ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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「この国が平和だと誰が決めたの?」(復帰40年の沖縄から日本を見つめる)

2012年05月21日 | マミム・メモ

  

 日本の安全保障やエネルギー供給を守るために、危険と隣り合わせに生きることを強いられてきた沖縄と福島(に代表される原発立地地域)。一部の地域に負担を負わせ、その代償として巨額のお金を投じることで、結果的に地元の自立を阻んできた。水俣の問題も終わっていない。もののいえない企業城下町。国策によって生み出される差別の構造。オキナワ、ミナマタ、そしてフクシマ。その根っこにあるものは変わっていない。

 一週間前の5月15日、沖縄で政府と県の主催による沖縄復帰40年式典が開かれた。ほぼ予想された型どおりの挨拶がつづくなかで「沖縄が余儀なくされてきた苦難の歴史」を語る上原康助・元沖縄開発庁長官の挨拶は型破りだった。沖縄戦で本土防衛のとりでとして犠牲を強いられたうえ、日米講和条約締結後も日本から分断され、米軍が「銃剣とブルドーザー」で肥沃な田畑を強制接収して広大な米軍基地が構築されたこと、そして、復帰後40年たった現在もなお、沖縄の人々が切望してきた返還とはほど遠い現状にあることを訴える上原さんのことばの一つひとつが胸に深く突き刺さる。

(この、沖縄の多くの人々の率直な気持ちを代弁していたとして喝采を浴びた挨拶の全文をブログ「西表島から、日々のつぶやき・・・」が載せてくださっているので、下に転載させていただく。Ustreamの映像「沖縄復帰40周年記念式典」と合わせて、繰り返し噛みしめたい。(上原さんの挨拶は、40:30頃からです。)

 また、この日の「フォークソング・クロニクル」は、ネーネーズが唄う「平和の琉歌」を取り上げてくださっていたが、「この国が平和だと誰が決めたの?」ではじまる桑田佳祐さんの詩と曲が身に沁みる。以下に「平和の琉歌」の詩と上原康助さんの挨拶の書き起しを合わせて転載させていただきます。

 

【平和の琉歌】 詩・曲:桑田佳祐/、歌:ネーネーズ

この国が平和だと誰が決めたの?

  人の涙も渇かぬうちに

  アメリカの傘の下 夢も見ました

  民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに

  蒼いお月様が泣いております

  忘れられないこともあります

  愛を植えましょう この島へ

  傷の癒えない人々へ

  語り継がれてゆくために

 

この国が平和だと誰が決めたの?

  汚れ我が身の罪ほろぼしに

  人として生きるのを何故に拒むの?

  隣り合わせの軍人さんよ

  蒼いお月様が泣いております

  未だ終わらぬ過去があります

  愛を植えましょう この島へ

  歌を忘れぬ人々へ

  いつか花咲くその日まで

 

【上原康助さんの挨拶】 40:30頃からです

 本日は内閣総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官、駐日米国大使をはじめ、多数のご来賓ご列席の下に、日本政府と沖縄県による復帰40周年記念式典が盛大に挙行されるにあたり、ごあいさつの機会を与えていただき感慨深いものがあります。

 厳粛な式典にはふさわしくないあいさつになるかもしれませんが、ご容赦願いたいと存じます。

 まず、沖縄が余儀なくされてきた苦難の歴史です。その最たるものは、悲惨な沖縄戦でした。沖縄は戦時中から本土防衛のとりでにされ、捨て石扱いで、常に苦難と犠牲を強いられてきました。67年前の沖縄戦で、一般住民をも巻き込んで地上戦が繰り広げられ、県土は焦土と化し、20万人余の尊い命が失われました。生き延びた住民は虚脱状態の中で米軍の捕虜収容所に放り込まれ、塗炭の苦しみを味わいながら耐え忍んできました。

 その間に日本も敗戦から立ち直って、1952年4月28日、日米講和条約を締結し、独立国としての歩みを踏み出しました。しかし沖縄は日本から分断され、27年の長期にわたって米軍の占領支配下で呻吟(しんぎん)させられてきました。広大な米軍基地が構築されましたが、その主要部は50年代前半に米軍が「銃剣とブルドーザー」で強制接収した肥沃(ひよく)な田畑だったのです。

 民主主義を標榜(ひょうぼう)する米国が理不尽に県民の生存権まで踏みにじるのかと、米軍に対する県民の怒りと不信が激しく燃え広がりました。

 そして次第に、基本的人権が保障される平和憲法下への復帰を目指さねばならない、と県民の意識は高揚していくようになります。

 いま一つ県民の強い願望は、主席公選を実現することでした。米側も県民総体の大きな盛り上がりをこれ以上抑圧できないと見て、68年11月に主席公選が実現しました。

 戦後の教育復興や復帰運動などに指導的役割を果たしてこられた屋良朝苗氏が初の公選主席に当選され、これを契機に日本復帰が具体化します。そして日本政府は70年11月に沖縄の代表を国政に参加させる特別措置を講じました。

 国会では沖縄返還協定や復帰に向けた諸法案が審議されました。私が絶対に忘れられず屈辱的だったのは、71年11月17日午後3時過ぎ、まだ審議半ばの沖縄返還協定を自民党が抜き打ち的に強行採決したことでした。しかもその時刻は、屋良主席が復帰にかかわる重要事項をまとめた「建議書」を政府と国会に提出するため上京され、羽田空港に着いたそのときでした。衆議院の第一委員会のあの怒号と混乱に満ちた議場の雰囲気をいまだに忘れることはできません。

 その後も国会は沖縄問題をめぐって緊迫した状況が続きましたが、ついに72年5月15日を迎え、日本復帰が実現したのです。

 しかし、県民が求め続けてきた「核ぬき本土並み、平和憲法下」への復帰どころか、米軍基地に関わる密約や基地の自由使用を米国に担保したものでしかないことが明らかになり、このような欺瞞(ぎまん)に満ちた復帰は到底容認できない、と多くの県民は、72年5月15日の晩、那覇市の与儀公園で大規模な県民大会を持ちました。土砂降りの中での大会だったが、県民の不満と怒りの気持ちは内外に強く訴えることができました。

 沖縄の復帰は復帰時点から県民の熱い思いとは大きくかけ離れたものでしかなかった。沖縄が余儀なくされてきた「戦前・戦中・戦後」の苦難の歴史を決して忘れてはなりません。その根源は残念ながら今も続いているのです。これからの沖縄を背負っていく若い世代の皆さんが、先人たちの幾多の苦労をも参考にがんばってもらいたい。

 さて、復帰40年の節目に沖縄振興特措法も、軍用地転用特措法もかなりよい内容に改定され、双方ともその内容をどう活用していくかです。特に一括交付金などを今後の沖縄の振興発展、離島などへの配慮、人材育成などにどう役立てていくかが注目されます。まさに、沖縄側の「行政的、政治的」知恵と力量も問われることになりましょう。 また、多年の懸案となってきた鉄軌道敷設も、復帰50年までにぜひともメドづけて、県土のバランスある振興発展、交通渋滞の緩和、北部やんばるの特性と活性化に役立ててもらいたいものです。

 最後に野田総理、駐日米大使、両閣下に強く申し上げたい。民主主義社会は世論を尊重することが基本です。なぜ、両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか。

 米軍普天間飛行場の移設計画が日米間で合意されてから16年余りが経過しました。10年余り経っても実現できないことは、最初からその日米合意に無理があったことを実証しているのです。周知の通り普天間移設計画はますます、混迷をきたしております。今や沖縄県民の立場は、普天間飛行場の県内移設はNOだと、ますます強く大きな広がりを見せております。

 国土のわずか、0.6%しかない沖縄に米軍専用施設の74%も強要されているのです。これは誰が考えても異常です。この沖縄にこれ以上、新しい米軍基地を陸にも海にも、造ることはおやめください。世界一危険と言われている普天間飛行場を一日も早く閉鎖するか、県外移設することです。にもかかわらず、欠陥機と言われているMV22オスプレイを7月にも普天間飛行場に配備されると報道されています。あまりの沖縄蔑視であり、到底容認できるものではありません。

 どうか両政府とも、沖縄県民の切実な声をまともに受け入れてもらいたいのです。また、嘉手納空軍基地以南の五つの基地返還内容、その時期などについて早くも多くの疑問が噴出しております。加えて、日米両政府が去る4月27日に発表した在日米軍再編見直しの共同文書も実現性に乏しく、「目に見える形の沖縄の基地負担軽減」にはほど遠い内容で、またもや、県民を失望させております。

 今こそ日米両政府とも「政治、外交、安全保障」などに対する旧態依然の思考から脱却のため、「真剣かつ英断」を持って発想を大転換して、沖縄の米軍基地の過重負担軽減を断行すべきだと考えます。復帰40周年がその一大転機になることを心底から願って私のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました。

2012年5月15日 上原康助

 

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「虹の民」よ、ふたたび! サラダボウルからジャムへ(ノルウェーの連続テロ事件と日本の多文化政策)

2012年05月04日 | メディア

 

 今日のタイトルに戸惑われた方が多いと思います。ごめんなさい!

 4月27日、先週の金曜日のことだった。原発再稼働、放射能汚染、小沢判決、無謀運転による痛ましい事故などで埋め尽くされたメディアの片隅に、ふと目についた見出しが気になってしかたがなかった。

4万人「平和の歌」で抗議 ノルウェー連続テロ被告に (河北新報)
ノルウェー連続テロ被告に4万人の歌声で対抗…被告嫌悪の童謡で揺さぶり (msn産経ニュース)
平和と共存の歌でテロ被告に対抗、首都で大合唱集会 ノルウェー (CNN.co.jp)

 昨年の7月にノルウェーで死者77人を出した連続テロ事件ことなど、もう日本人の記憶には残っていないかもしれない。ノルウェーが進めている多文化主義と寛容な移民政策、とりわけ、その結果、イスラム系移民が増えていることに危機感を抱いたアンネシュ・ブレイビク被告による単独の犯行だったとされている。その公判が行われているノルウェーの首都オスロで約4万人の市民らが犠牲になった人たちの追悼集会を開き、被告が嫌悪しているといわれている子どもの歌を合唱したというニュースである。CNNによると、集会は2人の女性が交流サイトのフェイスブックを通じて呼びかけた。参加者は数十人程度を予想していたが、4000人が同サイトで呼びかけに応え、当日の参加者はそのさらに10倍の4万人に膨れ上がったという。

 ぼくが気になったのは、いったい、どんな歌だったのか。ネットで探したら集会の様子がyoutubeにアップロードされていた。

Thousands of Norwegians in Youngstorget Square singing Pete Seeger's "My Rainbow Race"

 集会に参加した人たちが唄っていたのは、ノルウェー語で“Barn av regnbuen”(barn 子供, regnbuenb 虹)「虹の子どもたち」と題された歌で、それは、まぎれもなく(ぼくにとってはすごく懐かしい)あのピート・シーガーの“My Rainbow Race”(虹の民)ではないか。日本でも1970年前後に環境保護や核廃絶の集会などで盛んに唄われたアメリカのフォークソングが、いまノルウェーでは、子どもの歌として幼稚園や小学校で唄われているという。「虹」は肌の色の異なるさまざまな人種を象徴していて、連続テロの犯人は、この歌を嫌悪していたという。「虹の民」は、価値観(文化・生活様式)のちがいによる対立と排除ではなく、多様な人たちが暮らす、かけがえのないひとつの地球(環境)を共に守っていこうという内容の歌である。「虹の子どもたち」では「姉妹も兄弟もみんな一緒に暮らす世界、虹の小さな子どもたちのように」と唄っているらしい。連続テロの犯人は、この歌を嫌悪していたという。

 報道によると、被告はノルウェーの多文化主義への嫌悪を表明する一方で、日本と韓国のことを「単一文化が保たれている完全な社会」で「より人々の調和が取れている」と称賛しているという。なんだか複雑な想いだが、その背景を知るには同志社大学の二人の教授による以下の対談が参考になる。

・ノルウェー連続テロ事件の背景を探る(CISMOR Interviews)

内藤正典(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授)
小原克博(同志社大学神学部教授、CISMORセンター長)

 対談は「豊かな国であり、外国人に対して寛容なノルウェーに極右(一国ナショナリズム)はありうるのか?」という問いから始まり、やがてブレイビク被告が評価しているといわれる日本の排他的な移民政策へと及ぶ。「いろんな人がいて多様な価値観を持って同じ社会にいてもいい」という日本の「多文化共生」は、権利だけ与えて不干渉というもので、結局「無関心の壁を作って、どうぞご自由にやってください。私は私、あなたはあなた」というもので「在日差別は現存するし、今後、ムスリムの流入が多くなると、将来、きびしい衝突が起こる可能性がある」と指摘しておられる。

 これを聞いて、かつて読んだ『アメリカ多文化教育の再構築 文化多元主義から多文化主義へ』(明石書店、2007)を思い出した。著者の松尾知明さんは、今日のアメリカ社会と教育の課題を多文化という視点からとらえて、さまざまな野菜が美しく配置されている「サラダボウル」にたとえられる「文化多元主義」から、異質なパートが混ざり合って全体として美しい響きを奏でる「ジャズ」(私の愛用語でいえば「ジャム」)にたとえられる「多文化主義」への移行過程を記述・分析している。とりわけ、多文化共生社会の実現を阻んでいる権力作用を明らかにしながら、西洋中心の教育内容を脱中心化していくプロセスに関する記述は示唆に富む。

 今後、日本が極端な一国一民族のナショナリズムに走るとは想像しにくいが、多様な人々の文化や伝統に触れて衝突が起きる機会が多くなってくるなか、「郷に入れば、郷に従え」という態度から、お互いに「異文化の懐に飛び込んで学び、その上で議論をする」態度への転換が求められる時期にきているのではないか。「サラダボウルからジャムへ」。人種・民族のみならず、さまざまな価値やライフスタイルをもつ多様な集団を擁するアメリカ社会の葛藤のプロセスは、わが国における多様性を尊重する社会や教育のあり方を考えるうえで参考になるにちがいない。

PS

ピート・シーガーのMy Rainbow Raceを紹介しておこう。

ピート・シーガー自身の唄

以下が原詩です。(「意味は?」もし、自分で解読できなければ、ぼくの「やり直し英語教室」で一緒に考えませんか?)

MY RAINBOW RACE

Chorus:
One blue sky above us
One ocean lapping all our shore
One earth so green and round
Who could ask for more
And because I love you
I'll give it one more try
To show my rainbow race
It's too soon to die.

1. Some folks want to be like an ostrich,
Bury their heads in the sand.
Some hope that plastic dreams
Can unclench all those greedy hands.
Some hope to take the easy way:
Poisons, bombs. They think we need 'em.
Don't you know you can't kill all the unbelievers?
There's no shortcut to freedom.
(Repeat chorus)

2. Go tell, go tell all the little children.
Tell all the mothers and fathers too.
Now's our last chance to learn to share
What's been given to me and you.
(Repeat chorus one and a half times)

Words and Music by Pete Seeger (1967)
(c) 1970 by Sanga Music Inc.

 私自身は、レコード以外に古川豪さんや中川五郎さんが片桐ユズルさんの訳詩で歌っておられるのを聞いていた。

  ♪ ひとつの青空
  ♪ ひとつの青い海
  ♪ ひとつの地球
  ♪ かけがえのない
  ♪ 愛しているなら
  ♪ もう一度やってみよう
  ♪ 虹の民よ 滅びぬよう

 ピート・シーガーは、1939年にハーバード大学を中退、フォークソング研究家アラン・ロマックスの助手として国会図書館の民謡資料室でフォークソングの収集、整理に携わっていたが、ウディ・ガスリーに誘われて一緒に旅に出たのがきっかけでフォークの歌い手になったという。

虹の民におくる歌―『花はどこへいった』日本語版(ピート・シーガー著、矢沢寛監訳、社会思想社2000)

 

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『「主権者」は誰か』と『あたらしい憲法のはなし』

2012年05月03日 | 「学び」を考える

 

「主権者」は誰か――原発事故から考える (岩波ブックレット)
クリエーター情報なし
岩波書店

 この一年間、原発事故にたいする政府や東電の対応を通して市民の生活がいかにないがしろにされているかが、はっきりと見えてきた。昨日も紹介した日隅一雄さんの『「主権者」は誰か』(岩波ブックレット)は、私たちが主権者として振る舞うことを制限する制度やシステムの問題点を明らかにし、改善策を分かりやすく整理してくれている。原発事故を題材にしているが、本書の軸になっているのは、戦後すぐに使われた中学1年生の社会科の教科書『あたらしい憲法のはなし』(文部省)である。日本国憲法の精神と内容をイラスト入りで分かりやすく解説したもので、以下のように、ところどころ肝心なところが『「主権者」は誰か』に引用されている。

 「国を治めてゆく力のことを「主権」といいます」「この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます」

 『あたらしい憲法のはなし』は、1947年5月3日に憲法が公布された直後の同年8月2日に発行されたが、朝鮮戦争の始まった1950年に副読本に格下げされ、1952年には姿を消した。私が中学に入ったのは1953年なので、残念ながら、この教科書を知らない。だが、現在は著作権保護期間が過ぎているので、復刻版やネットで読むことができる。たとえば、青空文庫版は無料で提供されている。

『あたらしい憲法のはなし』

 内容は、一 憲法、二 民主主義とは、三 國際平和主義、四 主権在民主義、五 天皇陛下、六 戰爭の放棄、七 基本的人権、八 國会、九 政党、十 内閣、十一 司法、十二 財政、十三 地方自治、十四 改正、十五 最高法規の15項目で構成されている。このうち六と七を渡辺知明さんの朗読をポッドキャスティングで聞くことができる。

六 戰爭の放棄

 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。・・・

七 基本的人権

くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけただれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。・・・

 このように血の通った話し言葉で書かれた日本国憲法の解説は、いま読んでも抵抗なくすっと心に沁み込んでくる。

 さて、日隅さんは『「主権者」は誰か』を以下の文で結んでおられる。

 私たちが主権者として振る舞うために、「思慮深さ」を身につけたうえ、積極的に政治に参加していかなければ、この国は変わらず、また取り返しのつかない「何か」が必ず起こるだろう。

 政治とメディアのリテラシーを身につけるために、学校教育の在り方を考え直さなくてはならない。まずは、『「主権者」は誰か』と『あたらしい憲法のはなし』を中学や高校の副読本として使ってみてはどうだろう。

 

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公平で公正な思考力を育む(日隅一雄さんのメディア・リテラシー講座)

2012年05月02日 | メディア

 

 政府や東電はパニックを恐れて情報を隠していたのではないか? そもそも、彼らも正確な情報を把握できていなかったのではないか? メディアの報道姿勢に問題があるのではないか?  ・・・ 311以降、政府や東電、専門家、そしてメディアにたいする私たちの信頼が大きく揺らいでいる。ということは、情報の受け手である私たち自身が、メディアが提供する情報をどのように評価し、どのような情報を選択して自らの判断と行動に活かしていくかが問われている。マスコミは信頼できないといいながら、知らないうちに自分たちの判断や行動がマスコミの報道や論調に影響されていることはないか? 自分の気に入ったメディアが大きく取り上げていることに関心を寄せ、ほとんど報道されない出来事は取るに足らないことだと思ってしまっていないか? 世の中の出来事を公平・公正な立場に立って考えたいと思うなら、少なくともメディアの報道や専門家の言説を批判的に読み解く術を身につけておくべきだろう。報道にたいして、まず自分の日常的な生活感覚をもとに率直な疑問をもつこと。そして、どのような前提や立場から情報が収集され編集されているのか、その結果、記事や映像が、どのような含意を含むものになっているのかを見抜くことである。その上で、自分自身にたいしても、何を根拠にして、どのような前提や立場に立って判断しようとしているのかを問うてみなくてはならない。

 一例をあげる。4月26日に東京地裁で小沢一郎元民主党代表の裁判で無罪判決が出た。これにたいする新聞やテレビの論調は「限りなくクロに近い灰色」とか「疑惑は残る」とするものが圧倒的に多い。街頭インタビューやアンケート調査でも同様の判断をしている人がほとんどである。その一方で「刑事裁判の良識をまもった」「八方美人的判決」といった評価や、検察審査会制度の問題点や検察による石川さんの調書のねつ造を問題視する意見もある。田代検事及びその上司が市民団体によって刑事告発されていることを、どれくらいの人が知っているだろう? (「健全な法治国家のために声を上げる市民の会」)だが、そういった動きは、小沢さんの国会での証人喚問や疑惑を説明する責任があるという圧倒的な意見の陰に隠れてしまっているようだ。

 「これまでもずっと疑惑があるといわれてきた人だから今回の件もクロに違いない」「政治家の金権体質の象徴、裏の権力者と言われてきた小沢さんは、法の目をかいくぐって裏で何をやっているか分からい」。そんな前提にとらわれているかぎり、検察庁が起訴しなかったり、検察審査会の強制起訴によって行われた裁判で無罪判決がでても、依然として「疑惑」は残る。「有罪」の証拠が出るまでは、とうてい納得できないということになる。先入見にとらわれていると、それに合わない目の前の事実さえ見えなくなることがある。いったん自らの前提を棚上げにして事実を吟味するのが公平な姿勢というものだ。

 ジャーナリストで弁護士の日隅一雄さんは、ご自身のブログの中で今回の判決を報じるNHK のニュースを取り上げて、この報道を読み解くための問題を読者にたいして出しておられる。

(引用開始)

2012/04/27

小沢さん無罪報道であなたのメディアリテラシー度をチェック!〜ニュースをつくると自負するNHKを例に

【無罪判決 小沢氏違法認識と言えず】 というタイトルのニュース(※1)です。

※1 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120426/k10014745551000.html

NHKのニュースの本文(一部のみ引用)は、次のとおり。

【26日の判決で、東京地方裁判所の大善文男裁判長は、「元秘書らは、小沢元代表の巨額の資産や金の出どころが明らかになると、政治活動に不利益になると考えた」と指摘し、元秘書らが収支報告書にうその記載をしたことを認めました。

また、小沢元代表と元秘書らとの日頃の関係などから、「元代表は、4億円を記載しないことなどについて、報告を受けて了承していた」と認めました。

一方で、小沢元代表が元秘書らと共謀したかどうかについては、「共謀があったことを疑う、それなりの根拠はあるが、元代表が具体的な事情を知らなかった可能性があり、違法だと認識していたとは言えない」と指摘し、小沢元代表に無罪を言い渡しました。】

さて、上記部分、私がデスクなら、突き返したと思う。あまりにも、タイトルにふさわしくない内容だからだ。そして、実は、各局の報道も同じ誤りを足並みそろえて行っている。こうなると、誤りなのか、故意なのか、わからないが…。

どこがひどいのか、ニュースだけ読んでいてもわからないかもしれないので、判決要旨を新聞各紙で確認してほしい。ネットでも紹介されているが、一部省略されており、ヒントにならないものが多いようだ。

(引用終了)

 日隅さんは、その日のうちに「回答編」も書いておられるので、各自で参照していただきたい。裁判所による判決要旨も公開されているので、該当箇所を参照しながら日隅さんの回答が妥当かどうかをチェックされることをお勧めします。その後、日隅さんは、この裁判について、さらに詳しい説明を加えておられる。

2012/04/29

東京地裁判決は小沢さん無罪をこのように説明している〜判決批判する前に読んでほしい!

「小沢さん無罪判決について、テレビは、「判決が、石川秘書から小沢さんが収支報告書に嘘の記載をすることの説明を受けていたと認定している」にもかかわらず、「判決が、この記載が違法であることについて認識していなかった可能性がある」としたのは、まったく変で、限りなく黒に近い、などと批判しているが、これがまったく間違いであることを、裁判所がマスコミに配布した判決要旨全文を引用して説明します。」

そして、憲法記念日を明日に控えた5月2日の今日、日隅一雄さんは【メディアリテラシー講座】の第2弾を出して、新たなテーマを提起しておられる。

憲法記念日の社説にアメリカの9条改憲要求は説明されるだろうか?

「米軍再編の見直しが行われたばかりのタイミングで迎える憲法記念日、自民党が改憲案を発表していることもあり、各紙は、社説で、安全保障問題に触れるだろう。その際、どういうところに注目する必要があると皆さんはお考えですか? 北のミサイル、中国の台頭、普天間基地の固定化…。私は、米国による9条改訂要求をきちんと踏まえたものとなっているかどうかに着目したい」

 安全保障問題やアメリカの9条愛犬要求といった日隅さんが提起されたテーマに関して新聞各紙がどのような論議をするか、私たちは、明日の朝、その結果を見ることができるだろう。それは、自分の予測や状況判断が正しかったかどうかについて喜んだり反省したりするようなことではない。各紙の出した結果を踏まえて新たな状況の展開に向けた模索を始める、その出発点に立つことになるのである。

「主権者」は誰か――原発事故から考える (岩波ブックレット)
クリエーター情報なし
岩波書店
検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか
クリエーター情報なし

岩波書店

 

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真実を知ることの意味(石巻市立大川小学校の父母にとって)

2012年04月03日 | マミム・メモ

  

 3.11以後、私はブログや勉強会などで「釜石の奇跡」を生んだ防災教育を紹介してきた。「自分の命は自分で守る」という、片田敏孝(群馬大学大学院教授)の指導の下にすすめられた釜石市教育委員会の取り組みは、単に防災のためばかりでなく、主体的に生きる力を育むという教育の基を考えるにあたって示唆に富む。

「釜石の奇跡」を語るとき、私の脳裏にはつねに「大川小学校の悲劇」があった。あの日、石巻市の大川小学校では児童108人のうち74人(教職員を合わせると84人)が死亡あるいは行方不明になった。同じように津波に襲われた近隣の小学校では犠牲者が出なかったのに、どうしてこのような事態に至ったのか? 真相を求める保護者らにたいして学校も教育委員会もこれまでのところ納得のいく説明をしていない。そんな事後の対応もふくめて、言葉で言いつくせないほど悲しく、腹立たしい。悔しく、どうにもやりきれない思いがつのる。子どもを亡くした父母の悲しみを想うと、私には何も語れなかった。

 そんなとき、3.11以後、犠牲になった子どもたちの父母に寄り添って子どもたちの捜索と真相究明の経過を見てこられた二瓶龍彦さんのことを知った。二瓶さんは、現在発売中の『週刊金曜日』(3月30日号、講談社)に「真相究明を求める父母たち」という文章を寄稿しておられるが、記事に盛り込めなかった多くの事実をtwitterでも発信しておられる。この問題をみんなで語り、考えるきっかけになることを願って、以下にその一端を転載させていただく。

週刊 金曜日 2012年 3/30号 [雑誌]
クリエーター情報なし
金曜日

・生徒74人、教職員10人の犠牲を出した石巻市立大川小学校。学校管理下で起きたこの悲劇が、人災であったということを認識している人が意外と少ないのに驚く。地元以外はまだあまり知られていないのか。そこからまた丁寧に書かなければならない。

・大川小学校の子どもたちが、校庭で過ごした津波が来るまでの恐怖の50分間。泣いている子も、立っていられない子も、気分を悪くして吐いていた子も。中には「こんなところで死んでたまるか」と友だちと励ましあっていた子も。津波が来た瞬間、子どもたちはいったい何を見たのだろうか。

・石巻市立大川小学校の保護者たちは、震災翌日の12日からわが子を自ら捜しはじめた。学校にいたから助かっていると信じていた父や母たち。わが子を捜す彼らの手。その手を思うと、今も胸をえぐられる。

・ある遺族は、わが子を発見して抱き上げたとき、その子の目からひと筋涙が零れ落ちたのを見た。そう話す父の目からも涙が零れ落ちていた

・ある遺族は「どうして学校からあんな姿で帰ってこなければならなかったのか。ビニールシートに包まれて、裸にされて、目や鼻や耳には泥が詰まって」と涙した。そして「これから学校は入学の際は、子どもの命は守らないということを保護者に伝えるべき」と怒りに身を震わせた

・あの日、大川小学校にはスクールバスも来ていた。学校の指示待ちとして待機。そしてバスの運転手も犠牲となる。高学年の子たちは裏山に逃げ、小さな子や非難してきた高齢者たちはこのバスで逃げていれば、全員が助かったのではないか。同じような条件下の近隣の学校は犠牲を出していない。

・石巻市教育委員会は、大川小の遺族から猛烈な抗議を受けてからしか動いてこなかった。自ら遺族に対して何かをすることは一切なかった。終わったこととして、当たり前のようにうやむやにしようとしてきた。東電と同じ体質。遺族のだれがそれを許すか。遺族はがんばった。水俣の二の舞にならないよう。

・自らの手でわが子を捜し出さなければならなかった大川小の父や母たちは、その悲しみのなかでなぜわが子が犠牲にならなければならなかったのかの理由も捜さなければならなかった。事実を隠された遺族たち

・石巻市立大川小学校の失われた74人の子どもたちは、いったい今なにを見ているだろうか。私たち大人たちを見て、何を思っているだろう。

・大川小の父や母たちは、わが子を見つけてみな同じことをつぶやいた。「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」

「避難訓練さえしていればずいぶん事態は変わっていたと思います」と二瓶さんはおっしゃる。「ただ、そういった体質と、その後の遺族に対する校長、市教委の態度から見る体質は同じだと感じています。いつも子どもたちの命が真ん中にない」。

 大川小学校だけの問題ではない。今後、二度と類似の悲劇を起こさないためにも、学校や教師、教委の姿勢と責任の在り方、学校教育の在り方そのものを根本から問い直す必要があるだろう。

追伸:二瓶さんの昨夜のつぶやきから。

・大川小学校の遺族の方から電話が入る。「週刊金曜日」を読んだとのこと。「今までこういう記事はなかった」「丁寧に書いていただいた」と、とても喜んでいただけた。ホッとした。

・またとんでもない話をきく。大川小の遺族たちは、宮城県知事へ直接「ひきつづき行方不明者の捜索」「石巻市教委の人事異動をしない」ことなどを嘆願。そのため知事は大川小に花を手向けに来た。その記事を石巻市広報に職員が書いた。だが、市長がそれをカット。なぜそうしなければならなかったのか。

・大川小学校の生存した子どもたちなどに聞き取り調査をし報告書を作った市教委のひとりは、そのときのメモを廃棄している。常識では考えられない。その人は責任をとることもなく、今回の人事異動で市教委を去り、ある学校の校長となった。責任をとることなく依願退職した柏葉校長につづいた。

 ところで、大川小学校のことを中心に描いた森元修一監督の映画「大津波のあとで」が、震災前後の岩手県大槌町の映像を構成した大久保愉伊監督の「槌音」とともに、4月7日から13日まで神戸アートビレッジセンターで上映される。

上映日時

4月7〜9日は午後5時20分から(8日は上映前に森元監督の舞台あいさつがある)

4月12、13日は午後3時40分から(10、11日は休み)

 

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)