まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

日本サッカーのシンボルマークは朝鮮・高句麗の国旗と同じだ!

2010-06-29 | 発言
日本vsパラグアイ戦、延長までいって、惜しくもPK戦で敗れてしまった。善戦に拍手を送りたい。ところが、日本サッカーのシンボルマーク(上記写真)の三足烏、韓国ドラマの大好きなぼくは、朝鮮が高句麗時代に天孫の象徴として崇めて、三足烏を国旗として他国と戦っていたのを知っている。あれれ、三足烏は言ってみれば韓国の古くからの象徴なのに、なんで日本サッカーのシンボルマークなのか?日本戦の胸のシンボルマークを観て韓国人は笑っていたんじゃないだろうか。疑問にもったぼくはちょっと調べてみた。そうすると、日本に初めてサッカーを紹介したのが中村覚之助さんで、その人の出身地が和歌山県の熊野。それで日本にサッカー協会ができた10周年の1931年(昭和6年)に、そこにある熊野神社の神鳥の三足烏(日本では・やたがらす)をシンボルマークにしたそうだ。やたがらすとは、日本神話で、神武天皇が東征の際に、熊野国から大和国への道案内をした烏とされている。ところが、朝鮮・高句麗が三足烏を天孫の象徴にしていたのはそれ以前のことである。そしてさらに遡ってみると、この三足烏は、中国・前漢(約2200年前)の古典「推南子」で、太陽の黒点を三本足の烏とみたてたのが最初と言われている。つまるところ、三足烏は「日の神」の象徴として、中国から朝鮮半島に、そしてさらに日本に伝わったものらしい。だから時代的にみて、大和朝廷の礎となったのは朝鮮・高句麗滅亡時の渡来人によるものという可能性もあるし、民主党小沢前幹事長が韓国の講演で「日本の天皇の祖先は朝鮮という説もある」と言って右翼から反発を食らったが、あながち当たっているかも知れない。いずれにしても三足烏は、高句麗の末裔が日本に来て、崇めていたのが、やがて熊野神社となり、和歌山の熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大神)が全国2000の熊野神社にまで広がったものと思われる。つまるところ四千年の歴史を持つ中国文明が朝鮮列島に文化をもたらし、さらに日本にも多大な影響を与えたわけで、韓国の時代劇ドラマを観ていると、日本古来の文化だと思っていたものが、似たようなもので沢山出てくる。まあ、アジアは一つ、ひいては世界は一つということでしょうか。ただ、昭和6年当時、サッカー協会の人もまさか朝鮮・高句麗の国旗が三足烏だったとは知らなかったので日本サッカーのシンボルマークにしたのでしょう。けれど国際化の今では、三足烏は高句麗の象徴・国旗として余りにも有名で、日本のシンボルマークとするのはいかがなものかと思いまするが・・。

相撲界、野球賭博の落としどころは?

2010-06-19 | 発言
相撲界は大揺れに揺れているが落としどころが大変難しい。日本の国技が暴力団と繋がってるとこれだけおおやけになってしまえば、これはもう放置できる状態ではなくなった。興行と暴力団は昔からのつきあいと言って納得できる状態ではなくなった。これだけ公表されれば決着をつけるしかないだろう。協会のほうがアンケートとらなければ琴光喜ひとり追放で話はうやむやになっただろうが、「今正直に話せば罪は問わない」とした協会のアンケートに野球賭博参加者が26人もいたとなれば、世間や警察も黙ってはおれない。もともと消極的だった警視庁も真相の解明に動かざるを得なくなった。年間100億円以上の掛け金で、10億円以上が胴元の暴力団にテラ銭として入っている。警視庁は関係していた26人の親方や力士に事情聴取をし、遡っていって、胴元逮捕ということになるだろう。しかし、チンピラ一人が差し出されて「自分が胴元」とけっして口を割らないだろう。警視庁は張本人の組長逮捕までいけるかどうかだ。それが済んでから協会は、野球賭博に関与していた親方・力士・床山など、永久追放するしか世間は納得しないだろう。協会は、罰しないアンケートという形で、パンドラの箱を開けてしまった以上、一掃するしか落としどころはなくなったようだ。

スキャンダルより政治を前に進ませよ!

2010-06-11 | 発言
菅新総理となっただけで、民主党の支持率が36%に跳ね上がった。すると、読売新聞がさっそくスクープ?と荒井聰国家戦略相の政治団体事務所の疑惑と紙面を飾った。また、川端文部科学相、蓮ホウ行政刷新相の事務所費も問題化した。荒井戦略相の経費に長ネギや牛乳、少女コミック本の領収書も含まれていたという。野党の自民党はさっそく問題化するという。亀井大臣が辞任する「郵政法案」といっても、国民はいいのか悪いのかピンとこない。ところが「政治とカネ」なら最も世間にスキャンダルとして判りやすく共感を呼ぶわけだ。しかしなあ、贈収賄とか疑獄事件ならともかく、長ネギ1本でスキャンダル化し、政治が前に進まないようでは、お話にならない。しかしこれが日本の今の政治の現状である。「政治資金規正法」というのは実に曖昧な法律である。これを楯に全国会議員を調べ上げれば、おそらく全員がクロであろう。政治家というより、人間に一円たりとも清く正しく清潔を要求すればキリがないし、その人間は潰れてしまう。しかしこんなことばかりをあげつらい、一歩も前に進まないのが今の政治である。ナベツネ読売-自民党の連携なのか、いずれにしても自民党は提言や政策で勝負できずにスキャンダルで突付く従来の野党方針でやるならば永久に支持率は回復しないだろう。国民はスキャンダルより、前に進む政治を望んでいるのだから。

とりあえず菅直人新総理に期待しよう!

2010-06-06 | 発言
政治というのはどうしてこうも論理的でないのか、それは、偏向的な批判を繰り返すマスコミに大きな要因があり、それに誘導される軽薄な世論という世情に左右されるからだろう。バカのひとつ覚えのように「政治とカネに説明責任を」と問い続け、さも小沢=悪というものを定着させ、誰がやってもうまくいかない普天間問題を鳩山ひとりの責任におっかぶせ、民主党の支持率が17%に落ち込んだ。それが菅新総理になると、民主党の支持率は36%と急回復し、?一体何が変わったの?とまったく論理的でない展開になる。今度はマスコミが小沢を切った菅内閣を持ち上げ、まったくマスコミって奴は、風がないのにクルクル回る風見鶏で何の定見も持ち合わせていない。枝葉末節なことをさも大問題のごとく取り上げ、世論を混迷の中に誘導していく。そうではなしに、この変革の時期には、日本の針路を高所から的確に把握し、ペンを走らせるべきである。アメリカの作家、エドガーアランポーは、渦潮の渦中に居れば激流を必死で泳ぐしかないが、高台からその泳ぐ自分の姿を観ると、自分は渦潮の渦中にある全体像の状況が把握でき、外に向かって泳げばその渦潮から脱することができるという。枝葉末節の荒波ばかりを相手にしていれば、脱出先、つまり未来がいつまでも拓けず、堂々巡りでいつしか疲れ果ててしまう。今、日本は、小沢=悪の問題でもなければ普天間の問題でもない。高台から見れば、海の底に沈まそうとする渦潮は、日本の財政破綻の問題であろう。1000兆円の借金で何としても破綻させてはならない。そのためには、勇気を持って消費税の値上げの必要性を国民に説明し、一方では、事業仕分けをさらに進行させ、天下り・ムダの廃絶を行う。そして、来年度の予算は何としても国債発行を10兆円減らす予算編成にするべきである。また国際間における普天間の問題は、国防というものをどう考えるか、もっと国民に議論を託するべきだろう。せっかくパンドラの箱を開けたのだから、議論を深めるべきである。国民は長い間の自民党政権にうんざりし、政変を選んだ。菅直人新総理には、枝葉末節にこだわらず、渦潮からの脱出を愚直に推し進めて欲しいものだ。