ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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【学校図書館自主講座】「いま、わたしたちが考えるべき課題」のご案内

2016年03月17日 | 知のアフォーダンス

 

神戸で2010年からつづけている「学校図書館自主講座」の今年度第一回を下記のとおり開きます。関心のある方は、下記までメールでお問い合わせください。
holisticslinfo#gmail.com(#を@に置き換えて送信してください)

日時:4月17日(日)午後1時〜4時30分

場所:神戸市勤労会館(三宮)講習室404

参加費:会場費と資料費の実費を参加者で分担します(300円〜500円程度)

内容:

(報告1)「たゆまぬ進展、フランスの学校図書館」講師:須永和之國學院大學教授(3月5日、日仏会館)

(報告2)「司書教諭資格付与科目」授業実践共有連続シンポジウム 第1回「学校経営と学校図書館」(3月6日、立教大学)

(その他の報告と話し合い)「いま、(学校図書館に関わる)わたしたちが考えるべき課題」
学校図書館ばかりでなく、いま学校が抱えるさまざまな課題にまで広げて、今年度の自主講座で重点的にとりあげたいテーマについて話し合います。

参考までに、これまで学校図書館自主講座が取り組んできたテーマは下記のとおりです。

2010年‐2013年「現代の教育課題に応える学校図書館
(2012年−2013年は、並行してフィンランドOulu市の実践を分析した「学校文化を変える学校図書館」を読みました)

2014年度「場所としての学校図書館

2015年度「探究的な学びと学校図書館の活用

【ジョン・デューイ読書会】

自主講座と並行して、有志による読書会をおこなっています。次回は下記のとおりです。

日時:5月22日(日)午後1時〜4時30分

場所:京都の町屋

内容:ジョン・デューイ『思考の方法』(原著のタイトル”How We Think”)を読む

詳細は上記の自主講座と同じアドレスにメールでお問い合わせください。


今回の自主講座に関連して、ご参考までに山本敬子さんの了承を得て、以下に2016年3月5日付けフェイスブックへの投稿を転載させていただきます。

「たゆまぬ進展、フランスの学校図書館」講演会(主催:日仏図書館情報学会、後援:学校図書館自主講座)

本日は恵比寿の日仏会館へお出かけ。
フランスでの研究留学から帰国された須永和之氏のお話をうかがってきました。
フランスでは幼〜小学校にBCD、中高にCDIが設置されており、CDIには専門職としてドキュマンタリスト教員が配置されています。学校図書館に常駐し、一人で学校図書館の運営すべてを担います(パリのごく一部でアシスタントがいるそうですが)。教科の授業を単独で教えたり、担任はもつことはありません。ドキュマンタリスト教員は実務担当者であると同時に、校務分掌上の学校図書館の責任者でもあります。
フランスでは教員はすべて修士以上の学位が必要で、ドキュマンタリスト教員も同様に大学院での2年の養成課程を経る必要があります。さらに全国一斉の採用試験を受験し、合格して初めて現場に専門職として配置されることになります。
総合学習、情報教育、職能団体など、フランス学校図書館界のさまざまなお話を伺いましたが、体制がころころ変わるので、理解が追いつきません…。会場から、制度変更に伴うギャップ(養成、現職などさまざま)をどうすべきか、という質問が出ましたが、制度変更時や過渡期に必ず生じる問題ですね。日本でもどうすればいいんでしょうね〜。
昨夏に日仏会館でお話ししてくださったドキュマンタリスト教員のローゼン・ブリオさんも参加され、懇親会ではさまざまな質問に答えてくださいました。私は他の教員からの職務内容の認知度についておたずねしたのですが、やはり1校に1人というのが基本なので、いつも何をしているかは文書にしないとなかなか伝わらない向きもあるそうです。生徒たちや同僚である教職員に対して日ごろしていることから判断してくれたらいいのですが、その現場や成果をきちんと見て評価できる人が校内にあまりいないのも現状です。
専門職制度が確立したからといって、そこがゴールではないということは、前回の日仏会館でのブリオさんのお話、2年前の熊本でのアメリカのバーバラ・ストリプリングさんのお話をうかがって感じていたことではあります。職務内容があまり理解されていないという意味では、日本での悩みも共通です。ただ、日本では実質上、専門職制度がない、という大きな違いがあります。
さてさて、日本で学校図書館の専門職が養成され、各校に必置とされるまで、あとどれぐらいかかるのでしょう?
明日は立教大学での『「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム』第1回に参加します。日本では学校図書館を専門とする研究者つまり大学で責任をもって養成にあたる人間が致命的に少ない、という問題を打開するヒントが得られるとうれしいです。

 

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「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム、第1回は3月6日(日)です

2016年02月10日 | 知のアフォーダンス

 

 先にお知らせしたとおり、この3月から、司書教諭資格付与のための必修科目として司書教諭講習規程に定められる5科目について、毎回一科目を取りあげて教育実践を共有する会を始めます。以下、第1回目のご案内と第2回以降の予定を記しておきますので、関心のある方はご自由においでください。

主催:立教大学司書課程
問い合わせ:中村yurikon#rikkyo.ac.jp
(#を@に変えてメールを送信してください)

「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウム

第1回「学校経営と学校図書館」

 日時:3月6日(日)13:20-16:00

 場所:立教大学池袋キャンパス 5209教室 (5号館2階、キャンパスマップの右上)

 プログラム:

 ・導入「司書教諭養成の戦後史」(中村百合子)

 ・パネルセッション

 「学校経営と学校図書館」の教育実践をめぐって(足立正治、中村百合子)

 ・フロアとのディスカッション

 第2回以降に取りあげる科目と日時、発表予定者は下記のとおりです。

第2回:「学校図書館メディアの構成」

 日時:5月29日(日)13:20-15:20

 発表予定:青山比呂乃、中山美由紀、吉田右子

 場所:立教大学池袋キャンパス(1104教室)

第3回:「読書と豊かな人間性」

 日時:7月30日(土)13:20-15:50

 発表予定:朝比奈大作、野口久美子、平井むつみ

 場所:立教大学池袋キャンパス(7201教室)

第4回:「情報メディアの活用」

 日時:9月24日(土)13:20-15:50

 発表予定:中島幸子、森田英嗣、今井福司

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス

第5回:「学習指導と学校図書館」

 日時:11月26日(土)13:20-17:30(終了後、懇親会)

 発表予定:足立正治、家城清美、中村百合子

 場所:大阪教育大学天王寺キャンパス


趣旨:
 学校図書館司書教諭の養成は、学校図書館法第5条および司書教諭講習規程に定められており、戦後をとおして、「講習」という形で行なわれてきた。各地の大学で司書教諭資格付与の課程が置かれたが、資格付与は、所定の科目を修めた学生について講習実施大学に届け出ることで行なわれている。日本図書館協会図書館学部会が2003年度について調査した際には、司書教諭資格取得者は14,668名で、大学での取得者が7,862名、短大が312名、通信教育が432名、司書教諭講習が7,062名であった(日本図書館協会図書館学教育部会編『日本の図書館情報学教育2005』同協会, 2008.)。また、司書教諭講習の受講生の過半数は現職教員ではないかと、教授経験者の実感からは推測されている。このように、全国のさまざまな機関で、教員免許状の取得が前提となっているという以外の背景も多様である受講生に対して、ひとつの司書教諭資格を付与するために、どのような教育実践が行なわれているのか、これまで十分な情報共有と教育内容の共通化、質向上の努力がされてこなかったのではないかという反省のもとに、このシンポジウムを企画した。

 

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(予告)「司書教諭資格付与科目」の授業実践を共有する連続シンポジウムをはじめます。

2016年01月15日 | 知のアフォーダンス

 

 下記のとおり、司書教諭資格付与のための必修科目として司書教諭講習規程に定められる5科目について、毎回、1科目を取りあげて、教育実践を共有する会を始める計画を立教大学の中村百合子さんと立案中です。具体的な日程と教室、プログラムの詳細などがきまりましたら、各方面に告知するとともに、このブログでもお知らせしますので、関心のある方は心づもりをしておいてくだされば、ありがたいです。

主催: 立教大学司書課程

場所: 立教大学池袋キャンパス

時期: 2016年3月から隔月開催、全5回(土曜日か日曜日の午後)
     初回は3月6日(日)の午後(13:10−16:00)を予定しています。

参加: 関心のある方はご自由においでください。事前申込は不要です。

科目配当: 下記の順にとりあげます。

  第1回:「学校経営と学校図書館」(3月)
  
第2回:「学校図書館メディアの構成」(5月)
  
第3回:「読書と豊かな人間性」(7月)
  
第4回:「情報メディアの活用」(9月)
  
第5回:「学習指導と学校図書館」(11月)

進め方: 毎回2名または3名のパネリストが各自の授業実践を共有してお互いに話し合った  のち、フロアをふくめて全体で話し合います。毎回2時間程度を見込んでいますが、初回と最終回は、導入とまとめのために長めの時間を設定します。

趣旨: 学校図書館司書教諭の養成は、学校図書館法第5条および司書教諭講習規程に定められており、戦後をとおして、「講習」という形で行なわれてきた。各地の大学で司書教諭資格付与の課程が置かれたが、資格付与は、所定の科目を修めた学生について講習実施大学に届け出ることで行なわれている。日本図書館協会図書館学部会が2003年度について調査した際には、司書教諭資格取得者は14,668名で、大学での取得者が7,862名、短大が312名、通信教育が432名、司書教諭講習が7,062名であった(日本図書館協会図書館学教育部会編『日本の図書館情報学教育2005』同協会, 2008.)。また、司書教諭講習の受講生の過半数は現職教員ではないかと、教授経験者の実感からは推測されている。このように、全国のさまざまな機関で、教員免許状の取得が前提となっているという以外の背景も多様である受講生に対して、ひとつの司書教諭資格を付与するために、どのような教育実践が行なわれているのか、これまで十分な情報共有と教育内容の共通化、質向上の努力がされてこなかったのではないかという反省のもとに、このシンポジウムを企画した。

*なお、この計画については、中村百合子さんのブログもご参照ください。

 

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探究学習における省察(reflection)と協同(collaboration)−第8回学校図書館自主講座のご案内

2016年01月12日 | 「学び」を考える

 

 1月10日に行われた「学校図書館自主講座特別セミナーin神奈川」は、横浜の神奈川学園中高等学校図書館をお借りして、30名を超える参加者のみなさんとともに有意義で楽しいひとときをすごすことができました。休日にもかかわらず、朝早くから会場の準備をして私たちを迎えてくださった図書館スタッフの皆さんと、学校図書館とのコラボレーションによって組み立ててこられた教育実践について丁寧にお話しくださった先生方に心から感謝いたします。次回の自主講座では、この日のセミナーを振り返り、良かった点だけでなく、なぜ良かったのかを掘り下げ、さらなる疑問点や今後の課題についても考えたいと思います。
 ということで、盛りだくさんの第8回学校図書館自主講座(神戸)は下記のとおり行います。関心のある方は、おいでください。

日時:2016年1月31日(日)午後1時−4時30分

場所神戸市勤労会館 407号室

参加費:会場費その他の必要経費(参加者数によって異なりますが、一人300〜500円程度)

問い合わせと参加申し込み:はじめて参加される方は下記までメールでお知らせください。

  学校図書館自主講座事務局 holisticslinfo#gmail.com (#を@に変更して送信してください)

プログラム:

はじめに:「省察とは何か」 足立 正治

 近年、ジョン・デューイの省察的(反省的)思考(reflective thinking)やドナルド・ショーンの省察的実践(reflective practice)が注目を集めています。古くは、ルネ・デカルトのMeditations on First Philosophyにも『省察』という訳語が充てられています。一方でreflectionには、反省、内省、熟考などといった訳語が充てられることもあります。いったい「省察(reflection)」とは何か。どうして、いま注目されているのか。家城先生のご発表に先立って、さまざまな活動分野で基本となる「省察」という概念を、クリティカル・シンキング(批判的思考)とも絡めながら整理したいと思います。

1.「探究学習に見られた反省的思考について−10年間の実践活動より」 家城 清美(同志社大学嘱託講師)

   −発表の概要と内容は下記をご覧ください−

(休憩)

2.「学校図書館自主講座特別セミナーin神奈川」を振り返る 参加メンバー

問題提起:「探究学習の成果をどのように評価するか」 足立 正治

 観察やポートフォリオによって探究のプロセスを評価するだけでなく、パフォーマンスや作品として発表された探究の成果をとおして、探究の目的やプロセス、取り組みの姿勢、学びの質などを評価し、今後の探究活動に活かす方法について、今後、皆さんの経験を持ち寄ってご一緒に考えたいと思います。(この問題提起は、時間の都合で次回に回すこともあります)


「探究学習に見られた反省的思考について−10年間の実践活動より」

発表概要

 1998年の学習指導要領改訂により、同志社女子中学校・高等学校でも総合的な学習の時間が導入された。同志社女子中学・高等学校では図書・情報センターを活用した学習であった。高校3年を中心に以前より、探究学習には取り組んでいたが、中学1年から全校で、探究学習に長期期間取り組むのは初めてだった。2002年から2011年の10年間、全学年の総合的な学習の時間に司書教諭として参画し、担当教員と協働作業をしてきた中で、教員の想像を超えるような生徒の言動に巡り合うことがあり、印象深く今も記憶に残るものがある。当時どのように表現すればよいか戸惑ったものが、この自主講座の番外編としての読書会でJ・デューイの著書を読み進める中で、生徒たちの行動を言い表す言葉を見つけた。
 つまり、生徒の言動は反省的思考による結果だったと思い当たったのである。今回、10年にわたる総合的な学習の時間で、特に生徒の情報探索行動での反省的思考に焦点を当て、発表を試みる。

発表内容

  1. はじめに 反省的思考と省察的思考―新たな訳語
  2. 同志社女子中学校・高等学校の総合的な学習の時間の概要
  3. 事例 中学2年
  4. 探究課題
  5. 授業計画―基礎から発展へ
  6. 担当教師と司書教諭の支援内容
  7. 生徒の授業中の様子
  8. 司書教諭のAssessmentに見られた問題となる生徒の情報探索行動と司書教諭による注意喚起
  9. 生徒の反省的思考による言動
  10. 他の学年に見られる反省的思考による言動
  11. 反省的注意を生み出す環境づくりとその要因
  12. まとめ

 

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学校図書館と一般意味論:年頭に去来する想い

2016年01月05日 | 知のアフォーダンス

 

「この国はどこへ向かっていくのか? 不安な気持ちにかられる戦後70年の年を越しました」

 1970年代に共に一般意味論への道を歩みはじめた友人から届いた年賀状の書き出しである。昨今の政治的情況ばかりでなく社会のあまりにも性急な変わりように、自分もまったく同じ気持ちで新年を迎えた。それは国際社会に目を転じても変わらない。この世界は、そして人類は、いったいどこへ向かっていくのだろう?
 彼女はつづける。「そのような時を経つつも、いのちの大いなるうねりは、人間の思惑をはるかに越えたところで継続していきます。虚しさに呑み込まれず、ささやかな日々の営みに思いを込め、いとおしみながら今年も過ごすことができるよう、祈るばかりです」
 そう、「虚しさに呑み込まれず、ささやかな日々の営みに思いを込め」て生きることが、狂気への暴走を抑制し、世の中を正気に保つ力となって「いのちの大いなるうねり」に合流することを信じたい。


 あらためまして

みなさん、明けまして、おめでとうございます。

冒頭に紹介した友人の年賀状に触発されて、今日は、2016年を迎えて去来する私の想いを綴ることにします。

 定年退職して早や10年がすぎようとしている。大学を卒業すると同時に高校の教員となり、昨年7月に大学の授業を終えるまで、50年以上も教職をつづけてきた。仕事を辞めた当初は寂しさもあったが、ひとつ肩の荷を下ろせたことが爽快でもあった。そして、多少なりともゆとりをもって日々の営みのひとつにとつに思いを込めることができるようになった。好きな本を読み、自分で三度の食事の支度をし、気ままに出歩き、音楽や美術、落語などを楽しむ機会も多くなった。人と会うことも少なくない。若い友人たちと勉強会や読書会もつづけている。だが、最近、一抹の不安がつのりはじめた。このままの生活をつづけていていいのだろうか。何か肝心のものが足りない。
 ふと思いついて、5年前に中村百合子さんたちが、ぼくのライフヒストリーを聞いて、つくってくださった一冊の本を取り出してきた。『Here Comes Everybody−足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と学校図書館の可能性』(自費出版)。長ったらしいが、私の人生の節目となった2010年のトークセッションに込めた想いをタイトルにした。あのとき、自分の歩んできた道を振り返って考えたことは、その後の生き方をどのように方向づけたのか。それを再確認することで、いま感じている「もの足りなさ」を払拭する手がかりがつかめるかもしれない。そんな想いでページをめくっていると、土居陽子さんが寄稿してくださった「図書館〜ひろば〜コミュニケーション〜一般意味論」という文章が目にとまった。確固たる信念や目的があるわけでもなく、その時々を気まぐれに生きてきた私の人生を象徴するような中途半端でとりとめのないエピソードのなかから、土居さんは4つのキーワードを抽出して、つなげてくださった。以下、その文章の一部を引用させていただく。(以下、ページ数はすべて上掲書)

−甲南の図書館自体が、学習の場であると同時に学校の中の「ひろば」として、心にゆとりを持って自分を取り戻す場、「何かいいことがありそうだ」と期待できる場になっているということはもちろん、あの会も、足立氏を中心にした様々な繋がりの人が集う「ひろば」であった。学校図書館にかかわっていても普段は違った研究の場を持っている人との交流、学校図書館とは直接関係のない人たちとの出会い、それらをとおして新しい刺激を受け、世界が広がった−(p.131)

 「ひろば」は、子どものために大人が用意してあげるものであるよりも、むしろ、わたしたち大人こそが必要としているのではないか。ゲストとして一般意味論のトークとワークをしてくださった片桐ユズルさんも、あの日のセッションをこう評してくださった。

−ひろばでよかったですよ。最近はひろばというものが減ってきました。特殊化、専門のコミュニティになってきています−(p.80)

 土居さんは、図書館が「ひろば」として機能した事例をいくつか挙げた上で・・・

−どの事例にもその陰に多くのコミュニケーションと資料や情報の提供があったことは想像に難くない。一人ひとりの一言を、その要求は言うまでもなく、言葉にならない思いまでをすくい上げる「人」が図書館にいたからこそ、図書館が「ひろば」になりえた−(p.133)

 そして、ご自身の経験を振り返って・・・

−コミュニケーションは大切だけれど、難しい。私自身、単に言葉と言葉のやり取りで終わったり、同じ言葉を用いながらお互いにイメージするものが違っていたり、本音で話し合えなかった苦い経験がある−(p.133)

 土居さんは、片桐ユズルさんのトークとワークをとおして、この日、はじめて触れた一般意味論を次のようにとらえておられる。

−私たちが認識できることは現実のごく一部であり、ことばで表現できることには限界がある。条件によって、立場によって、認識の違いがあり、それもまた全てをことばで表現することはできない。そしてことばで表現された認識をもとに新たな認識が生まれるという繰り返しが行われているわけで、常に表現されない現実が隠れていることを意識しなければならない−(p.133)

 科学認識論(エピステモロジー)を日々の営みに活かして正気で生きる道を探るために開発された一般意味論の体系を身につけることによってコミュニケーションとクリティカルシンキング(批判的思考)の力を育むことは、あらゆる人間活動の基盤となるだろう。

 土居さんの文章は、つぎのように結ばれる。

−一般意味論を意識することがコミュニケーションを円滑にし、図書館を「ひろば」として発展させる大きな力になると思う‐(p.133)

 「図書館」を軸にして学校教育を支えてこられた土居さんと、「一般意味論」をよりどころにさまざまな活動をおこなってきた私は、「ひろば」と「コミュニケーション」というキーワードを介してつながっている。そう考えると、学校図書館の人たちとともに学校教育の在り方を問い直していくことと、一般意味論のさらなる可能性を拓いていくことは、現職を退いたこれからも私に課せられたライフワークあるいは使命といえるかもしれない。それは、老いてもなお自分を拡張し、人として成長をつづけるいのちの営みでもある。
 まずは土居さんのメッセージに励まされて、目前の学校図書館自主講座とジョン・デューイの読書会に仲間とともに力を注ぐことにしよう。そして、一般意味論については、2007年のブログに「近いうちに論じる」と書いたままになっている、サミュエル・ボア(Samuel Bois “The Art of Awareness”)の認識論的プロフィール(p.180)の第5段階「参加」について、そろそろ自分の考えをまとめる時期にきている。
 個人主義的な生活サイクルに埋没しかけていた私の前に、世代を超えた協同探究への参加の道が開かれている。

つながりを活かす学校図書館

 

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)