げた」とトンチンカンに絶賛し、小津博司新総長にも受け継いでほしいという。なにをかいわんやである。冤罪を生んだ、それも日本の総理になれる人材だった小沢一郎を、検察からのリークのでっち上げ情報を朝日新聞は三年間も垂れ流し、「小沢=悪」と世論操作を行い、無罪になって検察のでっち上げが判っても、朝日新聞は反省もせず、しゃあしゃあと検察擁護に努めている。小沢一郎は、記者クラブの廃止を提唱している。記者クラブがマスコミの官報報道化の元凶とみているからだ。ところが新聞社にとってこの権益を廃止するとは何事かと目の敵にしているのである。だから冤罪を生もうが魔女狩りのように小沢を叩く、自社の利益しか考えていないのである。一見庶民の味方の立場を見せながら、実は広告のもらえる財界、再販制度を維持してもらえる政府・官僚、情報のもらえる検察などに有利なように購読者庶民を世論操作しているのだ。この卑劣さは目に余る。この頃の朝日新聞も一事が万事この調子である。検察の悪口を書けば情報がもらえなくなるのが怖いのか、まったく、反骨精神も、みずからの反省もまったく見られない。そんなジャーナリストのカケラもないマスゴミを購読していることは、考えてみると、反面教師の読み方であっても支持していることになる。その点、インターネットなんかで見ると、唯一、東京新聞は地方紙でありながらもジャーナリストとして頑張っている。だから、とうとう、10月まで購読契約が残っているので、11月より東京新聞に購読を切り替えた。40年も読んでいた朝日新聞だが、ジャーナリストとしてのその裏切り行為にはもはや堪えがたいものがある。

アメリカ資本主義は「平和で自由な暮らし」を守らない!

2012-07-22 | 発言
昨日の続編。自由主義経済というものも行き着けば、一部の金持ちと奴隷になるかも知れないなあ。資本主義がこのままでいいわけがない。かと言って共産主義がいいと言っているのではない。個人の自由や言論を弾圧しての全体主義に未来はない。人間の人間らしい環境というのは「平和で自由な暮らし」にあるからだ。しかし、資本主義というのは、ほっておくと、かって気ままに増大していく。そこにどうしても規制をかけ、資本主義を修正していく「修正資本主義」が次の世を形成していく必要がある。たとえば世界のカネ余り、これらはすべて機関投資家となって、利益を求め、石油や資源の先物、為替、などをいじくりまわして、高騰させたりしている。金融に実態経済が振り回されること自体がすでにかってきままな資本主義を修正し、何らかの規制をかける必要がある。また、いくら才能があっても過度な富の集中も避けるべきである。アメリカの資本主義は人類の長い歴史を考えてみると、たかだか300年の歴史しかない。それを世界の思想にするには、どうしても修正する時期にきているのだ。アメリカンドリームといって、歌手やプロ野球選手が何百億円もの富を得、経済人の年俸も天井しらずである。一方では同じアメリカ国内で貧困にあえぐ人も多い。いくら自由といってもこれだけ格差が出ると問題である。そのアメリカンドリームと貧困をそのまま日本に持ち込んだのが小泉元首相である。大統領の前でプレスリーの真似をしてコビを売り、日本では労働派遣法を改正し、年俸200万円以下の貧困層を1000万人も生んでしまった張本人である。そして今ではさらにアメリカナイズされ、日本の経営者の年俸も天井しらずになってきた。アメリカでは、四人に一人が精神を病んで、精神科医の世話になっている。日本もいずれそうなっていくだろう。

日本の経営者は人間を「冒涜」している!

2012-07-21 | 発言
一昨日の36.5度から一転、昨日は14度も下がって22度、さむさむ、こたつを着けて足を温めました。金曜日だから昨夜、カミさんをスナックに連れて行って、パチンコに行こうと思ったけど、温度の変化で何やらまた自律神経がくるい出し、ちと気がふっ、ふっと遠のいていく。「悪いけど、調子悪いから今日はやめるわ、ちと、寝るよ」、ということで七時半に就寝、今朝少し元気になった。温度の「格差」ということで思い出したが、ここのところの人間の労働対価の格差が顕著になってきた。日産自動車のゴーン氏の年俸8億円をどこかの日本企業の社長が抜いて10億円とか、この頃日本企業の経営者の年俸が跳ね上がっている。トヨタ自動車の社長でさえ、たしか一億円だったと思うが、株主に雇われたサラリーマン経営者が10億円の年俸を取るなんて、どう見たっておかしい。その企業で使われている末端の派遣社員では年俸200万円で働かしているというのに、そんなに人間の労働というものに格差があるはずはない。賃金というのはあくまで人間の労働の対価である。一生懸命働いて、同じ一年間の給料が、方や10億円、方や200万円、いくらアメリカの自由主義を取り入れたからと言っても、こりゃあ、やりすぎである。事実、本場のアメリカでさえ、ウオール街の給料が高すぎるとデモが起こっているではないか。人間の労働対価というものに、これほど差をつけたら、将来暴動が起きるぞ。いや、日本人はおとなしいからなあ、なさけないけど、暴動は起こらない。もっともこの分野に得意な日本共産党でさえ、何も言わないものなあ。でも、社長と平派遣社員といえども、これだけ一年の労働の対価に格差をつけることは「人間」というものを冒涜していることになる。絶対許すことはできない。

別れようぜ、今夜かぎりでー!

2012-07-20 | 随筆
ぼくは自分の好きな歌だけをウオークマンに収集し、カーステで流しながら聞いている。ジルベルベコー、アズナブールのシャンソンから、若山富三郎の極道ブルース、おやじの好きだった新世界の第四楽章、パチンコ台銭形平次で大当たりすると流れるAKB48の恋のお縄など様々で、もう260曲くらいになった。ところが昔口ずさんだ歌の題名がどうも思い出せない。「別れーようぜ 今夜かぎりでー 俺とお前はわがまま過ぎたのさー 若さだけでー 恋に溺れたー 過ぎた夢はー 忘れようぜ」ってな歌だった。たしか石原裕次郎だったと、いろいろ検索したが出てこない。ついに今朝がた夢に石原裕次郎が出てきた。裕次郎や奥さんになった北原女史や、そのほか俺も含めて四、五人で車を走らせ、ふっと休憩した時に俺は裕次郎に聞いてみた。「裕さん、たぶん裕さんの歌だと思うけど」と言って、歌ってみた。そうすると裕さんは「知らねえなあ」、とここで目が覚めた。あー、裕次郎じゃないんだあ、と、すれば、黒い花びらを歌ってた、あいつ、ええっと、そう、水原弘、あいつだ。こんな暗い歌はあいつしかいねえ。と、これは確信的だったが、検索してもやっぱり出てこない。結局分からずじまいです。誰かご存じなら教えてください。歳とると昔を掘り起こすってのは大変だねー(笑い)。

学校にも警察はどんどん取り締まれ!

2012-07-19 | 発言
大津市のいじめ自殺問題が連日マスコミで報道されている。いいことだ。もっと話題にして、文科省や学校や教育委員会のあり方まで徹底的に見直す機会にすへきだ。そうしてこそ亡くなった中学生に報いることができる。うちのうちのカミさんが言う。「あのさあ、元ヤクザでも元警官でもいいからさあ、腕っぷしの強い奴を学校が雇い入れてさあ、そのおじさんに言えばイジメはなんでも解決してくれるっていうようにすればいいんじゃないの?」。世の中には悪い奴はどこにも必ずいる。悪い奴を取り締まって刑務所に入れたり、どうしようもない奴は死刑にしたりする。それは当人の更生であったり、世の中の見せしめであったりする。そうして、社会の調和が保たれている。ところが学校教育の独自性の保持ということで、学校は治外法権になっている。そのことがかえって閉鎖的な社会を構築している。簡単な話、悪い奴は警察がどんどん引っ張って、少年院送りにすればいい。警察がもっと介入できるようにするべきである。ぼくが小学生の頃、派出所に呼ばれたことがある。母親が付き添って派出所に行った。「鉛筆、鉛筆」、警官が言う。その時はまだ幼くて、まったくなぜ呼ばれたのか分からないし、「盗む」という認識すら頭の中にはなかった。「エンピツがどうしたんやろ、エンピツで誰かをつついたって言うんやろか」、警官の話を聞いていてもそれくらいしか思いうかばなかった。ところが母親が噛み砕いて話をしてくれたら「近所の商店であんたが鉛筆を盗んだと通報があったらしい」という。結局、後日、同じクラスの同姓の子の仕業だと発覚したが、この事件は印象深く残っている。その後、余談だが、その同姓の子は、おいらを体育資材置き場に数人で連れ込んで、インネンを付け始めた。子供ながらに「俺、やられるな」と思った。どうせやられるならと覚悟を決めて、震えながらその子を一発先にぶん殴った。そしたら、それ以降その子は俺にインネンを付けなくなった。話はとんで、中学生の頃、自転車で紀伊半島200Kmを野宿をしながら10日間で一周したことがある。和歌山の土手を通過する際、夏みかんがたわわになっていて、「ビタミンの栄養補給や」と二、三個、戴いたことがある。そしたら、一本道の向かいから警察のジープが走ってきて、派出所につれていかれ、和歌山署まで連行された。どうも自転車の後部座席に寝袋などの入ったリュックを縛っていたので、みかん泥棒の常習犯だと思われたらしい。印象的だったのは、「持ち物を全部だせ」という刑事だった。取調室の机の上にポケットのものを全部だしたら、「このナイフで脅し、この時計を誰かから取ったんだろう、白状しろ」と決めつけにかかった。警察なら当たり前だろうが、無垢な中学生のおいらにはこの悪意は後日まで印象深いものになった。「ちがいます。紀伊半島を一周してて、ナイフも時計も必要だから持っていました」。結局学生証明書から学校に連絡が入って、ことなきを得たが、警察というところは人にそういう見方をするんだとショックだったことは事実だ。おいらの場合、ふたつとも冤罪で、警察にはあまりいい印象を持っていない。しかし、社会とはそういうものだという勉強にはなった。大津市のいじめて自殺においやった加害者は、クラス一の秀才だったという。そいつが今度の事件で転校したが、また転校先の学校でも問題を起こしているらしい。親も加害者としての反省もなく、その加害者も何の反省もしていないという。おいらのように冤罪は心にキズを負うが、こういうヤカラはどんどん少年院に送ればいい。教員にできなければ、警察が一般社会と同じく、学校にもどんどん介入すべきである。

原発はゼロにするべし!

2012-07-18 | 発言
昨日はついに37.5度に更新! いやあ、暑いなんのって、非国民っていわれたって、エアコンばんばんかけてるよ。でも昨日の平日の暑さでも、電力消費量が関電89%、東電90%というから、計画停電しなくても大丈夫そうだねー。しかし、電力が足らないんだったら、火力発電所でも水力でもその他発電所を早く建設すればいいのに、原発を推進したいから、足らない、足らないと言うだけで、各電力会社はまったく動かないね。送電・発電の分離をやり、電力自由化を推進しないと、各電力会社は独占の上にアグラをかいているようだね。もちろん、地球温暖化のために火力発電所はマズイけれど、処理もできない廃物を出し続ける原子力発電所はもっと地球環境を悪化させてしまうよ。政府は「将来的に原発をゼロにする。使用はあくまで今後過度的なものとし、早急に代替を指導する」と鮮明に打ち出せばいいのにね。原子力ムラの利害が絡んでるからねー。日立も東芝もアメリカの原発開発会社と手を組んでいるしね、アメリカが推進と言えば日本政府もポチだから廃止できないんだろうよ。しかし、原子力ほど地球を汚すものはない。日本は津波による原子力汚染で住めなくなった地区ができたというのに、それでも経済的利害を優先するのかねー。毎週金曜日夜には東京首相官邸前に原発反対のデモが行われ、先週は15万人にもなった。野田首相は「すごい音だね」と人の叫びを「音」というのだから、何をかいわんやである。

こちらでは36.5度を記録、あちいー!

2012-07-17 | 随筆
こちらでは昨日36.5度を記録した。朝からムンムン、完全にうだってしまい、ウオーキングも中止した。ところがどうも今日のほうがもっと暑くなりそうだ、朝からさらに昨日よりもムンムンしている。朝飯前に、布団を干して、二階の掃除、鳥たちの餌やり、花や野菜の水やりなどを終えておいた。今日もパチンコ店に逃げるしかない。というのは口実で、寒くても暑くても行くのだから完全にパチンコ依存症患者である。つまり、ビヨーキなのだ。男たるもの戦いや賭け事が好きだ。「賭けるなら自分に賭けろ」、若い頃はそう言ってたくせに、もう完全にジジィになって、粋・キザなところがなくなってしまった。店に行くと、ほとんどが子育て終わったおばちゃんか、おいらのような老いぼれが多い。なじみの客がほとんどで、おいらと同じ依存症患者ばかりだ。今年は1-6月でピーク時には37万円勝ってたのに、今では残金6万円しかない。この一か月間で実に30万円以上負けたことになる。結局は全部持っていかれるハメになる。わかっていながら行くのだから完全なるビヨーキである。

いつごろから、なぜ、社会に「思いやる気持ち」がなくなったのだろうか!

2012-07-16 | 発言
いつごろから、なぜ、日本の社会に「人を思いやる気持ち」がなくなったのだろうか。もちろん何十年も昔にもそんなに愛、ひとを想う気持ち、思いやりなどの心があったとは言い切れないが、すくなくとも今よりは遥かにマシだったように思う。まず、人の心や社会に包容力や寛容性がなくなってしまった。例えば、ベンチでタバコを吸っていると、通りすがりの老人が「うまそうに、タバコを吸いやがって」と吐き捨てるように言って去っていった。その後ろ姿に「うまいよー」っと言ってやったが、多分嫌煙家のご老人だろうが、そんなことでケンカをうらなくてもいいと思う。タバコというゆるやかな自殺を求めている人もいれば、健康オタクもいる、いろんな人がいていいと思うが、社会はなにやらギスギスしている。テレビでも切れる人が多くなったと報じている。肩が擦れただけで刺したり、とにかくイライラして人を「思いやる」気持ちというものが少なくなったようだ。今、話題になっている大津市のイジメによる自殺にしても、ねっこは同じである。人に思いやる気持ちがないのが一因している。そうエラそうに言うぼくだって、俺を育ててくれた京都に住む90才の母親に、もう十年以上も顔を見せていない。めんどうを看てくれている兄によれば、もう歩くことができず、認知症も進んでいるという。ぼくは自律神経の持病があって、新幹線などに乗るとパニック障害の発作が出ることがあるので、ついつい、まあ、いいか、と逃げている。俺を育ててくれたのに、顔もみせない愚息である。まあ、エラそうなことは言えないなあ。

いよいよ暑い夏。

2012-07-15 | 随筆
いよいよ暑い夏の到来だ。こちらも連日30度を越すようになった。ぼくは自律神経の持病もちで、ちょっと暑くなるとフラフラになってしまう。だからダマシダマシ生きていくしかない。一日一回、河原をカミさんとウオーキングしているが、こう暑くなると歩くのが嫌だ。けれど歩かないとよけい身体がだるくなるし、傘をさしたり、距離を縮めたりして歩いている。夏は毎年、樹木に止まっている蝉の数をカミさんと競いながら歩いている。アブラゼミは一点、透き通った羽のミーミーゼミやヒグラシは5点として、一時間のウオーキングの暇つぶしにして蝉の発見を競い合っている。昨日初めて庭でヒグラシが鳴いた。この暑さでいよいよ蝉が孵化しだしたようだ。まだこれからだというのに、蝉には悪いが、おーい、暑い夏、早く去ってくれえー。

まったく頭にのるな、自民・公明!

2012-07-14 | 発言
野田首相は今や自民・公明の意のまま、自民党野田派と揶揄されるゆえんである。そんな状況に総選挙間近とみて、自民党が今後10年間で防災などに300兆円をぶち込むと豪語し、公明党も100兆円を投下すると発表して土建屋を喜ばしている。明らかに昔ながらの集票力・献金力目当て復活である。新幹線建設もいつの間にか復活した。借金1000兆円、国が破たんすると脅しをかけて消費税増税法案を通過させたと思ったらすぐこれだ。消費税は社会保障に使うんじゃなかったのかい。ウソつき野田に、自民・公明。もともとどこの家庭もおやじさんの給料の範囲内でやりくりするもの。歳出を削らなくて上乗せばかりしちゃあ、借金地獄に堕ちるのはあたりまえだ。特別会計と一般会計の一体化、特殊法人・天下りの廃止、バッサリ予算のスクラップ&ビルドなどなどやることがいっぱいあるだろうよ。現状に何も手をつけず、増税して、またコンクリート造りかよ、ええかげんにせんかい!

「人生が二度あれば」

2012-07-13 | 随筆
若い頃好きだった井上陽水の「人生が二度あれば」の歌が車中に流れる。「父はことし二月で64、子供たちのために働いた・・」。あれれ、この歌が好きだったのに、よく聞くとおいらも丁度64才、歌われる立場になっているんだと妙な気持ちになる。確かにおいらの父母はまじめに働いておいらを育ててくれた。「なんのために人生があるのかわからない、人生が二度あれば・・」、そういう思いになったものだ。しかし、おいらの世代はいいかげんで、もちろん子育てもしたが、それなりに自分のやりたいことをやって人生を楽しんできた思いがある。ふっと昔携わった雑誌のバックナンバーを見る。おいら、よく頑張ったなあ、一生懸命取材して、一生懸命よく書いてるじゃないか、いい仕事してきたなあ。また陽水の歌が耳に残る。「若い頃のことを思い出してる、まるで夢みるように・・」。
人は現役から退くと完全に時間が止まってしまう。「今を生きる」とよく言うけれど、今のおいらには恥ずかしながら生きてきた過去しか今はない。時間はたっぷりあるのに、絵を描くことも、それこそ何もしなくなった。それでも死ぬまで生きてるから、せいぜいウダウダとパチンコの玉を追っている日々を過ごしている。もういいか、と思っている。それなりに生きてきたし、もちろん死は怖いけど、「人生が二度あれば」という思いはない。一度で満足している。

恣意的なマスコミの誘導に騙されるな!

2012-07-12 | 発言
今朝の朝日新聞社説は「小沢新党、人気取りがにおう」と揶揄し、相も変わらず「小沢氏は政治資金を巡る刑事裁判の被告である。一審判決は無罪だったが、国会や国民に対するいっさいの説明責任から逃げ続けている。けじめをつけないまま新党の党首になることは、私たちはそもそもそのことに同意することはできない」としている。あーあ、相変わらずの恣意的な論法である。マスコミはとにかく小沢嫌いである。「消費税増税・脱原発」は人気取りとまず断罪するが、人気取りがなぜいけないのか。言っていることが正しければ人気が取れることは当然である。二つに西松事件も陸山会事件も検察のでっち上げであったことが露呈している。仕組まれた検察の罠だったのである。マスコミたるもの、そういう真実の追求を放棄し、相も変わらず自民べったりの「説明責任」を資格に挙げている。それほど説明が欲しければ、検察に行けばいい。検察には三年もかかって検察自身がでっち上げた資料がいっぱいあるではないか。マスコミ自身が調べもせずに、紋切型に「政治とカネ」「説明責任」と抽象的な言葉で国民に「小沢=悪」を定着させ続け、「私たちはそもそもそのことに同意することはできない」とあたかも国民の代表者のごとく代弁する傲慢さは許しがたい冤罪を生む犯罪行為である。マスコミはもっと真実の追求に努めることこそ責務である。また、朝ズバのみのもんたは、新党に期待するかの世論調査の数字を持ち出し、新党「国民の生活が第一」の支持するという数字は13%、81%は支持しないとしている。この数字を持ち出して「国民はよく見てるんですねー」とみのもんたは言う。この言い方も恣意的である。この世論調査は国民の中からアトランダムに選んだ者、つまり自民党員もいれば創価学会員もいる。つまるところ、仮に支持する13%が正しく国民の意思を反映した数字であったとしても、民主党支持率と変わりはないし、公明党、みんなの党、共産党よりはるかに高い数字ではないか。こういう論点のすり替えをしながらマスコミはとにかく小沢=悪をなんとか国民に定着させようとする。今のマスコミは真実の追求など一切せず、とにかく自分たちの既得権益を守るため、恣意的に反対勢力を貶めようとしている犯罪者である。

世の中「正義感」というものが無くなりました!

2012-07-11 | 発言
ちよっとこの話の前提として、もちろんダラダラ暮らしてる私も正義感が無くなりました。そんないいかげんなおいらの話です。今世間をにぎわしている大津市の中学生いじめ自殺。いじめた中学生の母親はPTA会長、父親は京大医学部卒らしいですね。一見、そんなエリート家庭に育った坊主が精神的に屈折しているわけです。殴る、蹴る、万引きを強要、自殺を強要、葬式ごっこをする、など出てくるアンケート情報にはうんざりしてしまうほどです。そのアンケートを取った市の教育委員会がこれらを見過ごしたというのだから何をかいわんや、です。昔は子供の頃、強いもの同士が覇権争いでよく喧嘩したものです。弱いものをいじめていると「そんなことするな」と誰かが必ず仲裁に入ったものです。「弱きを助け、強きを挫く」という正義感が子供ながらにもあったからです。けれど今は弱きをいじめて自己不満の解消をするような子供が増えました。そして大人の世界である教育委員会の面々だって自己保身のために、知らぬ存ぜぬを決め込んでいる、大人も正義感のカケラもありゃあしない。はたまた政治において、「増税の前にやることがある」と民主党を脱退した小沢一郎、これをまた新聞・テレビなどマスコミが寄ってたかって叩いている。マスコミは増税賛成で世論をそっちの方向に誘導している。まるで戦時中の「欲しがりません、勝までは」と同じように翼賛的である。もともと民主党に一票を投じたのは政治主導で役人天国の是正、無駄の廃絶を頼むという国民の願いにあった。ところが野田は頼みもしない消費税増税に財務省に洗脳されてまっしぐら、自民・公明と翼賛政治と相成った。これは当初の国民の願いに対する明らかな裏切りである。にも拘わらず、その裏切りをこれまたマスコミは応援して国民を洗脳する。こちらの政治やマスコミの世界も正義感がないのである。一昔前の任侠映画で高倉健がひとり殴り込みをかける男としての「正義感」はもはや往時の世界となりましたか。